魔物の在りよう
森を抜けて視界が開けてから、携帯食料の干し肉をかじりながらの移動だった。小川があったので水質調査をしてから、飲み水として確保も滞りなく済ませ、当然のように二人は無傷。
「久しぶりだからどうかとも思ったが、鈍ってねえな」
「うるさいばーか」
「ああ? なんだ、ズボンが汚れてねえのが気に食わないのか? はは、ざまあみろ。悔しかったら腕を上げろよクソ間抜け」
「みてろー、すぐに追いつくからなー」
「その時には俺も進んでるけどな」
「うるせー」
だが実際、戦闘技能を比較したのならば、どっちもどっちだ。ただ、街の中での〝経験〟があるぶん、ファゼットの方が先に行っているだけで、比較するものでもないと思っている。ズボンの汚れだとて同じだ――意識せずにできるのは、痕跡を残さない歩き方を、徹底して仕込まれているからに過ぎない。
時刻はそろそろ昼を過ぎようとする時間。草原を歩く二人の速度はやや遅くなっており、疲労はさほど見られない。
「あー」
「なんだ」
「いろいろ思い出して憂鬱」
「なんだそんなことか」
――今更だ。
ずっと雨を待ち望みながらも、飢えを凌いだ日。
魔物に追い回されて二日も走り通しだった日。
喉笛に噛みついてでも、生き残ったあの日。
思い出さずにいられるものか――。
「忘れたことなんてねえよ」
「そうだけど」
「ここらは〝魔物の棲家〟じゃなかったし、楽なもんだって感じでいいんだよ」
「うん。でも鷺城のがひどいよね?」
「……俺が
「だって――あ」
瞬間、顔を覆うようにして腕を動かした二人は、二回目のスライドに対してすぐ順応するために術式を展開する。
「火山か」
「あーつーいー」
軽い熱風を避けた腕をどかして、吐息を一つ。お互いに目くばせをする前に、周囲へと視線を走らせて状況確認を先に済ます。ごつごつとした岩が並ぶ、木木のない山肌でありながらも、あちこちで川のように溶岩が流れていた。
おそらく〝支配の領域〟だろうなと、ファゼットは思う。そこには
フィールドそのものには、中の状況に応じて名がある。
凪ぎの宿は、魔物が少なく安全性が高い。
魔物の棲家は、多くの魔物が生息している。
支配の領域は、フィールドの王者と同一系統の魔物がほとんど。
最悪なのは常夜の嵐――最低でも二つ以上の王者が、魔物同士で争う場だ。
ちなみに先ほどの森などは、凪ぎの宿ほどではなく、魔物の棲家でもない曖昧な感じだ。個人的に言わせれば凪いでいたけれど。
「常時展開、どーしてんの」
「肌の水分周りに施術して調整。普段からやってる」
「おー」
「お陰で肌の艶は良い方だ。鏡に向かって格闘するどっかの藍子とは違う」
『……聞こえてんぞ』
「訂正しよう。格闘するクソ女とはまったく違う」
『言い直すな!』
『本当にうるさいな藍子は……次は火山? もう一つ目のフィールドは抜けたんだ』
『溶岩地帯かあ……骨とかごろごろありそう』
「間抜けの末路はだいたい決まってる――」
「――切る」
『え、ちょいまだ分析』
足を止め、通信を強制切断して耳を澄まし、二度目のその声を聴いた。
迷わず移動を開始した陽菜の背後につき、ファゼットは横に並ぶ。
「躊躇なしか」
「場所は把握した」
「立体把握は得意ってか? まあ、
「魔物同士?」
「だったら違う声が届くはずだ」
「個体種が違う可能性」
「冒険者がいねえ可能性を探る真似しなくてもいいだろ」
「全滅現場はもう嫌だ」
生き残りがいたらいたで、嫌な空気にはなるが――それでも、全滅よりはマシだ。
「新種じゃねえことを祈れー」
「俺が? なにに」
「私のおっぱい!」
藍子よりも小さい胸に何を祈れと。
「もうちょい大きくなるよう、お前が祈っとけ」
