野心家の末路
鷺城鷺花にとって、一年という時間は非常に短い。だが、肉体の成長――否、老化を実感できた一年だ。故に、この時点で〝死期〟を予想するのは容易く、限られた時間が明確になる。そのための一年だったのだから。
誰もいない屋敷を出て、吐息を一つ。今日が出立の日ではない。ないが、一日が過ぎれば出立は近づく。
庭は一年が経過しても変わらない。
「――お出かけですか」
変わらないものもあれば、変わるものもある。
鷺花の一年よりも、彼ら四人の一年の方が、よっぽど美しく輝いている。
「いいえ」
だとして、この男は、どうなのだろうか。
「誰だったかしら?」
「出世した証明を? ははは、都市運営、評議会十二席、加納
「結構。それで用件は? 護衛を二人も連れて、物騒な話になるのかしら」
「お忙しいですか?」
「暇な時間は有用に使いたいと思うけれど?」
「なるほど、では本題に入りましょう」
少なくとも、一年で胸のバッヂが二つは増えたか。
「外に出る――と、そう聞きましたが、事実でしょうか」
「ええそうね」
「――困ります」
「あらそう。何故?」
「鷺城さん、あなたが有能だからです」
お互いの距離がやや離れているのは、警戒のためだろう。傍に控えている魔術師は微動だにしないが、仕事としては警備員か。男女のペアである。
「この一年であなたが育てた四人は素晴らしい」
「へえ? だから、私設の部隊としてスカウトを?」
「ええそうです。良好な返事をいただきました。相応の金額も提示したつもりです」
「物騒な話ね」
「私のためですよ」
「街のためではなく?」
「その二つに、何か違いがあるのでしょうか」
小さく、彼は肩を竦めた。
「冒険者の領域は、いままで都市運営の手を離れていました。連中は
「武力制圧を?」
「交渉のテーブルにつかないのは、あちらですからね。その成果を持って行けば、評議会での立場も良くなる。これで街は、私のものだ」
「野心家ねえ」
「この街では、一部の裕福層が作られます。そのための仕組みであり、そして、今まではそれで安定してきた。――これからも、そうなるでしょう」
「それで?」
「うん?」
「その話と私になんの関係が?」
「外に出て行けば冒険者です。そうなられては困る」
「あなたのために?」
「ええ、街のために」
「そう」
ゆっくりと腰を下ろせば、土と石が術式によって変化し、椅子になる。足を組んだ鷺城は、視線を空へ向けた。
「良好な返答を?」
「この街では朝刊の配達が遅い」
「――はい?」
「私がいた世界では、夜明けの時間には既に配達を終えていた。文句を言っているわけじゃない、こっちでも同じ時間に配達されるからね。――ああ来た。そっちの警備員、女の方、そうあんた。朝刊を取ってちょうだい」
「……?」
「いいから命じなさい、加納。私のところまで持ってこなくてもいい――ところで」
頬杖をついた鷺花は、何でもないように言う。
「世間じゃこんなことを言われてる。〝鷺城室に手を出すな〟――四人のガキが暴れるから? まあ、そうでしょうね。けれど現場にいて、実際に感じた人間は、その本質に触れるが故に、その言葉を使った」
「なんの話ですか」
「そういえば、今日は評議会が集まるらしいわね」
「――?」
「厳密にはもう集まっている、か」
「何を言っているのですか?」
「朝刊を」
「……君、持ってきてくれるか」
「かつては違ったわね」
「あの、鷺城さん」
「初めて出逢った時は、ただの都市運営の一人。でも今は評議会メンバー」
「ええそうです。だから、それがどうしたのですか」
「あんたの責任は、評議会の責任になる。もちろん、あんたを含めて」
「……」
「評議会の決定が実行に移されるまでに何日かかると思う?」
