「月がキレイですね、煥さん」

 夜道を学校へ向かうなんて、何だか不思議な感じがした。


 小夜子のメールを受信してから二十分。できるだけ急いで歩いて、学校に着いた。わたしがいなければ、もっと速かっただろうけど。


 校門は閉ざされて、校舎の明かりもすべて消えている。

 長江先輩が顔をしかめた。


「何で真っ暗なわけ?」

「最終下校時刻、過ぎてますよ」

「そりゃ、生徒は帰っちゃってるよ。でも、教職員はまだ残ってなきゃおかしい。二十時台前半に全員いないなんて、あり得ない」


 クスクスと、笑い声が聞こえた。


【わたしが全員、帰らせたの】


 小夜子の声が頭の中で反響する。


「解説どーもありがとー。月姫ちゃんも号令コマンド使えるわけね。おれの能力って何なの? 平井のおっちゃんも使えるし。レア度、低すぎじゃん」


 海牙さんが長江先輩の肩をポンと叩いた。


「語学系が得意っていうおまけがあるでしょう? 十分じゃないですか」

「話す・聞く・読むはできるけどさ、書けるわけじゃないんだな~。テストでいい点取れないんだよね」

「そこは頑張りましょうよ。ぼくだって、理系科目のテストでは無駄な筆記をしてますよ。計算の途中経過を書くの、面倒くさいのに」


 あきら先輩がうんざり顔で、校門の柵に手を掛けた。


「点数の話なんかどうでもいいだろ。門の鍵が閉まってるが、どうする?」


 校門も、敷地を囲う塀も、三メートルくらいの高さがある。とてもじゃないけど登れない。

 海牙さんは平然と言い放った。


「登りましょう」

「オレは行けるが」


 煥先輩はわたしと長江先輩を見た。わたしも長江先輩も、ぶんぶんと首を左右に振る。


「無理です!」

「登りにくいように設計されてんだよ、これ」


 海牙さんがバックステップを踏んだ。


「じゃあ、蹴破ります」

「海ちゃん、ちょい待ち、破壊すんの禁止! おれ、裏門の鍵、持ってるから!」

「早く言ってくださいよ」

「言う隙がどこにあった? 海ちゃんってアグレッシブだよね。肉食系でしょ、実は」

「さあ?」


 長江先輩は何種類もの鍵を持っていた。裏門、生徒玄関、職員室や理事長室。まずは裏門から学園の敷地に入る。


 小夜子は学校にいるって言ったけど、一体、校内のどこにいるんだろう? と思ったときだった。


 青白いものが視界の隅に映った。ヒラリとなびく柔らかそうな布地。ハッとして振り返る。全員、同じものを目撃していた。


「今のは、小夜子?」

「そのように見えましたね」

「校舎の中に入ったよね~」

「行くぞ」


 わたしたちは校舎のほうへ駆け寄った。


 生徒玄関のガラス越し、靴箱の向こうに、また青白い影を目撃する。長江先輩が鍵を開けて、わたしたちは校舎の中へ入った。


 わたしは上靴に履き替えようとして、長江先輩に止められた。


「そのまんまでいいよ。上靴より革靴のほうが防御力あるし」


 校舎は暗い。ポツポツとともされた非常灯。校庭や中庭の外灯の光が窓から差し込んでいる。


 廊下の先のほうに、小夜子の後ろ姿がある。ふわりと広がった長い髪。淡い青色に透けるワンピース。白いバレエシューズの足は宙に浮いている。


 小夜子が廊下の突き当たりの角を曲がった。小夜子の行方を見失わないように、煥先輩と海牙さんが速度を上げる。


「は、速すぎっ」


 あっという間に引き離されて、わたしはあせった。でも、わたしの足が遅いのはどうしようもない。


 長江先輩がチカラの声を飛ばした。


【あっきー、海ちゃん、ストップ! はぐれちゃヤバいでしょ!】


 角を曲がったところで、煥先輩と海牙さんは立ち止まっていた。海牙さんが階段を指差した。


「彼女は階段を上がって行きましたよ。どこかに誘導したいんでしょうかね」


 わたしは肩で息をしている。ほかの三人は平気そうなのに。ああもう、情けない。

 長江先輩が肩をすくめた。


「追い掛けっこの時間制限があるわけじゃなし、ゆっくり行こうよ。こんなとこで体力を削りたくないな~っと」


 わたしの呼吸が少し落ち着いてから、四人そろって階段を上り始めた。壁に反響する足音は、人数ぶんより少ない。独特な体の使い方をする海牙さんは足音がない。煥先輩もあまり足音をたてない。


