2 戦線に
まだ梅雨も始まらない六月の初めの、何もかもが爽やかに感じる日々。子どもに戻ってから一年が過ぎて、ようやく少しだけ落ち着いてきた私は、今日もいつもの通り学校に来ていた。
ザシュっ。
「ナイッシュー、寧!」
アシュリーとハイタッチをして、そのままディフェンスに走って戻る。
彼女を語る上で何よりも大事なのが、ものすごく強いということである。空手の達人なのだ。ついた二つ名が「阿修羅」。本人に聞こえると怒られるので、誰も面と向かっては言わないけど、その名前が尊敬と畏怖を表している。
「行ったぞ!
ザンっ。
「うしっ!」
難なく点を返された。
昼休み。
体育館でのバスケは、一点を争う接戦となっている。
どうやら私は、普通の人間よりもかなり能力が高い。正体がバレるとマズいので普段からセーブしているけど、今は結構、本気だった。
そうならざるを得ない理由は、相手チームに
不破は、アシュリーと五年生のツートップを張る実力の持ち主。ずば抜けた身体能力を持ち、スポーツならできないものはない。勉強は、全般をそつなくこなすアシュリーに対し明らかに理数系だけど、それでも人望の厚さでは引けを取らなかった。
端的に言って、スゴい子どもだ。
実際のところこの二人は、五年生だけではなく学校全体のトップかもしれない。
私が少し落ち着けたのも、二人と同じクラスになって、変に目立たずに済んでいるからという理由が大きいんだと思う。私には、サブの方が楽でいいのだ。性格的にも、切実な問題である境遇的にも。
ディフェンスの前で私とアシュリーが交差し、見えないように手元でボールを渡す。そして、サっと左右に分かれた。
「あっ、新田だ! カバー!」
私が囮だと分かったときには、アシュリーはシュートを決めていた。
「戻れ! 速攻が来るぞ!」
急いでまたディフェンスに戻る。
だが、不破はスリーポイントラインの外から、きれいな放物線を描いてシュートを決めた。
キーンコーンカーンコーン。
そこでチャイムが鳴った。
「ナイッシュー、秋歳!」
「よっしゃあ、俺たちの勝ちー!」
相手チームが、喜びのハイタッチをしている。
「くそ、また負けた」
アシュリーは悔しそうだ。
ここ数日、同じチームで何回か試合をしていて、戦績は一勝三敗となってしまった。
「明日は勝とうぜ。先に五勝した方が勝ちなんだし、まだ挽回できるんだからよ」
「うん、そうだね。まだ決まってない」
同じチームの男子にそう返しながら、私は舌を巻いていた。
小学生が、あんなに楽にスリーポイントを決めるなんて……何て、羨ましい。
非力な私には、スリーポイントは届かない。
目継ぎは本来、もっとバランスが取れて丈夫な体を持つものらしいけど、私はイレギュラーな道を辿ったために、いろいろとムラがあった。体や力が弱いのも、過去の記憶と比較して今の身長が低いのも、大地の力(あまねは膨大なエネルギーを必要とするため、生まれたときから大地に力をもらって生きている)を安定して取り込むことができないのも、そのせいのようだ。
代わりにというか、本来はまだできないはずのことが、できてしまった。
でもそれだって、ヒーロー張りの肉体がなきゃ、大して役に立たない。
「さっきの二人のオフェンス、よくできてたな。一瞬、騙された。あれ、寧が考えたんだろ」
不破が近づいてきて、アシュリーと私に言った。
男子にしては珍しく、アシュリーだけじゃなく私のことまで下の名前で呼ぶ。不破の中では、どうやら私も気楽な男友達の部類に入っているらしい。
「そうだけど……何で?」
「アシュリーは、個人技の正面突破が得意だ。攻め方にバリエーションが出るときは、いつも寧が絡んでる。お前がいなきゃアシュリーも止めやすくなるし、もっと点差を開けられるんだけどな。まあでも、明日も俺たちが勝つぞ」
そう言って、先に帰っていった。
「……寧。放課後、作戦会議だ。屋上に行く」
「オッケー……
隣で見送るアシュリーが、燃えている。
私の中にも、ふつふつと闘志が湧いてくる。
「惜しかったね、あとちょっとだった……ど、どうしたの? 怖い顔して」
「結の力が必要だ」
「お願い、結」
「う、うん、分かった」
いつも点数をつけてくれているスコアボードを片付けて戻ってきた結は、アシュリーと私に迫られて、たじろぎながら頷いた。
見た目は日本人形のようにかわいらしく、中身も茶道、華道、日舞、琴を仕込まれているという、日本を凝縮したような日本人である。
そして十岐いわく、何千万人にひとりという確率で、私と相性がいいらしい。私にとって、もはや失うことなんて考えられない、かけがえのない存在となっている。
その結も交え、放課後の屋上で、私たち三人はミーティングを始めていた。
同じチームの
「不破はデカい。身長が釣り合うのは市木だけど、ひとりだけじゃどうしても抜かれる。それで私がカバーに入ったとき、パスがこう入ることが多かった気がするんだけど、どう?」
スケッチブックにコートを描いて、その上に小石を十個。アシュリーが動かすのを、みんなで見ている。
「うん、あとは、こっちとこっちも多かったよ」
結が指でラインを描く。
「じゃあ、そのパスのコースをわざと作って、カットを狙うのが一番いいか」
「ああ。頼んだ、寧」
私は頷く。
「あと、前にテレビでプロの試合をしてて、こんな攻め方があったんだけど……」
「ふむふむ」
「へえ、それ、できるかも」
結の助言で、私たちはシミュレーションをする。
「あ、やっぱここはこうの方が」
「じゃあ、ここはこうして」
そうやって何とか形になってきた頃には、一時間が過ぎていた。
「ふう、これで明日はいけそうだね」
「だな。勝つ」
「うん、大丈夫だよ、きっと」
手すりにもたれ、前庭を見ながらひと息つく。
すると、校舎から誰かが出てきた。お洒落だか着崩れだかの、スーツ姿の男。
あれは――
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