「これは、さすがに……」
十六日の夜、玉宮駅前でのストリートライヴ。
晴れた夜空に月が懸かっている。わたしはもう、月に願いを掛けたりしない。月聖珠のチカラは地上から解放された。願っても、聞いてくれる存在はいない。
願いは自分で叶えなきゃいけない、とも思う。煥先輩の心は、力ずくでは縛れない。
青い月、と煥先輩が透き通った叫びをあげる。訪れない明日の夕方には歌えなかったフレーズだ。
あのとき声が止まった理由は結局、何だったんだろう? ブルームーンがわたしじゃないと知って、だから、わたしの前で歌えなくなった?
王子さまが愛したのは、海で命を救ってくれた人。王子さまが目覚めたときにそばにいた相手は、本当は命の恩人ではなかった。真実にたどり着いたら、王子さまはきっと人魚姫を愛したでしょう。
わたしは偽物の命の恩人。運よく王子さまの隣に立てただけ。そのままハッピーエンドならラッキーだったのに。そんなふうに、ずるいことばかり考えてしまう。
煥先輩のブルームーンになりたい。今度こそ、わたしが。
曲の合間の休憩のときだった。いつの間にか、足音のない気配がわたしのそばに立っていた。
「海牙さん!」
「こんばんは」
海牙さんは、詰襟の内側からペンダントをのぞかせた。黒く輝くペンダントトップ。玄獣珠だ。
「長江先輩は?」
「向こうのほうでガールハント中です」
「え」
「そんなに引かなくてもいいでしょう?」
「引きます」
「彼は普通にモテますよ」
長江先輩の容姿がカッコいいのは認めるけれど、あのノリの軽さはどうなんだろう?
カッコいいといえば、海牙さんもだ。細身の長身で、動きが洗練されていて、モデルみたい。大都高校の制服は地味なのに、海牙さんが着るとシックな感じに見える。
「今日、平井さんは一緒じゃないんですか?」
わたしの質問に、海牙さんが微妙な顔をした。
「平井さんは、お子さんの件で、ちょっと……」
「えっ、お子さん? そっか、平井さんって、お子さんいたんだ」
「いたというか、いることになってたというか……」
「何ですか、それ?」
「ぼくも昨日の朝、急に知らされたんですよ」
海牙さんは平井さんの家に下宿している。なのに、知らなかった? わたしが首をかしげたら、海牙さんは先回りして説明した。
「平井さんは、いくつか邸宅をお持ちなんです。ぼくはそのうちの一つに下宿させてもらってるんですが、この春から、お子さんもぼくと同じ邸宅に住むそうで……そういうことになってるみたいで」
「同居する人が増えて、にぎやかになりますね」
「にぎやかというか……」
海牙さんの微妙な表情が晴れない。口調も歯切れが悪くて、海牙さんらしくない。
「何か問題があるんですか?」
「問題、ではないけどね……とりあえず、明日です。たぶん明日、鈴蘭さんにもわかるはずなので」
そこで話が立ち消えになった。
海牙さんが離れて行った後、寧々ちゃんが不思議そうにわたしに訊いた。
「今の人、誰?」
「えっと、友達? みたいな」
「隣町の男子校でしょ? お嬢って、意外な人と仲いいんだね」
「うん、そうかも」
***
前に経験したとおりに、時間は流れる。
ライヴが終わる。亜美先輩と飲み物を買いに行って、
「幼なじみで
正直なことを言ってみた。文徳先輩は亜美先輩の肩を抱き寄せた。
「うらやましいだろ? 実はけっこう尻に敷かれてるんだけどね」
「こら、文徳、調子に乗るな!」
パシンと文徳先輩の頭を叩く亜美先輩。
微笑ましいというか。ごちそうさまです。
北口広場で、長江先輩と海牙さんと落ち合った。長江先輩は女の子連れじゃなかった。
「これからデートじゃないんですか?」
皮肉を言ってみたら、長江先輩は肩をすくめた。
「おれ、門限があるんだよね~。今からデートは、ちょっと無理だね」
「門限、守るんですか? 意外です」
「守るよ~。同居の姉貴が厳しくて、頭が上がんないもん」
海牙さんが、緑色がかった目をクルッとさせた。
「お会いしたことないんですよね。リヒちゃんのおねえさんなら、美人でしょうね」