「うるせーだったら揉めよー」
「お前もなんだかんだで面倒な女だな……」
流れる溶岩を飛び越えながら、じぐざぐに走るよう木が一つもない山肌を駆け上がる。岩は尖ったものが多く、足場には最適だが、下手を打てば刺さるほどだ。影に潜むトカゲなどの小動物を確認しつつも、三度目の声が聞こえてファゼットも位置を確認した。
「人もいる」
「急ぐか?」
「んー、ファゼットだけ」
「おう」
ぽんと、尻に手を触れられた瞬間、ファゼットはコンマ三秒の空白を置いて周囲の景色の変化に即応した。尖った岩の側面を蹴れば、先端が崩れるが――着地、膝をついている冒険者の男、生死は不明だが倒れている女、そして。
溶岩の海に浮かぶ巨体が、金切り声のような威嚇音を上げた。
「え、あ」
「動けねえなら黙ってろクソ間抜け」
こちらに気付いた冒険者の横を抜ける。
ヴォルカトゥス――。
蛇のように長い胴体を持ち、顔はやや平たく、大きな髭を持つその姿は、ナマズに似ている。溶岩の中で生息するため、躰は赤色の鱗で覆われており、退化の証なのか、それとも移動に使うのか、背中付近には小さな――といっても人間くらいのサイズだが――翼が二つついている。
だが、それほど脅威となる魔物ではない。何故ならば、攻撃手段が限られるからだ。狩ろうと思わなければ対処は容易い。溶岩の中に潜って、暴れるようにして液体をまき散らすか、あるいは上半身を起こして大きな口で喰らうか。
だが、ヴォルカトゥスは食欲が旺盛だ。人が傍を歩いていれば、急に顔を出して奇襲をかける。
真正面から、ファゼットは近づいて行く。左側には生死は不明だが、まだ肉体が残る女がいるので、せめてもの配慮。そして、そのまま。
大口を開けたヴォルカトゥスが、ファゼットを丸のみにした。
――ばしゃりと、口の中で水が弾ける間に、本体は背中に飛び乗った。
足の感触で鱗の固さがわかり、小太刀ではなく自前のナイフを引き抜くと、顔から離れるようにして移動しつつ、躰を捻る動きに対処しながら、まずは一撃。
溶岩の残りを避けながら、適当な場所にナイフを差し込み、思い切り鱗の一枚を剥す。赤色のそれは、五十センチほどのサイズだ。やや肉も残るが、はぎ取れないほどではなく、露出した赤色の身にナイフを突き立てた。
「――!」
痛みに身を捻りながら絶叫、折りたたまれていた翼が鋭利な刃物のよう広がったのを回避し、鱗を手にしたまま今度は頭の方へ移動する。
こちらに、つまり背中側に顔を向けた瞬間、首の根元を強く蹴り飛ばしながら、溶岩帯を飛び越えて平地に降りた。背後を振り返れば、
じたばたと暴れていたヴォルカトゥスが口を大きく開いて、声を上げた瞬間を狙って、手にしていた鱗を投擲。だが、口を閉じられて片目に直撃する。
討伐が目的ではないのなら、ここらが潮時なんだがと、ここからの行動を思考するが、バックステップを踏むようにファゼットは距離を取った。
――太陽を背に。
赤色の鳥が急降下。暴れるヴォルカトゥスを抑え込み、くちばしを傷口である目に突き付けた。
ファイアモズ。
火山の生態系では王者に含まれる、炎の鳥だ。
背を向けず、ゆっくりと離れるよう移動したファゼットは、片手で距離を開けるように指示する。ファイアモズは現在、食事中。こちらの存在に気付いているが、彼にしてみれば肉の少ない人間の獲物よりも、ヴォルカトゥスの方が〝喰いで〟がある。
置いてあった自分の荷物を手にとったファゼットは、倒れていた女を担ぐ。警戒範囲を超えたあたりで背中を見せ、しばらく山を下ることに専念した。
――そして。
「重てえな、クソッタレ」
比較的安全な場所で足を止め、女を降ろす。冒険者の男はやや遅くの到着だった。
「ミリア!」
