「大好きです!」

 放課後になった。


 勝手なことをしたら怒られるかもしれないと思いながらも、引っ込みがつかなくて、わたしは小夜子を連れて軽音部室に向かった。


 軽音部にはいくつものバンドが所属している。部室は二つあって、人気と実力がナンバーワンのバンドが一つを占領する。残りのバンドはもう一つをシェアする。それが襄陽学園の軽音部のルールらしい。


 今のナンバーワンは、当然のごとく瑪都流バァトルだ。瑪都流が使っているほうの部室は、もう一方より少し狭いけれど、音響設備がすごくいいんだって。


 そういう話を、小夜子に聞かせてあげた。わたしもつい最近知ったばかりの情報だけれど。


 わたしたちが軽音部室に着いたとき、ふみのり先輩がドアの鍵を開けるところだった。


「あれ、鈴蘭さん? 今日は図書室じゃないんだ?」

「友達を、あきら先輩に紹介したくて。小夜子は煥先輩の大ファンなんです」


 小夜子がペコッと頭を下げた。サラサラの髪が弾む。


「初めまして、玉宮小夜子です! どぉぉしても煥さんにお会いしたくて、鈴蘭に無理を言って、連れててもらいました。お邪魔かとは思ったんですけどっ」


 文徳先輩がクスッと笑った。


「珍しいね、煥に会いたい子だなんて。あいつ、見た目が怖いだろ? 愛想ないし。おかげで、近寄ってくる女の子はめったにいない」

「だけど! 煥さんって、本当は優しい人ですよねっ? 歌を聴いてたらわかります。すごくピュアで優しいです!」


 そこまで断言できる小夜子がすごい。


 確かに、煥先輩はケンカが強くて無愛想なだけの人ではないけれど、感情がわかりづらくてミステリアスで、接し方がわからない。


 文徳先輩は部室の中を指差した。


「小夜子さん、だっけ? 煥はもうしばらく来ないと思う。よかったら、中で待ってて。ついでに練習を見学していく?」

「いいんですか!」

「今日だけ、特別にね。鈴蘭さんも一緒にどう?」


 文徳先輩のお誘いがあって、小夜子も「一緒にいたい」と言ってくれて、わたしは瑪都流の練習を見学することにした。


 そうこうするうちに、雄先輩が来た。亜美先輩と牛富先輩も、まもなく合流した。

 文徳先輩がちょっとおどけた。


「今日の練習はお客さんがいるんだ。しかも、学園きっての美人が二人。気合いが入るよな」


 わたしは亜美先輩の手前、恐縮してしまった。でも、亜美先輩は平然として、怒るどころか同意してみせた。


「そうだね。今年の一年はかわいい子が多いよ。寧々もかわいいし」


 わたしと小夜子は、部室の隅の丸椅子に並んで腰掛けた。


 数日前までロックという音楽をまともに聴いたこともなかったのに、今こうして軽音部の練習を見学させてもらっている。不思議な巡り合わせだ。


「でも、今日もまた夜更かしだな。予習とか課題とか多くて、終わらないよね」

「鈴蘭、ごめんね。わたしのわがままに付き合わせちゃって」

「あ、ううん、平気。わたしも見学してみたかったし」

「だったらいいんだけど。でも、課題の多さはすごいよね」


「みんなSNSでうまく情報交換してるでしょ? わたし、あれできなくて」

「鈴蘭、スマホじゃないケータイだもんね」

「必死でメールだけ覚えたの。それ以外、ほんとにできないの」

「メールだけって、むしろ珍しくない?」


「子どものころにおばあちゃんから叩き込まれて、それっきり進歩できてないんですー」

「スマホやパソコンのほうが簡単だと思うけどな」


 楽器が音出しを始めると、かなりの音量だった。小夜子との会話もままならない。音の大きさに慣れるまでに、しばらくかかった。


 ドアが開いた。煥先輩だ。


 銀髪の姿がのぞいた途端、小夜子が椅子から立った。口元を押さえて、みるみるうちに赤くなる。


 煥先輩はドアを閉めながらこっちを見て、げんそうな顔をした。文徳先輩がギターをスタンドに立てた。ほかのメンバーも音を止める。


 文徳先輩がわたしに目配せした。わたしは小夜子の背中を押すけれど、小夜子は固まっている。しょうがないから、わたしは小夜子の手を引っ張って、煥先輩のところへ連れていった。


