「瑪都流が鈴蘭さんを守るよ」

 中国大陸の古い伝説にせいじゅうというものがある。四種類の幻の動物たちだ。


 せいりゅう

 ざく

 びゃっ

 げん


 四聖獣はそれぞれ、方位と季節、元素を司る。


 青龍は東と春、元素は木/植物。

 朱雀は南と夏、元素は火/炎熱。

 白虎は西と秋、元素は金/鉱物。

 玄武は北と冬、元素は水/寒冷。


 四獣珠には、四聖獣のチカラが宿っている。それ相応の代償を差し出すならば、四獣珠のチカラは人の願いを叶える。


 わたしは青獣珠の預かり手。「青龍の安豊寺」の当代能力者。チカラを持つ青獣珠を預かって守るために、預かり手のわたしにもチカラが授けられる。



***



 最終下校時刻まで長いようで短かった。


 わたしは図書室から出て、暗い廊下を歩く。プレートに「軽音部室」と書かれたドアの前で、少し待った。


 やがてドアが開いた。煥先輩がわたしを見付けて、ふぅっと息を吐いた。


「逃げ出すんじゃねぇかと思ってた」

「え? 逃げ出す?」

「明るいうちに帰れば、路地であんな目に遭わない」

「だって、文徳先輩のケガ、放っておけません」


 あの痛みを、また引き受けないといけない。思い出すだけで背筋が震える。でも、やらなきゃ。


 失礼しますと言って、わたしは部室に入った。

 文徳先輩は床に座り込んでいた。タオルで血を押さえながら、苦笑い。


「ごめん。煥に事情を聞いて、気を付けてはいたんだ。でも、結局やっちまった」


 煥先輩、話したんだ。何をどんなふうに言ったんだろう? わたしの知らないことも知っているの?


 いや、あれこれ考えるより、治療が先だ。わたしは文徳先輩のそばに座った。タオルをどけて、文徳先輩の手に触れる。


 男の人の手だ。わたしの手とは形が違う。一瞬ためらってしまったのは、昨日の路地でのことを思い出したから。


 気持ちの悪い手がわたしの素肌の上を這い回った。信じられないくらい強い力で、わたしのカラダをつかんで。


 違う。あんなやつと文徳先輩の手を一緒にしちゃいけない。

 大丈夫。文徳先輩の手は、乱暴なんかしない。少しも怖くない。


 青い光がわたしの手からあふれる。息を吸いながら、痛みを吸い出す。覚悟していても、やっぱり痛い。


 文徳先輩が吐息交じりに言った。


「傷が、消えた……」


 わたしは文徳先輩から手を離して、おそるおそる顔を上げた。


 文徳先輩がニコッとした。ぐるっと見渡すと、いかつい体格の男の人、優しそうな印象の男の人、背が高くて髪が短いキレイな女の人が、三人とも温かい目をしている。


 みんな、わたしを怖がってはいない。

 少し離れて立つ煥先輩は、わたしと視線が絡むと、金色の目をスッとそらした。


 わたしは改めて文徳先輩を見つめた。


「このことは……お願いします。秘密に、しておいてください」

「わかってるよ。まずは、ありがとう。危うくギターが弾けなくなるところだった」

「お役に立てて嬉しいです」


 わたしはようやく笑い方を思い出した。Tシャツ姿の文徳先輩に、ドキドキしてしまう。筋肉のついた腕。うっすら透けた静脈。


 文徳先輩が部室の面々を紹介した。


「ゴツいのが、ドラムのうしとみ。隣の優男が、シンセサイザーのゆう。紅一点が、ベースの。牛富と亜美が三年で、雄が二年。全員、おれと煥の幼なじみだよ。預かり手の事情はわかってる。煥も、鈴蘭さんと同じだからな」


