鷺城鷺花の物語

 それから。

 彼らはいくつかの街を巡った。次第に法則性を見つけ出し、四つ目の街は彼らが主体となって発見することができたのだから、少しずつでも成長はしていたのだろう。

 四年目になって、畑中藍子と藤崎デディの間に娘が生まれた。

 これを期に、彼らはベースを作ることにする。魔物が極端に少ない凪ぎの宿を使って、四部屋ほどしかないけれど小屋を作って、水を引いて、生活の場所を作る。

 そこから更に三年後、ファゼットが〝魔物の子〟を拾った。まだ幼い男の子だったけれど、彼らは自分の息子のようにして育て始める。

 鷺城鷺花との関係も、まあ、良好だったのだろう。一歩進めば、鷺花はそれに応じた情報を口にする。だから多くのことを聞いた――前の世界がどうなっていたのか、どうして鷺花がここへ来たのか、そんな話もした。


 ――そして。


 旅を初めて十五年目になって、鷺城鷺花は己の最期を知った。


 彼らも三十歳にもなった。娘も息子も十一歳――誰かを守っても生き残れるだけの技量を有したと、鷺花はそれを口にした。

 娘を両手で抱えながら、藍子は泣いている。

「泣かないの、畑中。あんたは本当、変わらないわねえ」

「う、うるさい……」

 変わらないのは鷺城鷺花だ。出逢った時と変わらぬ姿で、けれど、中身が随分と衰え、壊れてしまっている。否、最初から壊れていたのか――それに、ようやく彼らが気付けるようになったのかは、わからない。

 木の椅子に座った鷺花は、ゆっくりと瞬きをしながら口を開く。躰はもう、動かすこともできない。

「これから、どうするつもり?」

「僕たちは一度、あの街に戻るよ。最初の街に、発端の街に――僕らの故郷に。子供たちにも一度は見せておきたいからね」

「そう。じゃあ、代わりにこの小屋は、私が貰って行くわ。死と共に炎が上がるから、気を付けなさい」

「最後の最後まで私らの心配かー」

「それはそうでしょ。まだまだ、私には至らないんだもの」

「むう」

「あんたはどうなんだ、鷺城鷺花」

 深く。

 煙草の煙を吸い込み、ごちゃ混ぜになった感情をすべて吐き出すようにして、ファゼットが問う。

「かつて、あの女は鷺城が送っていた。けれどここに、あんたを送れるヤツはいない」

「ああ……ま、仕方ないわね。どっかの物好きがどうにかするのならば、その時は、あちらに行けるかもしれない。その時はあんたたちも巻き添えよ」

「嫌な予言をするんじゃねえよ……」

「ふふ、その時は好きに文句を言いなさい」

「ったく……」

「――せんせい」

「なあに、リコ」

「せんせい、嬉しそう」

「ええ、そうね、――とても、嬉しいわ。私はようやく、終わることができる。でも、あなたたちは、こうなっちゃ駄目よ。終わりを渇望するだなんて、退廃的で、人としては間違ったものだから」