「煥先輩、紹介します。この子は、同じクラスの玉宮小夜子。瑪都流のファンで、煥先輩の大ファンだそうです」

「す、鈴蘭っ」

「ほんとのことでしょ?」


「で、でも、本人の前でそんな……」

「はい頑張って!」


 わたしは小夜子を煥先輩の真正面に押し出した。小夜子がチラッと振り返る。真っ赤な顔で、うるうるの目。盛大に、恋する乙女しちゃってる。


 小夜子が煥先輩に向き直った。


「お、お会いするのは初めてですね。勝手に一方的に、見つめてたんですけれども。わ、わたし、玉宮小夜子ですっ。高一で、十五歳で、えっと……か、彼氏はいませんっ。一人もいないです、いたことないです!」


 ヒュウ、と雄先輩が口笛を吹いた。牛富先輩が声を殺して笑っている。


 煥先輩が、見せたことのない表情をした。眉根を寄せて目をパチパチさせて、中途半端に口を開いたまま、顔がだんだん赤くなってくる。明らかに困っている。


「ど、どうして、オレなんか……」


 煥先輩、その質問、地雷です。

 小夜子が煥先輩に詰め寄った。


「駅前でのライヴ、ステキでした! 煥さんの声、一瞬で好きになりました。煥さんの姿にも、一瞬で惹かれました。もう、カッコよすぎます! 大好きです!」


 小夜子は勢いよく言い切った。言った後で、バッと口を覆った。悲鳴をあげてわたしに抱き付く。


「ちょっと、小夜子?」

「きゃぁぁぁ、勢い余りすぎたよぉぉぉ!」

「今の、事故?」


 小夜子がガクガクうなずく。瑪都流のメンバーが笑い出した。煥先輩だけ、真っ赤な顔で取り残されている。


 煥先輩はわたしと目が合うと、そっぽを向いた。小夜子のサラサラの髪は、とてもいい香りがした。



***



 そういうわけで、本格的に練習を始めるまでに時間がかかった。


 牛富先輩はしばらく笑い転げていたし、文徳先輩は煥先輩をからかい続けていたし、ブログ担当の雄先輩はスマホにメモを取っていたし。


 最終的に、亜美先輩が男四人を取りまとめた。「いい加減にしな」ってしっして、頭を抱える煥先輩をマイクの前に立たせて、とりあえず事態収束。


「ほら、さっさと練習始める! 昨日のライヴの反省点、覚えてるよね? 一つずつ潰していくよ!」


 ライヴの反省点は、活動記録のブログとは別の、鍵のかかったブログで共有しているんだって。いくつかの項目を確認し合ううちに、みんなの表情が引き締まってくる。


 亜美先輩と牛富先輩が、提案されたリズムフレーズを合わせてみる。文徳先輩が雄先輩のシンセサイザーの音色に指示を出す。煥先輩はイヤフォンを付けて目を閉じて、歌の世界に入っていく。


 しばらくそんな時間が流れた。それぞれの楽器が自分の音色を確かめながら、次第にゆるゆると、誰からともなく歩み寄っていく。


 煥先輩がイヤフォンを外した。アイコンタクトが飛び交った。文徳先輩がキャッチ―なフレーズを弾き始めて、それが合図だった。


 曲が始まった。


 瑪都流の結成当時から演奏してきた、と昨日のライヴで聞いた曲だ。文徳先輩が初めて作曲して、煥先輩が初めて詞を書いた思い出のうただという。


 ギリギリのところで揺れる心そのものみたいな、攻撃的で繊細で泥だらけでキラキラした、アップテンポのロック。


 生のドラムが全身にビリビリと響く。高音質のシンセサイザーがまばゆい音色を放つ。昨日のストリートライヴでは聴けなかった二つの楽器の叫びを、わたしは初めて体感している。


