3 異常あり

 銀ちゃんだ。


 斎藤銀治さいとうぎんじ

 無精ひげにラフな髪型の、ちょっとワイルドな風貌。その見た目からは想像もつかないが、千草小の校長をしている。そして――

 まだ三十五歳と若すぎるこの校長は、その肩書き以前に、私を見守る人。


 声をかけようかと思った瞬間、銀ちゃんは上を向いた。


「あ」


 早い。もう気づいた。


 シーっ、とでも言うように人差し指を口に当てると、周りを警戒しながら足早に駐車スペースの方に消えていく。まるで何かから逃げているみたいだった。


 結が首をひねる。


「校長先生、何だったのかな?」

「さあ」


 私も不可解だった。何となく、らしくない。


「なあ……校長、何で上を向いたんだ。私たちがいることに、気づいてたみたいじゃなかったか」

「さあ? どうかな」


 アシュリーは鋭い。

 でもこれはあまねに関することで、やはり人に知られてはならない。私は言葉を濁した。


 この世にはあまねの里があり、そこで暮らす人々は、あまねを崇めて生きる。

 さらにそこで作られた組織は、あまねを陰から助けたりしているのだ。隠密のように。

 銀ちゃんはその里の出身で、しかも「だん」という、若者で構成される組織のナンバーツーだった。今はもう訳あって里を出ているけれど、実力は折り紙つきである。自分を見つめる視線に気づくなど、造作もないことなのだろう。


「今、何時? もう結構、遅くない? そろそろ帰らないと。行こ」

「ん、ああ……」


 私は私で銀ちゃんの様子が変だったことを気にしながら、まだ考えているようなアシュリーの手を引いて、結とともにその場を後にした。




「寧ちゃーん」


 校舎を出て校門の手前まで来たとき、後ろの方から声がかかった。

 重力など存在しないかのごとく軽やかに駆けてきたのは、今日も美々しい阿尊くん。


「どうしたの?」

「僕、うっかりしてて、お家にお邪魔するときに、いつもお酒しか持っていかなかったでしょ? でもそれだと、寧ちゃんは飲めないもんね。だから、今日はケーキも持っていこうと思って。何がいいかなー?」


 満面の笑みで聞かれた。


「今日……って、三日前に来たばっかりじゃない!」

「うん。三日間、考えてたんだよ。それで今日、思いついたんだー。これなら寧ちゃんも喜ぶだろうって。善は急げって言うでしょ?」


 またまた、輝く笑顔。


 ケーキって……

 私はただ、阿尊くんに付随するものを警戒しているだけなのだ。嘘みたいにきれいな阿尊くんの周りは、いろいろ厄介だから。

 なのに話が……感覚が、ズレている。

 すっかり脱力して、反対する気力さえなくなった。


「ケーキはいいから、もう、手ぶらで、どうぞ」

「えー? そんなこと言わないでー。寧ちゃんに喜んでもらえないと、僕も行きづらいから」


 美しい顔の、表情が陰る。

 それを見た瞬間、私はものすごい罪悪感に襲われた。王子様の邪魔をする、悪意ある小姑になったような罪悪感に。


「じゃあ……はい、ショートケーキで……」


 そう言うしかなかった。

 王子は、正義なのだ。


「ショートケーキだね。分かった、美味しいの持っていくよー。楽しみにしてて。じゃあねー。アシュリーと結ちゃんも、気をつけて帰ってねー」

「ああ、うん……。じゃあな、まき

「バイバイ、槙ちゃん……」


 みんなで呆然と、嬉しそうに校舎に戻っていく阿尊くんを見送った。


「何? 槙、そんなに寧の家に入り浸ってんのか?」


 アシュリーが、呆気に取られたまま聞く。


「……まあ、時々」

「嬉しそうだったね……槙ちゃん」


 結もまだ校舎の方を見たまま、立ち尽くしている。


「うん。……おばばに会えるから」

「ああ、寧のおばあさんか」


 二人とも、妙に納得した。

 十岐がどうもすごい人だということは、みんな何となく分かっているらしい。それに結は、十岐と会ったことがある(私は気を失っているときだったけど)。一緒にいると包まれるような安心感があることを、知っているのだ。


「帰ろう。仕方ないよ、寧。槙ちゃんの気持ちも分かる」


 結が促して、私たちは歩き出した。


 分かっている。他の人でさえそうなんだから、ひどい目に会ってきた阿尊くんが十岐を求めるのは、仕方がないんだということは。少々見境なく思えても、あれでもきっと抑えているだろうということも。


「どれくらい来てるんだ?」

「うーん。週に……」


 アシュリーの問いに答えながら、校門を抜ける。

 その裏に、制服姿の女子、二人。


「一回……くらい」


 思いっきり私を睨み、走り去った二人を、私たちは思わず足を止めて見送る。

 あの制服は、近くの女子高のものだ。


「あのさ。あれって、阿尊くんのファンかな」

「うん」


 時々、こうして阿尊くんを見に来る女子たちがいるのだ。年齢を問わず。


「どこから聞いてたと、思う?」

「多分、最初から」


 一部の危ない人を除けば、阿尊くんのファンはみんな、それぞれのコミュニティで協定を結んで大人しい。小学校の前に押しかけるのも、迷惑になるから、行儀よく順番を決めて間隔も空ける。抜け駆けはなし。それだけのことを守って来てみたら、さっきの会話が聞こえたとして――――


「私、余計な恨み、買ったね」

「買ったな」


 ガックリとうなだれた。

 これを避けたかったのに……


「寧……大丈夫?」


 いや、頭が痛くなってきた。

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