ジッパーと魔法
Eyes Only:破魔の目
長く伸びた上質な絹糸のような黒髪。
陶器のような白い肌。
夜明け前の一番深い暗闇を映したような黒い瞳。
あ。
よく見ると左目は少し紫が入っているようだ。
真っ黒なワンピースを纏って、仁王立ちという凛々しいお姿。
「ジッパー様ですね?」
礼儀正しく自己紹介をしたあと、そう聞くと、そ、そうだけど? と怪訝そうにお答えになられた。
「よかった。助かった。これでもう安心だ。では、早速わたくしめにかけられた魔法を解いてくださいっ」
さぁっ! と両手を広げてみせると、無理よ、と踵を返してさっさと歩き出されてしまわれた。
ので、慌ててその行く手に回り込む。
「なぜです? そんなにヒドイ魔法なのですかっ」
「違うわよ。依頼にはルールをもうけてるの。そのルールに則ってないものは受けないことにしてるだけ。それに、急に人の前に飛び出して、何あの自己紹介? 長すぎるわよ。長すぎて名前も忘れちゃったわよ」
「そ、それは申し訳ありませんでした。なにぶん、とっても切羽詰っていましたので。ところで、ルールとはどのようなものでしょう?」
「黒い便箋に依頼文と出せる金額を書いて、黒い封筒に入れて持って来て。インクは白でね」
「はぁ。黒がお好きなのですね。分かりました。出直して参ります。で、お店はどちらですか?」
「この街で解魔屋はウチだけだから、その辺で道を聞けば? 少し分かりにくい場所にあるから、来れたら依頼を受けてあげるわ」
「それはそれはありがたい。では、後ほど……」
私は深々とお辞儀をしてその場を去った。
その背後で溜息が聞こえたような気もした。
***
伏せ目がちな瞳。
長いまつげ。
華奢な指先。
読み終わった黒い便箋をくしゃりと丸め、再び手を開くと便箋は何処かへ消えていた。
「見たところ不完全な魔法がいくつか絡まっているみたいね。これを全て綺麗に解くにはもう少しお金がかかるけど、いいかしら?」
「そうですかぁ。それは困りました。私が出せる限界がその金額なのです。それ以上は生活費を削ることになりますから、今夜の夕飯がなくなってしまいます」
「じゃあその金額分解くわ。命に関わらない魔法だから、残しておいても大丈夫でしょ。残りはまたお金ができてからいらっしゃい。それでいいわね?」
「はぁ。それはそれで困るのです。私の家は魔法が一切ダメなところでして……」
「魔法がダメ? 別に他の魔法に影響したりはしないし、伝染することもないものだけど?」
「アレルギーなんです、娘が」
「じゃあ生活はどうしてるの? 至るところに魔法があるでしょ」
「術を用いております。術なら私も多少使えますし、アレルギーも出ないようなので」
「だから、急いでいたのね」
両腕を組んで、ジッパーさんはうーん、と唸り、困ったわねぇ、と首を傾げた。
見た目は私の娘とそう変わらないのに、私よりもずっとずっと長く生きてらっしゃるとか。
そして、気性の激しいお方で、魔法を解くお仕事をされているのに、怒ると逆に呪いをかけてしまわれるとか。
よくない噂ばかり耳にするジッパーさんですが、こうして悩まれているお姿を見ていると、単なる噂にすぎないのかも、と思われた。
噂に尾ひれはつきもの。
解魔屋などというご商売は、なにかと物騒な魔法が絡むもの。
だから、解魔屋は怖がられることもしばしばとか。
それに、ジッパーさんはその辺の解魔師と違って、見た目が子供だったり、その呪いを解けなかったりするから……
ん?
自分にかけられた魔法を解けない解魔師、というのはちょっとアレじゃないか?
腕は一流だという噂は嘘かもしれないな。
解魔師のクセに魔法が解けないなんて、致命的じゃないか?
じゃあ私のこの依頼もぼったくりだったりするんじゃないか?
急にものすごく不安になってきた。
見た目が子供になる魔法をかけられててそれが解けないんじゃなくて、本当に子供だったりして?
