街の外の仕組み

 まだ街を出てからの日数を覚えていた頃だから、たぶん二十日くらいなものだろう。何度も場所移動スライドを繰り返し、鷺城鷺花が先導する形で進めていた旅の中、凪ぎの宿と呼ばれる、魔物がほとんどいない領域で休憩をしていた時のことだ。

「――鷺城先生の訓練のがきついー」

 と、畑中藍子がぼやいたのが会話の始まりだった。

「つまり、鷺城さんはずっとこの状況を想定して訓練していたってことだろ。ただ、僕にしても外の状況に触れるのは初めてだったけれど、ファゼットはこのスライドに関して、規則性は?」

「まさか。考えたことはあるが、結論にまでたどり着いてはいない」

「だよねー。はるちゃんは?」

「同意。まだ帰還術式が使える範囲だけど」

「近いのか離れているのかも定かじゃあないね。大半の冒険者は、適当なところで切り上げるんだろうけど」

「慣れれば、それなりに上手くやれる。魔物の子の生存率も、捨てたもんじゃねえだろ」

「そりゃ今の僕なら、そう思えるけれど、鷺城さんに訓練を受けていなかったのならば、僕だってそこらの屍体になってたさ」

「へえ? じゃあ感謝してるってか?」

「してるけど、していると断言するのには抵抗があるくらいには教育されていると思う」

「うんうん」

「だよねー。っていうか先生、どこ向かってんの?」

「ん?」

 ぼんやりと、木の根元に座って夕暮れから夜に変わる空を見上げていた鷺花は、藍子に問われてようやく、視線を戻した。

「まだ、どこにも向かってはいないわよ。いわゆる状況確認ね」

「状況ですか? 鷺城さんは、何かわかったと」

「当然でしょ。なに、聞きたい?」

「是非」

「まあ食料の調達やらベースの設置やら任せてるし、半ば確定情報だけれど、対価としては――ん、いや、もうそんなことを考える必要もないのか」

 そうねと、一息おいてから。

「六五五三六個」

「――はい?」

「あの街を含めたフィールドの数が、六五五三六個。それがだいたい、一〇二四パターンで入れ替わるようにできている。これが一つの盤面で、この世界には盤面が五一二個存在しているわ」

 沈黙が落ちた。

 まず、何を言っているのか理解しよう、という時間が訪れ、改めて鷺花の言葉を咀嚼する時間が必要になった。そこから更に、言葉に含まれる俯瞰の視点を理解して――ようやく。

「ええ⁉ ちょっ、先生それ――いや本当なんだろうけど! けど!」

「そんな、さも当然、のように言われても……どうなんだファゼット」

「俺に振るな馬鹿。――で? 鷺城、別の盤面に行くための手順は用意されていないのか?」

「手順は三つ、手法もそこに含めて八つってところが私の手札ね」

「おい、おい全員集合。いやもう集まってんな。おい、この女やっぱおかしいぜ」

「洞察力っていうのこれ……あーもう、あーもう!」

「うっさい藍子」

「ええと鷺城さん、それは経験ですか?」

「あー、まあ経験もそうだけれど、それがわかったところで、何かある?」

「あるでしょいろいろと!」

「その言いぐさだと、まるで、何かがわからないような素振りだな?」

「まだわかっていないのは、――〝意図〟よ」

 いつだってそうだ、鷺城鷺花の発言は悩みを誘発する。いや、思考を誘発しているのか。

「それ、人の? 世界の?」

「あんまりしゃべらないのに、椋田くらたはそういうとこ、鋭いわねえ。けれど、だったらその二つに何か違いがある?」

「……どちらも現実なら、違いはあるけど同じ」

「そういうことよ。だったら、ほかの街と繋がりが持てない理由は?」

「それは――」

「待ったデディ。限りなく細い糸でもそれは〝不可能〟じゃない。今は〝できていない〟っていうのが現実」

「――そうだね。そして〝やらない〟のかもしれない」

「私に言わせれば必要ない、よ」

 可能だからこそ、鷺花はそう断じる。

「だって、現状でそれなりに〝上手く〟やっている。可能ならば、ほかの街と繋がりを持ちたい――そうね、その通り。けれど、不可能だから現状維持っていう典型を、あんたたちは見てきたでしょうが」

 そう言われれば、なるほどと納得してしまい、返す言葉もなくなってしまう。

「エミリー」

「ん、なんだ?」

「一つのフィールドでの最大継続時間は?」

「記憶にある限り、三十六時間前後だ」

「でしょうね。基本はそこだし、移動時間が加味されれば〝早く〟もなる。外周に触れた人間は〝落ちる〟し、留まっていれば〝残る〟わけ」

「ちょっと待て、どういうわけだ」

「透過すると考えれば術式の――法則の仕組みにも触れられる。もっとも人間には上下の〝感覚〟は発生しないけれどね」

 言われて、デディは少し考えてみる。言っていることは突拍子もないが、想像できないこともない。つまりフィールドの外周部から足を踏み外した瞬間、次のフィールドに落ちるのだ。これはごく当たり前の想像で理解できる。

 であれば、留まっていたのならば?