「美人だよ。胸おっきいし。マジで会わせよっか?」
「ぜひお願いします」
「んじゃ、ぜひ持ってって。けっこう強烈な人だから、覚悟してね?」
長江先輩と海牙さんの能天気な会話に、煥先輩は呆れたように息をついた。
「平和そうだな」
「まあね~。あっきーのほうは、緋炎対策が大変そうだね。引き続き、頑張ってね」
長江先輩の提案で、連絡先を交換することになった。スマホ三台と、わたしのケータイ。
ついでに、煥先輩がメールボックスを開いてみせた。ブルームーンからのメールは、確かに存在しない。
海牙さんがまた微妙な顔をした。
「とあるブログを教えてもらったんですよ。昨日、平井さんから、こっそり。本人には内緒だって。まあ……明日の夜にでも、教えますね」
ここまであおられると、すごく気になる。
長江先輩が突拍子もないことを言い出した。
「あっきーのバイクが見たい! 前、チラッとしか見られなかったからさ~。超でっかいやつだよね? しかも、ちょいレトロな車種だよね? あんなすごいの運転できるって、カッコいい~」
文徳先輩も話に入ってきた。
「バイクは、親父の趣味だったんだ。いいマシンだぞ。おれのもけっこうデカいんだけど、煥のはモンスターだよな。おれじゃ乗りこなせないんだ」
文徳先輩に、乗って来いって命令されて、煥先輩はうなずいて夜道を歩き出した。その背中に、文徳先輩が付け加える。
「煥、予備のメットも取って来いよ。鈴蘭さんをバイクで送ってやれ」
文徳先輩が大声でそんなこと言うから、冷やかしの歓声が飛び交った。煥先輩は走って逃げていく。文徳先輩がニヤニヤして、長江先輩の肩を叩いた。
「こんな感じでいいのか?」
「うん、さすが文徳。打ち合わせ以上の出来栄えじゃん」
海牙さんが首をかしげる。
「打ち合わせ、ですか?」
「文徳にだけ聞こえる声で、作戦、伝えといたわけ。あっきー&鈴蘭ちゃんのツーショット作戦。おれ、鈴蘭ちゃんを応援するつもりなんだけどさ~、強引にやんなきゃ、あっきーは気付かないでしょ」
「なるほど、納得です。ぼくも人の心の機微には鈍いほうですが、煥くんはさらに鈍いですよね。一部の分野に関しては特に」
「そういうこと。鈴蘭ちゃん、苦労すると思うけど、頑張ってね~」
わたしはさっきから口をパクパクさせている。声が出せない。
とどめのおまけに、文徳先輩がスマホの画面をわたしに向けた。
「歌ってる煥を横から撮ったやつ。おれの位置からじゃなきゃ撮れないレアものだよ。こいつ、歌ってるときも顔が崩れないよな。この画像を含めて何枚か、写りがいいのを送ってあげるから、アドレス教えて」
左側から撮られた、煥先輩の横顔。汗に濡れた銀髪は、掻き上げて後ろに流してあって、少し切なそうな表情が全部見える。
カッコいい……!
わたしはあえなくオーバーヒートした。
***
長江先輩の作戦どおりに、わたしは煥先輩のバイクで家まで送ってもらった。門衛さんが駆け付けるより早く、煥先輩がバイクを駆って離れていく。
「鈴蘭お嬢さま、お帰りなさいませ。今のバイクの男は何者ですか?」
白虎の
「いやぁ、憧れますね」
「バイクに乗ってるときと歌ってるときが、あの人の本当の姿なんだと思う。すごく生き生きしてるんです」
「お嬢さまは、もしかして……」
わたしはうなずいた。
「あの人のこと、好きなの」
身分違いの恋を応援する、と門衛さんは意気込んでくれた。
その言葉に嘘偽りはなくて、翌朝、煥先輩迎えに来たとき、門衛さんはとてもとても温かく見送ってくれた。もちろん母にはまだ内緒だ。
寧々ちゃんたちと合流して、それはもう盛大に、からかわれた。
「お嬢がバイクで送ってもらうなんて! これからの展開が楽しみすぎる!」
「でも安豊寺、煥先輩のバイクに乗れるとか、マジうらやましいぞ」
「煥が走ってるとこ、すげぇよな。同い年とは思えないよ、ほんと」
一人だけちょっと離れている煥先輩は、ひたすら、うんざりした顔をだった。赤くなってはいない。予想できていたから? それとも、わたしのこと、本当に全然何とも思っていないから?