 踊り場から見上げると、三階の廊下のほうへ、小夜子が進んでいく。


「学校の怪談みたい。髪が長い女の子の姿がちらつく話、ありますよね」


 わたしの言葉に、みんなうなずいた。


 二年生の教室。音楽室。生徒会室。校長室。放送室。図書室。ぐるぐると、小夜子に連れ回される。暗さにも目が慣れた。


 何度か、海牙さんが全速力で追いすがろうとした。でも、小夜子はつかまらなかった。煥先輩が速度を上げようとしたこともあるけれど、それは全員で止めた。煥先輩が単独行動をするのは危険だ。小夜子がほしがっているのは、煥先輩なんだから。


 軽音部室の前で、小夜子は振り返った。キレイな笑顔は、あまりにも非現実的な光景だった。小夜子がまた動き出す。


 やがて、追い掛けっこにも終わりが来た。


 屋上に続く階段を、小夜子は上がっていった。わたしたちも続く。踊り場に立ったとき、上のほうから、キィ、と分厚いドアがきしむ音が聞こえた。


 階段を上り切ると、ドアは開けっ放しで、晴れた夜空が見えた。わたしたちは屋上に出た。満月が明るい。


 小夜子がそこにいた。


 長い黒髪。真っ白な肌。青白く透けるようなワンピース。月を見上げていた小夜子が、こちらを向いた。


「月がキレイですね、煥さん」


 煥先輩はブレザーの内ポケットに手を入れて、ツルギの柄をつかんで出した。小夜子に近付いていく。かすかな夜風に銀髪がそよぐ。


「確認しときたい。あんたは、月という宝珠の預かり手で、自分が預かる宝珠に願いを掛けた。それが禁忌だとわかっててやったのか?」


 小夜子は笑顔でうなずいた。


「はい、そのとおりです。わたしは月聖珠の預かり手で、『不死エターニティ』のチカラの持ち主です。禁忌のことは、もちろんわかっています」


 煥先輩のツルギに純白の光が集う。白獣珠が短剣の姿になる。煥先輩は足を止めて、小夜子にツルギを示してみせた。


「禁忌の違反者がどうなるかも、わかってるのか?」


 煥先輩と小夜子の間には、まだ距離がある。小夜子が足を踏み出した。一歩一歩、ゆっくりと距離を詰めていく。


「四獣珠の預かり手が違反者を排除する。そういう取り決めがあるんですよね? 煥さんが白虎だなんて、皮肉です。わたしは煥さんと争いたくない」


 煥先輩と小夜子の距離が縮まっていく。

 あと三歩。


 煥先輩が無言で短剣を振りかぶる。小夜子が足を進める。

 二人の距離は、あと二歩。

 あと一歩。


 ヒュッと夜気が鳴る。純白がひらめく。


 煥先輩が逆手に握った短剣が、ピタリと止まった。切っ先は、小夜子の首筋に触れそうで触れない。


 二人の距離は、抱き合わないのが不自然なくらいの近さだった。


「刺さないんですか、煥さん?」

「刺したら、あんたは死ぬのか?」

「少なくとも、この肉体は消滅します」

「精神のほうは死なねえって意味か」


 小夜子は、刃を突き付けられているのに、甘やかに微笑んでいる。


不死エターニティがわたしのチカラ。月聖珠が存在する限り、わたしは死ねません」


 煥先輩が小夜子の言葉尻をとらえた。


「死ねない? 死なない、じゃねぇんだな。肉体化した意味は、そういうことか。メールに書いてた『生きて死にたい』って言葉は、あんたの本心なんだな」

「わたし、嘘はつきません。煥さんが受け入れてくれるなら、それだけでいい。永遠なんていりません。肉体を持つことで老いや死を体験することになっても、禁忌を犯した罪を背負うことになっても、わたしは煥さんへの恋だけがあれば、ほかに何もいらないんです」


