「狂ってる……」
初めてこの屋上で話したとき、長江先輩が問題提起してみせた。ツルギは何のためにあるのか?
それは、殺すためだ。ツルギは人を殺すための武器。四獣珠がツルギに姿を変えたのもそう、違反者を殺すという役割を果たすためだ。
小夜子のツルギが振り下ろされる。間合いなんて関係ない。太刀筋が生む衝撃波がまっすぐ飛んでくる。
海牙さんがわたしを抱えて跳んだ。長江先輩は転がってよけた。
第二波が来る。長江先輩の脚に衝撃波が触れた。
「痛てッ!」
制服が裂けた。じわりと赤がにじむ。
「長江先輩!?」
「電気ショックって感じ。バチッと来た」
長江先輩が立ち上がろうとする。痛みをこらえる顔。
小夜子が笑った。
「楽にしてあげる」
長大なツルギが振り下ろされる。稲妻のようにきらめく衝撃波が走る。
海牙さんがわたしを放り出した。長江先輩のほうへ駆け付けようとした。
長江先輩が右腕を正面に掲げた。違う。朱獣珠が引っ張って右腕を導いた。衝撃波が長江先輩を呑み込む寸前、朱いツルギが夜気を
刃がまばゆく朱く燃える。炎が躍り出て、衝撃波と炎がぶつかり合って、はじけた。長江先輩が呆然と手元を見る。
「え、何これ? 自分の属性の元素、使えちゃうわけ?」
朱獣珠にチカラを授けた聖獣は、朱雀だ。炎をまとう
小夜子がふわりと宙を舞う。掲げたツルギが月光を吸って輝いて、次の瞬間、振り下ろされる光の軌跡が牙を剥いて飛んでくる。
長江先輩がツルギを正面に構えた。切っ先から熱波が噴き出す。月光の衝撃波を相殺する。
わたしの手の中で、青獣珠が呼んでいる。自分にもチカラがあるのだ、と。わたしは青獣珠の声に従う。頭にイメージが流れ込む。春の風に、花びらが吹雪く。
木の属性を持って春を司る青龍の意志が、無力なわたしにチカラを授ける。
小夜子がツルギを振りかぶった。振り下ろす。衝撃波と炎が、呑み込み合って消える。
わたしはツルギを掲げた。渦巻く風が起こる。風を小夜子に叩き付ける。風に舞う花びらが小夜子の視界を
海牙さんが髪を掻きむしった。
「意味がわからない! 大気中の分子運動が突然活発化するとか限定的な乱気流を発生させるとか花弁様のプリズムを意図的に作り出すとか、物理学の常識を何だと思ってるんですか!」
「あ~、そのへん考えちゃ負けだよ」
「ええ、考えません。体だけ動かします!」
海牙さんがコンクリートの床を蹴った。計算された無駄のない動き。黒いツルギで、小夜子に斬り掛かる。
キィン、と甲高い音が鳴った。ツルギが打ち合わされる。突進のエネルギーを乗せた海牙さんの剣撃を、小夜子は長大なツルギであっさりと受け止めて、はじき返した。
小夜子の全身が光と風を発した。花びらの目隠しが吹き飛ばされる。
宙返りして降り立った海牙さんが、再び攻撃する。腕の動きが見えないほどのスピード。キィン、とツルギが鳴る。海牙さんのツルギは小夜子に阻まれる。
「無駄よ、玄武。わたしを傷付けようだなんて」
「まだ本気を出してないんですけどね」
電光石火の連続攻撃。金属が打ち合わされる音が続く。短いツルギを振り回す海牙さんの素早さは、まだ理解できる。でも、小夜子の速さは異常だ。
「奇遇ね。本気を出してないのはわたしも同じよ」
小夜子を中心に、ぶわりと空気が膨れ上がった。
悪寒。イヤな予感が背筋を駆け抜ける。それが起こるより一瞬早く、異変を察した海牙さんが跳び離れた。
無音で空気が爆発した。無傷の小夜子を起点として、爆風が放射される。
