暴れん坊、襲来

 鷺城室に手を出すな――。

 そんなことが学園全体で噂になったのは、果たしていつの頃だったろうか。おそらく鷺花の訓練を受けた彼らが、そろそろ半年になろうと――する、前だろう。ファゼット・エミリーと椋田くらた陽菜はるなが二人で街の外へ出て行って、しばらくした頃からだ。

 学園には、訓練室が三ヵ所ある。基本的には冒険科が使うが、ほかの学科だとて戦闘訓練は行うため、一日中使用されており、人が絶えることはほぼない。ただし、第三訓練室は教員用とされ、学生が使うことはまずないのだが――ともかく。

 第一訓練室にはファゼット、そして畑中はたなか藍子あいこ。第二訓練室には藤崎デディと椋田陽菜が、もちろん許可を貰って、部屋の隅に居座っていた。通信機で常時会話ができるようにして、朝から準備万端だ。

『僕としては、通信機の持続時間も確認したかったから問題ないけど』

「よくわからない展開なんだけど、ゼットが仕切るんだよね?」

「本来なら鷺城の役目なんだろうけどな……〝ケン〟を鍛えるための初歩を教えろってことなんだろ。なんで俺がと言いたい気分だが、まあ最初の一歩としちゃ妥当だろ」

『ケン? 相手の分析とか、そういうの?』

「慌てるなデディ、教えてやる。つってもまあ、簡単に言えばそういうことだ。相手を見抜く力だな。あー……たとえ話でいいか」

 既に、ちらほらと最初の授業を行うために学生が集まりつつあるが、無視して続ける。

「初見の相手ってのは、ただそれだけで危険を孕むもんだろ」

『まあね』

「でも実際、初見じゃない相手の方が少ないよね?」

「その通り。たとえば陽菜と対峙したとして、様子見をする――この選択がもう失敗だ」

『うん。一手目で針を心臓に転移』

『えげつねえ……』

「だが、間違いなく鷺城は回避する。何故か? 見てわかるからだ。初見じゃないなら、対応手段も持てるけどな」

「ちなみに、鷺城先生はどうして回避できるか、そこらの考察はある?」

「まず第一に〝経験〟だ。鷺城の場合、あらゆる魔術師を――魔術を知っている。それは、使い方も含めての意味合いだ。魔力波動シグナルを察知して術式を行使段階、あるいはその前に気付いて、三次元の立体把握の後、座標指定での転移だと読めれば、あとは完成と同時に避けるだけだろ」

『そこまで読めないだろう、普通は……』

「俺は反射的に避けたけどな」

『うん、避けられた』

『マジか……』

「俺はほぼ直感の領域だ、見抜いたわけじゃねえよ。だが、直感だろうと〝厄介〟であることを、俺は感じていたわけだ。何故か? ――つまり、一見してそうだとわかった。それこそが〝ケン〟だ」

『経験もあるけれど、相手を見抜く……か』

「だから、こうやってガキを見て覚えろってことかあ」

「ま、初歩な。ある程度、意識を戦闘方向に傾けるとわかりやすいから、やってみろ。ちなみに、左腰に小太刀を佩いた藍子が、腰裏にもう一本仕込んでいるのは、歩き方でわかった。袖口に飛針とばり剛糸ごうしを仕込んでいるのも同じだ」

「げ……歩き方一つで、そこまでわかんの?」

「前者は重心の動かし方、後者は歩く際の〝重み〟だな。ついでに言えば? 単純な体術、つまり戦闘技能のみに主点を置けば、俺らの中じゃ藍子が飛び抜けた。勝ち負けは別にしてな」

『うん、私もそう思う。総合ではぜんぜんだけど』

『それは自分との比較をしているのか?』

「基本的にはそうだ。ある程度、見が鍛えられると、頭の中でシミュレートできるんだよ……自分と相手との仮想戦闘を構築する」

『……え? ファゼット、不動ふどうギョウやってんのかー?』

「なにそれ」

「いわゆる〝構え〟を取って対峙するだけの訓練だよ。さっき言った仮想戦闘を、目の前の相手とやるわけだ。筋肉の動きなんかの〝初動〟だけで相手の行動を把握して、それにこっちも〝応じる〟んだよ。わからねえやつが見ても、じっと動かず汗を流す間抜けに見えるが、わかるやつは――首を斬られる己を、現実として視認できる」