「まだ息はあるから、とっとと帰還の準備をしろ間抜け。足の火傷が酷いけどな」
「あ、ああ」
「奇襲? それとも狩り?」
「奇襲を受けたんだ……仲間の二人は、引きずり込まれた」
「ばーか」
「魔物の知識くれえ頭に入れろボケ。どうせ警戒の分担なんぞした甘ちゃんだったんだろ。分担してた一人が喰われりゃ一発だ。感謝をしたいなら、明日には街に戻る俺らを訪ねるんだな」
「ああ……」
地面にいくつかの魔術品を設置して、手順通りに魔力を込める。当然、二人は離れた位置でそれを見ていた。
「あ……その、お前たちは」
「気にするな、たまたまだ」
「生き残ったのも、たまたま」
「名前は?」
「真に受けやがって、感謝なんていらねえよ。藤崎デディだ」
「畑中藍子」
「覚えておく。すまん……先に戻る」
転移ではなく帰還の術式が完成し、男と女、それと荷物がその場から消えた。
「ったく、世話のかかる間抜けだぜ」
「うん」
言いながら、二人は通信を開く。
『あれ? ――なにどうしたんだ? 腹の調子が悪くでもなったのか?』
『んぎゃっ! こっち訓練ちゅ――んごっ』
「あはははははは‼ 間抜けがお! よそ見して殴られてる!」
「さっき助けた、藍子よりはマシな間抜けな冒険者に、お前らの名前教えといたからな」
『……は? そりゃまたなんで』
「あちこち、ぐるぐる回しといて、たどり着く時間にいろいろ考えさせるためだ」
『面倒だって顔に書いてあるよ、ファゼット』
「さっき陽菜に書いて貰っておいて正解だったな」
『まったく、僕だって面倒は御免だよ……ま、いちいち連絡を入れてくれた配慮くらいは、受け取っておくさ』
「そうしてくれ」
「あははは‼ ばーか、ばーか!」
いつまで笑ってるんだと思えば、ぴたりと停止する。すぐに通信は切断――空を、先ほどのファイアモズが飛んで行く。こちらを視認したのにも関わらず、通り過ぎて姿を消した。
「……やれやれ、さすがにあいつの相手は御免だ」
「おなじく」
「さて、休憩所を見つけて早めに休もうぜ。間抜けを助けて疲れた」
「そんなふうには見えない」
「見えたら問題だろうが……」
下山したところで、どこに下があるのかもわからない。今度はできるだけ平地を歩くよう、二人は安全が作れる場所を探して移動を開始した。
全体を見渡しながら移動を続けていれば、どんなフィールドでも見つけることができる。目安となるのは、いつかどこぞの冒険者が休憩した痕跡だ。もっとも、襲撃痕などもあるので、一概に安全だと断定はできないが。
「ヴォルカトゥスは初見?」
「ん、ああ……フォレストゥスとは戦闘経験があった。見た目はほぼ同じでも、ヴォルカと違って逃げ場がねえ。鱗は固くてナイフを通さないし、胴体が長いから余計に〝正面〟から外れるのが難しいんだ」
蛇のよう、躰を捻らせれば、どの方向にでも顔は向く。蛇なら腹だが、あの魔物はそうもいかない。
「思いのほか、俺のバランス感覚が鍛えられてたのを実感した。曲芸ってほどでもねえけどな」
「おー」
「なんだその手は」
「たばこくれー」
「俺のだやらん。姉ちゃんからの餞別だしな、二日で消える」
「……勘を戻しておけって、言われてもなー」
「まだ半日ちょいだ。こんなもんだろ。今夜から明日にかけてが本番だ。見張りは?」
「同時でいいじゃん。どうせ眠れない」
「ま、それもそうか」
言いながら、ファゼットは煙草に火を点ける。
だがまあ、癪な話だが鷺城鷺花の言いたいこともわかった。
――久しぶりの外は、緊張感に満ちていて、少し、嬉しさも感じていたのだから。
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