「迅速可決をしても、手続きが含まれ最低三時間は必要です」
「朝刊を読みなさい」
「……、君、どうした。朝刊を私に」
「ところで」
まただ。
鷺花はそうやって、話を変える。
「――どうして名乗らせたと思う?」
「え? あの」
「呑気なもんじゃのう」
驚いたように一馬は振り向く。
「エレニアさん――」
「加納、お主がここに来て名乗ってから、お主の発言が街中全域に発信されておったが、どういうことかのう」
「――⁉」
「朝刊の一面にはこうじゃ。評議会、鷺城室に手を出す――良い見出しじゃのう」
「――馬鹿な!」
「評議会が集まってるって、教えたわよ」
「――、見張っていろ!」
今更走り出しても遅いと理解しているのは、鷺花でありエレット・コレニアだ。
「さて、鷺花」
「片付けまできちんとやっておきなさい」
「うむ。――儂はお前たち二人を処理しなくてはな。身内の始末だ、儂がやるしかあるまい」
さて、今日もまた、一日を始めよう。残念ながら昨日とは違って今日は雨の予報だけれど、まあ、降り始める前にはすべてが終わるはずだ。
※
確かに、彼らの会話は全て筒抜けであった。
「そもそも、会話が全域に送信されるなんてことを、術式でやる方もそうだけど、想定ができないよねえ」
慌ただしく動き始めた都市運営本部、やたら豪華な屋敷を前にして揃った四人は、いつも通りの服装で、いつも通りの警戒で、
「確認しておく。俺と
「僕と藍子さんがメインで内部。会議室に一直線」
「到着後、残党をゼットとはるちゃんがやる」
「つまり僕たちの仕事は、内部に入って会議室に到着するまで、目についた人間を排除しつつ――始末をつけて、二人の到着を待つ」
「じゃ、俺からの助言だ」
煙草に火を点けて、一息。ファゼット・エミリーは視線を足元に落としてから、二人を見た。いや、三人か――そこには、陽菜も含まれている。
「
「戒めるよ」
「諒解」
「会話が終わったぞー」
「じゃ、始めるか」
右の拳をそれぞれ出し、上下に打ち合って一息。ファゼットは笑う。
「パーティタイムだ」
「いえーい」
「藍子さん、肩の力を抜けってさ」
「膀胱の我慢は忘れないでよ、デディ」
大きな白色の格子門を藍子が蹴ると、一瞬の帯電と共に吹き飛んだ。左右に配置されていた警備員の首から血が出るのを見るのよりも早く、一直線にデディと藍子は庭を突っ切るよう走り出す。
腰から引き抜いた拳銃を二発、先に到着したデディが玄関の扉を蹴って中へ。
足を止めて拳銃を構えたデディの脇を抜け、藍子が踏み込む。会議室は地下、その経路は頭に入れてある。
「対術式警戒!」
「援護!」
しょうがないと、デディは通路を走る藍子の背後から、警備員たちを拳銃で殺していく。通路に敵がいなくなれば、先に待っている藍子と合流し、あくまでも迅速に。
――何も考えないように。
計画だけを考えて。
走り抜けた。
地下会議室は、円形テーブルがあり、十四人が腰を下ろしている。評議会メンバーは、十五人であり、加納一馬を除いた全員がここにいる計算だ。
「――諸君!」
弾装を新しいものに交換したデディは、腹から大きな声を上げる。
大丈夫、何てことはない。失敗したら、たかが、自分が死ぬだけだ――。
「ごきげんよう諸君、さっきの〝会話〟は聞いていたはずだから、いちいち説明しなくても問題ないだろう。まずは伝言を伝えよう」
警戒は止めない。注目を浴びながらも、意識そのものは周囲へ向ける。
特に、椅子に座っていない護衛――否、都市属魔術師が厄介だ。
「この街ができて三百年、変わらず体制が維持できていることは〝問題〟だ。失敗を経験しなくては、発展もなく、ただ〝停滞〟が進んでしまう。故に、諸君には失敗してもらおう。〝次〟が失敗であったとしても、その次は、更に次は、少しだけ〝マシ〟になるはずだ」
