4 見えていた

 三日たって、その間のバスケの戦績は二勝一敗。トータルでは三勝四敗で、もうあとがなくなってしまった。

 逆転勝利のために、今日も放課後は屋上で策を練っている。


「変わりなしか」

「ああ、うん。まあ、通学路で視線が刺さることはあるけどね」


 新しいフォーメーションを試してひと息ついているとき、アシュリーが女子高生たちについて聞いてきた。

 中高生の阿尊くんファンには、危ない人はいないようだ。まともな感覚だと、神々しくすらある美貌は遠巻きに見るしかないということかもしれない。ビーに偵察を頼んで、できるだけ避けるようにはしているけど、被害といってもやることはせいぜい私を睨む程度だった。

 それだって、迷惑なことではあるが。


「大したことがなくてよかったな。さあ、もう一回合わせよう」

「うん」


 アシュリーについて歩きかけたとき、突然、頭に映像が流れ出した――――――     


――――――女が男の腕をつかんで、すがるように引き止めている。

 校舎の一階、東側。資料室の中。


「先生の考えを聞きたいんです。お願いしますー!」


 まだ若い、二十歳そこそこの女。


藤原ふじわら先生に聞け! 指導は藤原さんだろうが!」


 男は相当、困っていた。相手は女性だ。乱暴に振り払うこともできずに、何とか逃れようとしている。その男は――

 銀ちゃん。


「斎藤先生の意見も聞きたいんですー! 上の方の意見がどうなのか知りたいんですよぉ。ていうか、その若さで校長になるなんて、すごいですよねー? ご結婚はされてるんですか?」


 若さと自信にあふれた顔は、明らかに媚びていた。

 ショートボブで、パッチリとした二重まぶたの愛らしい顔立ち。見たことがあると思ったら、六月から三年生のクラスに入っている教育実習生のひとりだった。

 名前は確か、北条ほうじょう……何だっけ。


「ああ!? 関係ねえだろ! 手を離せ、俺は用事があるんだよ!」


 振りほどこうとして、逆に腕を絡め取られた。


「じゃあ、彼女はいます?」

「なっ……!? 何、考えてんだ!」


 若くてキャピキャピの女にタジタジの、銀ちゃんのSOS――――――


――――――寧!」


 アシュリーの声で我に返った。


「え? 何?」

「何じゃないよ。ぼーっとして」

「あ……ごめん」


 目の前の景色も、ちゃんと同時に見えている。しかし、銀ちゃんの映像に気を取られていた。


 自分のよく知る人が危機に直面して、助けが必要なとき。それが「見える」ようになったのは、春の一件からだった。

「見て」いるときの感覚は、寝ているときなら夢、起きているときは白昼夢のような感じだ。境目が、分かりにくい。


 この能力を得てから、銀ちゃんに何かあったときは助けになりたいと思っていた。


「はぁ……」


 思ってはいたけど、銀ちゃんのピンチがこんなことだなんて――


「っ何⁉」

「あっ、ううん!」


 ハっと気づくと、そんな私を結がじっと覗き込んでいた。私が驚いたので、慌てて笑顔で首を振る。


 一瞬、「見えて」いることを見透かされたように感じて焦った。

 でも、そんな訳はないのだ。それが起こり得るなら、あまねは人前に出られないだろうから。

 正直者の結の顔を確認しても、変な表情は浮かんでいない。

 うん、大丈夫だ。

 余計な心配だったと思いながらも、ホっと胸を撫で下ろす。


 そうやって変な汗をかいている間にも、振り切ることができず困り果てる銀ちゃんが「見えて」いて、私はもう一度、心の中でため息をついた。


「ごめん、トイレに行ってくる。ちょっと待ってて」


 断りを入れ、一階に向かった。




 資料室の中からは、くぐもった声が聞こえてくる。

 扉の取っ手に指をかけ、ぐっと力を入れた。

 バーンっ!


「あーっ! こんなとこにいた! 約束してたでしょ、斎藤先生! 早く来てよ!」


 突然現れた私に、二人は目を丸くする。


「ね……おー! そうだった! 悪い、今行く」


 さすがに銀ちゃんは反応が早かった。何だか分からない状況でも、機を逃すような間抜けじゃない。呆然としている北条先生の腕を解いて、足早に部屋を出た。


 二人で離れたところまで来ると、銀ちゃんが口を開く。


「何で寧が……お前、まさか」

「そうだよ、『見えた』んだよ。銀ちゃんのピンチが」

「う……」


 痛いところを突かれ、言葉が出てこないらしい。


 何だよ、本当の危険をものともしないつわものが、こんなことであたふたするなんて。

 あんな若い女ひとりを捌けないなんて。

 ……ん? あれ、イライラしてるのか?


「この間コソコソしてたのも、これが理由?」


 気を取り直して聞いた。

 三日前、銀ちゃんは逃げるように駐車場へ向かっていた。


「ああ、まあ……。しかし、俺は寧に助けを求めたつもりはないんだが、こんなことまで『見える』のか?」


 気まずさと驚きが、入り混じっている。


「私にだって……自分がどうなってるのかなんて分かんないよ。何かあったら助けたいと思ってはいたけど……。よっぽど、ピンチだったってことじゃないの? 銀ちゃんともあろう人が、こんなことで」


 嫌味たっぷりに言うと、銀ちゃんは本気で凹んだ。


「すまん」


 その姿を見て、自分の態度に心底、嫌気がさす。

 銀ちゃんが悪い訳じゃない。私が勝手に「見て」いただけだ。


「言い過ぎた。ごめん、気にしないで。もう行くよ。銀ちゃんも用事があるんでしょ?」


 気まずい空気を払うように、わざと明るい声を出した。


「ああ、いや、ちょっと時間はあるんだが……。お前は何をしてるんだ?」

「私? 屋上で、バスケの作戦会議中。先に五勝した方が勝ちなんだけど、負けそうだから」

「そうか。よし、俺が手を貸そう。さっきの礼と詫び代わりだ」


 銀ちゃんも明るく言ってくれた。


 その日、屋上で銀ちゃんから伝授されたテクニックと戦術で、後日、私たちは逆転勝利を収めることができた。

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