一ヶ月の成果

 今日でちょうど区切りになる一ヶ月。一歩も成長していない忸怩を噛みしめながらも、時間だけは過ぎるもので、藤崎デディは警備隊の訓練場に来ている現実に、ため息の一つも落としたくなった。

「……あ? なんだ藤崎、お前、畑中はたなかみたいな顔してるぜ」

「それはつまり、見るに堪えない不細工顔ってことかな」

「ちょっ、なにあたしディスってんの⁉ おい聞いてんのかそこのクソ野郎ども! 聞こえてんぞこら!」

「ああ、ちょっと見ても大丈夫な顔に戻ったみたいだね」

「こんにゃろう……」

「というか藤崎、なんか口悪くなってるだろ。自覚してんのかお前」

「誰の影響かわかる?」

 そんな疑問を口にすれば、顔を見合わせて全員が苦笑する。

 言うまでもない、鷺城鷺花の教育だ。

「あーもうなんなのー。警備隊が揃ってんのに、何も始まらないし。怖いわー、あたし怖いわー」

「だったらそういうツラしたら?」

「さっきからしてんじゃん。藤崎って節穴?」

「畑中さんほどじゃないけどね。ほら、椋田くらたさんは平気そうだ」

「うん。今朝の占いで言ってた。警備隊は受難の日、私たちに吹っ飛ばされて痛い目に遭うでしょうって」

「そりゃまたピンポイントな……まあ、何をやるかの予想はついてるけど」

「あ、鷺城きた」

 警備隊の詰所方面から、実に面倒そうな顔をした鷺花が戻ってきた。それだけで、この場から逃げ出したいほど、嫌な予感がしたのはデディだけではあるまい。

「あー……話つけてきた。もう面倒だから、あいつら殺していいかしら」

「いやそれ駄目でしょ!」

「じゃあ畑中がやりなさいよ」

「なんでそうなる⁉」

「文句を言うから。あークソッタレ、わかったわよ半殺しで」

「生きてれば大丈夫!」

「駄目だろう……鷺城さん、もうちょっとサービスを良くしましょうよ」

「……全治三か月?」

「あーうん、僕もうそれでいい気がしてきた」

「はいはい」

 ぱんと、鷺花が両手を叩いた瞬間、飛ぶようにして距離を取り、重心を落とす。ほぼ反射動作だ。

「今から警備隊を名乗るゴミ虫どもと格闘訓練を行う! あんたたちクソどもは、まず対一であのゴミ虫どもを半殺しにしろ! いいか殺すな、半殺しだ!」

「マァム、半殺しをしたことがありません」

「藤崎あんたが一番槍だ!」

「また余計なこと言ったのか僕は……!」

「優しい私はアドバイスをあげましょう。いい? ――相手を、私だと思って対応なさい」

「はい。やれるだけやってみます」

 どのみち、やらないという選択肢はない。相手側から一人きたので、デディは真っ先に一礼して、腹から声を出す。

「よろしくお願いします!」

 いつものことだ。

 いつもの挨拶である。

 そして、いつも思うのは、この挨拶の前にはたぶん、〝どうぞ殴ってください〟と前置するはずだ。最近どうも、お陰で顔の形が少し変わってきたように思えるし。

「では、はじめ!」

 相手の隊長が声を上げてから、自然体のまま深呼吸を一つ。距離はまだ四メートル。

 デディは、まだ未熟であることを自覚している。だから下手な小細工をせずに、ただ、決めたことを素直にやろう――そう思って。

 相手の前に出した右足が、砂利を噛んで音を立てた瞬間、踏み込んだ。

 ――何故、なんて疑問は瞬間的に振り払う。戦闘中に疑問を抱けば、その瞬間に負けることは確定する。少なくとも相手が鷺花ならば当然だ。

 だから、相手がなんの対応もせず、デディの一撃を喰らったことにさえ、意識を割かない。

 左足は大地を掴んだまま、右の腕を折るようにして肘の一撃を相手の胸上に当てる。だが、右足が宙に浮いたまま曲げられ、右の手がその膝に添えられている。相手に体重を軽く乗せることでバランスが維持されているが、しかし、肘の一撃で相手は後ろに倒れ――ようとして。

 浮いていた右足が強く、大地に叩きつけられ、曲げられていた右腕が拳となって、まっすぐ、相手へと放たれた。


 ――フレッシュ


 その一撃で相手は六メートルほど吹っ飛び、バウンドを三度して十メートル、そこで停止して、上半身を起こそうと両腕に力を込めた瞬間。


「当てるな!」


 膝で片腕を封じ、かぶさるようにして追撃を加えたデディの右の拳が、鷺花の声と共に――相手の顔の横へと、叩きつけられる。

 彼にとっても、周囲の者にとっても、それなりに大きな音だったろう。何しろ大地がへこむくらいには、威力があったのだから。

「そこまでにしときなさい」

「――」

 その時のデディは、どんな顔をしていたのだろうか。

 睨むような? それとも、面倒そうな? あるいは機械のような?