とっさに突き出したツルギが、わたしの前に防護壁を作った。嵐の中の大木のウロのような空間。
爆風が収まる。体のあちこちが痛い。小さな切り傷から血が流れている。
伏せていた長江先輩が顔を上げた。
「かまいたち的な何か、かな?」
長江先輩の頬にも額にも傷がある。転がって受け身を取った海牙さんはもっとひどい。
小夜子が本気を出せば、わたしたちを殺すなんて、きっと一瞬でできる。だけど、小夜子はそれをしない。小夜子の顔に笑みがある。満月がその美貌を照らし出す。
長江先輩が海牙さんに駆け寄る。
「海ちゃん、大丈夫?」
「折れている箇所はありません。まだ動けます」
「折れてないだけで満身創痍ってわけね」
小夜子がツルギを振り上げて、振り下ろした。衝撃波が長江先輩と海牙さんを襲う。朱いツルギの熱波が衝撃波をはじく。
「煥くんの
「相殺すんのミスったら死ぬよね」
乱発される衝撃波。防御壁ではない熱波では、一撃ごとに心臓が縮み上がる思いだ。長江先輩が肩で息をしている。
小夜子の笑顔が怖い。ときおりクスクスと声を漏らしながら、楽しそうにツルギを操っている。
「狂ってる……」
わたしはツルギを構える。振りかぶって、宙を
小夜子は動かなかった。振り払いもしなかった。小夜子の全身に浅い傷が走る。小夜子はうっとりと笑う。
「痛い。体があるから、傷が痛い。痛みは、生きている証拠ね。死なないために生きてもいない存在だったわたしが、そのチカラを手放した。痛みこそがその証拠」
小夜子がわたしを見る。漆黒のまなざしが、わたしに微笑みかける。
一瞬、呼吸が詰まった。そして呼吸が再開する。わたしのリズムとは違う呼吸が。小夜子だ、と感じた。小夜子の呼吸に同期させられている。
ピシピシと、全身に小さな痛みが走った。皮膚が裂けて血が流れ出す。
小夜子を見る。今、加えたはずの傷が消えている。
「痛みと傷を、移された?」
わたしの
「青龍、おびえている顔ね。わたしが怖い? 満月の夜は特別なのよ。月聖珠が最も正しく姿を現す夜。わたしにはチカラが満ちている。知ってる? 月は
小夜子がツルギを振り上げる。一気に終わらせないのは、いたぶることを楽しんでいるから。
夜空に懸かる満月。あの巨大な球体が、小夜子の宝珠。ツルギの柄頭できらめく四獣珠とは、桁が違う。
衝撃波が襲ってきて、長江先輩とわたしは防ぐことしかできない。
海牙さんが飛び出していく。一合、二合。剣を交わして、はじき飛ばされる。その手からツルギがこぼれ落ちた。
小夜子がクスクスと笑った。
「いいことを思い付いた。先に四獣珠のほうを壊すの。預かり手はチカラを失う。あなたたち、本当に何もできなくなるわ」
小夜子がふわりと宙を滑る。玄獣珠のツルギのそばに降り立つ。
海牙さんはふらつきながら起き上がって、駆けた。低く跳んで、玄獣珠に手を伸ばす。
ツルギをつかんだ海牙さんの手を、小夜子が踏み付けた。
「チカラ、嫌っているんじゃないの? 玄獣珠はあなたのストレス源でしょう? いらないんじゃない?」
海牙さんは強がるように笑った。
「あなたに心配される筋合いはありませんよ」
「壊してあげるって言ってるのに」
「足をどけてもらえませんか」
小夜子は言葉を受け入れた。足を上げて、次の瞬間、海牙さんを蹴り飛ばした。小夜子は笑いながら、ふわりと跳び上がる。
「やっぱり両方ね。四獣珠も壊すし、預かり手も殺す。安心して。長い時間、苦しませたりはしないから。月が沈むまでのうちに片付けてあげる」
満月が沈むのは早朝五時ごろのはず。そのギリギリまで、もてあそぶつもり?
