5.On The Festival Night:祭りの夜に

 キッチンには裏口がある。

 そのドアを開けると、そこは知らない街が広がっていた。


 華やかなドレスを着た人々。

 陽気に歌を歌う人々。

 酒を片手にほろ酔い気分の人々。


 お祭りの陽気な雰囲気に私もすぐに楽しい気分になる。


 が。


 ジルとゾルディアスは黙ったまま私の後ろを並んで歩いていた。

 今朝はあれだけはしゃいでいたジルは今や見る影もない。

 ムスッとした表情で私の背中を睨みつけるようにして歩いている。

 対するゾルディアスは素知らぬ素振りだ。

 まるでジルがいないかのように振る舞っている。

 上がりかけていたテンションもそんな二人の様子に下がるってもんだ。


 この世界の誰よりも年上なのに、この世界の誰よりも子供だ、と思う。

 結局、誰一人衣装を変えることなく、険悪な雰囲気もそのままにお祭りに来た。


 衣装。


 ふと周囲を見回すと、女の人はドレスの人ばかり。

 男の人はゾルディアスのような恰好の人ばかり。


 立ち止まって自分を見る。

 着物を着てるのは私だけだ。

 だからゾルディアスは頑なに変えようとしなかったのか。

 そしてジルは私に合わせて着物っぽいドレスにしてくれたのか。


 ん?


 でもそもそも私のこの衣装を着せたのはゾルディアスだ。

 毎年参加しているなら、こんな衣装だと周りから浮くって分かってたはずだ。

 覚えが悪い弟子への嫌がらせか?

 いや、でもジルならともかく、ゾルディアスはこんな嫌がらせはしない、と思う。

 ゾルディアスの嫌がらせはもっとこう……なんていうか……

 とにかく、こういう感じはジルっぽい。


 でも、浮いてるけど、これを着た時、素敵だなって思った。

 それに最終的には私がこれがいいって選んだわけだから、ゾルディアスに文句を言うのはお門違いってもんだ。


「果実酒はいかが? うちのはマルメロだよ。ちょうど一年漬けてコクがあって美味しいよ!」


 そんなことをぐだぐだ考えていたら、突然見ず知らずのおばさんが琥珀色の液体が入った透明な取っ手のついたデキャンタを手に声を掛けてきた。

 何事かと目をぱちくりすると、ああ、と何かに納得したように頷いた。


「あんた、この街の子じゃないね? このお祭りでは果実酒を振る舞うんだよ。ほとんど全部の家やお店で果実酒か今年採れたものを使った料理を振る舞ってるから、いろいろ食べて飲んで楽しんで行きな」

 そう言って窓辺に置いていたグラスを手に取り、そこに果実酒を注いで私に差し出してくれた。

 ほわん、と甘い香りが鼻をくすぐる。


「あ、でも私まだ子供だからお酒は……」

 受け取ったものの、さすがに子供の私がお酒を飲むのはマズイ、と理性が働く。

「お祭りじゃ皆たくさん飲むからね。キツイ酒はご法度。子供でも飲めるような代物だから安心をし。ほら、お菓子に入ってるお酒程度のもんで、大したことないからさ」

 そこまで言われたら飲まない訳にはいかない。

 意を決して一口、口をつける。

 林檎のような甘くてどこか懐かしい味がした。

 こんな飲み物、初めてだ。

 確かマルメロのお酒って言ってたっけ?


「マルメロって?」

「おや、マルメロを知らないのかい? じゃあカリンは知ってるかい? アレに似た果物だよ。この辺りじゃ風邪の時にもこの酒を飲むんだよ」

 ああ、だからちょっと懐かしい感じがしたんだ。

 カリンは狐の薬でも使うことがある。


「そっちのお嬢ちゃんも飲んでいかないかい?」

 おばさんはジルにも声をかけた。

 ジルは無表情に頷いて、一言も口にせずにおばさんの手からマルメロ酒の入ったグラスを受け取った。

 ゾルディアスは、と姿を探すが人込みに紛れてしまったのか、見渡す範囲には見つからなかった。

 きょろきょろする私の手をふいにジルはむんず、と掴むとおばさんに果実酒のお礼も言わずに足早に人込みへと引き込む。


「私、毎年このお祭りに参加してるの。それにずっとこの街に住んでたの。だから、分かるでしょ? 昔は仮面をつけて参加だったけど、今は仮面までつける人はいないから、魔法で周囲の人は私の顔をはっきりと認識できないようにしてるけど……それでも注意してね。名前も呼ばないで」

「じゃあ、なんて呼べば……?」

「名前を呼ばなくたって会話はできるでしょ。特に彼の名前は間違っても呼ばないで。あまりに有名で変わった名前だから」

「分かった」

 そんな危険を冒しても参加したいお祭りなんだ。

 確かに私の街にはない楽しいお祭りだ。

 仮装してお酒を飲んだり食べたりして。

 それだけでも楽しいのに。


「ねぇ! あれは何?」

 道の先、子供達がたくさん集まって何かを楽しそうに見ていた。

「旅芸人が魔法で不思議なことをするの。あちこちでやってるわ。毎年このお祭りの日を狙って、魔法商店に魔法グッズを売り込みにやって来る人が多いの。こうやって路上パフォーマンスをして宣伝も兼ねているのよ」