 少なくとも。

 ――相手の男は、顔を引きつらせていた。

「失礼」

 吐息を落としながら立ち上がり、やはり一礼してから、短い髪の中に手を入れて頭を搔きながら、デディは戻った。

「あー……」

「不満?」

「ええまあ。加減されて勝たされた気分です」

「――馬鹿言え」

「いやだってエミリー、直線だしやりようはあったはずだ。点での攻撃は成功率も低い。進行方向を曲げてやれば隙だらけだ」

「牽制のつもりだったってか?」

「そうじゃないけど」

「お前の踏み込み速度を、相手が追えてねえんだよ。だが安心しろ、前座としちゃ上出来だ。次から難易度が上がる。最近、鼻が低くなったんじゃねえかと心配な畑中に、それは現実だと鏡を突き付けてやれるぜ」

「うっさいばーか! ばーか! ジャージ着ろばーか!」

「うるさい」

「みぎゃっ、ちょっ、鷺城先生! あたしの身長が縮んだらどうしてくれんの!」

「毎日身長を伸ばそうとしているエレットに秘訣を聞きなさい」

「……目頭が熱い」

「気が合うね椋田くらたさん、僕もだ」

「あれ? 話が反れてないこれ」

「いいから行け馬鹿」

「あんたが言うな! ――ちっ、避けやがって!」

 蹴りを繰り出し、不機嫌そうに歩いて行く畑中を見送った。

「なんなんだあいつは……あの日か?」

「それは知らないよ。でも――なんだろうな、これ」

「半歩、踏み込みができてなかったろ藤崎」

「できなかったんだよ。実際、半歩どころか踏み込みが完成したことはない。鷺城さんを相手には、肘を当てるまでで、だいたい駄目。今日初めてだったから、次からはちゃんと打ち抜けるよ」

「……使う相手には気を払え」

「ん?」

「あいつの肋骨、ヒビ入ってるからな? しばらく右腕も使えない。追撃で膝入れただろ」

「え? ――は?」

「この試験が終わればわかるから、まあ、気にするだけしとけ」

「……よくわからないけど、たぶんその結果、僕はなんだか落ち込みそうな気がする」

「教育の成果だぜ、それも。――なんだ、畑中も随分と素直に攻めるんだな。投げ技主体に浸透系の当身だ」

「あれは見たことある。っていうか、鷺城さんにやられた。受け身を覚える訓練とか言ってたけど、覚えたのそれだけじゃないし。浸透系って外見が変わらないからって、すげー使われた。お前の職業はヤクザかよって思ったよ」

「カタギじゃねえのは確かだ」

 そんなことを話していれば、藍子あいこが帰ってきた。次は陽菜はるなの番だ。

「……」

「おい、畑中がいつもの顔になってるぜ」

「あの不細工な」

「お前ら二度ネタだかんなそれ!」

「知ってるから、いちいち反応しなくても。それで、畑中さんはどうした?」

「手ごたえがなくって……なんだろこれ。あの人たち加減してくれてた?」

「お前の相手をした野郎は今日、便所に行くたびに赤い小便を流すだろうし、飯を食っても固形物は戻すくらいに、内臓へのダメージはイってるからな。あと受け身に失敗して背骨がそこそこ痛んでる」

「うっわ、なんなの下手なの、あの人」

「そう思っとけ。――ふん、椋田はカウンター系か。面倒だな」

「あ」

「うわ……ありゃ酷いな。あそこまで的確にカウンター入れるとか鬼だろう。鷺城さんやってたけど」

「うん、あたしも鷺城先生にやられた。死にそうになった。涙目で文句言ったら、今生きてるでしょって言われて終わり。なんなのこれ」

「カウンターって的確に部位破壊だから気を付けろって、僕も言われたよ。蹲っててよく聞こえなかったけど」

「――エミリー、次」

「俺の顔、相手に割れてるんだけどな。鷺城、どこまでやっていいんだ?」

「そうねえ……ちゃあんと忠告入れてから、壊していいわよ」

「諒解」

 ひらひらと手を振って、陽菜とすれ違う。

「楽しめたか?」

「エミリーほどじゃないー」

「いて」

 どういうわけか、陽菜には蹴られたが、まあいいと思って手を上げながら近づいて行く。

「よう、隊長さん。万年成績の悪いエミリーだ。一時期は随分と世話になったな」

「お前の名前を聞いた時は、なんの冗談かと思ったぜ」

「だろうよ。こっちが隠してるのに、それに気付かないクソ間抜けたちを相手に、わざわざこうですよって教えてやるほど俺は優しくねえからな。だから――全治三ヶ月、それくらいは覚悟した間抜けを寄越せよ。それともあんたがやるかい、隊長さん」

