三雲の目継ぎ―2年目

鷹山雲路

1章 女難

1 いつも通り

 まだ、夜は始まったばかり。

 にもかかわらず、すでに囲炉裏の周りでは、酒とご馳走でご機嫌な面々が騒いでいる。


「もっと飲め、飲め! ぐいっといけよ!」


 煽っているのはサトリ。大人の人間ほどの大きな黒い猿みたいな姿で、人の心を読むという妖怪だ。一緒に住むには一番、面倒くさいやつ。


「そうですよぉ、ここで最後なんでしょう? 心置きなく、酔い潰れてくださいな」


 これは、はらだしだ。蛙のようなおたふく顔で、たっぷりとしたお腹にも本物の顔を持つ。特技は腹踊りと腹話術。人を楽しませるのが好きな、これも妖怪。


「潰れるまで飲むな。もっとも、我に面倒をかけぬのなら構わぬが」


 横柄なのは、青行燈あおあんどん。怪談の百物語で、怪異を起こす鬼だ。書物では鬼婆とか女の妖怪なんて書いてあるけど、実際に目の前にいるのは、江戸時代の役者のようなちょっとした男前。口から出るのは、ほとんど皮肉か文句、たまにうんちく。


「食え」


 右手にアジ、イカ、カンパチなどの刺身を盛った大皿、左手に枝豆のお椀を持って差し出しているのは、赤鬼あかおに。といっても本当の鬼じゃなくて、山男やまおとこという妖怪だ。赤い髪に灰色の肌。無口で怪力。人のために働くことが大好きな優しい大男の身長は、二メートル四十センチ超え。


「あんたが来ると、いつもより酒のあてが豪勢になるんだよねえ。いつでもおいで。あたいらは大歓迎さ」


 これは、着物の襟足を抜いて匂い立つような色香の、絶世の美女妖怪、猫又の十兵衛じゅうべえちゃん。ほろ酔いの流し目には、女でもドキドキしてしまう。性格はおきゃんで、私には優しい。でも気まぐれで、ときどき垣間見える妖艶なドSの本性には、閉口する。


「わあ、嬉しいなー。明日も来ようかなー」


 そして、十兵衛ちゃんと並んで、この世のものとも思えない美貌の持ち主は、私の担任の槙田阿尊まきたあそん先生。白馬の王子様が現実に現れたような、天使が舞い降りたような、とにかく恐ろしく美しい――れっきとした人間。

 性格も言動も人間離れしていて、去年あることをきっかけに妖怪たちと知り合ったけど、一切驚かないどころか、さっさと馴染んでしまった。


「あのさあ、昔は『先生』っていうとものすごく尊敬されてて、ご馳走やお酒を振舞うのは当たり前だったって聞いたことはあるよ? 大昔は、ね。でも今は、お茶どころか、玄関で立ち話して終わることだって多いんだよね。……おかしくない? これ」


 今日は家庭訪問。の、はず。

 でも目の前で繰り広げられているのは、どう見ても宴会だ。どう見積もっても、飲んで食べることがメインになっている。

 しかも、何で夜に来る。普通は、昼間にするものじゃないのか。


「えー、おかしいかなー? でも、ねいちゃんがどんな暮らしをしてるのかよく分かるし、家庭訪問になってるんじゃないかな?」


 首を傾げた阿尊くんのその声は、心地よく私の耳を抜けていく。


「いや……こんな状態なら、いつも見てるじゃない」


 ある一件から、阿尊くんはときどき家に来るようになった。それも遊びに。その一番の目的は――


「わしがいいと言っているんだ。お前が口を出すことじゃないよ、寧」

十岐ときさーん」


 台所で料理を作り終えた十岐が囲炉裏に落ち着くと、阿尊くんの顔は一層輝いた。

 阿尊くんがこの世で一番好きな、一番会いたい人。それが、十岐。


 十岐は、真っ白な髪をきっちりとお団子にまとめた、丸顔に黒々とした目を持つ小柄なおばあさん。私に自分のことを「おばば」と呼ばせ、世間的にも私の祖母ということになっているけど、実は年齢不詳の、関東の地の「あまね」その人である。