 煥先輩と小夜子が、見つめ合ったまま黙り込む。

 胸がザワザワした。気付いたら、叫んでいた。


「煥先輩、聞いちゃダメです! 小夜子の言ってることは脅しと同じです。精神の状態では不死エターニティだなんて、それじゃあ、小夜子は何度でも繰り返すでしょう? 煥先輩が小夜子の条件を呑むまで、何度でも!」


 小夜子の左手が動いた。煥先輩の右腕の下をかいくぐるように、その指先がわたしに向けられた。


「青龍、黙っていて。殺したつもりだったのに、間違えた。ツルギで刺しても無意味だったわね。別の方法を使わないと」


 小夜子の指先から光が走る。何かが来る、と感じた。反射的に目を閉じた。


 首をつかまれた。真綿のような何かによって、ふわふわと、でも確かにじわじわと、つかまれた首に力が加えられる。


「な、何、これ……」


 わたしは目を開いて、見た。金色のもやのような輝きのかたまりが、わたしの首を絞めている。


「やめろ」


 低く鋭い声が、むち打つように響いた。煥先輩が小夜子の手首をつかんだ。首のまわりの圧迫が消えた。


 小夜子は煥先輩を見上げた。


「四獣珠はわたしを見逃さず、わたしを滅ぼしたいんですね。煥さんも、わたしと対立してしまうの?」

「白獣珠がオレに戦えと言ってる」


「石に命じられるから戦うんですか? たったそれだけの理由で?」

「オレは、自分のチカラの意味も、白獣珠を預かる意味も、人と違う在り方に生まれついた意味も知らない。わからないまま生きるしかないと思ってた。でも今、白獣珠がオレに役割を示してる。それを果たせば、オレが生まれた意味もわかるかもしれねえ。だから戦う」


「チカラなんてあってもなくても、煥さんは、煥さんです。世界でただ一人の、わたしの大事な人。あなたには、戦いよりも歌が似合います。わたしはあなたと戦いたくない」


 煥先輩が小夜子の手首を離した。半歩、下がる。ツルギを振るう間合いを取ろうとして。

 半歩、小夜子が煥先輩に迫った。小夜子の手が煥先輩の胸に触れて、肩に触れる。


 それは一瞬の出来事で、止める間もなかった。

 小夜子が煥先輩の唇を奪った。煥先輩が目を見開く。


 イヤだ……!


 驚きが、煥先輩を隙だらけにした。小夜子の指先から金色の靄があふれ出す。靄が煥先輩の両手首と両足首に絡み付く。


 小夜子が唇を離した。煥先輩はまだ、愕然と目を見張っている。


「な、何を……」

「煥さんの体を傷付けずに、自由を封じたくて。手を出さないでくださいね。煥さんにケガをさせたくないんです」


 煥先輩の体がふわりと宙に浮いた。両手両足の金色の靄は、形を持たない拘束具だ。まるでそこに目に見えない十字架があるかのように、煥先輩が宙にはりつけにされる。


「くッ……おい、放せ!」


 煥先輩が無理やり体を動かした。まったく動けないわけじゃない。力任せに拘束具を引きずって、右腕を振り下ろそうとする。その手に白獣珠のツルギがある。


 小夜子が煥先輩の右腕に触れて、甘い声で告げた。


「動かないでください。動いたら、痛いですよ。じっとしていれば、痛くも怖くもありませんから」

「ふざけんな。オレは……」


 動きかける唇を、小夜子の唇が封じた。


「やめてっ!」


 わたしは叫んだ。ポーチから青獣珠が飛び出す。手に吸い付くようにグリップが馴染む。青い刃がきらめいた。


 小夜子がわたしを振り返った。微笑みが消えた。


「青龍、あなたの指図は受けない。あら、朱雀も玄武もわたしの邪魔をするの?」


 長江先輩が朱いツルギを、海牙さんが黒いツルギを、それぞれ構えた。


「願いのチカラを乱用する。きみの恋路は応援できないね」

「煥くんの戦力を封じた上で、この展開。ちょっと計算高すぎませんか?」


 そう、と小夜子がつぶやいた。小夜子の右手が月の光を差し招く。その手に、長大なツルギが握られた。

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