 けれどでも、ああ。


「長い旅が、終わる――ようやく、見送られる側。なんだか嬉しいわね」


 鷺城鷺花の瞳が閉じる。ゆっくりとした呼吸に、耳を澄ませた。

「ああ……そうだ、そういえば」

 今思い出した、なんて素振りで。

「最初の街は、なんて名前、だったのかしらね――?」

 最後の最後で、そんな〝課題〟を口にするだなんて、ああ、なんて。


 ――なんて、鷺城鷺花らしいのだろう。


 むすっとして、不機嫌そうな顔で、最後まで何も言わなかったディカという息子を、ファゼットがひょいと抱き上げる。

 わかっている。

 そんな顔をしていなければ、黙っていなければ、今すぐにでも泣き出しそうな気持ちは、ファゼットだとて、痛いほどわかったから。

 一人、一人と小屋を出る。

 奥歯を噛みしめ、嗚咽を隠し、最後に出た陽菜はるなが振り返れば、小屋が炎上していた。

 赤い、炎だ。

 それが消えるまでずっと、彼らはそこで見届けた。

 一日、そこで過ごした。

 気持ちが少しでも落ち着くように、けれど突発的に涙が出る時間を、全員で一緒にして、そして。

 別れを。

 もう届かない言葉を、気持ちの整理と共に放って、背を向けた。

 留まることは許されない。せいぜい一日が限度、すぐにでも足を前へ、そう、前へ進まなくては、鷺城鷺花に落胆される。

 それだけは、決して、許されないし、許さない。

 だが――それでも、その歩みが少しくらい遅くなっても、いいだろうか。

 一人の師を亡くした者として、少しは、引きずっていたい。

 せめて、彼女が生きた証が、きちんと己の中で見つかるまでは。


 ――三日、時間をかけた。

 けれど、それはかつてと比較すれば、たった三日だ。

 彼らは、旅立ちのその街に、戻ってきた――。


 落ち着くものだな、なんて感想はほぼ全員が抱いただろう。見知った顔もやや老けており、それだけ時間を考えさせられる。

「デディ」

「そっち、古巣だろ? ディカを連れて行くといい」

「そのつもりだ。そっちは屋敷か?」

「まだ手付かずならね。コレニアさんが健在なら話は早い、後で合流しよう」

「おう。――行くぜ、陽菜」

「おー。ディカ行くぞー」

「……うん」

 ひらひらと藍子は手を振って別れ、さてと腰に手を当てる。

「ここ、とーちゃんたちが生まれた街?」

「そうだよ」

「ちょっと待ってリコ、ねえリコ、なんてそこでかーちゃんの名前を出さないの?」

「え……? ……? とーちゃんの方がしっかり答えてくれるから?」

「疑問形か……!」

 だが、娘は小太刀を二本、佩いている。ゆえに母親をないがしろにしているわけではない。ただ藍子の扱いを心得ているだけだ。――本人が意識していないので、ぐさりとくるけれど。

 しばらく、懐かしさを胸に抱きながら、ふらふらと歩いて、向かった先に学園があった。もしもここに留まるのならば、娘に学園を体験させてやるのも手だな、などと考えていたのだが――。

「藤崎! 藤崎デディ! 畑中藍子!」

 そこで。

 懐かしい人物と出逢った。

「……? とー……、かーちゃん、知り合い?」

「気遣いのできる子に育って嬉しいな!」

「はいはい。――うるさいな、誰だあんた」

 その女性は、やはり、十五年分は老けていて。

「あ、デディこいつクソ教員じゃん。誰かと思った」

「お前は……ん? その子は?」

「あたしとデディの娘」

「リコです。……? 教員なの?」

「職業としては、そうなっている」

「あたしより弱いよこの人」

 えてして、子供の言葉というのは、突き刺さるものだ。

「だからクソ教員なの。けど油断はしちゃ駄目よ」

「したことないから、わかんない」

「だよねー」

「まあいいや、ともかく久しぶりだねリンさん。いくつか聞きたいんだけど、あの屋敷は今、どうなっている?」

「ああ……使う人間がいなかったのと、判断が迷ったのもあって、使われずに今もまだある」

「へえ、そりゃ珍しい。敷地には制限があるっていうのに、空き物件にしてたんだ。責任者は誰になってんの?」

「コレニアさんだ。花蘇芳はなずおうが管理している」

「じゃ、話を通して使おうか。藍子?」

「ん、問題なし」

「――ああ、そうだ、いいかデディ。三年前に、ここで出土した古い紙がある。術式による保存が今もまだ行われているが、その解読ができるかどうか、聞いてみたい」

「僕に?」

「ここの魔術師には一通り確認させたが、情けない話、未だに解読はできていない。たった一枚の紙には、文字らしきものがあるのだが……仮にお前たちならばと、そう思ったのだ」

「ふうん? いいけれど、あとで屋敷に持ってきてよ。久しぶりの帰郷だし、しばらくのんびりしたいから、その前なら良いね。理解できたかな、クソ教員殿?」

「まったく……わかった、すぐにでも向かおう。既に複製品がいくつかある」

「そうやって仕事の話ばっかするから婚期逃すんだぞー」

「うるさい!」

 かつてのやり取りが、今もできることに安心したのは、藍子だけではあるまい。来た道を戻るようにして、彼らは屋敷を目指す。

 一歩、屋敷に近づくたびに、藍子は涙が目に溜まるけれど――次第にその顔が嫌そうなものになり、屋敷が見えてくると複雑怪奇、怒っているのか落ち込んでいるのかわからない顔で。

「……うわ、思い出し過ぎて吐きそう。気持ち悪い。鷺城先生、容赦ないわー」

「ああうん、僕もちょっと思い出したよ。けど、リコだって似たような経験はしてるしね。ほら、ここが僕らが鷺城さんと過ごした屋敷だ。一年だけれどね」

「おー、おっきいね。調べていい?」

「ん、好きになさい」

「リコ、新しい訪問者の背後は取っていいよ」

「制圧しても?」

「怪我させないようにな」

「わかったー」

 物理構造の把握は初歩だと教えてある。術式で確認するのは当然のこと、可能ならば目で見て確認しろ――だ。

 屋敷を前にして、ぴたりと停止したリコは、そのまま足の裏を壁面につけ、重力を無視したように、そのまま屋根へと上がって行く。属性付加エンチャントの術式を使い、足がついている場所が地面であると決定づけ、重力を別方向へ流しているのだ。