「いい度胸だな」

「わかってねえな、一人目を出してくれ。現実を見ればすぐにわかるだろ、脳が天気な隊長さんにもな。安心しろ、誰だってそうだ。目の前で人が死なないと、状況の深刻さに気付かない」

 忠告はしたと、背を向けて少し離れれば、相手の男がやってくる。始めの合図を聞き流し、ポケットからシガレットケース、その中にある煙草を咥え――そして。

 相手の拳を避け、右手で更に引っ張りながら、左足で相手のすねを踏みつぶす。

 加減はしてやる。全治三ヶ月だ、折れた骨が筋肉に刺さらないような配慮。

 倒れる男を無視して、二歩ほど前に出ながら煙草に火を点けた。

「今日の、一本目だ。どうした隊長さん、次を寄越せ。それとも、一人目でビビっちまうようなタマなしばっかなのか、警備隊ってのは。始めの合図もなけりゃ戦えねえって時点で、たかが知れてるけどな。ヘイ、ボーイズ。どうした? 次を決めねえなら――俺が決めてやろうか?」

 たぶん、それはルール違反。

 瞬間的に背後から掴みかかろうとした一人の腕を、バックステップで避けて懐に入れば、男の左腕を捻り上げるようにしつつも、軽く足を払って転がした。移動速度は評価できるが、せいぜいデディと同じくらいか。

 脱臼させた肩に、足で踏みつけて紫煙を吐き出した。

「おいおい、二人目なのに俺の服を汚すこともできねえってのは、どういうことだ、隊長さん」

「足をどけろ」

「――あのな? 俺はこれでも怒ってんだぜ? 対魔術師戦闘が基本で、街の治安を守る警備隊がこのザマで、恥ずかしくねえのか?」

 ゆっくりと足をどけたかと思えば、同じところに再び足を振り下ろす。

「確かに俺は、最初からこんなもんだ。学園に入った頃からずっとな。だが後ろのクズどもは、鷺城に一ヶ月訓練されただけだぜ、おい。それに加えて、ガキの相手なんかしてどうするって、鷺城を相手に文句言ったのはどこのどいつだ、隊長さん。ああ? そのガキを相手に――このザマか」

 今度こそ足をどかすが、蹴るようにして転がす。煙草は残り半分だ。

「さて面倒だ、乱闘にしようぜ。こっちは四人――ああ、俺は加減できるが、こっちの三人は加減を知らないから気を付けろ。……はは、どっちが酷い目に遭うかはギャンブルだ、楽しめよ。あと――」

