鷺城鷺花の教育方針

雨天紅雨

鷺城鷺花の証明


 ――鷺城さぎしろ鷺花さぎか

 彼女の存在を説明するのには、一言で済む。


 魔術師。


 鷺花は幼少期からそのような教育を受けていたし、望んで魔術師であろうとしてきた。知識を蓄えて研究を重ね、十代の前半ではそれを実践することで経験に変え、己の身に着ける。おおよそ、鷺花が魔術師として〝完成〟したのは、十八の頃になるのだろうか。

 魔術知識、魔術行使、魔術理論――そのいずれにおいても、鷺花はほぼ頂点に立った。当然だ、彼女は魔術師なのである。そして、世にいる魔術師が己をそうであると認めるのならば、そこに至るために一歩を踏み出し続けるべきだと、そう考える。

 だとして。

 鷺城鷺花から魔術を奪ったら、何が残る?

 体術全般、あるいは武術といった方面において、鷺花は八割がた習得している。どうして十割ではないのかと問われれば、鷺花は魔術師だからと答えるだろう。仮に十割を習得してしまえば、それは武術家になってしまうと。

 徹底した自己管理。

 何よりも領分を弁えた選択。

 ――逆に、そうでなくては、ならなかった。

 鷺城鷺花は、死ななかったからだ。

 死ねない――も、間違いではない。けれど、不死ではなく、殺されなかった結果として、生き続けた。

 たとえば、同じ年齢でも見た目に若さが残る人、残らない人など、差がみられることがある。その究極とでも呼べばいいのだろうか。

 鷺城鷺花は、肉体の老化速度が極端に遅かった。

 肉体時間の停滞オーディナリィループ、あるいは因果追放者プリズナー

 その〝仕組み〟は生まれた頃からあり、施術されたわけでもなければ、獲得したものでもない。ごくごく自然に、何億分の一の確率で鷺花がそうであったと、ただそれだけの結果だ。

 たとえるのならば――人間にとって抗えない時間経過に対し、ともに歩むはずのその時間が、肉体にとってはコンマ以下の秒数でしかない状況である。本来ならば十秒を老いる時間に対し、一秒しか老いない――そんなもの。

 そして、魔術師とうたう鷺城鷺花を〝殺せる〟存在は、今までいなかった。


 ――苦肉の策が、現状だ。


 たぶん、その一瞬は鷺花にとっての〝隙〟だった。おおよそ四千か、五千年以上、顔を合わせる機会はそうなかったにせよ、一緒に生きてきた友人が二人、亡くなったという契機。常時展開している防御系の術式など、鷺花が意識する時がないほど馴染んでおり、それが警笛を鳴らす暇がないほどの、一瞬。

 つまり、かなり高位の術者が行った一手。鷺花を壊すのでもなく、崩すのでもなく、転送する手を選択したのは、まさに妙手だ。攻撃系だったのならば、わけもなく対応できたのに、転送――否、召喚術式に〝合わせる〟手だったから、隙を抜かれた。

 見事な手だ。偶然の采配を加味した上で、そう評価する。

 気を抜いた隙、同タイミングで異世界で召喚の術式を使っていること。更に言えば、鷺花を呼べるだけの技量か、あるいは通路が確保できること――限りなく低い可能性だ。それを引き寄せたのだから、それすらも含めて見事と言うほかない。

 かくして、異世界に鷺花は召喚された。

 元より存在自体は掴んでいたが、鷺花は足を踏み込むことを拒絶していた。そもそも、世界が異なるならば、生活様式ではなく、世界の創りそのものが異なっているからだ。

 いつだったろうか、こんなたとえを出したことがある。

 見た目も何もかわらない、人間が生活していて、生活そのものにも大差がない。けれどそこは、重力が六分の一しかない異世界だったとする。そこへ行ったのならば、軽く飛び跳ねたくらいで、鷺花は地上に二度と戻れない。逆に言えば、その世界の〝法則ルール〟として、彼らの体重は見た目が変わらずとも六倍はある計算になる。