 無視しているわけではない。法則を曲げているわけでもない――ただ、利用しただけだ。

「帰ってきたね」

「まったく、帰れるだなんて当時は思いもしなかったのに」

「本当。……どーなってんだろうね、あの人は」

「僕らはたどり着けなかったけれど、鷺城さんはこんな気持ちだったんだと思うよ」

 自然と、二人はお互いの肩を寄せ合う。

「笑い話だ。こんな〝俯瞰〟の視点を持っていただなんて、当時の僕たちは気付きもしない」

「ほんと、いろんなものを貰ったね」

「だからこそ寂しくある。――もっと、貰いたかったのにと」

「……うん」

 こつんと、お互いの頭が当たった。

「寂しいけど、頼ってばっかも駄目だよねー」

「そういうことさ」

 小さくお互いに笑い合って、口づけを一つ。

「――見せつけてくれるのう」

「このくらいで嫉妬する狭量な人が釣れたなら、いいんじゃない?」

 振り返れば、ファゼットと陽菜も一緒にいた。

「やあ、コレニアさん、お久しぶり。相変わらず小さくて僕はちょっと視線を下げるから、首が痛くなりそうだ。今度ファゼットからシークレットブーツのプレゼントを」

「お主、口が悪くなったのう!」

「相手は選んでますよ。なあファゼット」

「お袋の腕が落ちたんだろ」

「本当に?」

 ファゼットはため息を一つ、煙草に火を点けた。

「ディカ」

「……え? これ、俺、ばあさんに間抜けって言わなきゃ駄目か?」

「こら! 儂のことは母親と――なに⁉」

 遅く、エレット・コレニアは気付いて対応しようとするものの、あっさりと主導権を奪われて仰向けに地面へ倒れると、喉元に小太刀の切っ先を突き付けられて、続く対応を停止した。