 事実、ファゼットは何度かそれを経験した。――否、何度も、か。

「ま、対人だけに限った話じゃない。魔物だって同じだ。知ってるか? データを頭に入れて、そいつを参照してるのを間抜けって言うんだ。目の前に現実の情報があるのに、そこから読み取らないんだからな」

『というか、かなり重要な部分だよね、見って』

「なんで今までやんなかったんだろ……」

『ある程度の実力が伴わないと勘違いになるから』

「あと思い込みな。ま、人間観察だと思ってやってみろ。具体的に何をと、午後から俺が言えるようになったら良いな?」

『煽るなあ……』

『アドバイスくれー』

「あのな。んー、やっぱまずは観察しろ。動きを読み取る練習だな。俺なんかはまず、違和を察するところからだが」

「そうなん?」

「実力を〝隠す〟ってのは、本当に難しい。必ずそこに違和が混ざるからだ。偽装を見破れなけりゃ、それこそ下手を打つ」

「……あれ? でもゼット、隠してたんだよね?」

「周りは間抜けばかりで楽なもんだ。隠していることを自然体にしちまえば、そこそこはな。鷺城は例外にしても――冒険科のジジイには見抜かれてたしな」

「ああ、さだめさん。あの妖怪じゃ仕方ない」

『……見ているけど、どうだろう。重心がズレてるとか、踏み込みが甘いとか』

「デディ、そういう細かい情報を重ねたら、対戦訓練に入った時、どっちが勝つか想定しろ。勝ち負けの領域は難しいかもしれんが、動きの予想くらいはできるだろうしな。ここのガキ連中は、錬度も低いから技の多様性も少ない」

『はっきり言うねえ』

「事実だろ」

『だったら、警備隊の訓練でも良さそうなもんだけど?』

「初歩だって言ったろ、我慢しとけ」

 授業が始まれば、一時的に会話が途切れる。

 相手を見る、なんてことは初歩だ。それがどんな相手だろうと、対面することが最初になる。そして、その最初でどこまでの情報を得るのか――戦闘に限らず、何事にも必要になる。

