重複式の概念
学園の校舎は、それぞれ学科ごとに大きく区分があるものの、中央にある教員室は共同であり、おおよそ放射線状に配置されていると考えれば間違いがない。
工匠、研究、冒険、それから特別。学生の人数だけを考えれば前者二つが多く、後者二つが少ないのが現状だろう。お互いの縄張り争いなども、まあ、あるにはあるが、そもそも
だが今は、少しだけ興味を持ってはいた。一度外に出たからか、どうやればその縄張り争いを鎮静化させられるのか――あるいはぶっ壊せるのかと、そんな思考をするくらいには、興味がある。
ガキの遊びならもっと面白いことをすればいいのにと思うのも、きっと鷺城鷺花の教育が原因だろう。
教員室の扉をがらりと開き、中に入ってすぐ声を上げる。
「研究科鷺城室、畑中藍子です! リン教員はいらっしゃいますか!」
「――、声が大きい」
「あ、失礼」
咳払いを一つ。まったく意識しなかったが、きちんと腹から声を出すのが癖になっているようだった。
「それで? どうかしたのか、畑中」
「リンさん、書庫の閲覧許可が欲しいんだけど」
「お前はすぐタメ口になるな……?」
「言葉遣いで上下関係を構築したいと思うほど、心の狭い人間にはなってないと思ったからだけど?」
「…………」
「ん? どしたの?」
「お前、変わったな」
「やっぱり鼻の位置が下がった⁉ あんのクソ女、いつか絶対に仕返ししてやる……!」
「い、いや、落ち着け。私は何も言っていない」
「そーですか! ああもう……んで、書庫の許可」
「私も行くから少し待て。それと今は授業中だ、静かに」
「椅子に座って板書見てれば、真面目にしてるって勘違いするくらい適当な授業に、そもそも配慮する必要なんてあんの?」
「……、……」
「え? なに、どうしたのリンさん。さっきからちょいちょい、反応が変だよ? なんか嫌なことでもあった? 悪いけど、相談したいならあたし以外にした方がいいからね? 学生に真面目に相談とか、リンさんが惨めになるだけだし。たぶん、あたしげらげら笑うから」
「畑中、礼儀って言葉を知っているか?」
「礼節を弁えるような人物であると、胸を張って言える人間ほど間抜けって言葉が似合うヤツ、あたしは知らないんだけど?」
「……」
「あれー? なんでほかの教員に注目されてるの……? これはあれか、さては鷺城先生の悪行が広まってるな? あたしは被害者だ」
原因は藍子の言動そのものだが、もはやそれをおかしいと感じないのである。事実、ほかの三人はもっと酷い。
「まあいい、行くぞ」
「はあい」
一般的な図書館とは別に、魔術的な要因が強く含まれる書庫というのが、この学園にはいくつか存在している。特に研究科が使う書庫は魔術書も多く、それを目当てにして藍子は学園に来たわけだ。
といっても、学園事態に悪い印象や想い出はない。今まで用事がなかっただけだ。
「少し前、警備隊の連中とやったそうだな?」
徒歩で移動中、ちらちらと他の教室を見ていたが、そんな言葉を投げられた。
「こちらにも話しがきていた」
「あー、あのクソども。完全にあれは拍子抜けだったなー。最初、手加減してんのかと思ったらマジだし。あの程度で警備隊って、なに、笑いでも取ろうとしてんの、あいつら」
「……間違いなくお前の口が悪くなったのは確かだ」
「それ、反論できない時の言い訳にしか聞こえないんだけど?」
「…………」
「一ヶ月も鷺城先生の訓練を受ければ、あたしくらいにはなるよ。本人は嫌がるだろうけど」
「そうなのか?」
「うん。九割は逃げ出すのに、どうして一割のために、いちいち面倒を見なくちゃならないの? そんなわかりきった結果を見たい馬鹿はあんた? ――って言いながら、殴られた。マジ酷い。緩い頭が締まった? って笑顔で聞いてくるし」
「何故そこで殴られる……?」
「え? あたしが間抜けなこと言ったからじゃないの? 訓練中だったし。終わり際だけどね……最近になってようやく、ゼットの言ってた、訓練で死ぬのも実戦で死ぬのも一緒って言葉がわかってきたし」
「――」
「あ、ほら早く鍵。開けてよリンさん、無駄話をしに来たんじゃない」
「ああ、すまない……」
中は二十畳ほどの書庫だ。屋敷にある場所よりも狭く、本だけではなく紙のたばのようなものまで、さまざまだ。
「んじゃ失礼してっと」