 背後を一瞥して、一吸い。

「――逃げたきゃ逃げろ、腰抜け野郎。俺への煙草を買い忘れるなよ臆病者」

 さあて、愉しい楽しいパーティの始まりだ。


 死屍しし累累るいるいとも呼べる状況の中、四人が立っている。無傷なのはファゼットだけで、ほかの三名は大なり小なり怪我を負っているけれど、平然と立っている。

 おおよそ四十人が全滅だ。だらしがないというよりも、途中からデディなんぞは、これからの仕事は大丈夫なんだろうかと、妙な心配をしたくらいだ。

「だらしねえ」

 ネクタイの位置を確かめながら、ファゼットは吐き捨てる。

「冒険者になりきれねえクソ野郎にはお似合いだぜ」

「言い過ぎだよ、エミリー。というか……」

「はいはい、お疲れ様。まだ余裕がありそうね?」

「はーい。鷺城先生の追い込みと比べると天国でーす」

 事実、その通りなのだ。これだけの人数を相手にしても、さほど疲れてもいない。

「ここ一ヶ月の成果よ、受け取りなさい。私のじゃなく、あんたたち自身のものだから」

「あ、うん……」

「そうですか」

「――おいエミリー!」

「あ? なんだ隊長さん――っと」

「受け取れ、クソッタレ」

「さんきゅ。ちゃんと鍛え直せよ」

「うるせえ」

 新品の煙草が一箱。すぐに封を切って、新しく火を点けた。

「ずるいぞーよこせー」

「うるせえ馬鹿、女が吸うな。俺の取り分が減るだろうが」

「エミリー、本音が漏れてるからね」

「正直だからな」

「よく言うよ。あー、一ヶ月かあ。鷺城さん、俺まだ板を壊してないんですけど」

「ん? ああ、一番威力がある打撃で殴ってみなさい。今のあんたなら壊せるから」

「――へ?」

「畑中もね」

「マジすかー……」

「成長の証左よ。――さて、まだ未熟なクソ共に一応言っておく」

 今度は手を叩かないんだなと思った藍子だが、口にはしない。したら酷い目に遭うからだ。確実に。

「一年後、あんたらが学園を卒業する時期に、私はこの街を出て、外に行く。その時にどうするかは、あんたらの選択次第。私が外でどうするのかも、まあ、そのうちにね」

「あのう」

「なあに畑中」

「一ヶ月経ったんで、もう辞めるって選択肢はありますかー」

「あるわよ? 好きになさい。できるものならね」


「私が毎日、首から〝腰抜け〟ってプラカードをかける役目」

「俺がクズ子ってあだ名を広める役目」

「僕は臆病者って連呼する役目」


「ここには敵しかいねえ……!」


 たぶんそれは最初からそうだ。


「だいたい、ここ一ヶ月で教わったのは基礎中の基礎だけだろ。それと――いい加減、俺のことをエミリーと呼ぶのは止めろ。女みてえに聞こえるから、ファゼットかゼットと呼べ。んで、ファゼとは呼ぶな。それは家族にしか許してねえ」

「気にしてたなら言ってくれればいいのに。じゃあ僕のこともデディでいいよ。その方がたぶん、面倒がない」

「あたしは藍子って呼ばれたくないなあ」

「聞いてないぜ、クズ子」

「選べる立場じゃないよ、臆病者」

「もう藍子でいいから! ちょっと、はるちゃんも何か言ってよ!」

「ん? ファゼットは陽菜って呼んでいい。ディは駄目」

「諒解だよ、椋田さん」

「……え? あたしにはあんだけ言っといて、なんではるちゃんは許すの?」

「うーん、僕の口からそれを言うのは躊躇うんだけど、今後のことも考えて正直に言うよ。鏡を見て同じセリフを言ってみればわかるはずだ」

「てめえこんにゃろう……!」

「元気ねえ。よし、じゃあこうしよう」

 鷺花の台詞に、ファゼット以外がそっぽを向いた。

「どうだ見ろ鷺城、これが成果だ」

「現実逃避したって変わらないけれど、まあ、私が面倒を見てた子たちは、だいたいそうなったわね。随分と昔の話だけれど」

「で?」

「ファゼット、――がんばって壊さないようになさい。三対一よ」

「……俺との〝差〟を見せつけようって話か?」

「私は〝そうなるよう〟に訓練したつもりだけれど?」

 深呼吸をするように、大きく、紫煙を吐き出して。

「対多戦闘が俺の欠点だとでも言いたげだな?」

「長所は伸ばしてあげるのが私の教育よ。同じ人間を育てる趣味はないもの」

「……この一ヶ月で〝ケン〟を鍛えなかった理由は?」

「なんのことかしら」

「クソッタレ」

 よろよろと動き出した警備隊の連中を放置し、五歩ほど前に出たファゼットは振り返って三人を見た。

「ということだ。――喜べよ、ようやくお互いにやり合う機会チャンスが巡ってきたぜ」

「嫌だなあ……」

 頭を搔きながら、デディが一歩前へ出てから、右側へ少し動く。その一瞬で煙草を口から吐き捨てたファゼットは、上半身を前へ思い切り倒し、左足を横に伸ばすようにして姿勢を低くすると、立ち上がりざまに――掴もうとしていた藍子の腕を逆に掴みながら、重心制御をして地面へとうつ伏せになるよう投げだ。すぐに関節を極められると思った藍子が腕を外そうとするのを見て、ぱっと手を離して蹴り飛ばしながら、背後に向けて肘を突き出しつつも踏み込み。

 カウンターを受けたデディが、自分で地面を蹴って飛ぶが、半テンポほど遅い。

 そして。

 攻撃を待っていた陽菜の背中を蹴り飛ばした。

「ぼーっとしてんじゃねえよ、クソ間抜け」

 だが、思いのほか加減が難しいくらいには、厄介な手合いに成長している。

「どうファゼット、成長してる?」

「俺のことならノーコメント」

「そういう返答ばかり達者になるのは、どうしてかしらね……?」

「それこそ、あんたの教育の成果だろ。受け入れろ……つーか」

「なに?」

「心を折りに行けないのが、――面倒だ」

「私がやってあげようか?」

「冗談だろ」

 その対象が自分であることをわかっていて、ファゼットは拒絶した。

「――初日からもう折れてる」

 一ヶ月でだいぶ修復できたところなのに、これ以上やられてたまるか。


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