「白虎の家系が、伊呂波家なんですか?」

「そういうことだ。古い時代には、伊呂波家は名のある武家で、牛富と雄と亜美の家は伊呂波の家臣団だった。今はまあ、上下関係なんてないけどね。安豊寺家は、青龍?」

「はい」


 亜美先輩が、座り込んだわたしに手を差し出した。キリッとした感じの美人だ。女性劇団の男役トップスターって感じ。


「初めまして。鈴蘭ちゃんっていうの? 一年なんだ?」

「はい。進学科一年の、安豊寺鈴蘭です」


 わたしは亜美先輩の手を取って、立たせてもらった。亜美先輩、やっぱり背が高い。雄先輩と同じくらいある。わたしとは二十センチ以上違うと思う。


 文徳先輩が宣言した。


「今日はそろそろお開きにするか。明日のライヴに備えて、今夜は勉強しとけよ」


 了解、と牛富先輩と雄先輩が苦笑いした。亜美先輩が肩をすくめる。

 楽器の片付けが終わるまで、わたしは待っていた。文徳先輩の姿を目で追ってしまう。


 文徳先輩はスピーカーの電源を落として、広げていた楽譜をまとめてカバンに入れた。ギターの弦は一本切れていて、文徳先輩は、それをどうしようかなって顔をして、結局そのまま黒いケースにしまい込む。


 生徒会長じゃない姿だ。見たことのない仕草、少し崩した服装。ひょいと首や肩を回したりする、油断しきった動き。


 口元の微笑みは、癖になっているのかな? いつも唇の両端が持ち上がっているんだ。本当に笑うときだけ、頬にえくぼができる。


 サラサラな栗色の髪。地毛であの色なんだって。肌も白いほうで、目は赤っぽい茶色で、ちょっとハーフっぽい雰囲気もあるんだけれど、切れ長な目元は東洋的な美しさだ。


 部室の片付けを終えて、きちんとした制服姿に戻って、文徳先輩が部室の鍵を閉める。


「おれと煥で、鈴蘭さんを送って行くよ。先に、鍵を職員室に返してくる。鈴蘭さんと煥は、生徒玄関で待ってて」


 そういうわけで、亜美先輩たち三人とは生徒玄関で別れた。三人とも徒歩通学なんだって。三人とご近所さんで幼なじみの文徳先輩と煥先輩も、同じく徒歩通学だ。


 外灯の下で、文徳先輩を待つ。煥先輩は口数が少なくて、部室からここまで一言もしゃべっていない。


 わたしはぼんやりと空を見た。満月に近い、明るい月がある。闇と呼ぶには、空の色はまだ淡い。


「おい」


 煥先輩が久しぶりに口を開いた。


「何ですか?」

「兄貴のこと、好きなのか?」

「は、はぁっ?」


 煥先輩は横顔だった。ポケットに手を突っ込んでいる。文徳先輩とそっくりな横顔なのに、髪が銀色でキラキラ透き通っているから、印象がまるで違う。


「あんた、兄貴ばっかり見てんだろ? 生徒会長としての兄貴は表の顔だ。音を出してるときの兄貴が本物だ。それと、バイク乗ってるとき」


 何が言いたいんだろう?


「た、確かにわたし、文徳先輩に憧れてますけど、煥先輩には関係ないでしょう?」

「兄貴はめったに本物を出さない。表の顔で押し通す。本心を見せないのが兄貴の戦略だから」


 言葉の続きを待ってみる。でも、煥先輩は黙ってしまった。


 結局どういう意味なんだろう? 文徳先輩の本心を見てほしいってこと? それとも逆? 表の顔に憧れるだけなら軽い気持ちで近寄るなってこと?


