「ぼくがやるから、痛くありませんよ」

 ライヴの後、約束どおり家まで送ってもらった。あきら先輩だけじゃなくて、ふみのり先輩も一緒に来てくれた。帰り道で、煥先輩は一言もしゃべらなかった。


 翌朝。迎えに来てくれた煥先輩はやっぱり黙り込んでいた。

 煥先輩はもともと口数が少ない人だ。でも、あまりにも沈黙が長い。


 わたしを許す気はないんだと思う。文徳先輩に言われるから護衛をしてくれるけれど、本当は近寄りたくもない相手のはず。


「つらいなぁ」


 始業前の教室で、わたしは思わずこぼしてしまった。三日月のアミュレットを付けたポーチを抱きしめる。


 文徳先輩への恋は大きな痛手を受けた。そのうえ、煥先輩からも嫌われている。なのに、わたしは瑪都流バァトルと一緒にいなきゃいけない。


 ため息をついたついでに、あくびが出た。昨日はあんまり寝ていない。放課後にライヴに行ったぶん、予習が十分にできなくて、夜更かしして頑張った。


 担任の先生が教室に入ってきて、わたしは体を起こした。先生は化学の教科担当で、のんびりした雰囲気の男の人だ。化学の授業はちょっと眠い。


 普段、進学科のホームルームは静かなんだけれど、今日は違った。先生と一緒に、見慣れない女の子が教室に入ってきたせいだ。


「あー、紹介します。彼女はたまみやさん。入学式直前にインフルエンザにかかって、昨日まで欠席していたんです。今日からこのクラスに復帰します。いや、復帰ってのも変ですが」


 クラスがザワザワしている。特に男子。だって、玉宮さんがすごくキレイな子だから。


 長い黒髪はつやつやしたストレート。色白で、まつげが長い。黒目がちな両眼は、光を映し込んでキラキラしている。華奢な体つきでウェストが細くて手足が長いのが、めちゃくちゃうらやましい。


 あれ? どこかで会ったことがあるかも?


 前の席の友達がわたしを振り返った。


「玉宮さんって、ちょっと鈴蘭と似てるね」

「似てる? そう?」

「髪がキレイなとことか、色白なとことか」

「玉宮さんのほうがよっぽど美人だよ」

「こら、美少女鈴蘭がそんなこと言うな」

「わたし、あんなにスタイルよくない」

「小柄で巨乳は最強よ、鈴蘭。マシュマロ乳」

「やめてー、もう。おなかとお尻と太ももにもお肉が」


 玉宮さんの席はわたしのすぐ後ろだった。


 わたしは首をかしげた。わたしの後ろ、空席があった? わたし、いちばん後ろじゃなかった?


 違和感。


 でも、自信がない。うろ覚えや勘違いがありそうだ。時間の巻き戻しのせいで、頭の中が混乱している。


 ホームルームが終わって、わたしは後ろからツンツンつつかれた。振り返ると、玉宮さんが微笑んでいる。


「髪、すごくキレイね。シャンプー、何使ってるの?」


 意外と気さくに話す人なんだ。美人だから近寄りがたい気がしたけれど。


「シャンプーは、椿油が素材の無添加のものなの。祖母が、すごくこだわる人で」

「ステキ! いいなぁ、肌にも髪にもよさそう」

「玉宮さんこそ、髪、キレイだね」

「ありがと! わたしのことは、小夜子でいいよ。呼び捨てOKです。えっと……」

「わたしは鈴蘭」

「えーっ、名前かわいい!」


 本当に、普通に、話しやすい。意外とテンションが高い。はしゃいでいる感じもする。学校、早く来たかったのかな?


