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ドサっ。
銀ちゃんは後ろに倒れ――
「銀ちゃん! ……あ」
眠っていた。
「あらまぁ、潰れちゃいましたか。まあ、酒豪の赤鬼さんよりも飲んでいましたから、仕方ありませんよねぇ」
覗き込んだはらだしが言ったとき、視界の端で着物が動く。
立ち上がった十兵衛ちゃんの瞳孔が……細い。
「起こしな。まだ、あたいの気は済んじゃいないんだよ」
「十兵衛ちゃん、あの、もう……」
しかし、もやは私など、ギラリと光るその目の眼中にない。爪と牙が、伸びていく。
猫又の本性――
「寝かせてやれ」
十岐の静かな、重みのある言葉だった。
一瞬、時が止まったように感じた。
十兵衛ちゃんの形相が――――元に戻っていく。
「何だい、お十岐まで……。銀治なんだから、あれくらいで死にゃしないのにさ……」
たった一言で勢いをそがれた十兵衛ちゃんは、恨めしそうに十岐を見た。
「でも、起きたらまた飲ませるからね」
「ああ」
「止めたって無駄だよ」
「好きにしな」
「いくらお十岐だって、あたいは聞きゃしないんだから」
「止めやせん」
「ああそうかい! え、止めないのかい? なら、いいけどさ……」
懲りない酔っ払いが時間をかけて十岐の言葉を理解した横で、私は息をつき、潰れた銀ちゃんに視線を向ける。
心が、痛んだ。
怒られた方が、どれほどマシだっただろう……
「十兵衛の暴走だと思っておったのだ。それを……フっ、小娘が考えたというのではな。はめられた上、凪子の面影を色濃く受け継ぐ小娘にそのような真似をされたとあれば、心中は複雑であろう。傷つかぬ訳がないであろうなあ。凪子の忘れ形見である、この世で最も大事な小娘が、このように心を踏みにじるとは……哀れよのう、銀治」
青行燈が、嫌味ったらしい同情の言葉を、私に向けてグサグサと突き刺してくる。
「まあ、確かに駄目押しにはなったが――」
十岐は、言葉を切って私を見た。
「銀治は幼い頃から、あまねを守るための訓練漬けだった。どんなに過酷だったかは、想像がつくな?」
「……うん」
私の答えに、十岐は頷く。
「そして十五歳で里を出てからは、いつか今度こそお前を守ろうと、それだけを強く望んで生きてきたんだ。二度と同じ轍は踏むまいとな。そんな男には、本気で女にうつつを抜かす暇などないのさ。元々の不器用な性格も影響して、そのうちすっかり苦手になっておった」
改めて聞かされると、胸が苦しくなる。
銀ちゃんの人生を変えたのは、私なんだということを。
「人間は、万能にはなれん。並外れた者だろうと、どこかに弱点がある。仕方のないことだが、それでも銀治は情けなかったのさ。自分が原因でお前を煩わせるなんてことは、苦痛以外の何物でもなかった。それが、そこで伸びている理由だ。こやつにしては珍しい有様だよ。寧、銀治にとってお前が普通の目継ぎ以上の存在だということは、しっかり心に留めておきな」
「……はい」
分かってはいるのだ。
私が分かっていることを知っていて、十岐があえて言ったんだということも。
私は――――自分の能力と向き合う必要に迫られている。
「銀治は、いいやつ。おれ、好きだ」
赤鬼が、寝ている銀ちゃんにタオルケットをかけた。
「……うん」
そうだね……
「あーあ、つまんないよ! ちょいと、ビー! お前、阿尊の家を知ってるだろ? 行って、連れといで」
十兵衛ちゃんが突然、言い出した。
ヒナの頃の記憶のせいか朧の上を定位置にしているビーが、閉じていた目をうっすら開ける。
私は慌てた。
「だっ、ダメだよ! 今、何時だと思ってんの!? 夜中だよ! 行っちゃダメだからね、ビー」
「いいじゃないか、あたいはつまんないんだ! それなら、銀治を起こすよ!」