 それが、世界ごとの、ルールの違いだ。

 であるのならば、召喚されたこの世界は、かつていた世界とは、もちろん違っている。

 ――確実に言えることは。

 呪いとも呼べる、鷺花の肉体時間の齟齬が、ないのだ。

 この世界に、そんなルールは、ないのだと、そう証明している。

 だから、この世界に、召喚させたのだろう。鷺城鷺花を殺すために。

 誰にも訪れる寿命という、まっとうな死を与えるために。


 ――かくして。


 召喚された鷺花は、己の中の変化をつかみ取り、一息。

「ベルゼのじじいね……」

 徹底して傍観を選ぶベルゼブブの名を持つ異形の存在を思い出して、ある種の餞別かと受け取る。視線を足元に落とせば、命が散った後の痕跡があった。

 今しがた、長長ながながと説明したように、鷺城鷺花という存在は重い。体重の話ではなく、存在自体が、おそらく本人はあまり使いたがらないだろうけれど、わかりやすくいえば〝特殊〟であり、特別だ。魔術師として生きながらも武術を扱え、それでいて数千年も長く生きてきた特異性――異世界から召喚するだけでも術式の難易度は高いのに、その上、鷺花の存在ごと引っ張れば、術者が無事であるはずがない。

 だから、言い方は悪いけれど、これこそが餞別なのだ。

 召喚主がいなくなってしまったのならば、鷺花は、送還されることがないのだから。

 屍体を一瞥しただけで意識を周囲へと向け、召喚術式をどのように行ったのかを確認した鷺花は、二十畳以上はある部屋の隅にあった本棚に近づき、一冊を引き抜いてページをめくる。

 言語体系はほとんど変わらない。おそらく世界そのものが変わっていても、基本となる部分、つまり〝生活環境〟が大きく変化していない世界だ。

 だとして?

 ならば、さほど変わらないのならば、老いる速度が同等になる結果だけだと?

 それもまた、否だろう。何故ならば、ここに鷺城鷺花を知る人物がいないのだから。


 そう遅くはないタイミングで数人が突入し、現状の把握から理解までの時間を置いて、鷺花は一度拘束されることになる。連行された先は八畳一間であり、そこで丸一日ほどの時間を過ごすことになった。いくら召喚されたとはいえ、得体のしれない人物に対する手順としては、ごくごく普通だ。当たり前と言ってもいい。

 会話は多少したけれど、鷺花もまた、ごく当たり前の対応しかしていない。状況に身を任せている――と、まあ、鷺花を知らないからこそ、そう思えるのであって。

 一日だ。

 それだけの時間があれば、望んで会話――交渉ができるくらいの情報を得るのが、この女である。

 義務ですので、と言われて部屋を出る際、ややごつごつとした手錠のようなもので両手を拘束され、案内されたのは取調室のような場所。ほぼ無意識に監視術式を感知し、それが魔術品によるものだと結論を抱くのに一秒も要さない。

 パイプ椅子に座って待てば、すぐに扉が開いて、身なりの良い男性が顔を見せた。

「お待たせしました」

 対面に腰を下ろす仕草で、少なくとも鷺花の背後に立つ二人のように訓練されていないのはわかった。スーツに似た服装はやや煌びやかと表現すべきで、おそらくは行政に関わるような仕事をしているのだと推察できる。

「すみません、召喚術式の確認に手間取りました。あなたが召喚対象であったことは証明され、殺害行為そのものは、不可抗力との結論になっています」

 やや遅れるよう、小柄な侍女服を着た女性が入り、扉を閉めた。彼女は男の背後に控えるようにして立つ――否、出口を塞ぐ、か。

物物ものものしくなって申し訳ない。異世界からの召喚の例は過去にもありますが、こちら側とはルールが違うものと考えており、それ故に、警備も厳重になってしまいます。しかし、前例もありますので、ここからはさほど時間を取らずに、決めることができそうです」

「――そう」

 やや目を伏せるようにして、ようやく鷺花は口を開いて、やはり吐息が一つ。

「選択をあげましょう」

「――はい?」

「今ここでするか、それとも後にするか。――私がどういう人物であるかの証明よ」

「できるのですか?」

「それを決めるのは私ではないでしょう? 選択の前に私から言えることがあるとすれば、私は何にも属さないし、何にも肩入れはしない。何故ならば、私個人が〝行動〟を起こした際に、この世界の均衡を崩せるからよ」

「たとえば、どのように?」

「今ここでするのね」

 両手をテーブルに乗せれば、ただそれだけで手錠は外れる。

「ここではどのような扱いになるかはわからないけれど、私は、私を魔術師であると決めているの。この程度の魔術品で拘束するのは不可能よ」

「……どうして、いや、失礼。――君、この拘束用魔術品を解析に回して下さい。工房長には、装着者が〝外した〟という事実を伝えて、改良を依頼するように。書類はあとで私が回します」