生徒玄関でみんなと別れた。進学科の教室に入ったときに、気付いた。わたしの後ろに空席が一つある。前の席の友達に尋ねてみた。
「ここ、席あったっけ?」
「あ、それ、隣の列にあったよ。ねえ、あんたの後ろだったよね?」
わたしの隣の席の男子がうなずく。
「ん、おれの後ろにあった。おれさ、いちばん後ろのほうが好きなんだよね。ここの席の人、今日から来るらしい。ってことで、安豊寺の後ろに行ってもらおうかと。ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
既視感。何なの、この話の流れ? 背筋がゾワゾワしてくる。
ホームルームの時間になって、担任の先生が教室に入ってくる。
そして。
小夜子が教室に入ってきた。わたしは思わず、椅子から立ち上がった。ガタッと音がして、注目が集まる。
「どうした、安豊寺?」
先生に訊かれて、わたしはギシギシと首を左右に振った。椅子に、へたり込む。小夜子はわたしを見ていた。キレイで無邪気そうな笑顔だ。
前の席の友達がわたしを振り返る。
「鈴蘭、平井さんと友達?」
「平井さん?」
「先生が紹介したばっかでしょ。平井さよ子さん。美少女だねー。憧れる」
「…………」
わたしは口をパクパクさせる。言葉がうまく出てこない。
黒板には「平井さよ子」と書いてある。「玉宮小夜子」ではなくて。それに、小夜子と違って、さよ子は髪が短い。肩に届かないショートボブ。天使の輪っかができるくらい、ツヤツヤでサラサラの髪だ。
「平井さんは細いねー。うらやましい。鈴蘭の巨乳も超うらやましいけどね」
いらないってば、お肉。
さよ子がわたしの後ろの席に着いた。話をしたい。真相を確かめたい。でも、ホームルーム中に後ろを向けない。
ようやくのことで、ホームルームが終わる。わたしが振り返ろうとしたその瞬間、カバンの中でケータイが鳴った。
着メロは、ダウンロードしたばかりの瑪都流の『ビターナイトメッセージ』だ。バイブに切り替えるのを忘れていた。
わたしは慌ててケータイを取り出した。電話の相手の名前に驚く。
「ひ、平井さんっ?」
いつ登録したっけ? いや、絶対に登録していない。平井さん、チカラ使ったでしょ?
とにもかくにも、わたしは電話に出た。
「もしもし?」
〈ああ、安豊寺鈴蘭さんだね?〉
「はい」
〈突然の電話、すまないね。挨拶をしておきたかったのだよ。今日から娘が同じクラスでお世話になる。仲良くしてやってほしい〉
「む、娘っ?」
〈娘のさよ子が、先日こちらに越してきたんだ。私はいくつか家を持っているんだが、娘は、襄陽学園にいちばん近い家に住むことにしてね。同じ家に下宿中の海牙くんが驚いていたよ〉
「これは、さすがに……いくら海牙さんでも驚きますよ……」
平井さんは楽しそうに声をたてて笑った。
〈煥くんは月聖珠の預かり手を消し去ったが、彼女の肉体化まで否定したわけじゃない。私が引き受けるのも、一つの案だと思ってね。とにかく、さよ子をよろしく〉
はい、と返事をしたら電話が切れた。ケータイを畳んで、呆然。頭が真っ白だ。
わたしは後ろからツンツンつつかれた。振り返ると、さよ子が微笑んでいる。
「あなたが、パパが言ってた人ね! 襄陽の進学科の一年生に知り合いがいるって聞いてたの!」
「え、あ……う、うん」
「初めまして! わたしのことは、さよ子でいいよ。呼び捨てOKです。あなたは、鈴蘭ちゃんだよね? 名前かわいいよねー! 呼び捨てでいい?」
月聖珠の預かり手は消滅したはず。青獣珠も平然としている。
うん、大丈夫。目の前にいる女の子は、チカラのない普通の子。無邪気で、ちょっとテンションの高い、ショートボブがキュートな女子高生。
わたしは一生懸命、笑顔をつくった。
「鈴蘭でいいよ。さよこって響き、いいね」
「古風でしょ? パパの趣味なの。家では着物なんだよ、パパって」
さよ子がポケットからスマホを取り出した。
「あ、そのストラップ」
「似てるよね! たぶん同じシリーズだと思うの。鈴蘭は三日月で、わたしは満月! 鈴蘭、月のモチーフが好きなの? カバンに付けてるアミュレットも三日月ね」
クラスの子たちが集まってくる。さよ子のキャラが話しやすいってわかったからかな。でも、さよ子はわたしに関心があるみたい。
「さっきの着メロ、瑪都流でしょ! 鈴蘭も瑪都流のファンなの? というか、この学校、瑪都流ファン多い?」
「わりといるんじゃないかな」
噂をすれば影って、たまに本当に実現する。
「ちょっと失礼。鈴蘭さんはいるかな?」
人前で話すことに慣れた、堂々とした声がした。わたしとさよ子を取り囲む人垣が割れる。