 なるほど。

「ちょっと見て行こうよ!」

 そうジルの手を引いたけど、ジルは逆に私の手を強く握って止めた。

 お祭りにはしゃいでたジルなら絶対見たいと思ったのに、その意外な行動に怪訝な表情で振り返ると、ジルは悲しそうに顔を歪めていた。

「……ああいうのは苦手なの。それより、中央広場に行きましょ。祭壇が飾ってあって素敵なの。それにお腹空かない? ルバーブのケーキが美味しいお家があるの」

「ルバーブ?」

ふきの一種ね。あなたには大黄ダイオウって言った方が分かりやすいかしら?」

「大黄? それなら狐の薬に使うから知ってるけど……なんか苦そう……」

「食用の大黄だし、砂糖で煮詰めてジャムにしたものが練り込んであるから、とっても甘くて美味しいのよ」

 こっちよ、と手を引かれる。

 そういえば、手を繋いだままだ。


 さっきの辛そうな表情は消えて、笑顔になっていた。

 なんであんな顔をしたのだろう?

 苦手なのに毎年参加してはしゃぐお祭りってどんなお祭りよ?

 どんな……思い出があるの?

 花火を見る頃までには教えてくれるかなぁ?


***


 ゾルディアスとはぐれたまま、夜を迎えた。


 この祭りは初めてのことだらけだった。

 マルメロ酒もルバーブのケーキも。

 それにザクロ酒も飲んだし、ブドウ酒は少し強いから、とブドウジュースを飲んだ。

 あとはコールラビという蕪のようなキャベツのようなブロッコリーのような、不思議な味のスープを飲んだし、カボチャやサツマイモの料理をたくさん食べた。

 あちこちで火や水が蝶や鳥のように華麗に空を舞うのを見た。


 そして、中央広場の祭壇もジルと手を繋いで見た。


 祭壇、というから台の上に蝋燭とお供え物が並べられている単純なものを想像してた。

 でも、全然違った。

 収穫された野菜や果物はそのままではなく、リースのように編まれたもの、カボチャのようなものは表面に細かい彫刻が施されていたりして、それらが塔のように積まれ、色とりどりのリボンや布を使って飾られていた。


 思わず「わぁ!」と声が上がる。

「素敵でしょ。コレを見せたかったの。でも花火が上がるともっと素敵よ」

 自慢そうにジルが笑顔を見せる。


「ゾ……彼はどこ行ったんですかね?」

 うっかり名前を呼びそうになって慌てて言い直す。

 一緒に見たらもっと素敵。

 そう思ったから。

 それに、こんな喧嘩したまま、こんな素敵なお祭りのフィナーレを見たくない。


「……側にいるわよ」

 ジルが目を細める。

 周囲をきょろきょろと見回してみたけど、ゾルディアスの姿は見つけられない。

 背は高い方だから見つけやすいと思うのだけど。

「どこに?」

 訊くと、ジルは背後を目線で示した。

 振り返って見るけど、やっぱりいない。


 が。


 背後にはジルと歳も背丈も同じくらいの少年がいた。

 そしてその少年をよーく見ると、ゾルディアスのような仮装をしていて、とても気まずそうな顔をしている。

「……あまりジロジロ見ないでください」

 その口調、まさか。

「ゾル……」

 睨まれて慌てて口を押える。

「言っておくけど、ずっと一緒だったわよ。私達の後ろをずーっとついて来てたもの」

 しれっとジルが言う。


 これだから魔法使いっていうのは。


「見て!」

 ジルが私の手を引っ張って空を指さす。

 大きな音と共に夜空に色とりどりの花が咲く。

 一つ、大きな花火が上がって、一呼吸置いて次々と花火が上がり始めた。


 祭壇の塔と花火。


 それはとても幻想的でまるで夢の中にいるような感じだ。

 お腹に響くような花火の轟音と楽しいお祭りに上がったテンション。

 ふわふわした気分がより一層現実感を消し去る。


「祭壇に祈って。このお祭りは秋の収穫を祝うのと死者への鎮魂のお祭りなの。だから、食べ物を与えてもらって生かされる感謝と失われた命への追悼を捧げるの」

 ジルはそう言って繋いでいた手を離し、両手を胸の前で組んだ。

 そして目を閉じ、少し頭を下げて祈りを捧げる。

 振り返ると、ゾルディアスもジルと同じように祈りを捧げていた。

 私もそっと両手を組んで目を閉じた。


 生と死。


 その二つを同時に感じられる祭り。

 だから、二人は毎年参加しているんだ。

 そう納得したけど、理由は他にもあった。


「……私が解魔屋を始めるきっかけがこのお祭りだったの」

 突然ジルがそう教えてくれた。

 目を開けてジルを見る。

 ジルは空を見上げていたけど、その目は空よりももっと高いところを見ているように思えた。


「お祭りの日に成長しなくなって、彼は本に閉じ込められてしまったの。その魔法を解くのに百年以上かかったわ。だからね、このお祭りは特別なの。辛い思い出でもあるけど、良い思い出でもあるから。それにね、魔法が解けた後、このお祭りの日に今の名前に決めたのよ。だから、私達にとって記念日みたいなものなの」