 突っ込んで質問してみたい気がした。でも、時間切れだった。


「ごめん、二人ともお待たせ!」


 文徳先輩が生徒玄関から走り出てきた。わたしは笑顔をつくり直した。


「お疲れさまです。空を見たりしていました。月がキレイですよね」


 文徳先輩が空を見上げた。のど仏の形に、なんとなく目を惹かれる。


「ああ、ほんとだ。月が明るいんだな。確か明後日が満月だ。鈴蘭さんは月が好きなんだろ?」

「え?」


 文徳先輩は、月からわたしへ視線を移して、わたしのカバンを指差した。


「三日月の飾りが付いてる」

「これ、流行ってるんです。いろんな天体のモチーフのシリーズなんですけど、わたし、これに一目惚れしちゃって。三日月も好きだし、青い石も付いてて」


 パッと銀色がひらめいた。煥先輩が勢いよく振り返ったんだ。目を見張っている。


「煥先輩?」

「……何でもない」


 煥先輩はそっぽを向いて歩き出した。文徳先輩が呆れたように笑った。


「おい、煥、もっとゆっくり歩け。行こうか、鈴蘭さん」

「はい」


 煥先輩が少し先で立ち止まる。


「安豊寺、あんたが先を歩け。じゃなきゃ、道がわからねえ」


 ちゃんと送ってくれるつもりなんだ。無愛想だけど。

 わたしと文徳先輩は並んで歩き出した。なんだか信じられない。


「鈴蘭さんの家はどっちの方向?」

「山手のほうです。住宅地を抜けて、丘のいちばん上のあたり」

「大きな家なんだ?」

「そうですね」


 住宅地に入って、街灯の数が少なくなった。一人でここを歩いた記憶がよみがえる。ついて来る足音に気付いたのは、このあたり。


 煥先輩が舌打ちした。


「尾行されてる。うっとうしいな」


 文徳先輩が声のトーンを低くした。


「一人か?」

「一人だな。でも、飛び道具を持ってやがる。ボウガンだ」


 細く暗い路地の入口で、わたしは体がすくんだ。だって、わたしは一度、ここを進んだ先で。

 文徳先輩がわたしの肩に手を触れた。


「怖い?」

「は、はい」

「無理もないな。おれから離れないで。煥、先に行け」


 煥先輩がうなずいた。足音もたてずに路地を歩いていく。

 わたしは文徳先輩に肩を抱かれた。そのまま歩き出す。心臓がゴトゴト騒いでいる。


 大丈夫。今回は、守ってもらえる。わたしの身には何も起きない。きっと大丈夫。


 路地の先に光がともった。バイクのヘッドライトに照らされて現れる、特攻服の人影。わたしは鳥肌が立つ。あの手の感触を思い出してしまう。気持ち悪い。怖い。


 煥先輩が振り返らずに言った。


「兄貴と安豊寺はそこにいろ」


 煥先輩が駆け出す。赤い特攻服が何か吠えた。怒鳴り声が路地に反響する。


 わたしはカバンを投げ出して、文徳先輩にしがみ付いた。怖い。何も見たくない。文徳先輩の腕がわたしの体を支えてくれる。わたしはどうしようもなく、ふらつくながら震えている。


 鈍い音が三回と、くぐもった悲鳴が聞こえた。

 文徳先輩が低く笑った。ブレザーの胸が波打った。


「煥のやつ、容赦がないな。一瞬で沈めやがった」


 わたしは文徳先輩を見上げて、ハッと胸を衝かれた。

 文徳先輩の頬にえくぼができている。切れ長な目が強く輝いてる。こんなに男くさい笑い方をするなんて。


 ダメだ、カッコよすぎる。頭が真っ白になる。恐怖が吹き飛んでいく。


 煥先輩が駆け戻ってきた。


「まだそこを動くなよ」


 そうだ。学ランの人が後ろにいるんだ。

 学ランとわたしたちの間に立ちはだかって、煥先輩は右手を正面に突き出した。


 まばたきひとつぶんほどの短い時の中で、いくつかの出来事が起こった。


 煥先輩の手のひらの前に、純白の光が現れる。光は正六角形の板状に展開する。煥先輩の身長と同じくらいの、大きな正六角形だ。

 学ランがボウガンを構えていた。矢が放たれた。


 パシッ!