 まだ、藍子は気付いていないし、デディも気づいていない。

 だが一体、どっちなのだろうと思う。

「どちらか……ねえ」

『鷺城?』

「ん、ああ、聞こえてたか。まあな」

『え、なんの話?』

「さっきの続きだよ。鷺城の〝ケン〟についてだ。特に得物に関して」

「適性とかそゆの?」

「適性があったからか? それとも、そうなるよう仕向けたのか? その両方か」

「うぬ」

『それも見の話になるんだ』

「同じことだろ」

「あ、もっと踏み込め馬鹿。ほーら反撃食らった、受け身なし。終了? ガキだなあ」

『対応が甘すぎる。後手を踏むと負け一直線ってのはどうなんだ、これ』

「おう、そんなお前らに朗報だ」

「え?」

『なに?』

「陽菜、言ってやれ」

『間抜けがいるーガキがいるー半年前の誰かさんがごろごろいるー』

「んがっ!」

『……、……!』

 蹲った藍子を蹴っておく。それでも床に倒れたまま、頭を抱えて現実と戦っていた。

『ま、まあ確かに、そう考えてみれば? ファゼットが実力を隠せていたのも、納得だよ。難易度が低すぎる――あ、僕にできるかどうかは別問題で』

「先手を打つのも上手くなったな。どっかのまぬ――」

「あたしに話を振らないで!」

『藍子もなー』

 などと、適当に話を交えつつ、最初の授業が終わる。水などの飲料も持っているので、さして疲れないのだが――。

 二つ目の授業で、おうと声をかけられた。

「あ、妖怪ジジイがきた。若い子いっぱいだもんね、ここ」

「ようジジイ、ついに腰の調子が悪くなったか? 若い女と遊ぶのは控えろよ」

「儂、まだ何も言っとらんぞ」

 展開している通信機の窓を一瞥するが、こちらに耳を傾けつつも、介入はしてこないようだ。もっとも、窓自体は見えないよう設定してあるので、当然の配慮だろうけれど。

「儂はクラス持っておらんから、お主らの様子見だ。どうしたエミリー、隠すのは止めか」

「鷺城相手に隠し通せるとでも思ってんなら、葬儀屋の手配をしといてやるよ」

「……ま、それもそうか。でお前さん、参加はしねえのか」

「おい、おい、ついに頭がおかしくなったぞ、このジジイ」

「妖怪だから」

「ふん、随分と腕は上げたようだから、参加されても困るがな」

「だったら言うな」

「だったら来るなこの妖怪め」

「……おい、おいエミリー、なんか畑中、儂に辛くね?」

「お前がエロい目で見るからだろ」

「そんなわけねえだろう」

 大した気を悪くした様子もなく、ご老体は次の授業が始まるのを、やや離れた位置で見ていた。

 軽口は叩いているが――この街の中で唯一、四十年間を外で暮らし、そして生還した一人だ。二十歳前に外へ出て、その頃はまだ帰還の術式がなく、それでも生き残って、偶然であろうとも戻ってきた。その事実は、誰もが知っている。

 ――半ば、英雄として。

「あの妖怪、ちょっと勝てる気がしない」

「見を鍛えりゃ、もっと詳しくわかる。本気でやり合っても、どうかってところだな……」

「うげ、そんなにかー……あれ」

「ん?」

「――あの子、おかしい」

「へえ?」

 おそらくは新入生、最低年齢の十歳だろう小柄な少女を見た藍子は、目を細める。

「〝合わせ〟が上手すぎる。研究科だっけ、今」

「そうだが、どこまで見える?」

「ガードを遅くしてて、殴られてるけど芯がズレてる地点での受け。こっそり足先で攻撃の初動を見せて、相手の様子を窺ってる」

「だとして?」

「……え?」

「何を隠してる?」

「う、ぬう……」

「まず足運び」

「あっと……む⁉ なんかさっきよりわかんなくなってんだけど!」

「お前の意識が向いたのを、あっちが気付いたんだよ間抜け。初見がどれだけ重要かわかったか?」

「くっそう……!」

 ああでもない、こうでもないと意見を言いながら、授業が終わる。元より研究科だ、それほど重点的に行わない、いわば軽い運動のような感じではあるが――ちょいちょいと、ファゼットは彼女を呼び寄せた。