 密閉された部屋の中では、音が空に吸い込まれる野外とは、すべての楽器の響き方が全然違う。ベースの存在感は太くて、おなかの底を揺さぶられる。ギターの高鳴りは、生き物のほうこうみたいに躍動的だ。


 何より、煥先輩の声に圧倒された。同じ狭い空間でその声を聴けるのは、この上ないぜいたくだ。


 透明感と野性味が重なり合う声だ。硬質で、だけどしなやかで。十分に低くて、でも少年的で。美しいという一言でくくってしまうのは、なんだか違う。尖った何かを秘めた、独特の気品と気迫が、聴く人の胸にまっすぐに突き刺さって、そして柔らかく染み入ってくる。


 小夜子は煥先輩だけを見つめている。煥先輩は、どこでもないどこかを向いている。ひねくれた優しさを歌う正直なまなざしは、銀色の前髪に隠れがちだ。その前髪にいつしか宿った汗のしずくが、ふとした瞬間、キラリと弾ける。


 瑪都流バァトルの意味をライヴのMCで聞いた。バァトルとは、勇者だ。ユーラシア大陸に伝わる古い言葉らしい。


 その昔、バァトルの称号を贈るのには、敵も味方もなかったという。バァトルは勝者に限らない。誰よりも強く誇り高く、命を懸けて戦う者こそが、勇者と呼ばれるにふさわしい。


 瑪都流の面々は、何曲か続けて、通しで練習した。その後、それぞれ自分のパートを練習し始める。


 あれをやろうこれをやろうっていう指示があるわけじゃなかった。同じリズムで、暗黙の了解で、全員が動いている。


 文徳先輩がギターケースから一冊のファイルを取り出して、それを手に、わたしたちのところへ来た。


「退屈してない?」

「そんなことないです」


 文徳先輩はわたしにファイルを手渡した。


「これ、煥が書いた詞。読んでやってよ」


 わたしと小夜子は目を見合わせて、ルーズリーフがじられたファイルを開いた。


 煥先輩の書く字を初めて見た。キレイな字とはいえない。ちょっと幼い印象だ。でも、一字一字、丁寧に刻み込むように書かれている。


 綴じられた中でいちばん上にあるのは、新曲の歌詞だった。タイトルは『(仮)ディア・ブルームーン』が二重線で消されて、『ビターナイトメッセージ』という決定版が書き添えられている。


