雨の名の少女

 本当に、ほかの街があることを現実として認識したのならば、いくら飄飄ひょうひょうとしているファゼット・エミリーだとて、驚きを隠せなかった。

「しばらくは私が主導するから、余計な畑中はしないように」

「ちょっとなんでそこであたし⁉ ちょっ、マジでそれいい加減やめようよ! ねえ! そんなに間抜けなことしてないっしょ⁉」

 残った三人はお互いに顔を見合わせ、頷きが一つ。いじられ役は一人でいい、自分がなるなんて御免だと、決意は固まった。

「ま、ここにいる連中もほかの街は知らないだろうから、適当に混ざるわよ」

 果たして、何が違うのだろうか。

 見た目ではわからない部分は多いにせよ、少なくとも、冒険者がいるのは同じであった。ゆえに、五人でぞろぞろと歩いていても、目立つようなことはない。もちろん視線は感じるし、それを把握しつつも探りを入れているのは鷺花を除いて全員がそうだ。ごくごく自然に、ほぼ意識しない領域で己の安全を確保しようとしている。

 及第点、と鷺花は評価しているが、もちろん教えたりはしない。

 競争意識を作るのは必要だが、過ぎてしまえば潰し合う。であればこそ〝評価〟は出さない。鷺花は本質的に彼らを〝比較〟しないからだ。

 そして、比較しないことを彼らは知っている。鷺花がそうであることを、上手く誘導して気づかせた。であればこそ――その先に仲間としての連携が生まれる。何故って、彼らは比較されない個人であることを理解しているから。

 個人が好き勝手に動くのではなく、自然と同じ行為をしてお互いを邪魔しない。それが仲間だ。

 鷺花は口元に笑みを浮かべないよう気を付けながら、歩く先に迷いはない。


 縁は合ったのだ。

 鷺城鷺花がこの街に到着した――であるのならば。

 外れを引くなんてことはありえない。


 自然体を装いながらも、彼らの間に会話はない。その辺りがまだ未熟だが、それも仕方のないことか。

 視界が一気に開ける。

 限られた敷地内で暮らす彼らにとって必要な、共同墓地だ。

 墓石が一定間隔で立ち並び、まだ名前が刻まれていないものも多くある。それらを時系列に目で追うことも可能だったが、しかし、鷺花は墓地の奥、管理人宿舎だろう場所の傍に佇み、一つの人形の前で足を止めた。

 やや離れた位置で立ち止まった彼らは、お互いに顔を見合わせる。

 術式の防護があったからだ。

椋田くらた

「転移系術式を使用した結界。遮断……外部干渉の阻害」

「よろしい」

 刹那小夜ゆうじんの手際だ、魔術品でも持たせたのか。

 ふうと吐息をして腰に手を当てて――。

「彼女に用かね」

 唐突に放たれた声から距離を取り、僅かに腰を下げた四人に向けて軽く手を振る。

「間抜け。気付きなさい。……墓守?」

「ひっひっひ」

 喉を引きつらせるような笑いをした老人は、手探りをするよう椅子の位置を確かめ、ゆっくりと腰を下ろす。そこからは慣れた手つきでパイプに種を詰めると、火を点けた。

「彼女のことを知っておるかい」

「ええ――けれど、この街に来てからは知らないわ」

「ひっひっひ、答え方を知っておる……。彼女は、この街を立て直した英雄じゃよ。もっとも、人間とは薄情な生き物よ。たったの三百年で、儂ら墓守しか覚えておらん……」

「いい趣味ね」

「いっひっひ……」

「文句は?」

「まだじゃよ」

「あらそ」

 つま先を上げて、地面を叩こうとして――瞬間、ふいに思い出したように。

「ああ、そうね」

 振り向いて、可愛げのないガキたちを見る。

「周囲に人避けと目隠しを展開してあるから、気付きなさいよ間抜け。だからこの人に気付かない。あと展開するから対応しないように」

 言うだけ言って、地面を軽く叩けば。

 ――ああ、懐かしい。

 奇跡的な配列とも呼ぶべきフラクタル図が、魔術構成として周囲に展開した。

「ったくあいつは……エミリー!」

「……なんだ」

「椋田と一緒に市場に行って換金、必要なものを買っておきなさい。映像は送るから退屈はしないと思うわよ。三時間後に外で合流――この街には留まらないわ」

「わかった。陽菜」

「ん。だいじょぶ、私には届かないのはわかった」

 あっさりと、その美しい光景から目を逸らして――否だ、あっさり? 冗談じゃない。既に見入りながら頭を動かし、解析に走っているデディと藍子を見れば一目瞭然だろう。

「どうするのかね、お姉さん」

「起こすだけよ。でもまあ――最後の残り香だ、付き合ってやるわ」

「ひっひっひ、儂ら墓守には、できるならばやってみろと、そう残っておるから、構わんとも」

「でしょうね」

 最後の謎解きだ。

 この挑戦状を、破り捨てるほどの薄情ものではない。

「ふうん……」

「どうじゃ、魔術師」

「壊すのはそれほど難しくはないわね。時間で比較すれば半分で済むもの」

 鷺花の足元には一枚の術陣が展開し、更にフラクタル図が増加する。それは、鷺花自身が生み出したものだ。

「あらゆる術式において、解除不可能なものはない」

「ほう、どうしてそう言い切れる」

「術式を〝使う〟とは、制御できると同義。であるのならば、同一術式を己に向けられた時、それに対応できないのであれば、制御とは言わない」

「然り、然り、道理じゃ――ほう、そこを抜くか。儂が三〇八二回目にやった手法よ」

 そうだ。

 この墓守はずっと、解けないパズルを前にして、口元を笑みにしながらも勝負をし続けてきた。彼らが存在に気付かなかったのも当然だ、魔術師としての格が違い過ぎる。たった数年、老人は三百年――だ。