「え、知り合い?」

「おう。――ようリリ、馴染んでるか」

「ファゼ兄ちゃんー」

 背丈の差があるため、軽くジャンプするようにして抱き着いてきたが、一切重心を動かさずに受け止め、ファゼットは頭を撫でた。

「二ヶ月前から俺の妹、リリットな」

「リリットだ。ちゃんと馴染んでるぞー、もっと褒めれー」

「よしよし。許可が出たら俺んとこ来い。遊んでやる」

「姉ちゃんが許可くれないんだよ……まだお前には早いっ」

「おう、メロリ姉の真似か、似てる似てる。そういう時は、早いかどうか確かめに行くぞって言えばいいんだよ」

「おー、その手があったか」

「一応忠告しとくけど、それ確かめる方が酷い目に遭うからね……?」

「マジかー」

「うんマジで」

「我慢できたらする。よしっ、じゃあなファゼ兄ちゃん」

「おう」

 次の授業もあるので、あまり話しているわけにもいかない。名残惜しそうではあったものの、リリットは手を振って出て行った。

「さて、と」

 次は冒険科であることをわかっていて、ファゼットはさだめが出て行こうとするのを呼び止める。

「おいジジイ、お前どこ行くんだ」

「あ? なんだっていいだろ」

「おいおい、これから面白いのに見物はなしか? だったら優しい俺が仕事をやる。医療組のガキ連中、呼んで来い。こっから怪我人続出で、どうせ手が足りなくなる」

「お前さんなあ……」

「鷺城から許可は取ってんだよ」

「げ、いつの間に」

「警備隊はともかく、そろそろ学園の馬鹿の頭を押さえておかねえと、面倒だろ」

「ああうん、それある。舐められてんのは気に食わない」

「殺すなよ」

「全治二ヶ月な」

「あー手加減しなきゃね」

 やれやれと、頭を搔きながら出て行く定の同行は、どうであれ。

 次の授業は――ファゼットの、元いたクラスなのだ。顔見知りも多い。

 だからこそ。

「ファゼットか? 見学がいるとは聞いているが――どうだ、久しぶりに参加してみないか?」

 なんてことを、教員が振るのも、ごく自然なことで。最下位付近をふらふらしていたファゼットのことを知っている連中が、失笑するのも必然。

「うっわー、笑われてら」

「どうだ藍子」

「ちょっとイラっとしてきた」

「だろうよ。――悪いなクソ教員、今の俺が混ざっちまうと、ガキどもが今日の昼飯を食えなくなる。どうしてもって言うなら仕方ねえ、節穴のクソ教員が相手になってくれ」

「で、ガキ連中はあたしが相手すんの?」

「嫌か?」

「あたしゼットより弱いからなー、仕方ないよね……はあ、めんど」

 言いながら、藍子がすたすたと前へ出る。

「じゃ、ちょっと遊んでやるか。おいガキども、最初は誰だ? 女を殴れないって言い訳はいらないよ。ほらどうしたの、研究科鷺城室の畑中藍子よ、あたし。あー、あれか? もしかしてお前らクソ野郎は、研究科が相手じゃ満足しないって贅沢者か?」

「――チッ」

「お、ガタイの良いクソ野郎じゃない、ほら遊んでやるからおいで。開始の合図なんていらないよ」

「舐めやがって……」

「女に舐めてもらうほどデカくないでしょ、あんたのは。自分で柔軟体操でもしてな」

「てめっ」

 右の拳を、斜め前へ踏み込むようにして顔の横で受け止める。

「おい、お前、ふざけてんのか?」

「ぎっ――」

 その拳を、あろうことか藍子は、握りつぶすようにして力を入れる。本人には、みしみしと骨が軋む音が聞こえているだろう。そして、痛みに気を取られれば、胴体を蹴り上げられていることに気付かない。

 ――ごきりと、肩の関節が外れた。

 上空を一回転、片手で持ち上げるようにして背後へ倒し、詰まらなそうに藍子は足の裏で口を押える。

 ――押さえる? 否だ、踏みつけたのだ。ぎりぎりと、捻じるようにして痛みの声を封じる。

「聞こえるかクソ野郎。いいかよく聞け、あたしの楽しみはな? お前みたいな身の程知らずのマザーファ〇カーを、ごめんなさいもうしませんと、涙を流しながら謝らせることだ。しかしどういうわけか、お前はそれを口にしない。何故だろうね? ああそうか、――マゾ野郎か」

 口から足を離したかと思えば、今度は腹部に叩きつける――〝トオシ〟、その衝撃で胃をひっくり返した男は、ごろごろと転がって止まる。

「避けろよ間抜けが。――さあって、おっと、あれ何、ビビってんのかこいつら。安心しなよ、ただの遊びだ、遊び。それともお前ら、あれか? タマもぶらさがってないオカマ野郎だったのか? それじゃしょうがねえ、逃げたヤツは卒業までカマ野郎で決まり。挑めないヤツはチキン野郎な。女一人を相手に、何もできないんじゃ、しょうがないよなあ」

「やめろ!」

「おいおい、クソ教員。てめえの相手は俺だって言っただろうが……」

 ゆっくりと歩いて。

「あ、わり。踏んだわ」

 わざと踏んで、全員の視線が集まった頃合いで――ファゼットは姿を消す。

 死角を抜いて。

「――黙って見てろ、クソッタレ」

 背後、片手で首を握った。もちろん軽く、ただ少しの殺意を混ぜて。

「よし、これで邪魔も入らないね。ほらどうした腰抜けども! 腹から声を出してかかって来い! 一歩目が出せないヤツは一生そのままだ! めそめそ泣いてママのおっぱいでも吸ってろ! どうした根性見せてやれ! ゼットに見下されたままでいいのか⁉」

 一人目が、藍子の声を消すように大声を上げた。それは、どれほどみっともなくても、戦場に踏み込むための咆哮だ。馬鹿にするヤツは殺そう、と藍子が思うくらいには覚悟がある。

 ――そうして、戦闘は開始した。

「……ま、結果は見るまでもねえけどな」

 ぽんと、教員の肩に軽く手を置く。

「一応、上への説明は済んでるから、過失にはならねえよ。これで俺ら、まあ鷺城室に手を出す間抜けがいなくなりゃ、それでいい。医療組も呼んでおいたから、処置はすぐ済む」

「……まだ、半年だったな」

「俺か? 俺は比較にゃならねえよ、半年前でもあれくらいはできた。あの時は隠してたけどな。だが、藍子はそうだ、その通り――半年で、ああなった」

「何をした」

「何を? そいつは鷺城に言ってくれ。ただまあ、今こいつらが殴られて怪我してるのを、三倍くらい酷くした怪我と、五倍くらいの悪口を毎日言われ続けりゃ、否応なく、ああなるさ。壊れなけりゃな」

