10 溜飲を
翌日。
四時間目が終わると、北条先生は銀ちゃんを探し当てた。
と言っても、銀ちゃんは普通に職員室にいたのだが。
ビーから聞いていて元から探す必要のなかった私は、戸口に身を隠し成り行きを覗き見る。
「斎藤センセ! これ、昨日言ってたお弁当です。食べてください」
「検食があるっつったろ、俺はもう食べたんだよ! 早く教室に行け! 児童と一緒に食事を取るのも、大事な実習のひとつだ」
言葉は強気だけど、寄ってくる北条先生から距離を取ろうと、銀ちゃんは必死な様子。
やっぱり、ダメだ。
――計画実行。
近くにいるだろうサトリに、頭で伝えた。
職員室には、他にも何人か先生がいる。ギャラリーだ。十兵衛ちゃんも、きっとやりがいがあるはず。
溜飲を下げてくれるといいけど……
程なくして私が隠れる戸口に立ったのは、エレガントなワンピースに身を包み、悲しげな顔が一層美しさを際立たせる十兵衛ちゃん――もとい、十和子だった。
『やめてください!』
十和子の声で、職員室にいる誰もが動きを止める。
『その人を、追い回さないで……』
北条先生に視線を向けたまま、中に入っていく十和子。
全員が唖然としている中、固まってしまっている銀ちゃんの前に来ると、悲しげな瞳で見上げた。
『おかしいと思ったのよ。最近、いつも疲れた顔をして……お酒の量も増えたし、眠っているときも、よくうなされているし……。こういうことだったのね』
「お前、何でこんなところに」
銀ちゃんには、何が何だか分からない。
それはそうだ。今回は、何も伝えていないのだから。
『ごめんなさい。でも、元気がなくなっていくあなたを見ていたら、じっとしていられなくて……』
そして十和子は、背中に銀ちゃんを庇うように立ち、呆然としている北条先生を見つめた。
あくまでも悲しげに、美しく。十和子は語りかける。
『もうやめて。あなたは、銀治の負担になっているのよ。こんな風に好きな相手を苦しめるのが、あなたの愛情なの?』
「な……何言ってるのよ! あんたこそ、誰!? 恋人じゃないことなんて、分かってるんだから!」
我に返った北条先生が怒鳴った。
十和子は、うつむき加減で首を振る。
『それは、あなたの願望? 確かに銀治は私を隠したがるわ。でも、それはこの人の愛情なのよ。……もう、五年になるかしら。銀治の友人が、私を無理やり自分のものにしようとしたことがあったの。未然に気づいて立ちはだかった銀治は、逆上したその人に大怪我を負わされた。今も大きな傷痕が残っているわ、私を守ろうとした傷が……。私のせいなの……。だから、私も銀治を守る。これ以上、傷つくことがないように』
え?
何……!? セリフが違う! 私が考えたのじゃない!
十兵衛ちゃんが、勝手にアドリブを入れてる!
「な、何それ! いい加減なこと言わないでよ!」
『信じないのね。……いいわ』
優雅でたおやかだった十和子が、ものすごい速さで振り向き、力ずくで銀ちゃんのシャツをこじ開けた。
ボタンが、弾け飛んでいく。
なっ、何してんだあ――――――っ!!
「あっ」
本当は私を守って負った胸のひどい傷痕を見て、北条先生は言葉を失った。
『分かったでしょう? これが銀治の、私への愛の証。この傷がある限り、私は銀治を愛し続ける。そこに、あなたが入り込む隙はない』
十和子は銀ちゃんの頬に手を添え、少し背伸びして、その唇にキスをした。
永い、永いキス――――
『これ以上、この人に迷惑をかけないで』
圧倒的な格の差を見せ付け、十和子は北条先生に向き直って言った。
北条先生はわなわなと震え、目には涙が溜まっていく。
「バ……バカにしないでっ!」
パーンっ!
十和子の頬にビンタをかまし、そして、私がいる扉とは反対側から部屋を飛び出していった。
部屋には沈黙が下り、私のこめかみを冷や汗が伝っていく。
ヤバい……
十兵衛ちゃんが――――キレる!
しかし、十和子は抜け殻のようになっている銀ちゃんに向き直り、また背伸びして耳元に口を寄せた。
「今晩、家に来な。ビンタの分は、お前に返してもらうからね。逃げたりしたら、二度と敷居は跨がせないよ」
その囁きの内容を私が知ったのは、家に帰ってからだった。
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