恐怖にとらわれそうになっている。預かり手の役割を果たせるとも思えない。青獣珠だっておびえている。奇跡の宝珠であっても、破壊の幻覚が怖いんだ。
海牙さんは立ち上がれない。長江先輩が海牙さんを背中にかばって、必死の表情でわたしを呼んだ。
「鈴蘭ちゃん、チカラ使って! 海ちゃんの傷を治してやってよ!」
わたしはうなずく。怖いけど、わたしにできることを放棄したくない。
青い光に念じる。海牙さんに触れて、呼吸のリズムを知って、痛みを吸い出す。
「…………ッ!」
経験したことのない激痛に、声も出ない。骨が焼け付くほどに痛む。傷めた関節がズキズキと拍動する。
長江先輩の熱波が小夜子の衝撃波を撃ち落とす。朱獣珠から漏れ出る炎で、空気が熱い。
相殺しきれなかった衝撃波が吹き抜けた。長江先輩がくぐもった悲鳴をこぼす。でも、ひざを屈しない。
「女の子とケンカなんてね~。姉貴に知られたら、殴られるわ」
長江先輩は冗談さえ口ずさんでみせた。
小夜子が小首をかしげて微笑んだ。ワンピースのすそが可憐になびいた。
「朱雀のその余裕、いつまで続くかしら?」
ほっそりとした腕が、不釣合いに長大なツルギを正面に突き出した。切っ先から光線がほとばしる。
単発の衝撃波じゃなくて、切れ目のない光線だ。
熱波が迎え撃つ。出力し続ける。じりじりと押される。
海牙さんが、まだ傷のふさがらない体を起こした。
「十分です。ありがとう」
わたしは息を吐き出した。痛みの残像で、めまいがする。チカラを使った全身から体温が奪われて、だるい。
長江先輩がうめいた。
「これヤバい。二人とも早く逃げて」
長江先輩の体が震えている。ずいぶん消耗していることに、今、気付いた。チカラを使い続けている。疲れていて当然だ。
「長江先輩……」
「遊ばれてるよ。パワーが違う」
わたしはツルギの柄を握りしめた。何かしないと。どうにかしないと。
海牙さんが長江先輩の腰をつかんで、わたしに目配せした。
「逃げますよ」
わたしはうなずいた。全速力で走る。
海牙さんは逆方向へ、長江先輩を小脇に抱えて跳ぶ。
わたしたちの背後をエネルギーが吹き抜けた。熱波を呑み込んだ光線がフェンスに穴を開けた。
小夜子がツルギを下ろした。怖くて不気味で狂気的な姿は、だけど美しかった。乱れても汚れてもいない長い黒髪と白い肌。口元には清楚な微笑みをたたえている。月の輝きがツルギに映り込んでいる。
次はどうなる? 誰が攻撃される? わたしは小さなツルギにすがって身構える。
そのときだった。
小夜子の動きが止まった。後ろから抱き止められている。笑顔が驚きに固まる。
銀色の髪が、黒髪に交じるように揺れた。
「どうして、
煥先輩が、後ろから小夜子を抱きしめていた。金色の
「趣味の悪ぃ遊びはやめろ」
ささやく声は、命を持つクリスタルの結晶。澄んで尖って貴い、魔法のような響き。
煥先輩は覆いかぶさるように小夜子を抱いて、小夜子の耳元に口を寄せるように、顔を伏せている。
甘いシーンなんかじゃないのに、わたしは立ち尽くして声を失った。
「煥さん、放してください。わたしは……」
「やめろ。わがままも狂ったふりも、いい加減にしろよ」
「放して」
「振りほどけばいいだろ。力、全然入ってねぇんだから」
低めた声は、苦痛をこらえるためだ。すがるような抱き方は、力が入らないから。煥先輩を拘束する金色の靄は拍動するように輝いて、煥先輩を
「煥さん、どうして動けるの? 術は解いていないのに」
「踏んだ場数が違うんだよ。銀髪の悪魔をナメんな。目の前のケンカ、黙って見てられるか」
「放してください。動いたら痛むはずです」
「痛ぇよ。手足がちぎれそうに痛い。でも、放すもんか。月が沈むまで、ずっとこうしててやる」
小夜子は煥先輩に危害を加えられない。だから、煥先輩が小夜子を抑えるのは正しい。戦術として正しい。
でも、わたしの胸は痛んだ。煥先輩が小夜子を抱きしめるなんて。
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