Voice and Cat Ears:声と猫耳

 深夜、ドアを叩く音に目を覚ます。


 激しく何度も叩く音に黒いナイトガウンを羽織り、ジッパーは不機嫌にドア越しにこんな時間に何の用? と問うと、複数の声がした。

 同時に叫ぶような声で、何を言ってるのか聞き取れない。

 少し躊躇ってジッパーがドアを開けると、そこにいたのは十人以上の……耳の生えた人だった。


 いや、耳は誰にだってある。

 が、そこにいたのは人の姿をしているが頭に猫のような耳がついているのだ。


 日常に魔法が溢れ、人だけでなく二足歩行の獣がいるような世界ではあるが、さすがに人と獣のハーフはいない、はずだ。

 それが目の前に十人以上いて、何とかしてくれ、と言っている。


 ということは、何かの魔法が集団にかけられた、ということだろう。

 それは簡単に推測できたが。

 その数が徐々に増えている気がした。

 一体何が起きたのか。

 それを訊いても答えられる人は誰一人いない。


 夜中に目が覚めたらこうなっていた、というのだ。

 この街に解魔屋はここ、『NO No.ノー・ナンバー』だけである。

 徐々に人が増えている、ということは、もしかすると伝染しているか、街中の人がすでに魔法にかかっていて、気づいた人からやって来ているか。

 そのどちらかだ。


 ならば、ここに街中の人が殺到するのも時間の問題だ。

 猫耳になるだけならいいが、他にも副作用があるなら早急に原因を解明する必要がある。

 ジッパーは深く大きな溜息を吐いて、一番手前にいた人を中に招き入れてドアを閉めた。


 十代半ばの少年でパジャマのままだ。

 そして足元から頭のてっぺんまで見上げる。

 それから彼の周りをゆっくりと一周した。

 耳は黒猫のようだが、尻尾などは生えていないようだった。

 ただ耳だけ、である。


「気づいたのはいつ?」

 問うと、困惑したように耳を触りながらさっき、と答えた。

 言葉も普通だ。

「気分はどう? 他に何か違和感のある部分はない?」

 それには少し考えてから、ない、と答えが返って来た。

 こんな事態は初めてのことで、ジッパーも両腕を組んで考え込む。


「……ところで、どうして耳に気づいたの?」

 その問いにもやや考え込むようにして、それから何でだろう? と疑問が返って来た。


「んー、いくつかテストしてみていいかしら?」

「テスト? 何するんですか?」

「何って……こんなこととか?」

 言いながらジッパーは人差し指を宙で文字を書くように動かした。

 途端に少年は耳を両手で押さえる。


「何その音っ」

「聴こえるのかぁ。じゃあ次は……」

 再び人差し指を動かす。

 今度は耳を押さえていた手を外し、ケロリとしている。

「変化なし。じゃ次」

 という風に矢継ぎ早にいろんな魔法をかけて耳が何なのか、どういう魔法が作用しているのか探ろうとした。


 数十分後、再びジッパーはうーん、と両腕を組んだ。

「終わりですか? 魔法は解けそうですか?」

「音には反応あるけど、それ以外は特になし。術ではないのは確かだけど、こんな魔法は初めてだわ」

「それって……解けないってこと……?」

 少年が不安そうにジッパーを見た時、耳もしゅん、と項垂れていた。

 それは、ただのアクセサリー的な耳ではなく、ちゃんと本人の意思で動くし聴こえる、ちゃんとした耳が生えているということだ。


「そこでちょっと待ってて。薬を調合して来るから」

「それで治るんですかっ」

 少年の希望の篭った声にジッパーは何も答えずに店の奥へと消えた。


***


「ピンチのようにお見受けしますが?」

 どこからか男の声がしたが、ジッパーはまるで聞こえていないかのように真っ直ぐ廊下を進んだ。


 店の奥。

 そこはジッパーの生活空間になっている。

 というより書斎が店になっているだけで、普通に住居である。

 キッチンの天井には様々な薬草が吊るされている。

 そのうちの一つから葉を数枚千切った。

 食器棚の隣には様々な瓶が収められた棚があり、そこから幾つか瓶を取り出す。

 それらをテーブルの上に並べた。

 既にテーブルの上には何かの実験室のように、試験管やアルコールランプや皿が並んでおり、食事をするためのテーブルではなさそうである。


「……その薬で何をするおつもりで?」

 ジッパーは薬を調合する手を止めずに、やれることをやるのよ、と答えた。


「数百年間、ゾルディアスと一緒に魔法を学んだわ。世界中を旅しながらね。だけどこんな魔法は初めてよ。しかも一度に街全体が、だなんて。あなたは見たことある?」

「見たことはありませんが、聞いたことなら」

 その声にジッパーは手を止める。


「なぜそれを言わないのっ」