 残る――のであれば、つまり?

「鷺城さん、フィールドそのものが上下移動をしていると仮定しても?」

「その通り」

 つまり、フィールドそのものが〝落ちて〟くるのだ。とどまっていた自分たちのフィールドが、どう移動するかはともかく、新しいものが自分たちを透過して落ちてきて、地面になる。

 何も、文字通りの横移動スライドばかりではない。

 世界は立体的なのだ。

「最初は私がやってあげるけれど――〝しばらく〟は、ここに留まるわ」

「ここってのは、このフィールドってことでおっけ?」

「畑中が理解できたなら、全員わかってるわね」

「あれー、なんであたし落ちこぼれの扱いになってんだ……?」

 誰も、藍子の言葉にツッコミは入れなかった。

「実際に分類化カテゴライズするのは悪くない発想なのよ」

 また、鷺花は視線を空へと向ける。

「凪ぎの宿、魔物の棲家、支配の領域、常夜の嵐――そして、それ以外。つまり大きくは五つの分類化がされているのだけれど、たとえばそうね、一番簡単な方法を明かすのならば、街の周囲には必ず凪ぎの宿が配置されているわけ」

 あるいは。

「それは、凪ぎの宿に配置されている――のでは?」

「似たようなものだけれど、盤面そのものが広いから、二つ以上はくっついてる」

「――」

 ならば? その結論に至れない間抜けは、ここにはいない。すぐにデディと藍子は俯くようにして思考する。

 つまり、どうやって留まることができるのか、その方法についての考察だ。少なくとも留まっていればいつかは、どこかの街の隣に配備される、ということだから。

「魔物の存在にも思考を巡らしなさい。魔物同士が殺し合う、ある種のピラミッドが形成されているのならば、空を飛ぶ系列の魔物は、一体どこへ行く? 巣を作る場所が安全である前提として、どこに安全を求める?」

「魔物はスライドの影響をどう受けるか……?」

 陽菜がぽつりと呟けば、デディと藍子がそちらへ視線を向ける。向けるが、しかし、続く言葉もなければ、放たれる言葉もない。

「今回は私が目的地へ向かうためだから、場所を固定して本来のスライドを体験させてあげるから、しばらくはここに留まるわよ。森に行けば食料もあるけれど、あまり離れ過ぎないように」

「……その間に、俺らはいろいろ学べってか」

「間抜けになりたいならどうぞ」

「うるせえよ。陣を敷く、手伝え陽菜」

「おー」

 だとしてと、二人の様子を目で追いながら、デディは腕を組む。

「スライドそれ自体を封じたところで、隣接するフィールドが何であるか、それを越えれば必然的にスライドが発生することを考慮すると、難しいのでは?」

「待ったデディ、つまりそれは、ある特定ルートに限りスライドが発生しない移動も内包されているってことじゃないの?」

「その可能性は考慮したけど、スライドの影響を受けずに〝留まる〟ことが即ち、移動に関連する制限をある程度は緩和できると僕は考えたけど?」

「先の事例を考えるに、フィールドの端から端は、平坦ではなく立体――浮いている場へ赴くか、下へ落ちるか、そのいずれかってことよね?」

「そうだね。けれど全体が動いている以上、次のフィールドが〝前〟であるとは限らないのなら、それこそパターンの把握を考えないと無駄にならないか? それこそ、フィールドを移動したところで、足元は常に移動しているわけだから、無駄足ってこともありうる」

「でも、あたしらが移動したから、フィールドを後退させようって〝意志〟が――……え、もしかして先生、意図ってこういうこと?」

 そういうことよと、詰まらなそうに鷺花は言う。

「それが乱数での移動ならば、それ自体が規則性になる。たとえそれが無作為でもね。けれど、何かしらの意志が介入すれば、それは意図を含むことになる――であるのならば、何故と、そう呼ばれる疑問の尺度も変わるものよ」

「えっと」

「わからないと、そう断じる要素が減るんだよ、藍子さん。何故ならばそれは、思考の結果であるはずだから――人間の尺度の延長だ」

「あー……え? 世界の仕組みに意志があんの?」

「あると、仮定したらの話だね。もっとも、鷺城さんはどこか確信があるようだけれど?」

「経験よ」

 そう、世界の意志プログラムコードなんてものに触れたことのある鷺城鷺花だからこそ、確信を得られる。

 いや。

 そんなものは、とっくに、気付いていた。

 一年もの期間があったのに、まさかなにも掴んでいなかっただなんて、鷺花にとってはありえないことだから。


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