Secret Masquerade:魔法にかかった日

 時は遡って約百年前。


 街中の人々が美しい仮面を着け、着飾った衣装で街のあちらこちらで酒を片手に踊ったり、陽気に歌っている。

 秋の収穫を祝う祭りだが、同時に死者の魂を慰める祭りでもある。

 これはこの地方独特の風習だ。

 この日一日、誰も働かず、顔を隠し普段とは違う服装で昼間から酒を呷り、歌って踊る。

 この日のために各家庭で前日から果実酒を大量に用意し、訪問客や家の前を通りかかった人に振舞うのだ。

 収穫を祝う祭りはどこの地方にもあるが、この地方ではそちらよりも死者の魂を慰める方に重きを置いている。

 だから、仮装して死者が紛れやすくし、とにかく楽しく過ごすのだ。

 そんな訳で、この日ばかりはジッパーもいつもの黒いワンピースを脱ぎ、黒に限りなく近い深い紫色のワンピースを着る。

 だいたいドレスを着るのが主流なだが、ジッパーは見た目は一二歳の子供なので、膝丈の少し豪華なワンピースに留めている。

 靴も黒に限りなく近い焦げ茶でストラップのついたパンプス、いわゆるメリー・ジェーンタイプだ。

 それに黒と紫のボーダー柄のタイツを履き、いつもは垂らしている黒髪を一つに編み込んで、トーク――葬儀の時によく見る女性用の帽子――を被っている。

 さらに、仮面、といっても大半の人は目だけを隠すアイマスクが主流なので、ジッパーも黒に近い深い青色のアイマスクを着けた。

 金属製だが細かいレースのような模様が施され、左目部分には羽根のような装飾もされている。

「ま、こんなもんかな?」

 姿見の前で自分の全身を隅々まで見回して、よし、と気合を入れた。

 キッチンへ行って果実酒の入った黒いボトルがテーブルの上に五本用意されているのを確認し、じゃ出かけて来るからよろしくね、と手を振ると、はいはい、と男の声がした。

「さて、私は読書でもしましょうかね」

 そう言いながら、男はキッチンへと姿を現し、そこで本を読み始めた。

 この男、名をヴェルダンテという。

 黒い髪、珍しい紫の瞳。

 長身で青白い肌に華奢に見える体躯から、少々病弱なように見られがちだが、魔法使いには珍しく剣術の腕が立つ。


 春夏秋冬。

 季節の節目にはそれぞれ何かしら祭りがあるものだ。

 それはどの街へ行こうと変わらない。

 日取りや祝い方は違っても祭りはある。

 たくさんの祭りを何度も繰り返し祝ってきたが、ヴェルダンテは秋の祭りが苦手であった。

 特にこの街のように死者の魂と結びついているような祭りは。


 死んだ者の魂などない。


 それがヴェルダンテが気が遠くなるほど長い年月をかけて得た結論だ。

 ヴェルダンテは最初の魔法使いと呼ばれる者に魔法を習い、彼女の初の弟子として彼女をも凌ぐとまで評価された魔法使いである。

 彼に知らない魔法はなかったし、使えない魔法もない。

 だから、死んだ者を蘇らせたり、死んだ者と話をするといったことは不可能であり、魔法の限界を知っている、とも言える。

 ただ、狐などが使う術では可能であるらしいが、それも本当に死んだ者の魂であるかどうかは疑問が残る。


 魔法は奇術トリックだ。


 ヴェルダンテはそう考えている。

 科学だと言う者もいるが、所詮は奇術に過ぎない。 

 死んだ者が蘇ったように見せることや、死んだ者の魂と話しているように思わせることは可能だ。

 でもそれは魂が存在しない、という前提で行われている。

 時に全ての英知を極めたように言われる魔法使いではあるが、全能ではない。

 死んだ後どうなるかなど、研究している学者や魔法使いはいるが、未だ答えは出ていない。


 ヴェルダンテが今読んでいる本も死者に関することが書かれている。

 開いてみたものの、ページを捲る手はなかなか進まない。


 死ぬということは永遠にその人とは会えなくなる、ということだ。

 長い年月を生きていると、会いたいと思う死者はたくさんいる。

 そういう人達を思い出してしまうため、秋の祭りが苦手なのだ。


 命を長く保たせることは可能で、瀕死の重傷を治すことも可能だが、尽きた命を再生させることは不可能なのが魔法だ。


 即死であったり、病と聞いて急いで駆けつけたが間に合わなかったり。

 死んだ後に病であったことを知らされたり。

 まだ未熟で怪我を治すことができなかったり。

 思い返せばいくらでもある。


 それに。

 命を奪ったことも多々ある。

 一時期、禁忌とされていた魔法に手を出した時は、一度に千以上の人の命を奪ったこともある。

 思い返せば、ジッパーと出会った時も命を奪った。


 春の祭りも、苦手かもしれない。


 ヴェルダンテはふと開いたばかりの本を閉じた。

「読む本を間違えたようですね」

 息と一緒に嫌な過去の思い出を吐き出すように溜息を吐いた。

 祭りの今日一日、家に引き篭もっているつもりだったが気が滅入りそうで、寝室に戻った。

 クローゼットを開け、ジッパーのワンピースの色によく似た深い紫のローブを取り出す。

 それを手に再びキッチンに戻ると、ローブを宙に放った。

 途端にローブを着たヴェルダンテがそこに姿を現す。

「留守を頼む」

 ローブを着たヴェルダンテにそう言って、本物のヴェルダンテは裏口から外へ出た。


 女性だけでなく男性もドレスアップをするのがこの祭りの決まりだ。

 だが、ヴェルダンテはいつも通りの白シャツに黒いズボンというラフな服装で外へ出た。

 が、一歩踏み出す毎に、顔には周囲と同じような装飾のついた黒いアイマスク、深い青色のマント、その下は白シャツに黒ズボンなのは変わらないが、デザインがより装飾的なものに変わり、白シャツは胸元にレースが、黒ズボンはサイドにマントと同じ色のブレードが縦に入る。