「……」

「お笑い種だ。わかってんのか? 得物は抜いてねえぞ」

「わかっている……」

 十五分もしないうちに、立っているのは藍子だけになった。医療組――冒険科の中でも後方支援を重点的に学ぶ学生たちがやってくるのを見て、藍子は吐息。

「どうだ藍子」

「あーうん、見が鍛えられてないと、こういう間抜けになるってことがわかった。それと、警備隊と遊んだ時に、ゼットだけが無傷だった理由も」

「へえ……」

「あと鷺城先生の怖さもわかった」

「今更だろ。さて――調子に乗ってるお前を、俺が潰しておくか」

「いや乗ってないよ⁉ すげー反省してる最中じゃん!」

「喜べよ、ちょっとは真面目に相手してやる」

「もっと嫌だ!」

「気を付けろよ、俺は結構乱暴だ」

「知ってますー、だから嫌なんですー!」

 踏み込みの初動が見えた瞬間、カウンターを当てるつもりで藍子が踏み込む。ファゼットの移動速度は何度か見ているので〝当たり〟をつけたのだろう。そして、タイミングよく、ファゼットが踏み込むよりも早く、左足が床を叩いた。

 ――狙い通り。

 ファゼットは、左足の上に、右足を踏み込んだ。

「しま――」

 カウンターであったはずのショウを首だけで回避された瞬間、藍子は失策に気付くがもう遅い。

 お互いに片足が封じられている状態だが、ファゼットは封じている側でもある。そして、初手を避けられたと思った時には既に、腹部と顔に素早い拳が的中していた。

「このっ」

 二手遅れ、だが三手目は合わせ――二人の拳がぶつかり、わずかに停止してお互いに弾かれるよう拳を離す。凝縮された衝撃が周囲に拡散して、近い位置にいた数人が飛ばされるが、気にしない。


 ファゼットは笑っている。

 藍子は奥歯を噛みしめる。


 威力そのものを見破られ、合わせられたからこその結果だと、気付いたからだ。しかし、打撃戦を演出されたと気付くのはもっと後になってからだった。

 更に二度の応酬を繰り返した時点で、踏み入れるようファゼットは右の膝を、内側から外側へやや押し込むよう、藍子の膝に当てた。

「――っ」

 故に、藍子は防御を選択する。明らかに優性であるファゼットに対し、攻撃は隙が大きすぎるとの判断――で、それが既に悪手。

 防御に回った瞬間に足を外しつつ、必然、距離を取ろうとする藍子の足を軽く払ってやれば――そら、防御も弱くなった。

 それでも。

 その一撃を両腕で受け止めたのは、かろうじて、良かったのだろう。

「追い打ちはなしにしてやるよ。――優しいだろ?」

 背中から壁にぶつかった藍子に対して言えば、すぐに、こなくそと立ち上がる。

「アリガトウゴザイマシタ! 優しさが身に沁みますね本当に!」

「チッ、感謝しやがった……」

「だって言わないと続きするじゃん! あーくっそう、本当に乱暴だよね! 足踏むとかめちゃくちゃじゃんか。喧嘩かっつーの!」

「喧嘩もまともにできない馬鹿がいるなあ?」

「くっそう!」

「だいたいな、俺と力比べなんかしたら負けるに決まってんだろ、おい」

「あそこからどう流れを変えろと……?」

「んー、俺ならまず足踏まれねえからなあ?」

「くっそイラっとするその顔!」

「予想しろってんだよ、クソ間抜け。あと、お前の顔が面白すぎるから俺がこんな顔になるんだ。つまり悪いのはお前」

「こんの野郎……!」

 頬の傷を拳で拭い、吐き捨てようとした血は、思い直してハンカチの中へ。

「……あ? 治療? いらんよー、こんなもん、いつもだし。口の中切ったくらいで大したことないって。あんがとね」

「よし、あっちも終わったな。締めろ」

「へいへい。――おいクソガキども! 悔しかったら鍛錬量を増やしてまた挑んで来い! 対人でまともにできなきゃ、魔物の相手なんて十年早いんだよばーか!」

 腹からよく声が出ている、合格だ。

 ――しかし。

 どう考えても、こういうのはファゼットではなく、鷺城の役目であるはずだ。何故こうなった。


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