 遅すぎた。

 続く対応そのものが、背後を奪っていたリコの四手になってしまう。

「……? 誰これ」

「俺のお袋だ」

「あ、……え? 聞いてたのと違うよ? こんな間抜けなの?」

 まず、膝を外せばエレットの足が動くようになり、左手をどかせば肩が、そして小太刀を喉元から引いて鞘に戻せば、ようやくエレットは躰の自由を取り戻せた。

「僕と藍子の娘だよ」

「……聞いておる」

「だったら、この屋敷の使用許可をとっとと出しなよ、コレニアさん」

「藍子、貴様も言うようになったのう!」

「――代わりに仕事しろって」

「はるちゃん、嫌だってちゃんと答えた?」

「とーぜん」

「じゃ、あたしからも言っとく。仕事してやっから、とっとと出せ」

「ファゼ!」

「俺に当たるな……お袋が年齢と共に弱くなったんだろ。年齢と共に――ん? おい、あいつ、どっかで見たことあるクソ女だぜ。こっちに向かってきてる」

「クソ教員だ、こっちの客だよ。とりあえず開けなよコレニアさん、中に入りたいね」

「わかった、わかった……十五年も音沙汰なしで、この有様とは、儂も考えを改めるべきじゃのう。あとファゼ、お主はあとでベッドな」

「陽菜に許可を取れよ」

「いいよ?」

「…………」

「儂は聞いたぞ」

 さあ入れと、鍵を開けば、懐かしい玄関広間がそこにある。遅れて、リンも到着した。

「――さてと。リコ、ディカ、左側に部屋がある。僕たち四人が使っていた部屋を四つ特定したら、好きに探検してもいいよ。遊んでおいで」

「はーい。じゃ行くよディカ」

「うん。あ、おじさん、後で教えてよ」

「わかってるよ」

 追い払ったつもりはないが――楽しみを、子供に取られるわけにもいかない。

「それで? どうせ、どっちの仕事も同じだろうし、詳細を聞こうか。リンさんが言うには、珍しい書類が出土でもしたって?」

「うむ、そうじゃ。解読できるか」

 そうして、その紙は手渡された。

「――え?」

 真っ先に驚きの声を上げたのは陽菜だ。何故なら、偏屈な彼女はその文章を一番最後から読んだから。

 何度も、何度も読み返す。

 最初に目を離したのはファゼットで、続いてデディが藍子に紙を渡して一歩離れ、額に手を当ててから視線を向けた。

「ファゼット」

「いいぜ」

「同姓同名?」

「――否だ、そんな偶然は落ちていない」

 そして、あの鷺城鷺花が、嘘を吐くなんてことはありえない。

「同じか?」

「ああ、大半は同じだろうな。だが、間違いなく、肉体時間の停滞オーディナリィループが存在しない世界だ」

「ゆえに」

「そうだ、鷺城鷺花は召喚された」

「――思い出した、デディ、あの人、レインさんが言ってた」

「うん?」

「あ、そっか、ファゼットもはるちゃんも、あの場にはいなかったっけ……あの人は確か――この〝器〟は面白いって」

「それか……!」

「当然、鷺城は気付いていたわけだ。だから、最後の課題にあんな台詞を残した」

 ある意味で逆だと、陽菜が小さく呟きながら、それでもまだ書類を読み直している。

「だったら? ファゼット、ここの学園とは――」

「ああ、その可能性が高い」

「同じ〝器〟でも、ただ〝そこ〟だけが違った」

「全面的に同意だ。――どうかしてるぜ」

「おい、おいファゼ、何を言っておる」

「お袋、こいつは〝圧縮言語レリップ〟と呼ばれる書式形態だ。短い文章にも思えるが、内容は濃い。で、その上で言うが、内容を理解はできねえよ。俺たちは比較するものもあるし、わかるけどな」

「どのような内容なんだ」

「どのような? クソ教員のままだね、リンさん。この一枚で、僕たちに対して多くの〝証明〟をした。けれど君たちにとっては、ただの遺言だ。尻を拭く紙より役に立たない」


 そして。

 ――ああ、そうだ。


「これは、僕たちの話じゃないんだよ。最初からずっと、そうだった」


 そうとも。


「――これは鷺城鷺花の物語だ」



 その紙には、こんなことが書かれていた。


 ――世界が壊れても、また直る。

 きっとその時に、人間は生き残るんだろう。けれど僕は、その数を少しでも増やしたくて、幾人かの手を借りて、〝今〟の世界になるよう誘導した。

 今とは、もちろん時代崩壊が訪れた、僕がこれを残して――遺している現在であって、もしかしたら君たちは違うと、そう言うかもしれない。違うという証明ができるのならば、これ以上は読まなくても構わないだろう。

 何故?

 そう問われたのならば、僕が持っていた遊び心だと、そう答えよう。

 世界の仕組みなんてのは複雑すぎる。世界の意志プログラムコードを読むなんて、頭が痛くなる所業だ。ちょっとでもわかりやすくしようと思って、僕はこんなパズルを組み込んだ。

 パズルを作る方は難しいけれど、解く方は楽しいだろうからね。

 集落をそれぞれ作った。時間をかければ、お互いの街を行き来することもできるだろう。その可能性があることを、手段とば別として、ここに明言しておく。やるかやらないかは、君たち次第だ。

 他人事だって? それはそうだ。


 ――僕は、そこにいない。


 人間の一生なんて、がんばったところで、せいぜい百年が限度だ。それ以上を見通しても、布石を打っても、僕という人間がいないのならば、結果を見ることができない。そこまで干渉するのは野暮ってものだ。

 仮に。

 もしかして。

 三千年くらい生きていることができたのならば――もしかしたら、次の崩壊も見ることが、あるいは、できるかもしれないけれど、そんなのは〝もしもif〟の話だ。

 こんな、もういない僕に囚われず、今を生きる君たちが、好きに選択をして欲しい。僕もそれを望んでいる。

 ええと……ああそう、これを一応、残しておこうと思って、筆を執ったんだ。

 これが発見された場所に街があるのならば、かつてそこが何と呼ばれていたのかを、僕は残しておこう。

 意味はない。改名してくれとも頼まない。

 ただ一つの証明として、残しておく。


 ここは、かつてノザメと呼ばれていた。


 だから言うならば、ノザメエリアというのが、正式な呼称になるのかな。もしかしたら、名残があるのかもしれないけれど、それが名残だとわかる人もまた、いないのだろう。

 それを残念だとは思わない。

 ごくごく当たり前のことだ。

 ゆえに、これは僕の自己満足。気にしなくていい、笑い飛ばしてしまえ。

 僕は、満足したから。



 その文章の最後には、一つの名前が記してあった。


 エルムレス・エリュシオン。


 それは、あの鷺城鷺花の、師の名である――。



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