 靴は黒いシンプルなブーツ、腰には装飾の美しい剣、手には黒皮の手袋グローブ

 その右手を何かを受け取るように手のひらを上に向けて出すと、そこに紅い羽飾りのついた黒い二角帽子ビコルヌが現れ、歩きながらそれを被る。

 そこでちょうど裏通りを抜け、人々でごった返す大通りへと出る。

 まだ昼を少し過ぎた頃であるが、すでにほろ酔いを通り越して泥酔している者もチラホラと見かけた。

 陽気な歌と笑い声が響く賑やかな中を黙々と歩く。


 ヴェルダンテはかつてゾルディアス、ファルマン、リュクス、ザディアート、ディラルグと名を変えてきた。

 魔術書の類にも出て来る名だ。

 自らが記した魔術書もあるが、多くは学者や魔法を研究する者達によって記された書物が多い。

 最初の名はもう忘れたが、他にもその場のみで使った名は数え切れないほどある。

 そして、どれもが別の人間として知られ、一人の魔法使いだと認識しているのはジッパーだけだ。

 一度使った名は二度は使わない。

 人の寿命の間隔で使い捨てて来た。

 ヴェルダンテの名もそろそろ寿命が近かった。


 この祭りで終わらせるか。


 ふと思いついた。

 名が変わるところをジッパーに見せるのは初めてになる。

 それどころか、他人に見せるのは初めてのことだ。

 ただ一人、ヴェルダンテに魔法を教えた最初の魔法使いを除けば。

 そう思うと苦笑が込み上げて来る。


 他人と長くいるのも初めてのことだし、一緒に暮らすのも初めてのことだ。

 ジッパーと出会って、ヴェルダンテは自分の中の何かが変わったのを感じていた。


 新しい魔法を試したい。

 もっと知りたい、もっと身につけたい。


 貪欲にずっと魔法を求めて来た。

 ジッパーもただの実験材料にすぎなかった。

 それがいつしか弟子になり、教えれば教えた分だけを吸収して成長していくジッパーに愛着が湧いている。


 一人はつまらない。


 それを初めて知った気がした。

 だからかもしれない。

 急に苦手な祭りに足が向いたのは。

 祭りが近づくにつれ、楽しそうに嬉しそうに準備をするジッパーを見ていたら、たまにはいいかもしれない、と思った。

 卑屈に過去を蒸し返しているより、ずっと健全だ。


 人ごみの中、歌声と笑い声が溢れる中、ジッパーの姿を探す。

 街の中心部には川が流れており、その川辺には屋台が並び、大道芸などのパフォーマンスもある。

 また、時計塔の前は広場になっており、そこで秋の収穫を感謝し、死者の魂を慰めるための祭壇が組まれている。

 恐らくジッパーはその周辺にいるはずだ。

 中心部に向かうにつれ、さらに人は多くなる。

 魔法を使って探せば早いのだが、ヴェルダンテはそうしなかった。

 なんとなく、自分で探したい気分だった。


 ようやく普段より少し時間がかかって中心部に辿り着く。


 火の鳥が飛び、水が蝶を象って舞う。

 魔法使いが奇術のような魔法を見せ、人々を魅了していた。

 そこにジッパーの姿を見つける。

 小さな子供達と一緒に魔法を楽しそうに見ていた。

 その姿を見て、ヴェルダンテはジッパーがまだ幼い子供だったことを思い出す。

 春の祭りから連れ去り、手元に置いてジルからジッパーへと名を変えて、まだ数年しか経っていない。

 その程度の魔法、すでにジッパーもできるようになっている。

 それでも初めて見るように楽しそうに見ていた。


 まだ幼い子供で、まだ遊びたい頃だ。

 絵本ではなく魔術書を読ませ、覚えた魔法を練習する。

 ただそんな毎日を繰り返していた。


「ジッパー」


 少し躊躇いつつも声を掛けると、叱られると思ったのか、即座に笑顔は消え、ごめんなさい、と謝った。

「なぜ謝るんです? 他人の魔法を見るのも良い勉強になりますよ。それより、せっかくです。何か食べますか?」

 頭をぽんぽん、と軽く撫でると、すぐにまた笑顔に戻ってうん、と嬉しそうに頷いた。

 ころころ変わる表情にヴェルダンテも自然と笑顔になる。

「今日は家に篭ってるんじゃなかったの?」

「たまには参加するのもいいかと思って」

 ジッパーと出会う前はもっと横柄な物言いだった。

 それがなぜかジッパーの前では丁寧になる。

 小さな子供相手に不思議だった。

 どこか心が浄化されるように、穏やかでいられた。

 子供故の無邪気さのせいだろうか。