「さよこって響き、いいね」

「古風でしょ?」

「そこがいいと思うよ」

「わぁ、初めて言われた! 何だか嬉しい!」


 くるくる変わる表情を見るうち、わたしは急に思い出した。


「ねえ、昨日、瑪都流のライヴ聴いてた?」


 小夜子がパッと顔を輝かせた。


「やっぱり! 鈴蘭のこと、どこかで見かけた気がしてたの。昨日のライヴじゃないかなって思って。ステキよね、瑪都流! 特に煥さんの歌!」


 小夜子の頬が紅潮する。ドキッとするくらいかわいい。熱烈なファンなんだな。小夜子のこと、文徳先輩や煥先輩に教えてあげよう。きっと喜んでくれるはず。


 そうだ、煥先輩は彼女いないらしいから、小夜子を紹介したらピッタリかも。煥先輩は髪の長い子が好きみたいだったし。


 ツキン、と胸が痛んだ。

 どうしてと自問して、独占欲でしょと自答する。


 煥先輩は今、わたしのボディガードで、送り迎えの責任を持ってくれている。強くてイケメンのボディガードを誰にも取られたくないと、わたしはどうやら思っているようだ。


 そっと、ため息をつく。近ごろのわたし、最低だ。


 小夜子のまわりにクラスメイトが集まり出した。転校生みたいな状況だ。小夜子は笑顔で、クラスに溶け込んでいく。


 ふと、小夜子のカバンや筆箱に、わたしとの共通項を発見した。


「小夜子って、月のモチーフが好きなの?」

「好きというか、縁が切れないというか。あれ? 鈴蘭も三日月つけてる」


 わたしは三日月、小夜子は満月。見せ合って、笑い合った。仲良くなれそう。



***



 昼休み、小夜子からのランチの誘いを断った。長江先輩に、屋上に来るように言われていたから。


 お弁当を教室に置いて、青獣珠のツルギのポーチにケータイや財布を入れて、古風ゆかしいパタパタケータイを小夜子に珍しがられてから、わたしはポーチを持って屋上に向かった。


 襄陽学園には幾棟もの校舎が連なっているけれど、屋上があるのは本館だけだ。ほかの棟の屋上には太陽光パネルが載っていたり天体観測所が設置されていたり、屋上そのものがなくて景観重視のレトロヨーロッパな屋根だったりする。


 本館の北階段はひとけがなくて、昼休みのにぎわいがひどく遠かった。


 中学校時代、屋上は鍵が閉められていた。それが普通だと思っていたけれど、襄陽学園は開放されているのかな。


 結論としては、屋上はやっぱり鍵を掛ける仕様で、屋上に続くドアのそばに鎖と南京錠が転がされていた。長江先輩はわざわざ、南京錠の鍵と屋上の鍵を両方とも開けたらしい。


 わたしはドアを開けた。ぶわっと春の空気が吹き付けてくる。正面に見える青空がまぶしい。


「おお~、鈴蘭ちゃんも来たね」


 軽いノリのせりふがわたしを迎えた。レジャーシートを広げた上に、長江先輩が座っている。

 わたしは呆気にとられた。


「先輩、何やってるんですか?」


 長江先輩は、一人じゃなかった。五人の女子に囲まれている。女子はみんな学年も雰囲気もバラバラで、でも、やっていることは似通っていた。長江先輩に抱きついたり、ひざ枕してもらっていたり、肩もみしてあげたり。とにかく長江先輩にくっついている。


 長江先輩は、へらへら笑った。


【屋上プチハーレムへようこそ~。鈴蘭ちゃんもこっち加わってよ】


 へらへら笑いの中で、目の色だけは笑っていない。朱く鋭く、光が揺らぐ。チカラを使っているんだと、なんとなく感じた。


「マインドコントロールでしたっけ? 号令コマンド? その人たちに何をしたんですか?」


 長江先輩が目を閉じた。再び目を開いたとき、朱い光は引いていた。


「やっぱ、能力者相手には効かないね。能力者そのものじゃなく、その家系ってだけで、耐性あるもんな~。文徳には効かないし、親父にも姉貴にも効かないし。あ、ちなみにおれの親父って、襄陽学園の理事長ね。だから、おれ、学校じゅうの鍵のスペア持ってんだよね~」