 だが。

 動いていたフラクタル図が停滞を見せれば、老人からの吐息も落ちる。

「……儂の、儂らの三百年は、お主にとっての三十分か」

「あなたにとってはパズルでも、私にとっては想い出よ」

 目立った伝言などは、一切ない。ただありったけの記憶を頼りに創り上げた術式だ。あの時はああだった、この時はこうした、同時に何があって、ここで失った――そうやって、過去をなぞるだけの作業。

 だけ、とは言い過ぎか。鷺花の技量があってこそだから。

「――落胆じゃよ」

「諦め?」

「否、否……だが、あまりにも領分が違い過ぎる。次の世代に任せる? 良いじゃろう――儂の次に至る、物好きがいれば」

「いないのね」

「だからお主がここにいる。――違うか」

「そうね」

 鷺花は、自分の影に手を入れて、それを引きずり出す。

 属性起因型術式含有大剣――それは、最後の一振りナンバーエンデと名付けられていた。

 それを、鷺花は右側に突き立てる。

「アンブレラ」

 最後の一振りが、ここで、最後の鍵となって術式は解除される。

 彼女が。

 ゴシックと呼ばれた服装の少女が、身じろぎをするよう、ゆっくりと目を開いた。

「――ハイ、レイン」

「ああ、サギ。……ようやくですか」

「待たせたわね」

 悪びれもせず、鷺花は小さく肩を竦めた。

「予定通り、想定通り、――でしょうか」

「私がここへ来たことならば、あるいは。そっちは?」

「躰は問題なしです、さすがはパペットブリード。やはり、精神ココロの問題でした。日日に摩耗され、起伏すら受け止める力がなく――それはやがて、躰に影響を及ぼす」

 膝に手を当てて、立ち上がろうとするレインの姿は、デディが見ても〝軋んで〟いる。みしみしと、音を立てるようにして、それでも躰を起こそうとしていた。

「それが、このザマです。だから私は、召喚の目印になってから、ずっと眠っていました。けれどサギ、あなたは違うのでしょうね」

「……そうね。けれど、ここにきて束縛は解かれた」

「自分で解けるのならば、最初の内にやっておくべきでしたね」

「まったくよ」

「しかし、唯一、この〝器〟は面白い。気付きましたか」

「当然」

「ふふ……ああ、アンブレラ。――、まったく、あなたも相変わらず減らず口が多い」

 どこか嬉しそうに微笑みながら、どうにか立ち上がった彼女に、大地に刺した大剣を引き抜いて、目の前に改めて突き立てた。

「……ええ、そうですね」

 両手で柄を握り、一つ、吐息を落とした。


「――始めましょう」


 だから。


「ええ。安心なさい、ちゃんと〝あっち〟に送ってあげるから」

「サーヴィスが過ぎる、相変わらずですね」


 先ほどとは打って変わって、大剣を引き抜く動作にぎこちなさは一切ない。複数展開する術式の数など、藍子には目で追うことも敵わなかった。

 だが、魔術師ではないと藍子は思う。

 そして、間違いなく最高峰の魔術武装だとデディは認めた。


 ――ああだが。

 対峙するは魔術師、鷺城鷺花。手にするは四番目の刻印を持つ刃物。


 早すぎた。

 否、速すぎたのだ。

 レインが大剣を構え、踏み込み、振り下ろす速度を二人は目で追えなかったし、気配すら感じなかった。それはつまり、彼女が敵であったのならば、二人は自分が死んだことにすら気付かなかった証左になる。


 剣が振り下ろされて、ぴたりと時間が止まった。


「容赦もない」

「またね」


 鷺花はレインの背後から、声をかけた。

 大剣が折れて音を立てる。ずるりと、まるで連動するようにレインの躰が腹部から斜めにズレた。しかし無様を晒すよりも前に、真っ赤な炎がその身を包む――。


「雨土の理から逸脱すること能わず、葬送は人なれど物為らず。雷光の頂に其の主あり、故に従は後を追う――炎のしるべに従って」


 そして炎ごと、三枚の術陣が展開し、拘束するように狭まって――存在ごと、消えた。

 いや、消したのではない、帰還させたのだ。

 彼女たちの世界へ。

「ああ……ああ――」

 老人が、パイプを置いて涙を流している。

「良かった……!」

 それ以上の言葉は出ず、顔を覆った老人は俯き、肩を震わせた。言葉通りの歓喜だ。

 彼女は。

 レイン・B・アンブレラが、ようやくここで、救われたのを、喜んでいるのである。

「……ありがとう」

 鷺花は老人の肩にそっと触れてから、その場を後にする。何度か二人は振り返って確認したが、つき従うようにして鷺花に倣う。

 かける言葉はなかったし、探る言葉も必要ない。

 鷺城鷺花の意志で、この結果を出したのだから、口を挟むのは烏滸がましい。だからせめて、考えよう。

 一つの別れを終えた、その複雑な胸中に、どれほどの感情が渦巻いているのだろうか――と。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る