13 結局は

 銀ちゃんの災難は、幕を下ろした。


 といっても、全てが十和子の力ではない。すでに勢いをなくし風前の灯のようであったにせよ、北条先生はそれでも諦めきれないでいたのだ。

 思いのほか、本気だったのかもしれない。


 じゃあ、どうして身を引いたか。

 結局、乗り込んできた父親に「許さん!」と、引きずって連れて行かれたのだ。

 それ以来、姿を見ていない。

 父親は何でも、教育委員会のお偉いさんだそうだ。


 そして、その父親を動かしたのも、北条先生に別の教育実習の学校を用意したのも、実は近藤こんどう教頭らしい。

 いつも作業着でにこにこしているのに、銀ちゃんが「あの人は怖いぞ」と脅す教頭……まだまだ、謎が多い。


 それから、私の災難の方はというと、大きな被害にはならなくて済みそうだった。リュカの小学校や空手繋がりの子たちに会うことはないし、阿尊くんファンの高校生たちは、相手が小学生のチビだということにようやく気づいたらしい。通学路に平和が戻っていた。

 でもまあ、もうしばらく警戒は怠らないでいようと思う。




 学校に行く準備を終えてご飯を食べていたら、電話が鳴った。


「寧、お前にだ」

「私? 誰だろう、こんな朝早くから……」


 十岐の部屋を目指す。

 我が家の電話が鎮座するは、十岐の部屋の、押し入れの中。


「もしもし」

「あ、寧か?」


 アシュリーだった。


「うん。どうしたの? 珍しいね」

「…………今日、リュカが行く」

「え……ええっ!」


 リュカがアシュリーと入れ替わって、千草小に来る!

 そ、そんな……


「これ以上引き伸ばしたら、とんでもない行動に出そうなんだ。そうなるリスクの方が大きいから……今日一日、耐えてくれ」


 アシュリーの声が沈んでいる。

 苦渋の決断だったのだ。


「いや、でも、いきなり……。前もって言ってくれないと、心の準備が……」

「悪い、もう時間がないんだ、行かなきゃ。……頑張ってくれ。じゃあ」


 唐突に切れた電話。

 呆然と、受話器を見つめる。


「……大変だ。何としてでも、あの……あれだけは封じないと!」


 もう、朝ごはんを食べている場合じゃなかった。

 先に教室に入られたらおしまいだ。教室の中では、アシュリーの演技をする必要がない。リュカはリュカのまま、好き勝手なことを言うはずだ。

 きっと、アシュリーも言い聞かせてくれているに違いないけど、それだけでは足りない気がする。

 学校へと急いだ。


「おはよう! ! ちょっといいかな!」

「おはよう。何?」


 幸いなことに、先生たちが立つ校門の前でリュカを捕まえることができた。

 しかし、クールな演技はしているものの、喜びのオーラが漲っている。

 やっぱり危険だ。

 校舎に向かって歩きながら、私はリュカの耳に顔を寄せた。


「みんなの前で、絶対にダ……ダ、ダーリンなんて言わないでよ! 言ったら……婚約解消するから!」

「えっ? そんなー…………分かった、言わない。約束する」


 一瞬、崩れそうになったものの、アシュリーっぽくクールな顔で答えた。


 私は、持てる最高の手札を切った。

 これでいい。これで、何とかなるだろう。




 その日の五年二組は、いつも以上に騒がしかった。

 リュカはみんなの人気者。誰もが楽しそうだ。


 そろそろ和んで、気も緩んできた給食の時間。「いただきます」を終えると、離れたアシュリーの席で、リュカが周りの子たちに言っているのが聞こえた。


「これ、楽しみだったんだー! 去年は一緒に食べられなかったんだもん! だから、僕――――と食べるよ」


 何だろう、よく聞こえなかった。何と食べるって?


 お盆を持ち、椅子を引きずってリュカが立ち止まったのは、私の前。


「一緒に食べよー」

「あ……うん」


 私だったのか。まあ、これくらいは何の問題も――


「何だ、リュカ! ハニーって、三雲のことかよ!」


 ……え?


「ハニーって言ったら、あれよね? きゃーっ!」

「いやーん、私も言われてみたいー!」


 アシュリーの席近くの子たちが騒ぎ出す。


「ま、まさか……!」

「だって、寧が嫌だって言うから。他に何がいいか、あれからずっと考えてたんだけど、やっぱりハニーがいいと思ってー」


 な…………何ぃ――――っ! じゃあ、さっき聞こえなかった部分って……ハ、ハ、ハニぃー!?


「ち、違っ! そうじゃな……リュカ! 訂正して!」


 小声で必死に訴えた。

 だって、ハ……ハニーって! ダーリンより、もっと歯が浮くっ!


「えー? ダメ? じゃあ、ダーリンに戻す? それとも、スイートハートがいいかな」


 今度は全員が注目している中で、はっきりと声が通った。


「ダーリンだってー!」

「ス、ウィーっ、ハーっ!」

「いいぞー! 結婚しろー!」


 からかいの言葉が、次から次に飛び交う。

 私の顎はガクンと下がり、元に戻らなくなった。血の気が引いていく。

 投下された爆弾が――


「えへへー、うん、結婚するよー」


 破裂した。


「うそー! あーん、妬けちゃうけど、ステキー!」

「マジかよ! お前ら、そういう関係かー!」

「ヒュー、ヒュー!」


 クラス中が沸き立っている。

 呆然としたまま結を見ると、眉が下がっていた。どうしようもないときの顔。

 終わった――――


「バレちゃったねー。でも、隠しておくよりも楽なんじゃないかなー?」


 阿尊くんが、お気楽なことを言った。


 そんな訳…………ない!




 結局、このからかいは卒業まで続き、私を苦しめることになるんだけれど……女装男子による災難って、女難のうちに入るだろうか……?

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