「は……」

「へえ、賢いわね」

「現実を、現実だと認識しただけです。失礼、お名前を窺ってよろしいでしょうか」

「鷺城鷺花よ」

「私はこの都市の運営に携わっております、加納かのう一馬かずまと申します。改めて状況を説明しますと、召喚した術者は四十六歳の女性、親類はなし。都市属魔術師――ええと」

「宮廷魔術師のようなものかしら。高位であり、象徴でもあり、実力者でもある」

「はい、その通りです。都市運営には携わりませんが、こちらから依頼するだけの実力を持っている者でした。残念ではありますが……」

「結構広い屋敷だったもの。使い手がいないのなら、私に住まわせて欲しいくらいね」

「――お一人で?」

「そうねえ……まだ学生の四人と一緒に、かしら」

「……は?」

「工匠科、藤崎デディ。研究科、畑中はたなか藍子あいこ。冒険科、ファゼット・エミリー。特別科、椋田くらた陽菜あきな。この四名を私が育ててあげましょう。これでも教育者の端くれだし、かつてと違って弟子を持つ制限も――まあ、無視できる。そのための〝試験〟なら、教員を三名くらい揃えて、今から軽くやってもいいわ」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「不明瞭な要求をした覚えはないけれど?」

「そうではなく、どうしてそこまでの詳細を……」

「ああ、手元の資料に目を落とさなくても、間違いなく先日に召喚された事実は変わらないし、私も認めているわ。けれど、術式封じのかかった個室が無意味なのは、今この手錠を外したことで証明した通り、――丸一日も時間をくれたのだから、その程度のことは調べていて当然でしょう? そちらにとって、私が脅威であるように、私にとってもこっちの世界が脅威である可能性はあるのだから」

 だからといって、それが調べられるのは、鷺城鷺花だからだ、としか思えないが。

「仕事として成り立つでしょうし――ああ、成果そのものは、あなたたちが望むものとは限らないけれどね」

「……それは、あなたが私たちの認識とは違う魔術師であるように?」

「そうね、あるいは」

「わかりました。――エレニアさん、学園の訓練室へご案内をお願いします。私は手続きを。鷺城さん、質問などありましたら、道中彼女へ。詳しくはまた、席を設けさせていただきます」

「そう、悪いわね。安心なさい、私が敵に回ることは、よほどのことがない限りは大丈夫だから」

「はは、そうしていただけると助かります」

 では失礼と、きちんと一礼して部屋を出て行くのを見送った鷺花は、しばらく無言のままだったが、席を立つ。

「行きましょうか」

「はい、ではこちらへ。私はエレット・コレニアと申します」

 建物を出るまではお互いに無言。外に出たところで解放感があるわけでもなし、横に並ぶようにして鷺花はついて行く。知ってはいたが、服装それ自体も――いわゆる、洋服と呼ばれるものに近い。

「前例は多いの?」

「いいえ」

「でしょうね。態度も言葉も崩していいわよ暗殺者キルスペシャリスト。そもそも召喚術式そのものの条件が低い」

「――」

「まずは術者の数、そこから召喚における世界の選択、その先で求められる相手の意志。召喚そのものに必要なのは運、何よりも召喚相手の呼応。全ての条件が揃って初めて成功する。好奇心旺盛な〝動物〟ならばともかくも――人型は難しい。……なあに、詰まらない話だった?」

「あ、いえ――」

「だから、適当にしてもいいって言ってるでしょ。で? あんたも間抜けな顔して、どうしてわかったのかって言葉を口にするわけ? 仕込んだ暗器、重心が足の親指、躰の絞り方、視線の向く先、捉え方――あんたがそれを証明しているのに、どうしてもこうしてもないでしょう」

