そこで見える光景

 卒業まで残り三ヶ月を切った頃、藤崎デディと畑中藍子の二人は、学園へ出頭することになった。

 半年を過ぎてからの実戦を想定した訓練が厳しく、何度やっても上手く行かない自分にイラつきながら、このクソッタレもう辞めてやると、何を勘違いしたか手袋を叩きつけ、学園に出戻る決意を抱いた――わけではなく。

 いや半ばそれは事実であり、それでも追いつけないのは椋田くらた陽菜はるなとファゼット・エミリーの二人はずっと鷺花が直接面倒を見ているからで、つまるところ成長しているのは同じなのだから、追いつけるはずもなく。それでも二人だとて最初の頃とは見違える成果を出していて、結果を得ていても。

「全部、基礎よ」

 なんて事実を残り三ヶ月の時点で聞かされれば、否応なく頭を抱えたくなるというか。

 ともかく学園へ顔を出すのは、卒業試験のためである。

 ずっと通ってはいなかったが、それでも鷺花の教育を受けるに当たって、学園の外部講師としての扱いになっているらしく、席だけは持っている状態だ。であるのならば、この街のルールとして、卒業したいのならば、学園の試験をクリアする必要がある。その説明会が今日ある――と、まあ、それだけの理由だ。

 研究科と工匠科の合同ということで、講堂に足を向ければ二人が最後だったようで、すぐに説明が開始される。

 面倒なのでかいつまんで説明すると――つまり。

「研究科、工匠科で一組になって、魔術品を完成させろってことだね」

「自由な発想と完成度の高い品物を求む――だって。ちょっと笑っちゃった」

 そういうことだ。

 毎年似たような試験なので予想はしていたが、説明中に渡された品物を使用せよ、とのこと。デディの手には金属があり、藍子の手には宝石がある。

 説明が終わり、ばらばらと観覧席から立ち上がって学生たちが出て行く。最後にきた二人は最後尾に立ったままだったが、大して気にした様子もなく。

「さてと」

「背後を取れるナイフなんてどう、藍子さん」

「へえ?」

 金属を展開式に変更、大小の鱗のようなものが表示される。それぞれの色合いが違い、デディの右手が空を叩くようにして動けば、いくつもの重なりを見せた。

「前後認識、移動補助?」

「座標特定からの空間転移ステップ。攻撃は使用者の錬度次第」

染料術式マーカーは?」

「引っかかる間抜けがいるとでも?」

「じゃ、間抜けを想定して自動追尾を入れておく。どうよ笑えない?」

「クソ間抜けが一定距離を保って移動?」

「解除コードなんて入れてやるもんか」

「はは、そりゃいい。隠ぺいは?」

誤認系モザイク隠れ蓑ハーミット? 面倒がないよう前者かな」

 藍子もまた、空中に線を描くようにして宝石の展開式に手を加えている。

「身体強化系はどうすんの」

「三メートル以内での高速移動に耐えられる程度には」

「範囲外の使用時に電流とかどうよ」

「いいね、懲罰だ。ほかに?」

「思いつくまで適当に」

 そうだねと相槌を打って、金属に戻したそれを手の内で遊ばせながら、周囲を見ればほとんどの学生が退出していた。これからペアを組むために一苦労かと思えば、がんばれよと応援もしたくなる。

