2 戦線に

 千草ちぐさ小学校の校舎は、コンクリート造の四角い外観。真っ白であっただろう壁は年月とともに灰色がかり、その薄汚れた感じが、学校としていかにもありふれた様相を呈している。


 まだ梅雨も始まらない六月の初めの、何もかもが爽やかに感じる日々。子どもに戻ってから一年が過ぎて、ようやく少しだけ落ち着いてきた私は、今日もいつもの通り学校に来ていた。


 ザシュっ。


「ナイッシュー、寧!」


 アシュリーとハイタッチをして、そのままディフェンスに走って戻る。


 新田にったアシュリーは私の親友のひとりで、日本とアメリカの血を受け継ぐブロンドの髪の美少女だ。私よりも優に頭ひとつ大きく、手も足も長くてすらりとしている。いつもクールで、かっこいい女の子。

 彼女を語る上で何よりも大事なのが、ものすごく強いということである。空手の達人なのだ。ついた二つ名が「阿修羅」。本人に聞こえると怒られるので、誰も面と向かっては言わないけど、その名前が尊敬と畏怖を表している。


「行ったぞ! 不破ふわだ! 押さえろ!」


 ザンっ。


「うしっ!」


 難なく点を返された。

 昼休み。

 体育館でのバスケは、一点を争う接戦となっている。


 どうやら私は、普通の人間よりもかなり能力が高い。正体がバレるとマズいので普段からセーブしているけど、今は結構、本気だった。

 そうならざるを得ない理由は、相手チームに不破秋歳ふわあきとしがいるから。


 不破は、アシュリーと五年生のツートップを張る実力の持ち主。ずば抜けた身体能力を持ち、スポーツならできないものはない。勉強は、全般をそつなくこなすアシュリーに対し明らかに理数系だけど、それでも人望の厚さでは引けを取らなかった。

 端的に言って、スゴい子どもだ。


 実際のところこの二人は、五年生だけではなく学校全体のトップかもしれない。

 私が少し落ち着けたのも、二人と同じクラスになって、変に目立たずに済んでいるからという理由が大きいんだと思う。私には、サブの方が楽でいいのだ。性格的にも、切実な問題である境遇的にも。


 ディフェンスの前で私とアシュリーが交差し、見えないように手元でボールを渡す。そして、サっと左右に分かれた。


「あっ、新田だ! カバー!」


 私が囮だと分かったときには、アシュリーはシュートを決めていた。


「戻れ! 速攻が来るぞ!」


 急いでまたディフェンスに戻る。

 だが、不破はスリーポイントラインの外から、きれいな放物線を描いてシュートを決めた。


 キーンコーンカーンコーン。

 そこでチャイムが鳴った。


「ナイッシュー、秋歳!」

「よっしゃあ、俺たちの勝ちー!」


 相手チームが、喜びのハイタッチをしている。


「くそ、また負けた」


 アシュリーは悔しそうだ。

 ここ数日、同じチームで何回か試合をしていて、戦績は一勝三敗となってしまった。


「明日は勝とうぜ。先に五勝した方が勝ちなんだし、まだ挽回できるんだからよ」

「うん、そうだね。まだ決まってない」


 同じチームの男子にそう返しながら、私は舌を巻いていた。

 小学生が、あんなに楽にスリーポイントを決めるなんて……何て、羨ましい。

 非力な私には、スリーポイントは届かない。

 目継ぎは本来、もっとバランスが取れて丈夫な体を持つものらしいけど、私はイレギュラーな道を辿ったために、いろいろとムラがあった。体や力が弱いのも、過去の記憶と比較して今の身長が低いのも、大地の力(あまねは膨大なエネルギーを必要とするため、生まれたときから大地に力をもらって生きている)を安定して取り込むことができないのも、そのせいのようだ。


 代わりにというか、本来はまだできないはずのことが、できてしまった。

 でもそれだって、ヒーロー張りの肉体がなきゃ、大して役に立たない。


「さっきの二人のオフェンス、よくできてたな。一瞬、騙された。あれ、寧が考えたんだろ」


 不破が近づいてきて、アシュリーと私に言った。

 男子にしては珍しく、アシュリーだけじゃなく私のことまで下の名前で呼ぶ。不破の中では、どうやら私も気楽な男友達の部類に入っているらしい。


「そうだけど……何で?」

「アシュリーは、個人技の正面突破が得意だ。攻め方にバリエーションが出るときは、いつも寧が絡んでる。お前がいなきゃアシュリーも止めやすくなるし、もっと点差を開けられるんだけどな。まあでも、明日も俺たちが勝つぞ」


 そう言って、先に帰っていった。


「……寧。放課後、作戦会議だ。屋上に行く」

「オッケー……ゆいにも知恵を借りよう」


 隣で見送るアシュリーが、燃えている。

 私の中にも、ふつふつと闘志が湧いてくる。


「惜しかったね、あとちょっとだった……ど、どうしたの? 怖い顔して」

「結の力が必要だ」

「お願い、結」

「う、うん、分かった」


 いつも点数をつけてくれているスコアボードを片付けて戻ってきた結は、アシュリーと私に迫られて、たじろぎながら頷いた。


 桐生結きりゅうゆいは、もうひとりの私の親友。私より小さくて、か弱いけれど、優しくて芯の通った子だ。周りをよく見ることができるし、思慮深い。

 見た目は日本人形のようにかわいらしく、中身も茶道、華道、日舞、琴を仕込まれているという、日本を凝縮したような日本人である。

 そして十岐いわく、何千万人にひとりという確率で、私と相性がいいらしい。私にとって、もはや失うことなんて考えられない、かけがえのない存在となっている。


 その結も交え、放課後の屋上で、私たち三人はミーティングを始めていた。

 同じチームの市木いちき真田さなだは塾、運動バカの久松ひさまつは「作戦なんか分からない」と、グラウンドでサッカーをしているはずだ。


「不破はデカい。身長が釣り合うのは市木だけど、ひとりだけじゃどうしても抜かれる。それで私がカバーに入ったとき、パスがこう入ることが多かった気がするんだけど、どう?」


 スケッチブックにコートを描いて、その上に小石を十個。アシュリーが動かすのを、みんなで見ている。


「うん、あとは、こっちとこっちも多かったよ」


 結が指でラインを描く。


「じゃあ、そのパスのコースをわざと作って、カットを狙うのが一番いいか」

「ああ。頼んだ、寧」


 私は頷く。


「あと、前にテレビでプロの試合をしてて、こんな攻め方があったんだけど……」

「ふむふむ」

「へえ、それ、できるかも」


 結の助言で、私たちはシミュレーションをする。


「あ、やっぱここはこうの方が」

「じゃあ、ここはこうして」


 そうやって何とか形になってきた頃には、一時間が過ぎていた。


「ふう、これで明日はいけそうだね」

「だな。勝つ」

「うん、大丈夫だよ、きっと」


 手すりにもたれ、前庭を見ながらひと息つく。

 すると、校舎から誰かが出てきた。お洒落だか着崩れだかの、スーツ姿の男。

 あれは――

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