「……相当におかしいじゃろ」

「それが実力不足の言い訳?」

「ふぬっ……!」

暗部あんぶの仕事を請け負ってるなら、そんな甘えたことは言わないようになさい」

「おぬし、本当にこちらに召喚されたばかりなのか……?」

「証明が終わったから、こうして仕事の斡旋を受けているんでしょ――っと。はあい、昨日はありがとね」

「お、なんだ鷺城さんじゃねえか! はははっ、ようやく放免かい? 一日中、詰所で拘束じゃあ疲れたろ、パン持ってけ。さっき焼き上がったのがあるんだよ」

「あらそ、じゃあ貰うわ。――ほらコレニア、お金」

「う、うむ、それは構わんが……おい店主、おい」

「んー? なんだ、ちっちゃい侍女さんじゃないか、目に入ってなかったから驚いたぞ。お前さん、食べないからちっちゃいんだ。ほれ、おまけしてやっから」

「うるさい余計なお世話じゃ。それより店主、こやつと逢ったのか?」

「おう、昨日ちょいとなあ、面白い人だ。術式で実体を二分割可能なくれえには腕も立つ。……ま、そんな魔術師、俺は知らんが、召喚されたばっかなら、飯食わないとなあって。――ほいお待ち。金? いらねえよちっちゃい侍女さん、だからもっと食えよ? 鷺城さんはまた来てくれ、随分と勉強になったからな」

「常識が違ったのだから、当然よ。ありがとう」

 紙袋に入ったパンを受け取り、露店のおっさんと別れる。すぐに鷺花はパンを口に持っていき、中の一つを侍女に渡す。

「はいどうぞ」

「うむ……いやそうではなく」

「情報の重要性について、いちいちあんたに説明する必要がある?」

「……エレットで良い」

「あら、エレニアじゃなくていいの? あんたが、暗部の人間と知っている連中は、大抵そう呼んでるんじゃなくて? まあ逆に言えば、エレットと呼ぶ人の方が少ないのでしょうけれど、それを私は光栄だと思って受け取れって?」

「う、うぬう……」

「ちなみに今のは半分ハッタリ。まあ〝仕組み〟なんてものは、人が生活している以上、ある程度は〝寄る〟ものだから、経験則よ。あまり気にしない方がいいわ」

「お主の人生が気になって仕方がないぞ……」

「エレットの老人言葉が作られた人生も気になるけれどね?」

「仕方がなかろう! 儂の周囲にはジジババしかおらんかったのじゃ!」

「その意志を継いで責任者? まだ二十代の小娘が?」

「ふ、ぬ、――お主だとてそう変わらんじゃろうが!」

「言い当てられて、反応を表に出してどうするのよ……私の外見年齢だと、せいぜい三十ってところかしらね? 意識したことはないけれど、数千年も生きてきたと言ったところで証明は難しい」

「……はあ?」

「だいたい四千年以上、生き続けなくてはならない人間に必要なものは、諦めね。与太話だと思いなさい、今の私はあと百年もすれば死ぬから」

 ――であればこそ。

 百年という現実が見えたからこそ、今の鷺花には諦めによる〝隙〟が消えたのだが。

「ようわからん話じゃのう。お主の元いた世界では、当たり前じゃったのか?」

「まさか。私みたいなのは私くらいしかいないわよ。私を殺せる存在モノもいなかったけど。何なら試してみる? これから訓練室に行くらしいし」

「その自信はどこから出ておる……?」

「裏付けされた技術と、私の人生と、それに伴った経験よ。自殺志願者だったら、この世界ごと崩壊させるくらいには、実力もあるけれどね」

「冗談じゃろ」

「それより、そろそろ状況の説明責任を果たしたらどう?」

「冗談じゃよな⁉」

「違うわ、事実よ。いいから説明なさい」

「う、うぬ……」

 さっきから唸ってばかりな気がする。相性が悪いのか、それとも鷺花がそうなのか。正解は後者だが、エレットにはわからない。

「この街にいる者の多くは、四つに分類される。これは学園の教育体制そのものでもあるが、まずは工匠、これは魔術品の作成に携わる者じゃ」

「研究は、主に魔術の思考や構成などの研究。冒険が工匠室と研究室の成果を使って外に出る者。そして、いずれにも属さないが魔術師として育成される特別室ね」

「知っておるじゃないか……」

「確認は必要よ? 説明を求めたのは私だから気にしないの。だいたい、学生四名を挙げた時点で把握していた当然でしょ。ただ――街の外に関しての情報は少ない。どうなっているの?」