 そうだったんだ。

 そんな大切な話をしてもらえて、私はとても嬉しくて、思わず笑顔になった。

 そして、私も空を見上げる。


 花火が次々に夜空を明るく華やかに彩る。


「一緒に記念日を過ごせて嬉しい。これからは毎年一緒に過ごしてもいい?」


 もちろん。

 そう言ってもらえると思ったのだけど。


「嫌よ」


 え?

 耳を疑った。

 今のこの良い雰囲気だったら、もちろん、でしょ?

 ねぇ! ゾルディアス! と同意を求めて振り返ったけど。


「コハクには少しでも早く一人前の魔法使いになってもらわないといけませんからね。来年は一人で私達を追悼してもらわないと」


 ゾルディアスのその返答に私は「あ」と短く心の中で呟いた。

 私は彼らが死ぬためにいるんだった。

 それを思い出したからだ。


「でもま、来年も半人前だったら一緒に過ごすことになるわねぇ」

 ジルはやれやれ、といった風に溜息と一緒にそう言った。


 さっきまで花火の音が幻想的に響いていたのに、なぜか急に稲妻のように私の中に響いた。


***


 お祭りのふわふわした夢のような雰囲気も、路地裏のドアを開けてキッチンへと戻ると、嗅ぎ慣れた薬草や古書の独特の香りが入り混じった匂いに夢から覚めるように現実に引き戻された。


 仮装の衣装も一瞬でパジャマに変わり、ゾルディアスも少年の姿からいつもの大人の姿へと戻っていた。


 でも、私の中にまだ花火が夜空に咲く時のあの轟音が稲妻として残っていた。


 私が魔法使いとして一人前になったら彼らは死んでしまう。

 だから一人前になることが怖かった。

 子供みたいな偉大なる二人の魔法使いと暮らしているうちに、やっぱり彼らとずっと一緒にいたいと思うし、情も湧く。

 だから一人になるのが怖かった。


 でも。


 彼らの願いを叶えることが彼らを大切に想うことだと分かって、ずっとずっと一緒にいたいというのはただの我儘なんだと知った。

 だって、どんな命も永遠じゃない。

 皆、いつかは大切な人との別れを経験しなくてはいけない。


 どんな魔法も、どんな術も『そういうこと』は禁じられている。

 禁じられているってことは、倫理的な理由だったり自然の摂理だとかそういうことでダメだ、と誰もが思うことだから。

 それに、『そういうこと』は何かしらの代償が必要だから。


 だから。


 彼らと別れる日をちゃんと受け止められるように、ちゃんとお別れできるように。

 それができる一人前の魔法使いになる。

 それが私のこれからの目標で彼らからの最後の宿題。


 こんなに魔法が溢れる世界でも、死んだ後のことは誰にも分からない。

 長く生きてたくさんの死を見てきた偉大な魔法使い達も知らないことなのだ。


「死んだらどうなるのかな……?」

 誰も答えを知らない問いを口にした。

 二人を困らせる問いだと知ってて口にした。


「コハク……」

 ジルが困ったように私を抱きしめてくれ、ゾルディアスはポンポン、と頭を撫でてくれた。


「花火の時に言ったこと、コハクを困らせてしまいましたね……もし死後の世界なんてものがあるなら、仮にそんなものがなくても魂だけになって彷徨うことがあるなら、きっとコハクを思い出すことが多いと思うんです。でも、思い出す顔が不細工な泣き顔じゃ、ちょっと具合が悪いでしょう? だからいつでもかわいいコハクを思い出せるように……」


 むにっとほっぺたを摘ままれ、強制的に笑顔を作らされた。


「笑って笑って。それから楽しい思い出をたくさん作りましょう!」


 二人の笑顔に私もやっと笑顔になると、ほっぺたを摘まんでいた手をそっと離して、代わりに後ろから抱きしめてくれた。

 ゾルディアスの大きな腕。

 それからそっと抱きしめてくれるジルの小さな腕。

 そこから伝わる温もりに一瞬泣きそうになるのをグッと堪えて、私も片手をジルの背中に、もう一方の手をゾルディアスの腕に、ぎゅっと抱き寄せて目を閉じた。


 そうだ、日記を書こう。

 笑ったことを全部。

 楽しいこと全部。


 私が彼らを思い出す時、彼らが素敵な笑顔であるように。


 そして。


 私達のことを、私達がいたという存在の証を永遠に残すために。



Fin.

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