「以前は学園のシステムそのものに疑問視を抱いていたけれど、一度外に出てみれば、まあ良いんじゃないかと思いたくもなるね」

「まーね。当事者じゃないからどーでもいい」

「改革派は維持派に負けてるからねえ。都市運営そのものが弊害だ」

「――来ていたか」

「ヘイ、知らない女に声をかけられた。ここは酒場か? 藍子さんが女として見られてないっていうなら納得だ。そう言ってくれ」

 研究科の教員であるリンは、額に手を当てた。

「あたしが何だって?」

「誰だこいつは」

「あ? ああ見たことがある、どっかのクソ教員だ。作業の邪魔ばっかする」

「へえ。おいクソ教員、あんた所属はどこだ」

「研究科だ」

「ああ、どっかの間抜けと同じだね。ということは、同じ間抜けか。類は友を呼ぶって言葉を思い出したよ。それでクソ教員殿? 作業の邪魔をする以外の用事は?」

「……、畑中で慣れたつもりだが、喧嘩を売るのが趣味か?」

「おい藍子さん、このクソ教員、ちょっとはマシなクソ教員だよ。頭がちゃんと動いてる」

「アルコールを一杯、引っ掛けてきたんでしょうよ」

 ひょいと放り投げられた宝石と、手元の金属を交換する。お互いにすぐ展開式を作って確認作業だ。

「何をしているんだ?」

「おっと、またクソ教員に戻ったね。見てわからないのか?」

「わからないから聞いてるのよ、この教員はクソ真面目にね。隠された展開式を見ようともしない」

「……見てもわからん」

「聞いたデディ」

「聞いたよ藍子さん、相手の理解を放棄した最低な女だな。これで教員とは笑える――こっち修正終わり」

「じゃ、クソの相手しといて」

「僕が? 今夜のサーヴィスは弾んでもらうからね、まったく面倒だ。さてクソ教員殿、何か問題でも?」

「あのな、藤崎。……いや、もうすぐここを閉める」

「せっかちな女だ、五分も待てないのか? 野郎だって便所に入れば長く出てこないことだってあるんだ、堪え性をつけておきなよ。そんなんじゃデートだってろくにできない。何なら僕が一緒に行って教えてもいいけれど? 僕の得るものがないな、残念」

「おい畑中、おい聞いているかクソッタレ。この男、いつもこうか?」

「いつもそう」

「間抜けを相手にする時だけだよ。ベッドの中じゃ優しいのを忘れたのかな?」

「どうだか」

「もっと激しくしろって要求だ」

「ばーか」

 もう一度、宝石と金属を交換してチェック。藍子から宝石を受け取ったデディが、二つを同時に展開して手を加え、手元に落ちたのはナイフである。

「おいクソ教員、五分は経過したか?」

「まだだ」

「堪え性のテストにはならなかったねえ」

「卒業試験の完成品だ。書類はそっちで用意してくれ、僕の癖字は酷くて読めたもんじゃない」

「あたしはアルコールが切れて手が震えるの」

「……、これが完成品? ただのナイフだろう」

「分析防御なんて最低限だろ、なに言ってんだこのクソ女は」

「試しにデディへ向けて使ってみなさいよ」

「こう――」

 リンの姿が消えた直後、デディは左手を振り上げるようにして、背後に出現したリンの腕を掴む。座席越し、障害物認定は見越していたため、丁度手首になった。

「――っ⁉」

「落ち着けよクソ女」

「初めての時に泣きわめくタイプの女ね、こいつ」

「……魔術品だ」

「当たり前だろう」

「作れってオーダーを出したのは、どこのどいつか考えてよね。腹が減ったな、デディ」

「軽く食べようか。どっかのクソ間抜けが講義の続きを聞きたいのなら、そこで代金を支払うってのはどうだ?」

「……学食へ行こう」

「言ってみるもんだ」

 デディは陽気に口笛を一つ。講堂を出て、校舎からはやや離れている食堂へ向かえば、中は閑散としている。それもそうだ、時間的にはまだ十時である。これから卒業生たちは自由行動とはいえ、食堂で休む者は少ない。

「僕は珈琲を」

「あたしも」

「少し待っていろ」

 律義にも、買い出しに向かうリンを見て、デディは苦笑して肩を竦めた。

「苛めすぎたか?」

「いや、あたしだともうちょい厳しくやる」

 ナイフをテーブルに置いていったので、デディは手持ちの紐を柄に巻き付けると、皮の鞘を作った。

「それはサーヴィス?」

「まあね。――やあ、悪いねウエイトレスの真似をさせて。似合ってるよ」

「私は教員だ」

「そうかい。座ったら? それと、提出物の忘れ物には気を付けて」

「わかっている……」

「対象に色をつけて自動追尾、特定距離内で作動させると相手の背後に移動する魔術武装よ。そこから先の行動は錬度次第」

「尾行能力も錬度次第と、付け加えるべきだね。ただそれだけの代物だ」

「……配布された金属、および宝石に、そこまでの術式は組み込めないはずだ」

「おっと、現実否定がきた。どうする藍子さん」

「教員殿、まさかとは思うけど、学生が提出した物品に対して、恥ずかしげもなく〝わかりません〟なんて間抜けな発言や、クソみたいに笑いながら〝評価できません〟なんてことを口にするわけ?」