 文徳先輩が詞の一ヶ所を指差した。サビの終わりのほうだ。


「青い月のフレーズ、ここがなかなか決まらなかったんだ。流れ星とか、天の川とか、ダークマターとか、煥もいろいろ試してたんだけど」


 青い月よ 消えないで

 この胸の叫びは飼い慣らせないから


 十六日のライヴでは、二回披露した。わたしは合計四回、聴いたことになることになる。印象的なサビはもう覚えていた。


 口ずさんでみたとき、小夜子と声が重なった。小夜子も覚えているんだ。

 文徳先輩がニッコリした。


「女の子の声で聴くと、やっぱり違うね。華やかになるよな」


 小夜子は首を左右に振った。


「煥さんの声じゃなきゃダメです。青い月って、あの切ない声が忘れられません。月を探すみたいに、空を見て歌ってましたよね。その姿も、涙が出そうなくらいステキでした」


 小夜子の黒い瞳に光が躍っている。

 そのとき突然。


「おい、兄貴! 何で勝手にそのファイル見せてんだよ!」


 煥先輩が乱入して、素早くファイルを奪い取った。


 小夜子がフラッとよろめいたから、わたしは慌てて抱き留めた。煥先輩が近すぎて窒息しかけたみたい。お願い、これくらいで気絶しないで。


 文徳先輩が煥先輩をつかまえた。


「詞を読んでもらってるんだよ。おまえの詞も瑪都流の売りなんだから」

「音源になってるか印刷されてるか、そのどっちかだったら別にいい。でも、字を見られるのはイヤだ」

「直筆のほうが伝わるものもあると思うぞ?」

「だからイヤなんだよ!」


 煥先輩はファイルを離そうとしない。文徳先輩はガシッと煥先輩を羽交い締めにして、いたずらっ子の表情で笑った。


「おまえ、細いな。さすがにこの体勢だと、おれのほうが優勢だろ。純粋な腕力だけなら、おれのほうが強いしな」

「離せ!」


「直筆の詞を読んでもらうくらい、いいだろ? たまにはファンサービスしろよ」

「ふざけんなって!」


「おーい、牛富、雄。ちょっと手伝え」

「手伝うって……おいこら、くすぐるな!」


 カッコいいロックバンドのはずが、男子四人、ぎゃーぎゃー騒いで暴れ出す。運動神経ばつぐんの煥先輩も、ケンカ慣れした三人から寄ってたかってくすぐられると、どうしようもないらしい。


 すかさず歌詞のファイルを奪い取ってきた亜美先輩が、わたしたちのそばで肩をすくめた。


「しょっちゅう、あんな調子。まるで小学生でしょ?」

「煥先輩、大丈夫なんですか? 本気で嫌がってません?」

「気にしなくていいよ。煥は文徳以外の人間に触れられるのを極端に嫌うけど、たまには、あれくらいのショック療法も必要でしょ」


 ショック療法という言葉が痛々しい。親しい幼なじみの雄先輩や牛富先輩でさえ、煥先輩は自分から接触しようとしないんだ。


 わたしと同じことを思ったみたいで、小夜子は眉を曇らせた。


「煥さんって、壊れやすそうです」


 亜美先輩は遠い目をした。


「壊れかけてたことがあるんだよ。小学生のころ、家庭の事情が難しくなって」


 家庭の事情って、ご両親が亡くなったことだろう。


「煥先輩、寂しかったんでしょうか」

「寂しがってた。心のバランスが崩れて、自分のチカラを調整できなくて、友達にケガをさせちゃったんだ。しかも、あの髪と目の色でしょ? 悪魔って呼ばれて嫌われて、あいつはそれ以来、笑わなくなった。人に触れられるのもダメ。集団生活も無理」


「悪魔? 今でも煥先輩がそう呼ばれることがあるのって、そのころからのあだ名なんですか?」

「たぶんね。由来を知ってる人は、ほとんどいない。カッコいい称号だなんて言われてるけど、煥は微塵もそう思ってないだろうね。本来の煥は、ああじゃなかった。百八十度、変わっちゃったんだ」


 瑪都流が瑪都流である理由がわかった気がした。煥先輩の書く詞がヒリヒリ痛い理由も、文徳先輩と煥先輩の結び付きが強い理由も。


 大切なんだ。守りたいんだ。そのために強くあろうと、それぞれが思っているんだ。

 亜美先輩が大きく伸びをした。


「さーって。そろそろ練習再開しようかな。歌詞は読んでていいからね」

「はい」


「こらこら、あんたたち! ふざけるのも、ほどほどにしなよ? まったく、十年前と、やってること変わらないよね」


 亜美先輩は牛富先輩と雄先輩の背中を叩いて、文徳先輩の脇腹を突いた。煥先輩が文徳先輩の拘束から、やっと逃げ出す。


 小夜子が真っ赤な頬を手のひらで覆った。


「どうしよう、鈴蘭。わたし、泣きそう。煥さんがカッコよくて切なくてかわいくて。胸がドキドキしすぎて、困る」


 わかるよ。と、わたしは言おうとした。

 言えなかった。


 わたしが煥先輩に惹かれてしまっては、いけない。

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