New Name:新しい名前

「やっぱり私にはコレが一番似合うと思うの」


 そう言ってジッパーは姿見の前に立った。

 黒いタイツに黒いレースアップの厚底パンプス、パニエで膨らませた膝上丈の黒いワンピースは、たっぷりとした金糸の混ざったレースが豪華だ。

 レースの付いたタートルの首元には青紫のリボン。その結び目部分には真紅の宝石が光っている。

 トランペット・スリーブの袖口も金糸の混ざったレースが美しい。

 黒く長い髪はそのままに、黒と青紫を基調としたヘッドドレスを付け、どう? と振り返る。

 その姿にヴェルダンテはかわいいですよ、と笑んだ。


 あれから十年が経ち、あれから十回目の秋祭りの日を迎えていた。

 だが、ジッパーの姿は相変わらず幼いままだった。


「でもコレだとあんまり仮装って感じじゃないのよねぇ。普段とそんなに変わらないし」

「ではコレでどうでしょう?」

 ヴェルダンテが指を鳴らすと、ヘッドドレスがレースのうさぎ耳の付いたボンネットハットに変わり、髪も裾部分が縦巻きのカールに変わった。

「……耳にあまり良い思い出がないんだけど……ま、こっちの方が仮装っぽいわね」

 帽子のつばを両手で持ち、姿見の前で正面や横を向いたりしながら、ジッパーはそう感想を述べた。

「では、私も着替えましょうかね」

 ヴェルダンテはそう言って帽子を被る仕草をすると、シルクハットが現れ、片眼鏡モノクルを掛ける仕草をすればそこに装飾の施された金縁の片眼鏡が現れた。

「チェーンも必要ですね」

 そう言うと、金色のチェーンが片眼鏡に付く。

 青紫の蝶ネクタイを締める間に服装は黒のタキシードになり、右手を横に差し出すとそこにステッキが現れる。

 その持ち手部分は金色のただの丸みを帯びたフォルムだったが、少し悩む様子を見せてからステッキを振ると、うさぎの頭に変わった。

 ジッパーの後ろから姿見を覗いたヴェルダンテは、おっと、と呟いて軽く帽子を持ち上げた。

 長い銀の髪が黒いリボンで一つに束ねられるのを確認し、帽子を被り直した。

「こんなものですかね?」

 ヴェルダンテは鏡に映ったジッパーに問うと、鏡の中でジッパーはウインクした。

 するとタキシードの上に外套マントが現れた。

「これで完璧!」

 ヴェルダンテは微笑むジッパーの横に立ち、背筋を伸ばして手を差し出した。

「では、行きましょうか」

「ええ」

 差し出された手のひらに手を乗せ、手を繋いだ二人は家を出、祭りで賑わう街へと繰り出した。


***


「本当にそれで……」

「いいの! やっぱり目的は必要だし、ルールも必要よ。どこかで線を引かなきゃ、また同じことの繰り返しになってしまうと思わない?」

「……そうですね。では、十年でどうでしょう?」

「いいわ。いろいろ試してみましょ」

 十年前、解魔屋を二人で続ける、と決めた二人は、今後について幾つか目的とルールを決めた。


 まず最初に決めたのは、二人のような魔法の才能と素質を持った人を探すこと。

 そして、その人物を見つけたら、全てを受け継がせ、二人はそこで人生を終えること。

 それを最終目的にした。


 見つけるまではなるべく植物から命を得ること。

 同時に別の魔法を研究すること。

 解魔屋は移動式にして、旅をしながら魔法を解くこと。


 そして。

 秋の祭りだけは毎年参加すること。

 決意を忘れないために。


 それから、十年という期間を区切った。

 ヴェルダンテは今まで名前を変えてきた。

 それは長く生きるための魔法をかける際、契約が必要だったからだ。

 それに、ずっと同じ名前の魔法使いが存在することが世間に知られるのは、何かと不都合があったからだ。

 最初の魔法使いでも三百年しか存在しなかったし、長く生きる魔法があると知られるのもあまり良いことではない。

 だから、そろそろヴェルダンテもジッパーも名を変える必要があった。


 いつ変えるか。

 