背表紙を眺めながら、かつての記憶と照合しつつも、まずは三冊ほどを引き抜いて読書用のテーブルに置く。ちなみにここの利用は、少人数のグループを作り、それらが日ごとにローテーションしての使用許可が出る。かつては藍子もそうやって使うくらいには、勉強熱心だった。
しかし、その勉強内容があまりにも学業とは逸脱している部分があったため、それどころか授業内容を放置していたのもあって、成績が悪く、問題児にされていたわけだ。
「なにを調べているんだ?」
「簡単に言うと、三次元の構成式。鷺城先生が使ってる物品の倉庫――正式には〝
「容器にならない?」
「リュックに抜き身のナイフを入れる馬鹿はいない――あ、これはあたしの台詞じゃないけど、まさにそんな感じ。じゃあ鞘作るか! って感じであれこれやってたら、一本収納してはい終わり。意識してないと消えるし」
「……かなり難易度の高いことをやってるんだな」
「あー言い訳どうもー」
「貴様……」
「まあリンさんに答えを聞きにきたわけじゃないし。ここの書庫にいくつか気になった走り書きがあったから、それを頼りに――ん、しに来たわけ」
目的の記術を手元の紙に記してすぐ、次の本へと移る。
「自然界のマナの還元式?」
「え? ああ、うん、そうだけど」
「それがどう関わっているんだ? 術式の維持か?」
「いや、下手に干渉すると、あたしはここにいますって主張してる間抜けになるじゃん」
「三次元の構成式はいいのか」
「基礎もできてないのに応用するヤツを馬鹿って言うんだけど知ってた?」
「……」
「実際にはもう想像はついてる。けど、それを実行に移すためには足りないものが沢山ある」
「それは?」
「頭の柔軟性と、発想の飛躍と、それは? なんて自分の頭で考えもせず疑問をただ口にするような間抜けにならないこと」
「……、……、そろそろ私も怒っていいところか」
「それ知ってる。口で負けたやつの常套手段。今日はやめてねリンさん、鏡の用意を忘れたから」
「……」
「いやあのリンさん、あのさー、忠告しとくけど、うちの屋敷には来ない方がいいよ? あたし優しい方だし、なんかいじられ役みたいになってるし、正直殴り合いの喧嘩を始めるくらいには、あたしよりも連中の方が性格悪くなってっからね?」
「そう言われると、やや興味がだな?」
「じゃあナイフを二本用意しといてね」
「は? ……そんなものが必要なのか」
「うん。殴り合いの喧嘩が始まったら、そっと差し入れるのが気遣いだから」
「おい……」
「いや冗談じゃなくて。デディなんて、そのためのナイフを作ってるし。この前は切断系の術式を含んだ魔術武装とかになってて、マジでテンション上がったんだよね」
「あ、相手は無事か……⁉」
「うん、もう片方は爆砕系の術式が組み込まれてて、術式同士がぶつかったら庭に穴が空いて、大爆笑。笑ってたら殴られて片付けしたけど」
「わかったもういい……」
「そう? まあ大したこともなく、毎日平凡に過ごしてるよ。うん、毎度訓練でボコられるのも、魔術の研究も、料理の腕が上達しないのも、まあだいたい同じだしね」
「よく一ヶ月半も過ごせているな! お前は凄いぞ畑中!」
「上から目線でどーも、役に立たない教員殿」
「……」
「ほら反論どーしたの。役に立つとこ見せてみなよ、ほーら。あ、皺の隠し方とかそういうのいらないから。あたしまだ若いし――いたっ! 暴力反対!」
「避けろ」
「避けたら追撃があるじゃん」
「なるほど、教育について深く考えたくはなるな……」
「どうだっていいけどねー。はいそこの役に立たない教員殿、この本戻しておいてねー。そうすると一時的に役立つ教員に変化するから。今だけ」
「貴様な? ちょっとは言葉に気を付けろ?」
「実際に格納倉庫の術式をあたしの前で使ってくれたら、評価を改めるけど?」
「……」
「――はい残念、時間切れです。屋敷の周りを二十周くらい走っておいで。……って、鷺城先生は言うだろうなあ。走ってみる? 頭すっきりするよ、あれ」
「お前の肉体言語は発達しているようだな」
「いや殴り合っても痛いだけじゃんあれ」
「……、なんだか私は疲れてきたんだが?」
「あっそう――あ、ちょっとごめん、連絡がきた」
「ん?」
新しい本を六冊ほど置いて、ぺらぺらとめくりながら通信機を作動させれば、右側に窓が出る。