 煥先輩は長江先輩たちから少し離れて、不機嫌そうに腕組みをしていた。


「おい、理仁。いつまで待たせる気だ」


 長江先輩がポンと手を叩いた。


【はいは~い、わかったよ。そんじゃ、ハーレムタイムおしまい。みんな、ありがとね。気を付けて教室に帰りなよ? ま、しんどくなったら、またおいで】


 声じゃない声で発せられた言葉に、長江先輩にくっついていた人たちがうなずいた。仕方なそうに曇った顔で、屋上から出ていく。


 わたしは長江先輩に向き直った。


「あの人たちを操ってたんですか?」

「そう怒らないでよ。無理強いしたわけじゃないよ?」

「でも、ハーレムだなんて、校内であんなくっつき方、異常です。人が本当に見ていないならともかく、わたしも煥先輩もいたのに」


 おとなしい印象の人が多かった。スカート丈も長めで、ボタンもリボンもちゃんとしていた。髪を染めた人は一人だけだった。


 長江先輩はニッと笑った。


「あれが彼女らの正直な望みだよ」

「嘘でしょう?」

「いやいや、ほんと」

「信じられません。わたしだったら、あんな密着するなんて……」


「恥ずかしくてできない? でも、やってみたくない? 想像してみてよ。おれが相手じゃなくてもいいよ。相手は、例えば文徳とかね。邪魔者がいない屋上で、優しく語りかけてもらったら、心も体も開いちゃわない?」


 長江先輩の語り口には、ついつい引き込まれてしまう。チカラの影響を受けなくても、危険だ。長江先輩の口車に乗せられて、つい想像してしまう。


 二人きりの屋上。誰にも邪魔されない。憧れの先輩はわたしを拒絶しない。もしそんな夢が叶うなら。


 わたしはかぶりを振った。


「変なこと言わないでください」

「変かな? 学校って、楽しいほうがよくない? だから、おれ、あの子らに声かけたんだよね。潤いと刺激があれば、教室にも耐えられるでしょ?」

「どういう意味ですか?」

「授業中の保健室と図書室がナンパスポット」


 遠回しな言い方の真意に、ぐるっと考えてからたどり着く。

 さっきの人たち、教室にいられないんだ。保健室や図書室で寂しく過ごしていたところに、長江先輩が声をかけた。


「合意の上ってことですか?」

「おれがかけた号令コマンドってね、自分の心に素直になりなよって、そんだけ。彼女らは彼女らの意志で、おれにくっついてたの。おれ、悪いことしてないよ? 話したいって思ってた彼女らに、話す場所と勇気を提供しただけ。おれのチカラ、そういう使い方ができんだよね~」


 煥先輩がしびれを切らしたように言った。


「そろそろ本題に入れ。話があるから呼び出したんだろう?」

「ん~、もうちょっと待って。海ちゃんが来てから話そかなと……って、来たじゃん。ナイスタイミング」


 長江先輩が指差した。屋上の出入口とは全然違う方向だ。本館の隣に建つ学習館のほう。長江先輩の指先に従ってそっちを見て、わたしも煥先輩も驚いて声をあげた。


 学習館最上階の天文観測所のドームの上に、グレーの詰襟の海牙さんがいる。海牙さんはちょっと声を張り上げた。


「どうも、遅くなりました! そっちに行きますから、あと十秒ほど待ってください!」


 イヤな予感がした。海牙さんの位置からこっちの屋上まで、十メートル以上あるはずだ。ちょっとジャンプしてまたげる距離ではない。


「無茶だろ」


 煥先輩も同じことを思ったようで、そうつぶやくのが聞こえた。


 海牙さんは短い助走をして、跳んだ。わたしは悲鳴を呑み込んだ。緩い弧を描いて海牙さんが跳ぶ。


 無茶なチャレンジなんかじゃなかった。


 海牙さんは悠々と、こちらの屋上に着地した。身長よりも高いフェンスをするすると上って、フェンスのてっぺんから跳んで、音もなく降り立つ。


「お待たせしたようで、すみません。途中でちょっと道に迷ってしまって」


 海牙さんは駆けてきた。ゆっくり走っているように見えたのに、あっという間に距離が縮む。一歩で進む距離が異様に大きいんだ。


 煥先輩が眉をひそめた。


「あんたの運動能力、どうなってんだ?」


 海牙さんは、ウェーブした髪を掻き上げた。


「運動能力そのものは普通程度ですよ。煥くんみたいに高いわけじゃない。ぼくは、体の使い方に無駄がないだけです」

「それがあんたの能力ってことか?」


「そういうことです。三次元空間における物理法則に従うすべての事象が、視界に数値化される。『力学フィジックス』という能力です。数値をもとにトレーニングして、無駄を省く動きを身に付けました」