「うむ、魔物の群生地じゃの。この街はそれなりに広く、生活も落ち着いていて争いも少ないが、外の調査はやはり必要じゃよ。もっとも、未だに他の街を発見したことはない」

「何が外への発展を阻んでいるの?」

「……のう鷺花、お主は既に、魔物以外の何かしらが阻害していると、そんな確信を抱いておるのじゃな?」

「そんな当たり前の思考をいちいち訊ねる必要ある?」

「それが当たり前じゃないからまどっておるのじゃ。儂がお主と同じ状況ならもう涙目じゃよ……」

「……」

「な、なんじゃ儂を見て!」

「泣かしたら可愛いのかしらと思うくらいには、私にも人間らしい感情がちゃんと残っているんだなあと」

「よし説明を続けよう」

「そうね、泣かすのはいつでもできるもの。遅くても早くても変わりはない」

「嫌なことを言うでない! ――ともかくじゃな、外は〝変化〟があるのじゃよ」

「具体的に」

「場所の移動、と言えば近しいかもしれん。前例を上げれば、森を抜けて川を見つけた冒険者数名が、顔を洗って休憩した後、ふいに後ろを確認したら、森がなく山の上であった――というのは、そう珍しくもない話じゃよ。もっとも、魔術品のお陰で帰還率はそう低くはない。工房が開発した転移ステップを組み込んだ魔術品じゃがのう」

「……そう」

「お主の見解を聞いても良いか?」

「スライドパズル」

「……うむ? あれじゃろ、細かく刻まれたピースを動かして、一つの文字を完成させる、あのパズルじゃな?」

「そうね」

 歩きながら、二つ目のパンに手を伸ばす。

「……む、続きはなしか」

「私は正解を口にしたつもりだけれど、理解力が低いわねえ。世界規模での俯瞰をした場合、小さな区画を作って、それを上下左右に移動させているのよ。もちろん、その区画自体の規模が均一であるとは限らないけれど、ピースの数だけ可能性はあるから、そこに法則性を見出すのは――ま、かなり時間がかかるでしょうね」

「いやしかし、地殻が移動した際の振動などは感知されておらんぞ?」

「直接目にしていないから、ここからは推測になるけれど、構わないわね?」

「これまでは全部確証があってのことだと知れて、儂は嬉しいぞ……」

 落ち込みたくなるくらいには、だけれども。

「おそらく土地そのものの移動は二元的な部分に干渉している。本来、平面での移動に際して上の立体も影響を受けるんだけれど、そこに四次元方向への操作を加えることで、対象――この場合は〝人間〟だけが除外されるのよ。実際には起きている振動があっても、知覚できない。そうね、簡単に言えば足元が動く際に飛び上がっていて影響を受けない――かしら」

「む……その論で行けば、この街自体も動いておると?」

「でしょうね。しかも不定期――人が多い場所を避けている可能性もある。いない方が楽でしょ。この〝世界〟は、人との接触を避けている節があるのは確かね。まあ、私もかつては同調したけれど、二千年ぐらいが限度だったわね。方法は違ったけれど」

 かつては、大陸を七つの属性ごとに分割して、海と呼ばれる不可侵を創り上げたのが、鷺花たちだ。こちらほど細かい区分けではないにせよ、思考としては繋がる部分があるのかもしれない。

「……ん? どうしたの?」

「お主、さらっと、同調とか何とか言ったじゃろ……?」

「苦肉の策よ。世界のやり方に干渉するには、いくつか条件もあるけれど、あれほど大規模なことは二度としないだろうし――私一人でやったわけじゃないもの。けれど、抗える証明ならばしてきたわ」

「もうあれじゃなー、儂の最近のトレンドは〝鷺花じゃから仕方ない〟が良さそうじゃのう」

「思考放棄しなければね」

 はっきり言って、トレンドなんかどうでも良かった。


 腕を組んで待っていれば、ばらばらと三名の教員が顔を見せた。スタイルそのものに統一性はなかったが、鷺花は一瞥しただけで軽く目を伏せる。技量そのもの、魔術師としての実力よりも、教員には必要なものがある――が、まあいいか。