 あまねとは、各地方にひとりいて、その土地を見ながら数百年生きる人のことで、妖怪みたいだけどあくまで人間だ。


 なぜ、そう言い切るのか。

 それは私、三雲寧みくもねいが「目継めつぎ」と呼ばれるあまねの後継者だから。私は、断じて人間だからである。

 たとえ、自分で子どもの姿に戻ったらしくとも、時々「見え」たりするとしても。誰が何と言おうと、絶対に。


 あまねの存在なんてものは、世の中の人は知らないし、また知られてはならない。全部「見えて」いる人がいるなんてことが知れ渡ったら、大変なことになるからだ。もしかしたら、最悪、行き着く先は戦争かも知れない。

 大げさかもしれないけど、そうはならないように、これはほんの一部の人たちだけの秘密である。

 もちろん阿尊くんも知らないし、必然的に、厄介ごとも避けるに越したことはないんだけど――


「おばば、阿尊くんは先生なんだよ? 児童の家に、こんなに来ちゃダメでしょ。それに、目立ちすぎるし」


 私だって、阿尊くんが悪い訳じゃないことは百も承知だ。でも、人間を超えた美貌は常に人の目を引くし、ファンや追っかけも多い。そして、これが一番厄介なんだけど、危ない人もたくさん惹きつけてしまう、とても危ない体質なのだ。

 万が一、危害を加えるような人間がこの家を見つけてしまったらと思うと、不安になる。


「大丈夫だよ。槙田先生は、ちゃんと周りを確認してからここに来ている。そうだろう、先生」


 十岐が阿尊くんに聞いた。


「はい、もちろん! あー、十岐さんに『先生』って言われると、本当に先生らしくなれた気がするよー。嬉しいなー」


 本当に嬉しそうだけど、残念ながら「気がする」だけである。

 子どもたちは誰も、阿尊くんのことを「先生」とは言わない。大抵「まき」か「槙ちゃん」だ。自然とそうなってしまう理由が正に、先生らしくないから、だった。


「いいじゃないのさ。何だかんだ言って、寧ちゃんも阿尊が来ると楽しいんだろ?」


 十兵衛ちゃんが阿尊くんにしなだれながら、私に色気たっぷりの笑顔を向ける。


「それは……まあ」


 阿尊くんのことは好きだし、それに、十兵衛ちゃんと二人並んでいるこの一幅の絵を見るだけでも、あんまりきれいで神々しくて、得した気分になる。


「ちょっと腹が立つけど、阿尊は面白いやつだからいいか。寧が面食いにならなければだけどな」


 私の考えを読んだサトリが、ふくれっ面で言う。


 だから違うって……と、私はため息をついた。自然が織り成す絶景とか、色彩豊かな芸術の傑作とか、人はそんな美しいものを見ると幸せになる。私のは言わば、それと似たような感覚……って、この例えも、それはそれで失礼かもしれないけど。

 とにかく、何が言いたいのかというと、阿尊くんの「美」は突き抜けてるってことで、それだけは確かである。


「あたしも大歓迎ですよぉ。阿尊さんは毎回、お酒の差し入れをしてくださるし」


 はらだしが現金にもそう言うと、赤鬼も頷く。

 青行燈までが、機嫌が良さそうだ。


 六対一。

 ……正味、八対一、か。


 阿尊くんの近くに陣取り寝そべっている、虎のごとく大きな生き物。白いふさふさの毛並みを持つ、狼の妖怪のおぼろは、話すことはできなくても人の言葉を理解する。と同時に、内面も感じ取るらしい。朧が近づくのは、その人を認めているからで、要は阿尊くんを気に入っているのだ。

 そして、その朧の背で何の警戒心もなくくつろぐ、ビー。去年、私がヒナのときに助けたオオタカで、ある日から頭の中で意思の疎通ができるようになったが、今は「安心」とか「心地いい」とかの声というか、イメージというか、そんなものが伝わってくる。


「分かったよ……。ただし! もうちょっと間隔は空けてね」


 白旗を揚げた。

 十岐が大丈夫って言うなら、そうなんだろうし。私も、楽しいのは事実だし。しょっちゅうじゃなければ、まあ、ね。


「うん、そうするね」


 阿尊くんが笑いかけてくる。


 もう、何も言うまい。

 そこからは、純粋に宴会を楽しむことにした。お酒じゃなくジュースなのが、つらいところだったけど。

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