 海牙さんの動きは一つひとつがなめらかで、指先まで洗練されている。計算し尽された動きなんだ。


 煥先輩はかくするように両目を細めた。


「オレの自己紹介は必要ねぇんだろ?」

「そうですね。失礼ながら、調べさせてもらったので」

「礼儀なんぞ何とも思ってねぇくせに」


 海牙さんが肩をすくめる。

 長江先輩が、手にしたトートバッグから、革の装丁の本を取り出した。


「はいはい皆さん、ちゅうも~く! これね、平井のおっちゃんから借りた本。平井のおっちゃん、昨日の夜に会ったでしょ? おれと海ちゃんと一緒にいた人。ひらてっしんっていって、ちょっと普通じゃなくすごい人なんだけどさ」


 深い色をした本の表紙には、『じゅうせいしゅろく』というタイトルが金箔で印字されている。


「おれと海ちゃんは全部読んだよ。四獣珠の由来とか伝説とか、預かり手の役割とか禁忌とか、今おれらに必要な情報が書かれてる。鈴蘭ちゃんとあっきーも読むでしょ?」


 長江先輩はページをめくった。わたしは思わず悲鳴をあげた。


「何これ、漢字だけの本!」

「うん、白文の漢文だけの本。序文によると、江戸時代に編集されたらしいね~。当時の学術書は漢文で執筆してたっぽい。木版印刷の紐綴じ製本ね」


 長江先輩が持つ本は、和紙の紐綴じではなくて、普通の西洋的な形をした本だ。開かれたページにあるのは、当時のままの紙面、古い字体の漢字たち。


 海牙さんが説明を補った。


えいいんぼんというんですよ。古い本をページごとに写真撮影して印刷する。書き写すわけじゃないので、誤植が生じません。まあ、古文漢文に通じていないと、まったくもって読めないけどね」

「海牙さんと長江先輩は読めるんですね?」

「ぼくはけっこう必死でしたけど、リヒちゃんはやたらスラスラと読んでました」


 長江先輩は得意げに胸を張った。


「前も言ったとおり、おれ、言語系全般が得意分野なの。古文でも漢文でも外国語でも、テレパシー的な何かが頭に入ってくる感じでさ、読むと聞くは苦労しないの。しゃべるのも、なんかいけちゃう。書くのだけは別物だけどさ~」


 煥先輩が疲れたような息を吐いた。


「こんなもん、オレに読めるかよ。要点だけ話せ」

「わたしもちょっと、読める自信がありません。四獣珠がツルギの形になっている理由、教えてもらえませんか?」


 長江先輩が本を閉じた。


「ツルギってのは何のためにあるでしょ~?」

「何のためって」

「リンゴくため?」


 煥先輩が答えた。


「人を刺したり斬ったりするため。要は、殺すためだ」

「あっきー、正解! ってことで、四獣珠がツルギの形になったのは、殺すためなんだよね」


 物騒なことを、長江先輩はサラリと言った。

 煥先輩がわたしをひたと見つめる。


「人を刺すことで、時間が巻き戻る。鈴蘭は二回、人を刺して巻き戻しを起こした」


 長江先輩と海牙さんがわたしを見た。朱い瞳と緑の瞳。そして、煥先輩の金色の瞳。わたしは顔を伏せた。居たたまれない。


 海牙さんの声が耳に届いた。


「なるほどね。巻き戻しのきっかけはそれですか。新情報をありがとう。『秘録』には書かれていなかった事象です」


 長江先輩がうなずく気配があった。


「混乱したよね~。いきなり時間が巻き戻るんだもん。スマホやらメールその他やらで時刻確認して、海ちゃんと平井のおっちゃんにも確認して。んで? 能力者だけが巻き戻しを実感してんだよね? 巻き戻るきっかけはツルギで刺すこと? いやぁ、意味不明」


 煥先輩が舌打ちする。


「巻き戻しの理由、あんたらにもわかんねぇのか」

「わかりませんね。わかっているのは役割ですよ。ツルギと、ツルギの預かり手の役割。それは『秘録』に書かれていましたから」


 役割という言葉は、青獣珠にも告げられた。


 ――役割を果たせ、預かり手よ――


 わたしは顔を上げた。


「役割って、何なんですか?」


 長江先輩と海牙さんが目配せをする。長江先輩がうなずいて、口を開いた。


「禁忌を犯した預かり手を排除すること」

「禁忌?」

「預かり手は、宝珠を守るためにチカラを持つ。守って預かるだけが、基本的な役割じゃん? だからね、使っちゃいけないんだよね。自分が預かってる宝珠に願いを掛けちゃいけないの。それやった時点でアウト。ほかの預かり手が責任持って、違反者を排除する」


