9 怪奇の鎮め方

 頭を悩ませながら家に帰ると、居間の温度が下がっていた。


「ど、どうしたの!?」

「あの女、あたいをコケにしやがったのさ……」


 十兵衛ちゃんが、恐ろしい妖怪の顔で笑っている。


「まさか……」


 私はサトリを見た。


「どうなるか、みんなで見に行ったんだ。赤鬼は来なかったけどな。十兵衛は『おばさん』って言われて怒ってんだよ。バカだな、あの女。オレはもう知らないぞ」


 絶対、隠しておこうと思っていたのに、まさか聞いていたなんて……!


「お、落ち着いて、十兵衛ちゃん。お願いだから――」

「いくら寧ちゃんの頼みでも、今度ばかりは聞けないね。今晩、あの女の家に行って目に物見せてくれるわ」


 さらに口が裂けて、笑みが深くなっていく。


 さ、寒い。

 十兵衛ちゃんの放つ妖気で、また温度が下がった気がする。


「足、どうした」

「え? あ、これ? 辞書を落としただけで……」


 凍りつく雰囲気などどこ吹く風で、赤鬼が聞いてきた。

 青タンになっているけど、もうそんなに痛くはない。


「あーあ、いつかホントに寧が大怪我するかもなあ。あんな迷惑なやつなんか、やっちまえ、十兵衛。オレが許すぞ」

「サトリっ……! また、余計なこと!」

「それより、もう一度、十和子として学校に行くのはどうですかぁ? あたしはその方が面白いと思いますけどねぇ、ほほほ」

「ほう、それは一興だな」


 はらだしのさらに余計な言葉に、青行燈も乗ってくる。


「ちょ、ちょっと! 面白がってる場合じゃなくて――」

「へえ、そいつはいいかもねえ……。誰に喧嘩を売ったか、はっきり分からせてやろうじゃないか」


 十兵衛ちゃんの目が、怪しく光った。


 一体、どうする気だ……

 どうしよう、このままじゃ大変なことになる――


「あっ、おばば! 十兵衛ちゃんを止めて! これじゃ、何するか分かんないよ!」


 気ばかりが焦っていた。

 止められるのは、もう十岐しかいない。この状況の中で帰ってきた十岐は、まさに天の助けだった。


「わしは知らん」

「え……」


 しかし、必死で縋りついた蜘蛛の糸は、切られた。


「そもそも、お前が嫌がったからこうなったんだ。自分で何とかするんだね」

「そんな……」


 スパルタ放任主義の十岐の手で、あまりにもあっけなく、プツリと、糸は切られた。

 総身に、増した重力がかかる。


「これは、お前の問題だと言ったはずだ。たったひとつ別のことが『見えた』だけで立ち行かなくなってしまう、お前の問題なんだよ。銀治やあの娘をどうこうする前に、まずそのことに向き合うべきだろうが」

「それは…………」


 本当は、分かっていたのだ。

 自分が、このままじゃダメなんだってことを。

 でも……

 教育実習はまだ二週間も残っているし、あの様子では終わってからも押しかけて来そうで、それじゃあ、何とかする前に私の身が持たない。

 十岐みたいに何が「見え」ても平然としているなんて……私には、逆立ちしたってできないのだから。


 下を向いた私に、十岐は少し優しく言う。


「お前が大変なのは、わしにも分かってるんだよ。本来なら順を追ってもっと無理なく成長するところを、いきなり『見える』ようになったんだからね。上手く扱えなくても仕方がないさ。だが、だからと言って、いつまでもそうしている訳には行くまい。そんな調子だと、ずっと妖怪たちに要らぬ世話を焼かれるよ。これからは、お前なりの方法を考えな。考えて行動した分には、何かが返ってくるものさ。まあ、その前に、今回のことのけじめはつけなきゃならんがな」


 最後の一文で、また突き放された。


 自分の始末は、自分で――


「ああっ! 分かったよ!」


 もう、開き直るしかなかった。

 今、最も重要なのは、十兵衛ちゃんの怒りを静めることだ。それも、できるだけ被害のない方法で。


「十兵衛ちゃん! 十兵衛ちゃんは、格の違いを見せ付けられたら文句ないよね! 私がまたシナリオを作るから、その通りにやって!」

「寧ちゃんのシナリオぉ? それで上手くいかなかったんじゃないか」

「う……」


 核心を突かれ、ぐうの音も出ない……ところを、出す!


「じゃ、じゃあ! 今回は、美味しいところも作る! それでどう!」


 こんちくしょう! どうにでもなれってやんでい!


「美味しいところぉ? ……本当だろうね?」

「う、うん……ただし! そこは、十兵衛ちゃんの腕次第だからね!」


 こうなりゃ、やけくそだ。


「へえ……あたいの腕、ねえ……。聞かせてもらおうか」


 やっとのことで、十兵衛ちゃんの気持ちを動かした。

 頭に浮かんだ筋書きを伝えると、「何だい、美味しいことってそんなことか。まあ、いいよ。あいつはいつも硬いから、それだけでも楽しめるかもしれないさ」と、何とかオッケーしてくれた。


 居間は、温度を取り戻した。

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