8 女、麗し、太し
朝、児童が登校してくる前の、簡単な職員会議の時間。
銀ちゃんは職員室。
観客(妖怪)は目立たないところに潜み、私は職員室の窓の外に隠れた。
校門から、十兵衛ちゃんが顔を覗かせる。
準備オッケー。
よーい……アクション!
十和子は優雅に、しかし辺りを憚りながら歩いてくる。
パステルブルーのアンサンブルに、白のフレアスカートがふわりと揺れる。足元は低いヒールのパンプス。控えめで、清潔感のあるスタイル。
正面玄関から校舎に入り、受付の事務員に、ためらいながら声をかける。
『あの……校長先生はおいででしょうか』
会議中だからと言われても、そこは十兵衛ちゃんの、心に訴えかける演技の見せ所。
「失礼します。校長先生、お知り合いの方が見えておいでです」
しばらくすると、職員室の開いた窓から、扉の開く音と事務員の声が聞こえてきた。
ここで、銀ちゃんのセリフ。
『知り合い? こんな時間に、誰ですか?』
覚悟を決めたんだろう、演技が自然だ。
スイッチの入った銀ちゃんは、不可能を可能にする。
「さあ、お名前はおっしゃらなくて……ロングヘアのきれいな女性の方なんですが」
ガタっ!
慌てて銀ちゃんが職員室を後にする。
ちょっとざわつく先生たち。
『十和……何で来たんだ』
銀ちゃんが駆けつけると、受付の前にいた十和子は、申し訳なさそうな顔をする。
まだ驚きの消えない銀ちゃんは、事務の人の目を気にして十和子を外へと連れ出し、さらに手を引いて、急いで校門の方へと歩いていく。
『ごめんなさい。でもこれ、ないと困るんじゃないかと思って、あなた忘れていったから……』
手を引かれながらも、懸命に理由を説明しようとする十和子の声が、玄関から近い職員室の中にも、開いた窓から運ばれる。
バッグから取り出した男物の腕時計は、銀ちゃんの愛用品。
銀ちゃんの足が止まる。
『そうか、悪かった』
『ううん、いいの。じゃあ、私は帰るわ。お仕事、頑張ってね』
銀ちゃんに時計を渡して――――ここで、十和子のとびきりの笑顔。
職員室からは丸見えの角度だ。
『今度、埋め合わせする』
『うん。楽しみにしてるわ』
そして、二人は別れる。
チラ見せのリアリティ。ここまでは完璧。あとは――
仕上げ。
「誰ですか? 今の人」
誰かは食いつくだろうと思った通り、職員室に戻った銀ちゃんに、若い男の先生が即座に聞いた。
銀ちゃんは言葉を濁す。
『あ? ああ……まあ……』
「すごい美人だったじゃないですか!」
『ああ……いや……』
「彼女ですかー? うらやましいですねー!」
ガタンっ!
椅子の倒れる音がして、誰かが部屋を飛び出して行く音がした。
どう?
側の木の一本を見上げると、上にいるサトリが葉陰から手を出す。
その手の形は、マル。
ショックで出て行ったのは、実習生の北条先生。成功だった。
よし、カット! 撤収!
カサコソと、樹上で音がした。
「泣いて家に帰ったらしい。やりすぎたのかも」
夕方、妖怪たちにその後の顛末を話していた。
十岐はまだ、畑から戻っていない。
背に腹は換えられないとは言え、私は何とも後味が悪かった。
いつもの着物姿になっている十兵衛ちゃんが、冷たい目を向けてくる。
「あんなもん、やりすぎどころか足りないくらいだね。好き放題に生きてきたわがまま娘だよ。たまには痛い思いも必要さ」
「そうですねぇ。それに、失恋は女性をきれいにしますからねぇ。あの方もきっと、もっとお美しくなられますよ」
はらだしが自分の言葉に頷き、サトリが見下したように続ける。
「ま、十兵衛に敵う訳がなかったんだ。男どもが、みんな思ってたぞ。『あんな女がいるなら、そりゃ無理だろう』ってな。揃いも揃って銀治を羨ましいと思ってやがった。人間の男は、バカばっかりだな」
「おや、そうかい? 美味そうなのがいたら、相手してやってもいいけどねえ」
瞳孔が細くなっていく十兵衛ちゃん。
お願いだから、それはやめて欲しい。
「我としては、見応えのあるものを期待したのだがな。こんなものではつまらぬ。もっと揉めぬか」
「やめてよ。何で、そういうこと言うかな」
青行燈を睨む。
もう、うんざりだ。
「そうだよ。諦めなかったら、このあたいに喧嘩を売ることになるんだからね。そんな身の程知らずなら、ただじゃ置かないさ」
さっきよりも目が細くなって、凄みが増す。
怖い。
でも、みんな何だかんだ言って、決着がついたと思っていた。
私の中に残った小さな罪悪感も、久々の深い眠りを邪魔することもなく、すっきりとした頭で学校に行き――
そして、青行燈の言葉は現実になった。
――――――早々と復活し、さらにパワーアップした北条先生が、銀ちゃんに迫っている。
「あんな人がいるなら、どうして最初から言わなかったんですか?」
グイグイ来られて、銀ちゃんが後退りする。
「言う必要なんかねえだろ」
「おかしいですよ、あんなわざとらしく急に現れて! 見せびらかすみたいに! 私を遠ざけるためのお芝居でしょ!」
この人、気づいた……!
鋭い。意外だ。みんな騙されたのに。
「あのな! あれは……俺の女だ!」
銀ちゃんは言い切った。が……何か精一杯だった。
想定外の事態に、シナリオなどない。
「言い張るなら、いいです。たとえそうだったとしても、私、負けませんから! あんなおばさんより、私の方がいいに決まってます!」
若い肉食系女子の、怖いもの知らずの恐ろしさを目の当たりにして、銀ちゃんが絶句する。
そして、私も。
「やりすぎどころか足りない」、正にその通りだった。
「とりあえず、明日はお弁当を作ってきます。私、料理が得意なんですよ?」
「弁当だあ!? 給食があるだろうが」
「給食なんかより、ずぅっと美味しいですから」
「俺はな、給食を食わなきゃならねえんだよ。検食っつって、子どもたちが食べる三十分前に毒見する。それも校長の重要な仕事――」
キーンコーンカーンコーン。
「あっ、行かないと! じゃあ、楽しみにしててくださいね、斎藤センセ!」
一方的に言って、北条先生は笑顔で去っていった。
「どうすんだ、これ」
銀ちゃんは頭を抱えた――――――
――――――寧、大丈夫?」
結が覗き込んでいる。
「え? ああ、大丈夫」
「ホントに? でも、この辞書、足の上に落ちたように見えたんだけど……」
「辞書……? あ、痛い」
痛い。足の甲が。
「具合、悪いの? 帰る?」
「ああっ、いや、大丈夫だから! ホント!」
授業が始まるので、気にしながらも自分の席に戻る結。
私はというと、それどころではなかった。
効かなかった。
この上、何をすれば北条先生は諦めるんだ……
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