「へえ、この人を試験しろってか……」

「ジグ、言葉」

「おっと失敬」

 両手を叩く音が一つ、もちろん鷺花が行ったものだ。注目を集める一手、布石を放つ一手、どちらでも使えるただの合図。

 ――少しだけ、昔を思い出した。

「あー……芽衣めいの馬鹿か」

 一部、酷似する状況がある。選択した四名の育成もそうだが、あの女と一緒にされるのも嫌だなとは思うけれど、それを知る人もここにはいない。

「さてと、では選択肢を与えましょう」

「……あ?」

「封殺か、課題か、それとも合わせるか――選びなさい」

「なにを」

「あー俺、封殺で。面倒だからいろいろと」

 無精ひげを隠そうともしない細身の男は、真っ先に手を上げてそれを選択した。隣のスーツ姿の女性は不満顔で睨みつけると、手にしていた資料を胸元に寄せて、吐息。

「では、私は課題を」

「となると、儂が必然的に合わせる――となるか」

 やや老いた男が最後に、そう答えた。まあ順当ねと思いながら、鷺花は。

「そうねえ。これから五分ほどで面白いことが一つわかるけれど、それを見てからがいい? それとも、今すぐに証明して欲しい?」

「お、なんだそれ面白そうだ。封殺される前に見せてくれよ」

「なら少し時間を潰しましょう。まずは――そうね、知っているだろうけれど、私は鷺城鷺花よ。詳細は知っているわね?」

「――聞いています。先日召喚されてこちらに来たと。その上で、あの魔術封具を解除したとか。事実ですか?」

「事実よ。あの程度のものを実用しているのなら、別の手段を使うべきね」

「たとえば」

「なあに? それは、私の術式封じを体験してみたいって催促かしら?」

「……いえ、今は遠慮します。失礼、私は研究科所属教員のリンです」

「俺は特別科のジグルーシな。で、このクソ爺が冒険科の――なんだっけ名前」

「ほう、小僧は懲りてねえな。ちょっとやるか? ん?」

「年寄りはこれだから……」

「儂はさだめだ。お前さん、かなり〝〟だろう」

「合わせてあげるから安心なさい。老人には優しく――……まあ、しようと思うくらいは、うん、たぶん」

「どれ、儂なら構わんだろう。ちょいと遊ぼうぜ」

「どう遊んで欲しい?」

 鷺花の態度は、変わらない。

「武術全般と言って伝わるかどうか知らないけれど、得物は一通り扱えるわよ。だったら無手でと思うけれど、お勧めはしない。無手なら何でもできるからね」

「なんでも?」

「証明して欲しい? この部屋の破損代金を支払う準備ができているなら、いつでもやっていいけれど?」

「おう、いいぜ儂が――」

 出そう、というよりも早く、その場で軽く鷺花は回転した。

 ふわりと、左回り。

「……っと」

 着地、数秒の間を置いて――激しい音色に驚いたよう振り向けば、巨大な亀裂が壁に走っていた。

「避けなさいよ、間抜け。余計な気を遣ったじゃない。まったく――あ、来たわ」

 そうして、遅く。

 ようやく。

「――は?」

 首だけで振り向けば、そこに、間抜けな顔をした侍女服の女と。

 鷺城鷺花がいた。

 後から来た方が歩み寄って、ぽんと軽く背中を叩けば、表面をコーティングしていた偽装がぱらぱらと剥がれ落ち、そこにいたのは黒色の甲冑を身に着けた存在モノである。それもまた、さらさらと砂のよう消え去った。

「……まあ鷺花だから仕方ないのう」

「さっそく使ってるようで何よりよ。問題点としては、まず第一に魂魄こんぱくの複写、次に思考の分割、あとは同時処理。ああ、同軸存在における重複ちょうふくを回避する手段はこの場合は必要ないわね。ただ仮に〝残影シェイド〟の術式を使用した場合は時間制限を超越すると、重複存在になって消える可能性が――なあに、聞いてる? それとも内容に追いついてない? じゃあいいか」

 二度ほど、手を叩いた。

「始めるわよー。油断、慢心、隙、――どれもない? まあ、あってもなくても同じだけれど」

 髪をかき上げる動作で、一秒以内に八十六枚の術陣が展開。きっかり数値が一秒を示せば、ジグルーシの姿はなく、そこに掌に収まるサイズのキューブが一つ。

「えーっと、リンだっけ?」

「え、あ、――はい」

「四時間後には自動的に開放されるよう設定を入れておいたから、それまでに解析してジグルーシを表に出せば課題は終了よ。ああ、中は快適だから安心なさい。食べ物も用意しておいたし……ま、表に出てきたら話を聞いてみなさいな。わかった?」