「聞かれなかったからですよ。分かってるでしょう? 私はただの作り物の影。本と変わらない。開かなければ文字は読めませんよ」

「……無駄なことはよく喋るのに?」

「私はあなたの記憶の中のゾルディアス、いやディラルグですからね。対話型にしたのは間違いだったと今更後悔されているのですか?」

「……後悔はしていないけれど……そろそろ限界に近いわね」

「そのようですね。ここ最近、私は不調です。本に戻りましょうか?」

 その申し出にジッパーはしばらく沈黙し、軽く目を伏せてええ、と頷いた。

 途端に風が部屋の中を吹き抜け、一冊の本が降って来た。

 分厚く大きな古い本だったが、静かにテーブルの上に収まった。


「お疲れ様」

 そう囁いてジッパーはその本を開き、ページを捲る。

「……そんな……」

 ページを捲る手が止まり、ページの文字を追っていたジッパーは愕然とした。

 今何が起こっているのか、その手掛かりがそこにあった。

 だがそれは、ジッパーには簡単には解けない類のものだった。


***


 ジッパーが店内に戻ると、少年は耳をピンと立て、ジッパーに駆け寄った。

「悪いけど、これはすぐ解けるようなものじゃないわ。原因は分かったから何とかするけど、さし当たって日常生活には支障はないわ」

 そうですか、と少年がホッとしたのも束の間、ただ、とさらにジッパーが続ける。

「残された時間は約一ヶ月ってところね」

「どういう……ことですか?」

「そのうち自分の声が聴こえなくなるの。対処法は一切喋らないことよ。できれば筆談で生活して」

「そんな……喋ったらどうなるんですか?」

「それは全員に説明するわ」

 そう言ってジッパーはドアを開けた。


 そこには先程よりも人が集まっていて、口々に不安の声を漏らしていた。

 恐らく街中の人が全員集まっている。獣人族を除いて。


「静かにッ!」

 よく通る声が響き渡り、一瞬にして人々の口を塞いだ。


「この耳は自分の声で成長する厄介な魔法よ。だからしばらく筆談で生活してほしいの。喋り続けると自分の声が聴こえなくなって、そのうち眠りにつくことになるわ。死にはしないけど、永遠に眠ることになるの。そうなったら私でも魔法を解くのは困難になるから、私に一ヶ月頂戴。その間に全員の魔法を解くから。ただ、さっきも言ったけど、とても厄介な魔法なの。解くための準備も必要だし、全員分となると結構な材料が必要になるわ。それに、普段は依頼にルールを設けてるの。でも今回は特別に依頼料だけで解くわ。一人材料費も含めて五つ! とりあえず明日の朝から受け付けるわ。ここには十人分程度は材料があるから。以上!」

 そう言ってドアを閉めた途端、全員が困惑した表情でお互いを見やった。


 五つというと平均的な月収の四分の一だ。

 結構な大金である。

 中にはそれが月収の半分だという人も少なくない。

 高すぎると文句も言いたいし、誰かと相談もしたいが、何しろ先程のジッパーの説明では喋れば大変なことになるのだと言うのだから、迂闊に声が出せない。


 仕方なく家に引き返す者、しばらくその場に立ち尽くし途方に暮れる者と様々だったが、夜が明けるまでには全員家に帰って行った。


***


 一夜明け、街中はいつもより活気を失っていた。

 声を発するのは獣人族だけで、人の大半がマスクを着用している。

 うっかり声を発しないように、との工夫かもしれない。

 中には猫耳に耳栓をしている者もいる。

 そんな中、ジッパーはというと。


「コレとコレをケースで……そうね、それぞれ五箱とソレを十箱頂戴」

 買い物をしていた。


「箱はこの子達が運ぶから」

 そうジッパーが指し示したのは、黒衣くろこのように頭のてっぺんから足の先まで、全身を黒く動きやすそうな衣装に身を纏った人だった。


 何箱でも持てそうな背が高くてマッチョな黒衣に、どの店の店主も驚いた表情で見上げた。

 黒衣五人がそれぞれ十箱ずつ箱を抱えて店に戻ると、店の前に十人程度の行列ができていた。


 が、それを無視して裏口からキッチンに箱を運び込むなり黒衣は黒いただの紙切れに戻った。

 紙には赤いインクで文字が書かれていたが、その紙もすぐにスウッと周囲に溶け込むように消えていった。


 すぐさまテーブルの上に箱から必要な材料を取り出し、すり鉢で薬草をすったり妙な液体を入れて煮詰めたりし始めた。

 そうして出来上がった薄紫色の液体に呪文をかけると、限りなく透明に近い水色の液体に変化した。

 それを茶色の小さな小瓶に数滴入れ、十個作ると店に行き、ドアを開けた。


 買い物から戻った時は十人程度だった行列が既に路地の奥まで続いている。

「とりあえず十人入って」

 誰もが何か言いたそうな表情かおだったが、言葉を発せないので不満の篭った視線がジッパーに向けられたが、そんなものは視界に入らないといった風にテキパキと十人を店内に入れた。