文徳先輩がドアのところで片手を挙げた。もう片方の手に煥先輩をつかんでいる。長江先輩も一緒だ。
さよ子がパッと顔を輝かせた。その逆に、煥先輩と長江先輩が顔を引きつらせた。わたしもあんな顔したんだろうな。
「やだもうこれ奇跡!」
「さ、さよ子?」
さよ子が、抱き付いちゃうんじゃないかって勢いで、煥先輩のほうへ飛んでいった。
「瑪都流の煥さんですよねっ?」
「あ、ああ……」
「わたし、瑪都流のファンなんです! 特に煥さんの歌の大ファンです! 平井さよ子といいますっ。高一で、十五歳で、えっと……か、彼氏はいませんっ。一人もいないです、いたことないです!」
ヒュウ、と誰かが口笛を吹いた。
煥先輩が後ずさる。でも、文徳先輩に腕をつかまれて、逃げられない。何も知らない文徳先輩はニヤッとした。
「最近ずいぶんモテるな、煥」
「だ、黙れ、兄貴」
さよ子の勢いが止まらない。キラキラの星とか花とか背負っている。
「駅前でのライヴ、ステキでした! 煥さんの声、一瞬で好きになりました。煥さんの姿にも、一瞬で惹かれました。もう、カッコよすぎます! 大好きです!」
言うだけ言って、ハッとして、真っ赤になったさよ子が逃げ帰ってくる。
「きゃぁぁぁ、勢い余りすぎたよぉぉぉ!」
大事故。盛大すぎる大事故。教室のみんなが聞いていた。
煥先輩が呆然としている。目の前にさよ子が現れただけでもショックがあるのに、一昨日はわたしで今日がさよ子と、立て続けに、派手な噂が立つ事態に陥っちゃって。
長江先輩がわたしを手招きした。
「鈴蘭ちゃん、あれ、何?」
「平井さんの娘さんだそうです」
「はぁぁっ? やってくれるよ、平井のおっちゃんも。さっき突然、電話してきてさ~、鈴蘭ちゃんのクラスにあっきー連れてけ、って言われたわけ」
「長江先輩のところにも電話があったんですね。平井さんのチカラでこの一枝にさよ子の存在を割り込ませた、ってことですよね?」
「たぶんね」
わたしたちだけが知るさよ子の来歴を、書き換えられたこの一枝の上では、さよ子自身も知らない。そういうことなんだと思う。
「鈴蘭~っ!」
追い掛けてきたさよ子に抱き付かれた。煥先輩がさり気なく、可能な限り遠くに離れた。
わたしはさよ子の頭を撫でた。さよ子の耳に口を寄せて、内緒話をする。
「あのね、さよ子。すぐバレると思うから言っておくけど、わたしも煥先輩のこと好きなの」
さよ子がパッと顔を上げる。
「一緒に頑張ろう! 同志がいるって、心強い! 今度のライヴ、一緒に行こうね!」
改めて、ギュッと抱き付かれた。
ちょっと待って、調子狂う。わたし、ライバル宣言したんだよ? なのに、この子の思考回路どうなってるの?
長江先輩が肩をすくめた。
「よかったね~、あっきー。こんな美少女二人に迫られるって、めったにできない体験だと思うよ?」
煥先輩は顔をしかめた。
「興味ねぇよ」
「はい、それ嘘!」
「もう誘導尋問には引っかからねぇぞ」
長江先輩がへらへらと笑う。
「しかしね~、今回の騒動って、元を正せば全部、あっきーがイケメンすぎるせいなんだよね。自覚してる?」
煥先輩がキョトンとした。
「オレ? どうして?」
「どうしてって、あのね~、あっきー。きみ、モテるよね?」
「そんなわけあるかよ」
「あるよ! ファンだっていっぱいいるし、それ以上に本気な子も、何人も知ってるよ」
「嘘だ」
煥先輩はかたくなな顔で横を向いた。頑固。鈍感。無自覚。残酷。
文徳先輩が頬を掻いた。
「煥の詞を見てもらったらわかるけど、こういうのが、煥のノーマルモードだから」
自分が好かれるはずない、自分に価値なんかない、と刻み付けるように強く信じている。その痛々しさを正直に歌う詞はわたしも好きだけれど。
わたしはこぶしを固めた。
「わからせてあげますから、ちゃんと! 煥先輩がどんなにステキな人なのか、煥先輩自身に、わからせてあげます!」
それはまるで宣戦布告。煥先輩が
さよ子がふくれっ面をした。
「鈴蘭、ずるい! わたしも煥さんのステキなところ知ってる! わたしも教えてあげたいのに」
ああ、それも宣戦布告。やっぱり、さよ子はわたしのライバルだ。
これからは戦いの日々となる。倒すべき相手はみんな一筋縄じゃ行かない。
さよ子に煥先輩を取られたくない。うじうじした自分を変えていきたい。そして、やっぱり最大の難関は、煥先輩。
孤独を歌うあなたも大好きだけれど、愛を歌うあなたを、いつか見てみたい。そのときわたしがあなたの隣にいたい。
好きです、煥先輩。
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