「それとも、この学生は自分のレベルはとっくに超えているので、教えることがありませんとでも? じゃああんたは辞職して、ただのクソ女だ。代わりに教壇に立つのはどっかの学生でいい。違うかな?」

「……」

 口は悪いが。

 ――何も、冗談や嘘を重ねているわけでも、ない。

「これは私への〝課題テスト〟だと?」

報告書レポートは読みやすい字で」

「三ヶ月の期限つき。――再提出がなけりゃね」

「そして」

「わかった、……わかった。続く言葉はこうだ。時間の経過と共に、私の評判が落ちる。――そうだな?」

「今の授業料はこの珈琲で勘弁してあげるよ」

「だんだん、お前らのやり方がわかってきた」

「その通り、次第にわかってくる。いいことね、――まったく違う方法で真横から殴られるまで気付かない。ほら」

「――」

 視線を右に投げただけで、とっさにリンは立ち上がるが、何もない。

「良い反応だと思う?」

「さあね。僕らの場合は、避けた方向から殴られた」

「今も、やられてる」

「あんたもな、藍子さん」

 小さく笑いながら、お互いに珈琲を飲む時間を置き、その間にリンが改めて腰を下ろす。

「――お前たちは、卒業まで?」

「まあね。一応、そういうことになってる。残り三ヶ月」

「生き残ることができれば、だ」

「デディ」

「ああ、すまない」

 カップを握る手に力が入っていたのを見られ、意識してカップを置くと、吐息を一つ。

「〝隠す〟ことは慣れてきたと思うんだけどね。この当てにならない教員殿も気づいてないし」

「二ヶ月前は、お互いに平然と出歩ける状態じゃなかったしね」

 眠れない夜を過ごしながら、恐怖に怯え、警戒し、街中になど顔を見せれば――人など、決して寄り付かない気配を保ちながら、死にそうな顔をしていたことだろう。

 今は?

 今もそうだ。

 眠れない夜を過ごすが、恐怖への付き合い方を覚えたし、警戒を隠す方法も身に着けた。

「今の学年になって撮った写真を見た時は笑ったね、そういえば」

「ああ、あれね」

「雰囲気も、顔つきも、随分と変わっている。私から見てもな」

「あんだけ殴られりゃなー……」

「生瓢箪みたいな、以前のツラには戻りたくもないよ」


「何故」


 少しだけ間を置いて、口を挟んだリンは紅茶を置いてから、テーブルの上で手を組む。

「そこまでされていて、根を上げない?」

「どうしてだ?」

「ともすれば虐待だ。たとえば、己の成長を実感できる」

「あるいはそうかも」

「他者との比較で強さを得られる」

「それはないね。相手は鷺城鷺花だよ」

「弱さの証明は毎日やってる。鏡を見れば笑いが込み上げるくらいにね」

「ならば何がお前たちを衝き動かす? 鷺城に追いつきたいと?」

「ああそうだね、そんな気持ちがない、とは言えない。口にすれば嘘になる」

「でも遠すぎる。あまりにも遠すぎて、目の前にいる鷺城先生の姿が、嘘のように思えるくらい」

「だったら――」


 簡単だと、デディは言う。

 まったくだと藍子は苦笑する。


「一歩、踏み出せば手が届く相手がいる。目の前に、ちゃんといるんだ」

「でも一歩踏み出せば、相手も一歩進んでる。酷い時には二歩も、三歩も遠ざかる」

「ああ――そうだね、まったく」

 その通りだ。

 今までずっと、その背中を見続けてきた。

「許せないよね」

「そう、許せない。わかるかな、リンさん――置いて行かれるのだけは、我慢ならないの」

「……そうか。私にはわからんが、納得はしよう」

「いいね。理解したと言われるよりも好感が持てる」

「されようとも思ってないけどね」

 わかっている。

 あの山の向こうに何があるのだろうと、虹の根元には何があるのだろうと、無邪気に走り出す子供と同じだ。

 自分たちは前を行く二人の背中を見ている。だが、いつか横に並んだ時、あるいは追い越した時、何より先ほどまで彼らが立っていて一歩先――そこで見える光景は何だろうかと、確かめたくなる。

 その位置に立ち、何があるのかと探したい。

 それだけだ。

 子供が熱に浮かれているように――だから、気付かない。

 前を歩く二人は、ただ、背中を追う者に、追いつかれないようにしているだけ、なんてことに。


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