静まり返り、耳を傾ける彼らを前に。
「だが!」
まるで革命軍の総司令だなと内心で笑いながら、デディは続けて言った。
「相応の〝報い〟は受けて貰わないといけない。そこで選択肢をあげよう――」
こちらを睨みつけるようにして、立ち上がろうとした一人をヘッドショット。たかが数メートル、この距離で外す間抜けではない。
「――いいか? 選択肢は三つだ。一つ目、諸君らの〝事実〟を知った住民による虐殺。二つ目、今までさんざん馬鹿にしていた冒険者たちに殺される。そして三つ、ここで僕たちに殺される。さて、選ぶ前に抵抗した者は今、そこに倒れているけれど、諸君、どれを選ぶ? 僕は鷺城さんと違って優しいから、六十秒あげよう」
「デディ」
「……、いいのかい?」
「残りはあげる」
「しょうがないね」
入り口から一歩、二歩目はテーブルの上、三歩目で接敵――都市属魔術師の男は、腰から剣を引き抜いて一撃を受け止め、もう片方の手から振り抜かれた小太刀を回避。
藍子が着地、眼前、そこに剣を振り下ろそうとして――いや、振り下ろした。
それを避ける。相手が驚く。何故? ――踏み込みの足を、上から踏まれていたから。
これは訓練ではない。そして、獲物で遊ぶことはまだ、覚えていない。だからそのまま、振り抜いた小太刀が首を落として、終わり。
ただ、返り血が頬を染めた。
連続した銃声が響く。真正面から二発ずつ、相手の顔が見える位置で撃ち続け、新しい弾装に交換して、全員が死んだのを確認してから。
してから?
――二度、三度と確認して、それでも。
張り詰めた空気は、消えない。
二人は背中合わせになって、ぐるぐると周囲を警戒する。肩で呼吸をしながら、一つの油断もなく、一つの安堵もなく、入り口からがたりと音が立てば、飛び跳ねるようにして動いた。
藍子が接敵を選択し、デディが援護を選択する。
銃声は二つ、踏み込みが一つ。
「――俺だ馬鹿」
弾丸は水の膜によって停止させられ、半歩の間合いを詰められた状態で藍子の攻撃は封じられていた。
「……は、は、ゼットか、はあ」
「状況終了、後の警戒はこっちに任せろ」
「――、ファゼット、
「最後の一人の案内」
「そうか」
「……うぐっ」
小太刀を納めた藍子は、片手で口元を覆って部屋の隅へ。デディもまた、ふうと息を落として気を整えたつもりが、そのまま足元に胃の中身をぶちまけた。
「ああ、気にするな。俺も陽菜も、かつては同じことをした」
「げほっ、げほっ……あー、そんなものかな?」
「戒めだよ。経験した方が良い、慣れるものでもないしな。しばらくうなされるだろうが、上手く付き合え」
「クソッタレめ」
二人が落ち着くまでの時間は、煙草を吸って潰した。
屍体だらけの一室、窓も開けない地下室なのだから余計に気持ち悪いだろうが、まだすべての仕事が終わったわけではない。
「山での訓練は一ヶ月くらいで、なんとか慣れたけれど、こんなクソッタレな気持ちに、どう折り合いをつければいいんだ」
相手が悪人ならば、仕方ないと思えたかもしれない。拮抗した実力が相手にあったのならば、激闘の末に、殺すしかなかったと思えたはず。
けれど、これは仕事であり、ただ一方的な虐殺に限りなく近い。
暴力だ。
力を振りかざして、今の結果を得た。
それだけの力が彼らにはあるが――できることと、やったことは、違う。
「忘れなけりゃそれでいい。やりたくねえと思えるのなら、それで充分だ」
事実、ファゼットは最初から難色を示していた。必要だとは思っているし、鷺花の指示に対して文句はない。ないが、それでも、できることならば経験はしないでくれと、そういう気持ちがあって。
その理由が、現状だ。
「どうせ、忘れられないでしょ、こんなの」