「ええ、わかった」

「まあ無理だけれどね」

「――はい?」

「すぐ気づくだろうけど、一応言っておくわよ。開封はまず不可能だから、分析を主体に行いなさい。四時間後に自動開放されたら、分析記録を報告書として上げること」

「はい、わかりました」

「よろしい」

「どっちが教員かわからんのう……」

 鷺花の姿が消え、死角を縫ってエレットの背後へ。その首に片手を当てれば、びくりと躰を震わせて硬直する。

「私が教えているに決まっているでしょう? あんたみたいなクソ間抜けの相手をしている私に対して、感謝の一つくらいないわけ?」

「ひいい……お、おい爺! こいつ怖いぞ! どうにかしておくれ!」

「ん? おー、儂には無理。すげえ亀裂だこれ、いくらになるんだ修繕費。無手でここまでやんのは儂じゃ不可能だ。しかも小娘、お前だって死角縫われてんじゃねえか。ま、儂にも見えなんだが」

「こ、こら手を離さんか鷺花!」

「うるさい」

「――しかし、お前さんに〝教育〟ができるのか?」

「あんたがその傷跡を見て、得るものがないのなら、私が下手を打った証明にはなるわね?」

「……なるほどな。さて、受付に言って修理を頼まなくてはなあ。あーいくらだ、マジで、儂の薄給で足りるか?」

「ちょ、おいクソ爺! 儂を助けんか! あ、こら!」

 解析をすぐに始めた女に、侍女が一人。

 さてどうしたものか。

「おい鷺花、首から手を離さんか!」

「……そうねえ。あんた、私の住む屋敷にきなさい。仕事あげるから」

「なんと⁉ いや待て、まだ屋敷は決まっておらんし、儂、これでも――……ほかに仕事があってな?」

「決まるわよ、すぐにでもね。そこは心配しなくてもいいわ」

「儂の心配をしろ」

「いやそっちの心配がいらないってことよ。それとも、料理の腕まで証明して欲しいって催促かしら?」

「ふぬっ……!」

「上手くやりなさい」

「決定事項か……! どうしろと!」

「あんたの面倒も見てやるって言ってんのよ。気配を隠すんじゃなく、死角を縫うには、全体が〝把握〟している状況を見抜く必要がある。どうせなら私の不意を衝くくらいのことはなさい。まあ無理だけど」

「無理か」

「常時展開している術式を消さないとね。ところでエレット」

「なんぞ」

「魔術の基本はどうなってる? 文字式、展開式、混合式、連立式、複合式、重複式、術陣に式陣、魔術品と魔術武装――ここらの単語は?」

「う、うむ、重複というのがよくわからんが、研究室ではよく使われている単語ではある。儂も一通りは自分で研究しているからな」

「そう。重複式に関してはまあ、……無理でしょうねえ、今の程度だと。だいたい、個で完結すべき研究を他人任せにしている点が問題よね。で? ファゼット・エミリーはあんたの教え子?」

「何故じゃ?」

「最初の反応をまず隠しなさいよ、馬鹿。今更そうやって隠してどうすんの。まあ聞き出すつもりもないけれどね。――どうでもいいわ」

「どうでもってことはないじゃろ、おい」

「私を殺せる存在があるかもと、ちょっとは期待してたんだけれどね」

「死にたいのか?」

「いいえ、私の中にもまだ〝成長〟があると確認したかったのよ。今の私の知識でも〝わからない〟ことがあれば、それ以上のことはないわ」

 だが、今のところそれもない。

「まさか、お主と同じようにしようと、そう考えているのではなかろうな?」

「私みたいなのはできないわよ。真に迫ることはできるけれど――それには適性が絡む。ただ、戦場の中であっさりくたばるような間抜けに育てるつもりはないわ」

「戦場?」

「ま、対人以外でも同じね。教員が教え子に望むことが一つあったとしたら、何だと思う?」

「儂ならば簡単じゃよ。――死ぬな、その一言に尽きる」

「その通り。けれど、それを口にするのは簡単で、死地において〝生き残る〟ことは困難よ。けれど、生き残らなくては次がない。そのために、教えることは全て教えておく。それがたとえ、徹底して追い詰める結果になってもね」

「ふむ……」

「ほら、勉強になるでしょう? だからうちに住みなさいと言ったのよ」

「ぬっ……断れん流れを作られた気がするのじゃが」

「その通りよ」

「そこで肯定するのか⁉」

「右も左もわからないから、何かと手配するのに知ってる人を通した方が良いでしょう?」

「いいように使いたいだけではないか……!」

「わかってるなら良いじゃない」

「良くないわ!」

「嫌で嫌で仕方ないなら、私を殺しなさい。不問にするから」

 どうにもならない現実を前に、エレット・コレニアは頭を抱えてうずくまった。

 これが現実である。


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