「どしたー、デディ」
『なんだ学園?』
「あれ、聞いてない? はるちゃんには、書庫行くって伝えたんだけど」
『ふうん。――あ、リンさんもいるのか。じゃあ手短に』
「ああいいよこんな役立たず、気にしなくても」
『あはは、言い過ぎだよ藍子。書庫の鍵を開けるくらいの有用性はある』
「それしかないじゃん」
『まあね。それがどんなクソ間抜けでも、付き添いくらいはできるって話。手伝いを所望なら猫を呼んだ方がマシだ』
「癒されるもんね」
『だから僕も、こうやって通信を入れる時は、猫でも見たい気分だよ』
「うるせえぞてめえ」
『で、昨日さ、ようやく展開式の具現に成功したわけ』
「ああ、あれ? あたしはまだ模索段階っていうか、放置してるんだけど」
『
「へ? 先生が言ってた基礎の?」
『うん、あれ絶対に基礎じゃない。というか、基礎かもしれないけど、マジでどうかしてる』
「連立式や複合式からの発想は行き詰ってたけど、展開式から?」
『まあね。というか、実際に気付くのは難しくなかったよ。――いや、ともかく伝えておく。さっきファゼットと
「伝えるところ違うだろ」
『結論から言えば三次元式と同じ』
「ん? 空間格納の話?」
『僕の展開式、そっちに回すよ』
「はいはい」
通信機経由で、新しい窓から投影されるよう、ぽんと展開式そのものが出現した。三角、四角などの角形が複雑に絡み合っている、デディの展開式だ。その内容を読み取ることはできないが――。
「ちょっ、――そういうこと⁉」
『それ、リーリット鉱石の展開式ね』
本来ならば平面として記される、いわば図面のような展開式は今、立体としてそこに存在していた。
いや、立体化しているのか。指で移動させても、左右に動くのではなく、まるで球体のようにくるくると回る。
『立体だ』
「三次元空間なら当然ってことね……! あークソッタレ! 思いつきもしなかったあたしに腹立つ!」
『いや思いついてからが大変だろうけどね』
「んなことわかってる! 追加調査してから帰るから」
『諒解。あ、儀式陣に関連する情報があったら僕にも回して』
「平面構築の式陣との比較?」
『そういうこと。じゃあまた』
「あんがとね」
通信が切れれば、自動的に窓は閉じて消える。それを見ることもなく、藍子は天井に視線を向けて頭を搔いた。
「あークソ……」
「おい畑中」
「なにクソ役にも立たない教員さん? あたし今ちょっと気が立ってて当たりが強くなるんだけど?」
「なんだ今の通信機」
「鷺城先生に聞いて。その前に、今の展開式を目視して意見の一つも出ないようなゴミ虫なら、便所掃除でもして自分でも磨いたら?」
「お前な……」
「あー重複式が基礎って意味合いもわかるけど、そうなると今までの術式構成はどうなる? 平面で捉えていたものが一つの側面でしかないのなら? それとも、平面構築しかできていなかった? ――ああもう、邪魔だなこのクソ鬱陶しい教員!」
「おい! お前が調べるのに付き添っているだけだが⁉」
「話し相手にもならないなら、鏡の用意でもしろって言ってんの!」
「勝手に機嫌悪くなっておいてなんという言い草だ貴様は! おいなんだか前より気が短くなってないか?」
「原因が知りたいなら鏡でも見てろ!」
だがどうだと、言いながらも藍子は考える。
連立式は、二つの式を繋げる。そして混ぜるのが混合式。二つのものを一つにするのが複合式。
であるのならば、重複式とは文字通り、二つ以上のものを〝重ねる〟ことだ。この発想には即ち、三次元的な考えが必要になる。何故ならば重ねれば、立体になるからだ。
ナイフを収納する鞘に、紙を使う馬鹿はいない。
「――いや、待てよ?」
そうでなくとも、だ。
畑中が得意としている雷系術式そのものですら、現実に発現している以上、立体化されているのならば、その展開式もまた、立体なのでは?
「お、おい畑中! こんなところで術式を使おうとするな!」
「使えねえなこのマザーファ〇カー!」
「貴様もいい加減にしておけよ⁉」
「文句あんのか上等だ訓練室行くぞおらァ!」
「何故そうなる!」
そして、今日も今日とて、女同士の熾烈な戦いが、幕を開けたのだった。
原因は藍子が馬鹿だからである。
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