 それを十年後と決めたのだ。

 変えた後のことは、変えた時に決める、と約束して。


***


「やっぱりそう簡単には見つからないわね」


 百年前と変わらない秋の祭り。

 様々な仮装をした人々で活気に溢れている。

 ただ、ここ最近になって仮面を付ける人は減った。

 この祭りでしか仮面を必要としないため、職人が減ったというのもある。

 だが、一番の理由は昔は人と獣人族の区別を曖昧にするためだった。

 今はもう人であるとか獣人族であるといったことを気にする人はいない。


「思ったのだけど、探すのは人でなくても良いかもしれないわね」

「私もそう思い始めていました」


 魔法の才能と素質を持つ人を探す旅についてである。

 多少の才能と素質を持つ人は五万といる。

 だが、二人のように並外れた才能と素質を持つ人は稀だ。


「時代と共に魔法使いの姿も変わるべきですね」

「なんだかそれって私達が古臭いみたいな言い方ね」

「そうは言っていませんよ。ただ、この祭りだって時代と共に変わっています。本来の意味を大切にしつつ、時代に合わせて変わる必要が……」

 言いかけてヴェルダンテは苦笑した。

「やっぱり古臭いかもしれませんね、私達は」

 笑うヴェルダンテにジッパーは頬を膨らませた。


「ところで、変わると言えば、そろそろ新しい名前を考えなければいけませんね」

 膨らませた頬を萎め、ジッパーは両腕を組んだ。

「そうねぇ。もう十年経つのよね。意外とあっという間ね、十年って」

「長く生きていると、過去は昨日のことのように感じますが、先のことや今のことは他の人と変わりありません。十年と決めた時は長く感じましたが、過ぎてみればやはり短く感じるものですよ」

「……相変わらず面倒な言い回しをするわね。魔法使いって理屈っぽいのよねぇ」

「そういうジッパーも充分魔法使いっぽいですよ」

「そうだとしても、あなたよりはマシだと思うわ。名前だってファルマンとかヴェルダンテなんていう気取った小難しい名前じゃないし」

「ジッパーは私がつけた名ですよ?」

「だから、次は私が決めるわ」

「気に入ってなかったんですか?」

 ヴェルダンテは心外だという風に眉をしかめた。

「長く使ってたから愛着は湧いてるけど、気に入ってはいないわね」

「その告白はもっと早く聞きたかったですね」

「私ってほら、魔法使いにしては謙虚でしょ?」

 笑ってみせるジッパーにヴェルダンテは大袈裟に溜息を吐き、苦笑した。


「それで? 新しい名前はもう決めてるんですか?」

「ええ。ヴェル、あなたは?」

「実は私も決めてあります。気取った小難しいのを」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「では、このまま旅を続けますか?」

