5 異常、もう一丁

 梅雨に入ったはずなのに、晴れた日が続いている。

 快晴の今日は、双子の空手の大会を、結と二人で見学に来ていた。ダダをこねているから来てくれとアシュリーに頼まれては、来ない訳にはいかない。


「結構、大きい大会みたいだね」


 結が辺りを見回す。

 広い総合体育館の二階席は、応援の観客で賑わっていた。


「……だね……」


 二階の手すりに身を隠し、うわの空で答えながら、下の会場をくまなく見渡す。

 座るところなど、そこかしこ。私が探しているのは、席ではない。

 見つかる前に見つけておけば、被害を最小限にとどめられるはず。


 しかし、声は後ろからかかった。


「寧、見ーっけ!」

「なっ! 何で観客席に!」


 座席の間を通る階段の上から手を振っているのは、アシュリーの双子の兄――リュカだった。


 リュカとアシュリーは、見た目も声も、何から何までそっくりで見分けがつかない一卵性双生児。

 でも性格は似ても似つかず、リュカは面白いことが大好きな不思議キャラだ。そのノリでいつも、自分がやりたいことは、壁や障害がないかのごとくやりきってしまう。


 母親の考えで別々の学校に行っているけど、二人は内緒で入れ替わることがあって、私も去年は見事に騙された。

 そこから仲良くなったのはいいとして……問題なのは、行きがかり上、結婚の約束をさせられたことで、つまりはリュカが私のことをフィアンセだと思っているということだ。これが周囲に知れ渡れば、ろくなことにならないのは分かっていた。


 逃げるべきか!?

 逃げて、改めて……いや、置いていって騒がれたらどうする!?

 目立たないところに連れて行って、口を封じたほうがいいのか⁉

 ああっ、どうしよう!


「会いたかったよー! ダーリーン!」


 判断がつかず、決断もできず、動けなくなった私に、風のごとく駆け寄ってきたリュカが抱きついた。

 ものすごく、目立つところで。


「ダ、ダ、ダ!?」

「ダーリン!」


 瞬間、周りの女の子たちの敵意のこもった視線が、私に突き刺さった。

 アシュリーと同じく、人目を引くリュカ。そして、恐ろしいくらいに人当たりがいい。千草小でも人気者だけど、リュカの通う私立の小学校でも、空手関係でも、やっぱりリュカはアイドルだった。

 私は今、私を敵と認識した女の子たちの……真っ只中。


「やめっ……離れてって、ちょっ……!」


 もがきながら助けを求めてさまよう視線は、結の困り顔に書かれた「手出しができない」という文字を読み取り、さらに一階の試合会場で「やっちまった」とばかりに額に手を当てているアシュリーを見つけた。


「アシュ――」

「あらー! 寧、結! 来てくれたのねー、ありがとうー」


 そこに届いた、大きくて快活な声。

 現れたのは、プラチナブロンドの髪にブルーグレーの瞳を持つ、縦にも横にもボリュームたっぷりの人物。迫力満点の、双子の母だった。


「あ、こんにちは」

「こんにちはー。いつ見ても、結はかわいいわねー」


 双子母は、礼儀正しくお辞儀する結に笑顔でそう言ったあと、私と、抱きついたままのリュカを見た。

 一秒未満の、永久。

 硬直する、私の体。


「ごめんなさいね、寧。日本人はシャイだから、ハグは困るのよね? でも許してあげて、リュカに悪気はないの。挨拶だから」

「え……? あ……」


 困ったような顔で、しかし屈託なく笑いかけられ、私は言葉が出なかった。

 この気まずい状況で、この反応は多分、十中八九、ない。日本人なら。いくら息子も相手も小学生だって。

 ……私が古いのでなければ。

 でも、日本の血が半分流れるリュカよりは、アメリカで生まれ育った双子母の方が、まだ日本人の心を理解しているらしい。

 ほっとしたような、何だかよく分からないような――


「違うよ、寧は僕のダーリンなんだ! 特別なの!」


 そこで、リュカのよく通る声が、半径十メートルの人間の耳にはっきり届いた。


「オー! そうだったの?」


 双子母が、大きな声で大げさに驚き、半径二十メートルの人間の耳目を集めた。


「あ、あの、それは――」

「オーケイ! 寧なら大賛成よ! よかったわ、リュカが見る目のある子に育って」


 え…………ええ――――っ!!


「よかったねー、寧。お母さんが味方なら、誰も反対できないよ。これで、僕のお嫁さんになれるね」

「リュカ! いい加減下りて来い、時間だぞ!」


 満面の笑みでリュカが言ったそこへ、やっとアシュリーの声が届いた。

 怒ると怖すぎるお母さんがいては、下手に会話を遮ることができないのは分かる。

 分かるけど……遅いよ、アシュリー……


「分かったー。じゃね、寧。頑張ってくる! 結も観ててね」

「あ」


 慣れた自然な動きで、抵抗できなかった。

 欧米では日常茶飯事。私の頬にキスをして、リュカは軽やかに駆けていく。


「私もサポートのお仕事があるのよ。一緒に観たいけど、行かないと。二人はゆっくり観ててね」


 双子母は、貫禄たっぷりに去っていった。


 下を見ると、アシュリーが「もう、どうにもならない」という風に首を振っている。

 そう、もうダメだ。

 あちらこちらが、メラメラと燃えていた。


「寧……反対側の席に行こうか」

「うん、そうしよう」


 残された私たちは、針の筵のようなその場を急いで離れた。

 追ってくる子がいなかっただけ、よかったと思うべきなんだろう。


 空手の試合には、形と組手がある。形はひとりで相手を想定した動きをして、その完成度を競うもの。組手は二人が対戦するものだ。

 細かいルールは分からないけど、対岸の二階席を気にしながらも結構、楽しめた。気持ちがいいくらいにアシュリーが上手くて強かったからだ。レベルが違うことは素人目にも明らかで、形でも組手でも優勝した。

 リュカも形では上位に入ったけど、組手ではどうも戦意がなさそうで、さっさと負けてしまった。リュカらしい。


「優勝おめでとう。かっこよかった。これ以上、恨みを買わないうちに帰るので、後のことはよろしく」


 閉会式が行われている中、私は館内の公衆電話からアシュリーの携帯に留守電を入れた。

 そうして、女の子たちがリュカに気を取られている隙に、空気のように気配を消して結と脱出したのだった。


「リュカが寧を探して大変だった」とは、アシュリーの後日談。

 その後も入れ替わるようリュカにせっつかれているらしいけど、何とかそれは持ちこたえてくれるように懇願している。


 まかり間違ってリュカが「ダーリン」と口走ったところで、千草小で女子の恨みを買うことはないと思う。特に五年二組は、そんなませた感じではない。

 でも、男子たちの冷やかしの対象になることは、火を見るよりも明らかだった。この場合、むしろそっちが問題なのだ。

 小学生男子によるエンドレスの悪ノリになど、到底つき合いきれない。

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