「この薬を一気に飲み干して。でもこれは耳栓のようなものだと思って。一時的な対策にすぎないから。魔法は全員がコレを飲んだら一気に解くから、それまでは声の音量に注意してね。耳は消えて小声でなら話せるけど、魔法は完全に解けてはいない、ということを肝に銘じておいてね」

 そう言って代金と引き換えに小瓶を渡し、目の前で飲ませて瓶は再び回収した。


 その作業を何度も繰り返し、午前中から始めて深夜までかかっても全員には行き届かなかった。

 その間、食事も休憩もせずにいたが、それでも結局翌日の昼までかかった。


 が、金が都合できなかった人もいて、街中には猫耳の人がまだいたし、家の中に篭っている人もいると思われた。

 ふうっと溜息を吐いて、ジッパーは店の本の山の一つに腰を下ろした。


 手にはあの分厚い本がある。

 優しく表紙を撫でると、勝手に本が開いてページが捲れ、特定のページで止まった。


「……『眠り猫』の魔法……人にだけ作用し、永遠に眠らせる。発案者はリュクス……」

 リュクスと書かれた文字をそっと撫でる。


「一時的に『紫月白しげっぱくの薬』が有効。ただし、使用されたことはなく、故に解く方法も不明……」

 ページに書かれた文字を読む。


「リュクス……あなたの魔法なら、解く方法は一つね。あなたの好きな魔法、私が最初に覚えたあなたの魔法……でしょう?」

 ジッパーは語りかけるように本に囁いた。


「まずは全員に無理矢理にでも薬を飲ませないとね」

 自分を奮い立たせるように言って立ち上がると、ジッパーは本をその場に置いて再びキッチンへと戻った。


 数分後、小瓶を入れた籠を手に店を出た。

 その前を先導するように、黒い蝶がひらりひらりと優雅に舞う。

 最初に黒い蝶が止まった家の扉を魔法で開け、魔法で家人をフリーズさせて無理矢理薬を飲ませる。

 そして代金もキッチリ金以外のモノで受け取って家を出、フリーズを解き、魔法で鍵を掛けて次へ行く。


 それをテキパキと繰り返して、日が落ちる頃には籠の中にあった小瓶は全て空になり、全員に薬を飲ませることができた。


 灯り屋が独特の竹馬のような靴を履いて、鳥籠から火の妖精を取り出して街灯に灯りを燈し始める。

 その光景を見、空を見上げる。

 ジッパーは大きな溜息を吐いて視線を前方に戻す。


「……こんなに動いたのは百年振りくらいかしら? さて、今夜は新月。ちょうどいいわね」


***


 深夜。

 ジッパーは街の中心、時計塔の屋根にいた。


 相変わらず黒いワンピースに身を包み、黒く長い髪を風に靡かせ、月のない漆黒の闇夜に溶け込んでいる。

 そこで目を閉じ、両手を胸に当て、ゆっくりと口を開いた。


 囁くように優しい歌声がその小さな口から滑り出る。

 囁くような小さな声だったが、それは街中に響き渡り、柔らかい旋律が子守唄のように眠りを妨げることなく人々の耳へと入ってゆく。

 短い歌だったが、歌い終わると人々は深い眠りに落ちた。


 ゆっくりと目を開けると、温かい光が体の中を下から上へと駆け上がり、風となって抜け出ていくような感覚に包まれた。


「また一つ、魔法が解けた……?」

 そんな予感はしていた。


 街の人々にかけられた魔法がリュクスの魔法だと知った瞬間ときからそんな気がしていたのだ。

 それにこの魔法はジッパー以外解けるモノはいない。

 先程歌った歌はジッパーだけが知る魔法の歌なのだ。


 だが、ここで疑問が湧く。

 一体誰がこんな魔法をこの街にかけたのだろう?


 単純に考えられるのは発案者のリュクスだが、リュクスでないのは確かなことだった。

 それはジッパー自身が一番良く理解していることでもある。


 だが確かなことは、この魔法をかけた人物はリュクスを知っていて、ジッパーがこの魔法を解けることも知っていたし、何よりジッパーにかけられた魔法のことも知っていることになる。


 ジッパー自身でさえ、自分にかけられた魔法をこの数百年間知らずにいた。

 いくら調べても分からないどころか手掛かりさえなかった。

 それが、ここ数ヶ月で二つも解けた。

 これは偶然だろうか。

 再び黒い蝶を魔法で出す。


「魔法をかけた人を探して」

 蝶に囁いたが、蝶はひらりとジッパーの周囲を一周して弾けた。


「……ま、リュクスの魔法が使えるってことは、追跡もできないように隠れるのも簡単よね」

 さして落胆もせずジッパーは呟いて、塔から飛び降りた。


 が、その体は軽やかにゆっくりと地面に降り立ち、寝静まった街を一人、店へと歩き始めた。

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