さっきの今なのに、もう我慢が利かないらしい。それとも、酒で記憶が消えたのか。
地団太を踏んで、白い太ももが見えっぱなしだ。
ヤバい。いろいろ。
こうなったら――
「じゃあ、私が付き合う! ……ジュースでだけど」
「ジュースぅう? そんなもんで……あ、そうだよ!」
何かを思い出した様子で、冷蔵庫に走る十兵衛ちゃん。
「忘れてたよ! 腹立ち紛れで歩いてたら、見つけたんだ! 今はいいものがあるじゃないか。ほら、これなら気分が出るよ」
ポンと目の前に置かれたのは、スパークリングワイン。
でもよく見ると、ラベルに「ノンアルコール」の文字。
「あ! これ、私でも飲めるんだ!」
「そうさ。まだ、いっぱいあるよ。これで朝まで付き合っとくれ」
十兵衛ちゃんの、屈託のない笑顔。
「オッケー!」
このまま笑い続けてくれるなら、朝までだろうと是非に及ばず、だ。
改めて乾杯した。
十兵衛ちゃんは「寧ちゃんと早く一緒に飲みたくて、ずっと待ってたんだ。気分だけでも味わえた」と、さっきまでが嘘のようにご機嫌さんになった。
私も一緒に嬉しくなる。何だかもう楽しくて、気持ちよくてふわふわして――
「小娘、酔っておるな」
「あん? なーに言ってんの、青行燈。アルコールが入ってないのに、どーやって酔うって言うのよー? ハハっ!」
いつも私のことをうつけ呼ばわりするけど、バカなのは青行燈の方なんだ。
笑ってやった。
笑ってやったぞ! ついに!
「なあ、これ、ものすごーくちょっとだけど、アルコール入ってるぞ。〇・五パーセント未満……だってよ」
ビンを手に取ったサトリが言った。
「え……?」
「やはり入っておるではないか、うつけめ。〇・五パーセント未満で酔うとは、どれほど弱いのだ。話にならぬ。もはや救いようのない大うつけよ。身の程をわきまえ、金輪際、我を愚弄しようなどと考えぬことだな」
また、バカにされた。
「何で……おかしいよー……お酒、強かったんだよー? 何でなの、おばばー。まぁた『本来の道を辿ってない』のが原因とかー?」
悲しくなってきた。
「……そうだろうな。子どもに戻った支障が出ているんだろう」
十岐が「やれやれ」という顔で私を見る。
まただ。
いつもいつも、そんなのばっかりで、何にも順調に行かない。
「ひどいよー……。何で私、ちゃんとならないのー? もっと、普通がよかったのにー。そしたら、みんなにも迷惑かけなかったのにー……。こんな…………こんなの、もう……嫌だ…………う……わあああああん!」
どうしようもない悲しみが、発作のように一気に溢れてきて、私は大声で泣いた。得体の知れない衝動に、体を乗っ取られたようだった。
何でこんなに泣いているんだろう。
どこかでそう思うけど、涙は止まらない。抗えなくて、何もかも、もうどうでもいいやと身を任せた。
「何だっ!? どうしたっ!」
「ああ、寧ちゃん、泣かないで! あたいが悪かったよ。無理、言っちまった。溜まってたんだねえ。きつかったんだねえ。おお、よしよし」
跳ね起きた銀ちゃんは訳が分からず、赤鬼とオロオロ。
十兵衛ちゃんが私をその胸に抱きかかえ、頭を撫でた。
「やかましいぞ。早く泣き止まぬか」
「やめろよ! 青行燈がけなすから泣いたんだぞ! いつもは笑い上戸なのに、お前のせいで泣き上戸になったじゃないか!」
青行燈とサトリが揉めている声を聞きながら、私は気の済むまで泣いた。
十兵衛ちゃんの柔らかな胸が、温かくて気持ちよくて、ちょっとだけお母さんと重なった。
朝になって起きたときには、酔った記憶はすっぽりと抜け落ちていた。
忘れた方が身のためだということだけは、なぜか分かった。
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