 ポーチの中で、青獣珠がドクリと脈打った。


 ――正しい言葉に、ようやく巡り会えた――


「排除って……そのために、四獣珠が、ツルギに……」


 禁忌を犯した誰かを刺す。それが、正しい役割。

 だとしたら、わたしは、関係のない人を刺してしまった。ただ自分のためだけに。路地で襲われそうになった。あのときは仕方なかったかもしれない。青獣珠の声も聞こえた。致し方ないって。


 でも、亜美先輩のときは。

 煥先輩の視線が痛い。気付いたら、わたしは口走っていた。


「ち、違います、わたしは必死で……だって、そうすることが正しいと、勘違いしてて……」


 なんてずるいんだろう、わたし。


 言い募りながら、もしかして、と頭にひらめいた。

 どうしようもない衝動に共鳴して、わたしが亜美先輩を刺したのは、勘違いじゃなくて必然だった? 禁忌の願いを掛けた預かり手というのは、もしかして。


 海牙さんが音もなく動いた。左手に黒いツルギの柄がある。


「預かり手が役割を果たせば、四獣珠はもとに戻るそうです。論理的に考えて、役割達成後には時間の巻き戻しも起こらなくなるでしょう。では、誰が、排除されるべき違反者なのか。一つずつ、可能性を検証していくしかありませんね」


 海牙さんが長江先輩のブレザーに触れた。次の瞬間、海牙さんの右手に、朱いツルギの柄がある。凄まじい早業で、すり取ったんだ。


 イヤな予感がした。


「け、検証って何をするんですか?」


 海牙さんはわたしに答えずに目を閉じて、つぶやいた。


「玄獣珠、朱獣珠、応えてください」


 柄頭の珠が輝いた。海牙さんの左右の手にある柄から、黒い刃と朱い刃がキラリと生えた。海牙さんはまぶたを開いて、両手の短剣を神妙な目で見下ろした。


「情報解析不能。人間が理論構築し得る物理学を完全に超越しているから、ぼくの目には、自分が今どんな代物を手にしているのか、少しも理解することができない。四獣珠のチカラは、やはり人間が扱っていいものではないんですよ」

「あの、海牙さん?」


 海牙さんはニッコリして、わたしたちを見回した。


「誰が違反者なのか、候補を潰していきましょう。正解なら、そこで役割が達成されます。正解でなくても、幸い、時間が巻き戻るんです。誰も死にません」


 理屈は通っている。でも。だけど。

 長江先輩が笑みを引きつらせた。


「ちょっと、あの、海ちゃん? 何でおれのほう向いたのかな?」

「ぼくがやるから、痛くありませんよ。心臓の位置も筋肉の構造も、全部スキャンできてます」

「待て待て待て、怖いって!」

「リヒちゃんは願いを掛けてないでしょう?」


「断じて、掛けてない!」

「じゃあ、死にませんよ」

「いやあのその笑顔やめようよ!」

「やめましょうか」


 海牙さんが笑みを消した。ゾッとするほど整った横顔に、空気が凍る。

 長江先輩が、だらりと腕を垂らした。


「海ちゃんのそんな顔、初めて見たよ。付き合いが長いとは言えねぇけどさ」

「笑うなと言ったのはきみでしょう? ぼくだって、恐怖くらい感じますよ」


 一瞬の出来事だった。


 黒い刃が長江先輩の左胸に突き刺さった。同時に、朱い刃が海牙さんののどを掻き切った。海牙さんが二人を手に掛けて、玄獣珠と朱獣珠が悲鳴をあげる。


 チカラが働く。屋上の風景も、わたしという存在も、吹き飛ばされる。

 巻き戻しが起こる。



 座標

 D(学園屋上,4月17日13:14,阿里海牙・長江理仁)

 ↓

 C(嫦娥公園裏,4月16日21:21,鹿山亜美)

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