 正六角形に矢がぶつかった。白い閃光が弾けて、矢はジュッと焼け落ちる。

 煥先輩が吐き捨てた。


「下手くそめ。かすりもしねぇ軌道じゃねぇか。『障壁ガード』出した意味ねぇな」


 煥先輩は無造作に右腕を下ろし、走り出す。学ランとの距離が一瞬で詰まる。

 学ランがボウガンを投げ捨てたときにはもう遅い。


 煥先輩がこぶしを繰り出した。駆け抜ける勢いを乗せたストレートパンチが学ランの頬に突き刺さる。


 学ランはひっくり返った。気絶したのか、ピクリとも動かない。煥先輩はボウガンを踏み付けた。バキッと壊れる音がした。


 暴力は嫌い。でも、わたしは博愛主義者なんかじゃない。


「因果応報、自業自得」


 達成感を込めて、つぶやいた。

 煥先輩が戻ってきて、わたしのカバンを拾い上げた。

 文徳先輩は小気味よさげに笑った。


「ご苦労さん、煥」

「苦労はしねぇが、鬱陶しい」


 煥先輩はわたしのカバンを持ったまま歩き始めた。


「あ、あの、わたしのカバン……」

「煥に持たせておけばいいよ」


 文徳先輩の声が至近距離から降ってきた。まずい、わたし、抱き付いたままだ。顔どころか、全身が熱くなっていく。慌てて離れようとするけれど、足下が定まらない。


「ああぁぁ、ご、ごめんなさい」

「無理しないで。支えたら、歩ける?」


 文徳先輩がわたしの肩を抱いてくれている。ドキドキして、口から心臓が飛び出しそうなくらいなのに、なぜか安心する。緊張のドキドキとそれとは違うドキドキが胸の中でマーブル模様に混じり合って、苦しくて切なくて温かくて。


 守ってもらってる。嬉しい。恐れ多い。やっぱり嬉しい。


 煥先輩は、赤い特攻服を足の甲に引っ掛けて蹴り飛ばして、駐車場に放り込んだ。赤い大型バイクに近付くと、手のひらから白光の正六角形を創り出して、バイクのタイヤをめがけて振り下ろした。


 ジュッ!


 ゴムの焦げる音、匂い。白光がタイヤのゴムを焼いたみたいだ。


 人間ふたりとバイク一台をあっさりと行動不能に追い込んだ煥先輩は、何事もなかったかのように平然と路地を進んでいく。


 銀髪の悪魔。尾張くんがそう呼んでいたことを思い出す。


 煥先輩はためらいもせずに、人にも物にも暴力を振るった。悪魔と呼ばれる意味がわかった気がした。


 わたしの隣を歩く文徳先輩が、不意にまじめな顔をした。


「さっきの連中はおれたちを狙ってる。鈴蘭さんも顔を覚えられたはずだ」

「あ、それは朝の時点で覚えられてたみたいで。わたしが文徳先輩と話していたのを、あの人たち、見ていたそうです」


 文徳先輩は眉間にしわを寄せた。


「そのせいで襲われかけたのか。ごめん、巻き込んでしまって」

「えっと、謝らないでください。結果的にはわたしも先輩たちも無事だったし。わたし、これからも気を付けるので」


「そのことだけど。鈴蘭さんは帰宅部?」

「はい。最終下校時刻まで、図書室で勉強してます」

「じゃあ、これからは帰りに必ず軽音部室に来て。今日みたいに送って行くから」

「え、ええっ!」


 大声をあげてしまった。慌てて口を押さえる。

 文徳先輩はまじめな顔を崩さない。


瑪都流バァトルって名前、知ってる?」

「は、はい。ロックバンドで、暴走族でもあるって」

「おれが、その瑪都流のリーダー」

「……はい?」


 足が止まってしまった。文徳先輩も煥先輩も立ち止まる。文徳先輩がわたしのほうを振り返った。


「おれ、伊呂波文徳が瑪都流の総長。煥が副。牛富と雄と亜美は幹部。この町で最大の勢力だ」


 文徳先輩が暴走族? 生徒会長なのに? 進学科で、頭がよくて何でもできて、バンドだってやっていて。


「あっ、そっか、文徳先輩たちのバンドって……」

「瑪都流っていうんだ。中学時代からやってる」


 煥先輩が面倒くさそうに言った。


「暴走族云々よりバンド組んだのが先だ。オレたちがたまたまケンカが強くて、隣町には正真正銘のクズみてぇな暴走族がいて、連中がこっちの町の中高生をカモにしてて、オレたちがこっちの町のやつらをかばってやるうちに、オレたちまで暴走族扱いになってた」


「煥、そう嫌がるなよ。敵はおれたちと同じ言葉をしゃべってくれない。おれたちがあいつらと同じレベルの言葉を使ってやるしかないだろ。おれたちの影響力と腕力があれば守れる人たちを、みすみすあいつらの手に渡してやることなんかできない」

「わかってる。戦う覚悟はあるさ。オレは大袈裟なのが嫌いなだけだ」


 煥先輩は横顔だけをわたしに向けている。文徳先輩はわたしを見つめていた。


 文徳先輩は生徒会長で、暴走族の総長。表の顔があって、本性がある。その危険な対比に、わたしはゾクッとした。


「信用してほしい。瑪都流が鈴蘭さんを守るよ。もう怖い思いはさせない」


 暗示にかけられたように、わたしはうなずいた。

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