「ええ。目的を果たすまでね」


 そこでちょうど街の中心にある時計塔の前に辿り着いた。

 そこには秋の収穫を祝うと同時に死者の魂を慰めるための祭壇が組まれている。

 収穫された野菜や果物と色とりどりの花で飾られた祭壇に祈りを捧げる。

 夜にはここで軽快な音楽の演奏と共に花火が上がり、祭りのフィナーレを飾るのだ。


「じゃあ花火を見ながら名前を変えましょ」

 ジッパーの提案にヴェルダンテはいいですね、と同意した。

 だが日は高く、夜までまだしばらく時間がある。

「その前にこの祭りは死者の魂を慰める意図もあります。祈りを」

「ええ、もちろんよ」

 二人は神妙な顔で祭壇を見つめた。

 二人が長く生きているのは、誰かの命の犠牲があってこそだ。

 この祭りに毎年参加する一番の理由は、このためでもある。


 ヴェルダンテは長い人生の中で、死者の魂などこの世に存在しない、という結論に達した。

 この祭りは死者のために在るのではなく、生きている者のために在るのだと思っている。

 死んだらそれで終わりなんて、生きている者には辛いことだから。

 せめて見えなくとも、生前の思い出の中に魂を感じることができたなら。

 そう願っての祭りだ。

 魔法使いだけではない。

 人は常にエゴの塊だ。


 死者の魂は信じていないし、存在も証明できていない。

 そんなヴェルダンテでも、ジッパーと共に過ごしているうちに、鎮魂の意を表したいと思うようになった。

 死者が何かを感じるとは思えないが、それでも犠牲にした命の上に生きていることを感謝し、無駄にはしないと誓う儀式は自分のために必要だと考えるようになった。


 二人並んで祭壇の前で祈りを捧げる。

 胸の前で手を組み、目を閉じ、軽く頭を垂れる。


 そんな二人の様子を見た周囲の人々も徐々に祭壇に集まり、静かに祈りを捧げた。


***


「もうすぐね」

 日が沈み、辺りは暗くなったが、この日だけは灯り屋は休業する。

 花火が一番綺麗に見えるように、街灯に灯りを入れないのだ。

 だが、完全に休業という訳ではなく、花火を上げるのは灯り屋の役目だ。

 いつもは白い服を着ているが、この日だけは黒い服に黒い頭巾を被り、さらには黒いゴーグルと黒い手袋まで嵌めて花火を打ち上げる。

「あ! 始まったわ!」

 空に向けられたジッパーの目が輝く。

 その黒い瞳に、大きく腹にまで響くような音と共に花火が美しく咲く。

「綺麗ですね」

 ヴェルダンテも思わず感想を漏らす。


 色とりどりの花火が次々と夜空に花を咲かせる。

 思わず見入っていた二人だったが、顔を見合わせて微笑むと、同時に口を開いた。


 新しい名を言い合ったが、花火の音にかき消される。

 それでも互いに何を言ったのか、口の動きで分かってしまい、思わず笑い出した。


「同じ名は使わないんじゃなかったの?」

 意地悪く笑うジッパーに、ヴェルダンテも意地悪い笑みを浮かべる。

「発想は同じでしょう?」

 それを言われるとジッパーも返す言葉を失う。


「魔法使いにとって一番使ってはいけない名ですが、原点回帰ということで」

 原点回帰。

 本当の最初の名前、つまり親からもらった名前はとうに忘れた。

 だからこれは魔法使いとして使った最初の名前で、二度と使わないと決めていた名前だ。

「そうね。これが最後の名前だと思うと、やっぱりここに落ち着く気がするわ」


 最後の名前。


 ジッパーのその言葉に、ヴェルダンテは一瞬胸を捕まれたような思いがした。

 外見を大人に変えずにいるのも、恐らく覚悟の表れなのだと気づく。

 かわいいドレスに慣れたから、と本人は言っていたが、それが本心ではないことは分かっていた。

 思っていたよりもずっと大人に成長している姿に、何度もハッとさせられている。

 百年という月日は彼女にとってとても過酷だったに違いない。

 そして、少女が立派な大人になるには充分すぎる時間だ。

 それをつい失念し、変化に戸惑う自分に驚きを隠せない。


 時間とは時々恐ろしく感じるものですね。


 心の中でそう感想を漏らす。

 それはジッパーの変化もそうだが、自身の考え方の変化にも言えることだった。


「……そろそろ街を出ますか」

「待って。せっかくだもの。もう少し花火を見て行きましょ。時間はあるでしょ?」

 手を引かれ、ヴェルダンテはそこから伝わる温もりに愛おしさを感じた。

「……そうですね」


 見上げた暗い夜空には、美しい花火が次々と打ち上がる。

 その光景はまるで、ジッパーに会った時の衝撃に似ていた。


 ヴェルダンテはいつか自分は孤独に消えていくのだと思っていた。

 けれど今はいつか二人の跡を継ぐ魔法使いを見つけ、この旅の終わりが来ても、独りではないと言える。

 それがとても心地の良いことだと知った。


 独りではない。

 それは温かく柔らかで優しくつよいこと。


「綺麗ね」


 ジッパーは何度もそう呟いた。

 そしてその度にヴェルダンテが頷いてくれる。


 この十年、秋の祭りでこの花火を見上げる度、いつか来る終わりのことを考えていた。

 魔法を解いた時、既に覚悟はできていたはずだったが、花火を見る度にその決意は揺らぐ。

 魔法使いが見つからずに、このままずっとこうして花火を見上げていられたら、と。


 御伽噺の終わりのように、いつまでも幸せにずっとこのままでいられたら。


 そう思う自分をヴェルダンテに知られないように、つい「綺麗ね」と呟いてしまう。

 それにヴェルダンテが、ずっとこのままで、という気持ちに頷いてくれているように感じてしまうのだ。

 それがただの願望にすぎないと分かっているのに。


「綺麗ね」

「そうですね」


 その会話を幾度となく繰り返しながら、花火が終わるまで二人はずっと手を繋いだまま空を見上げていた。


***


 時は流れ――――


 薄暗く入り組んだ迷路のような路地裏を奥へ奥へと進むと、ようやく淡いあおいランプの灯る小さな店が見えてきた。

「解魔屋『Zゼット』……ここ、か?」

 扉を開けるとそこは優雅なお茶会の最中だった。


 天井から黒いシャンデリアが下がり、その下には丸いアンティークなテーブルセット。

 テーブルの上にはアフタヌーンティーが用意され、これまたアンティークなティーセットで、人形のような全身真っ黒な少女と銀髪の執事風の青年が仲良くお茶を飲んでいる。

 その二人の視線は扉を開けた私に向けられていた。


「……何か用?」

 少女が問うと、青年が持っていたティーカップを置き、私の前まで来ると丁寧にお辞儀をした。

「解魔屋『Z』にようこそ。依頼状はお持ちですか?」


 一瞬間違えたと思ったが、青年の言葉で合っているのだと分かった。

 分かったが、本当にここが解魔屋なのか、という疑問は消えない。

 大丈夫か、ここ?


 おずおずと依頼状を差し出すが、青年はそれを受け取らずにじっと私を見つめた。

 かけられた魔法が分かるのか。

 深い紫の瞳を細め、しばらく見つめてから、心底驚いた表情で少女を振り返った。


「ジル! 見つけましたよ!」

 その言葉に少女は何を? という表情を見せたが、すぐに目と口を大きく開け、かなり驚いた表情へと変わる。

「ゾルディアス……まさか!」

「ええ、そのまさかです! 向こうからやって来るなんて!」

 な、なんだ?

 話は見えないが、不穏な空気ははっきりと感じ取れるぞ。

 一歩後ずさる。


 が、背後で扉が勝手に閉まった。

 閉まった扉と二人を交互に見やる。


 ピンチ、だ。


「私はゾルディアス、こちらはジルと申します。あなた、魔法使いになる気はありませんか?」


 魔法を解いてもらいに来たのに、意外な申し出。

 二人の笑顔が怖い。


 これが私が魔法使いになるきっかけで、そして二人の物語の終わりの始まりだった。



Fin.

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