「あれ、食べたい」

 無邪気な笑顔でジッパーが近くの屋台を指差す。


 空は快晴。

 街は陽気な歌声と笑顔に溢れ、ジッパーも無邪気に笑う。

 穏やかな祭りの一日。

 ヴェルダンテは急に祭りに参加することを決め、ジッパーを探してここに来た。

 いつもなら家に引き篭もり、魔術書を読み耽って過ごしていただろう。

 ヴェルダンテの名もそろそろ終わりにしようとも思った。

 祭りが終われば、名も変えて街も離れてしまおう。


 その急な心変わりは何が引き起こしたのか。


 天気か、陽気な歌声か。

 ジッパーがいたからか。


「ヴェルダンテ?」


 ふいに声を掛けられ、笑顔のまま振り向く。

 魔法を披露して子供達を楽しませていた魔法使いが驚きの表情でヴェルダンテを見ていた。

 すぐには気づかなかった。

 ヴェルダンテと違い、その魔法使いは奇術程度の魔法しか使えず、普通に歳を重ねており、祭りのためアイマスクに奇抜な衣装を着ていたからだ。

 だが、どこか見覚えはあった。

 それがどこでだったか思い出すのに少し時間がかかった。


 が。

 魔法使いの方はしっかりと覚えており、そしてこの時のための準備もしていた。


 陽気な魔法使いは一転、悪魔のような形相で小道具の中から本を取り出した。

 そして、何かの呪文を叫び、古い本をヴェルダンテに向かって投げつけた。

 それはあっという間の出来事で、油断していたヴェルダンテは咄嗟に本から顔を片腕で庇い、空いてるもう一方の手でジッパーを突き飛ばした。

 ジッパーは地面に尻餅をつきながら、ただただヴェルダンテが本に吸い込まれるように消えてゆくのを見ていた。

 それは青い炎のような不思議な光だった。

 一瞬強く光り、ヴェルダンテを吸い込むと自然に閉じて地面に落ちた。


 ジッパーは急いでその本を拾うと、胸に抱えて走り出した。

 何が起こったのか分からなかったが、本を魔法使いに奪われてはいけない、と直感的に思い、体が反射的に動いていた。


「ヴェル!」


 ジッパーはヴェルダンテをそう呼んでいた。

 何度もそう呼びかけながら走った。

 子供の足だ。

 すぐに追いつかれる。

 だから、ジッパーは魔法で自身の姿を消した。

 これで少しは追跡が困難になる。

 しかも今は祭りの真っ只中だ。

 人ごみで走りにくい状況でもある。

 そこは大人より子供の方が紛れやすい。

 結果、ジッパーは魔法使いから見事逃げ切り、家へと戻ることができた。


 家は元々ヴェルダンテの魔法によって守られている。

 一番安全な場所である。

 裏口から入り、キッチンを抜けて書斎へ行こうとした。

 が、キッチンにヴェルダンテのローブが落ちているのを見つけ、ジッパーは深刻な表情になる。

 ヴェルダンテの魔法は彼が解かなければ解けない。

 それが解ける時は死んだ時。


 ジッパーは急いで書斎に駆け込み、机の上に抱えていた本を置いた。

 表紙を撫でてヴェルダンテの名を呼ぶ。

 返事はない。

 表紙にも変化はなかった。

 続いて本を開く。

 中の文字を指で追う。

 まだ知らない魔法の呪文が並んでいる。

 それが何なのか、書斎の本の中から調べて理解しようとした。

 だが、数日が過ぎても手がかかりさえ掴めなかった。


 魔法使いを問い詰めようと、本を家に置き、魔法で見張りも置いて、魔法使いを探したが、あの直後、魔法使いは死んだということが分かった。

 突然苦しみ出し、その場に倒れて死んだようだ。

 追って来てはいなかった。

 そして、手がかりもなくなった。

 何の魔法だったのか、まずはそこから探らねばならない。


「ヴェル……」


 呟いて本の表紙を撫でる。

 その時からジッパーは成長しなくなり、ヴェルダンテを救うべく魔法を探している。

 成長しないと気づいたのは一年後だ。

 一ミリも背が伸びなくなり、体にも違和感があった。

 ヴェルダンテが本に吸い込まれる直前、ジッパーを突き飛ばした時に、本、ヴェルダンテ、ジッパーが間接的に同時に接触し、魔法の影響を受けたのだと思われた。

 正確なことは分からないが、それがジッパーの考えである。


「私が解いてあげる。いつか必ず……」


 ジッパーはそう本に強く誓った。

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