「その通りだ。〝次〟があった時、躊躇うようになる。それが正解だ――が、言いたくはねえが、その時に、だがそれでもと、実行できるだけの〝意志〟を持てるようになる」
「どゆこと」
「デディはどうだ」
「……なんとなくね。つまりさ、それでも殺さなくてはならない、そんな〝理由〟が、現実があれば、自分の意志でやるってことだろ」
「そうだ。……そうならないことを、常に祈ってる」
「じゃあ頼みだ、ファゼット。それが〝間違い〟だったら、僕を殺してくれよ」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。お前は藍子か」
「うっさいばーか!」
落ち着いてきたようで何よりだと思っていれば、足音が聞こえて。
――遅く。
加納一馬が、到着した。
「なん……て、ことだ――」
掠れたような声、足の力が抜けて膝から床に落ちる。その背後には、陽菜が欠伸をしながら到着だ。
「――鷺城室に手を出すな。その意味がわかって何よりだ」
煙草を吸いながら、テーブルに腰かけたファゼットが口を開いた。
「鷺城はよほどのことがなけりゃ、敵に回ることはねえ。それは、お前も聞いたことがあるはずだ。――そう、事実、その可能性は限りなく低い。何故だ、藍子」
「簡単じゃん。だって、――敵に回すのは、いつだって、鷺城先生じゃないもの」
主体が違うのだ。
今回のように、誰かが、鷺花の敵に回るのだ。
「お前の失敗を教えてやろうか。冒険者たちとの〝繋ぎ〟として、顔の広いエレット・コレニアを傍に置いたことだ」
「……なんだって? 彼女は優秀な裏方で、冒険者たちへの言葉もよく通る人物だ。私の部下ではないが、仕事も何度か回しているし、結果は出してくれた」
「――利害が一致したのならばな。俺がお袋と呼ぶあの女は、この街で最大規模、そして実態の掴めない噂話、暗殺ギルド〝
「な――」
「この街を牛耳ろうとしていた、お前にとって、最大の〝敵〟だ。ま、そんなことよりも、鷺城を使おうとしたのが失態だ。お笑い種だよ、なあ?」
「まったくだ」
「うん藍子より馬鹿」
「あたしを引き合いに出すなー」
「
「……これから、どうなるんだ」
「どう? 冒険者連中は知らん顔だろうな。幾人かの改革派が〝上手く〟やるだろうさ。花蘇芳はべつに、傀儡が欲しいわけじゃない。今よりも上手くやりたいだけ。面倒がなけりゃ余計に良い。民衆にとっても、さして騒ぎにはならねえよ。お前らが吸ってた甘い汁が、多少は還元されるだろうけどな」
「それで本当に上手く回ると思っているのか?」
「失敗がいけないことだとでも言いたげだな」
「だったら僕らは、いけないことをずっと続けてるようなもんだね。もっとも、学習しないんなら、その通りだ」
「――君たちが私の誘いに承諾したのは」
「契約を書類で用意しなかったお前の落ち度だ。金でころっと態度を変えるようなら、最初から鷺城の教育なんか受け続けるかよ」
「ほんっと間抜けだったね、あれ。教員や学生から話を聞けば、間違いなくそんな誘い方じゃ駄目だってわかったのに、机の上しか見てないんだもん」
「ま、然るべき末路だ。――さて」
脱力し、俯いてしまった一馬の頭を掴み、顔を上げさせる。
「――安心しろ、お前は生かす」
「……!」
「そう、その通りだ。自分で命を落とす度胸がありゃ、自殺でもしてみな」
この男は、元凶として生かされ、責め続けられる。そして役目が終わったのならば、人知れず始末をつけられるだろう。
そんなものだ。
あるいは、王道である。
――野心家の末路など、その程度なのだ。
足音一つなく、侍女たちが姿を見せたあたりで、仕事は終了。
まったく、とんだ〝仕上げ〟である。
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