そう思ってジッパーさんを見ると、ただのませたガキにしか見えなくなった。
「……や、やっぱりイイです。他に頼みますっ」
私は急いで店を飛び出した。
危ない危ない。
ぼったくられるところだった。
私はどうも騙されやすい性格で、この魔法もうっかり騙されてかけられてしまったのだ。
何度も騙されてきたので、それなりに疑り深くなってきたと思っていたが、やっぱり性格というものはそう簡単に変えられるものではないようだ。
しかし、困った。
この街に解魔屋はあそこだけなのだ。
隣街の解魔屋はヤブだと聞いた。
遠くの街へ行くだけの時間も金も持ち合わせていない。
さて、どうしたものか……
***
「やっぱり、おかしいわよねぇ」
ジッパーはそう言って客が出て行った扉を見つめた。
「魔法のアレルギーって確かに存在するけど、一部の魔法に対してで全ての魔法にアレルギーを示す人って見たことも聞いたこともないわ。だって、この世界で生きていくのに魔法を全く使わずにって無理だもの。術で代用って言ったって、生活の全てに魔法が絡んでるんだから、狐ならともかく魔法を排除して生活なんて無理があるわ。そうでしょ?」
店にはジッパー、ただ一人だけである。
だが、ジッパーは誰かに話すように続ける。
「絶対術だけで今まで生きてこれたってのがおかしいわ。何か裏がありそうよねぇ?」
そう言いながら床に散乱している本の一つを手に取った。
「うちに依頼に来て突然帰っちゃう客はいるけど……私の見た目がこんなだし……そういうのは大抵そのままにしとくんだけど、なんだかねぇ……今回はものすごく気になるのよねぇ。だって、魔法アレルギーってのが引っかかるし、かけられてる魔法も複雑に絡まってたし。あの魔法はどう見ても最近流行りの悪徳商売の手口でしょ? 見るからに騙されやすそうな雰囲気出してたし……」
そうブツブツ言いながら手にした本の表紙を撫で、それからゆっくりと本を開いた。
「……私らしくないけど。本当にいつもの私らしくないけど……だって、このままじゃすっきりしないんだもの。ちょっとだけおせっかい焼くのもたまにはいいわよね?」
言い訳をして、難しい舌を噛みそうな呪文を滑らかに囁いた。
と、本のページから文字が細い黒い糸のようになって抜け出し、宙で再び達筆な文字へと変わって浮かんでいく。
浮かんだ文字に目をやって、ぱんっと本を閉じると、浮かんでいた文字は消え、代わりに黒い小さな鳥が姿を現した。
「出かけて来るから留守番よろしくね」
ジッパーがそう言って、鳥と一緒に店を出ると、はいはい、とどこからか男性の声がした。
「さ、急ぐわよ」
ジッパーはそう鳥に言って、走り出した。
黒い鳥は徐々にスピードを上げるのに、ジッパーも遅れをとらないように追いかける。
入り組んだ路地裏をスイスイと走り抜け、やがて人通りの多い大通りに出ても人混みをうまくすり抜けて、ほとんどスピードは落ちずにひたすらに走り続けた。
全速力でかれこれ小一時間は走っただろうか。
バテることもなく走り続け、ようやく辿り着いたのは真新しい魔法商店だった。
黒い鳥は目的地であるこの店の前で霧散した。
魔法商店というのは、誰もが簡単に使える便利な魔法のかかった道具を売っている。
至るところに魔法が溢れているこの世界だが、誰もが魔法を使えるわけではなく、また魔法が使えたとしても全ての魔法を使えるわけでもない。
高度な知識と技術と才能を要する高等魔法となると、使えるモノは限られてくるのだ。
だから、誰もが手軽に使えるようにと魔法のかけられた道具を売る店が必要となるわけで。
それは物として使用するものであったり、自分自身に魔法をかけて一定時間条件付で発動する魔法であったり様々だ。
物の場合は大丈夫なのだが、自分自身に魔法をかけて使用する類のものは、大抵時間が経たないと魔法が解けなかったりするので、即刻解除したい場合などは解魔屋に頼んで解除してもらったりする。
なので、魔法商店は解魔屋にとっては客を生み出す場所でもあるわけで。
「……なんとなぁく分かってきたわ」
ジッパーはそう呟いて、軽く溜息を吐いて店内に入った。
「いらっしゃ……」
そう言いかけた店主の顔が営業スマイルから驚いた顔に変わった。
魔法商店の店主は、先程の依頼客だった。
「な、なぜここがお分かりに?」
「私は解魔師よ? いろいろと魔法も使えるわ。娘が魔法アレルギーっていうのは嘘だったのね」
仁王立ちのジッパーに店主はあからさまに動揺していた。
「ふぅん?」
ジッパーは店主とそして店内を一通り眺め、楽しそうに笑った。
「私の店に来た後、どこかで魔法を解いてもらったようね?」
「ええ、ご覧の通りまた店が開けるようになったんで、心配無用です」
店主はそう言って開き直り、こっちも客商売なんで帰ってもらえますか? と強気に負けじと仁王立ちになった。
「なるほどね。魔法がかかったままだと、魔法商店やってたら他の商品に影響が出る可能性が高いから、一刻も早く解きたかったと。でも、私の代わりに魔法を解いてくれた人はへっぽこで、全ての魔法を解けなかったけどそれに気づかず、料金取られちゃったってわけだ。そして珍しく様子を見に来た私を追い返すのね?」
柄にもないおせっかいなんて焼くものじゃないわね、とジッパーは大袈裟に肩を上下させ、大きく溜息を吐いた。
「……そうやって私をカモろうとしてるなら無駄ですよ。確かに私は騙されやすい性格ですけどね、こう何度も騙されてれば学習能力もつきますって。まだ魔法が解けてないって言って私から金をむしり取るつもりでしょうが、そうそう何度も騙されませんよっ」
「人を疑うのは良い心がけだけど、あんまり疑り深いと時には損をするどころか身を滅ぼすことだってあるわよ? ま、解けてない魔法がそのうち他に影響を及ぼしてくれば、私の言ってることが正しかったって気づいてもらえるでしょうけど、その頃にはきっと手遅れね」
「……そんな脅したって……」
店主はそう言いかけて硬直した。
「あーらら。もう魔法が発動しちゃったのねぇ。これじゃあ依頼を受けるどころじゃないわねぇ」
ジッパーはそう言って大きく溜息を吐いて、慈善事業なんて柄じゃないんだけどなぁ、とブツブツ言いながら、目を閉じて両手を大きく打ち鳴らした。
と、その衝撃波が店内に広がり、ビリビリと音を立てて軽い地震が起こった。
やがてそれが収まると、硬直が解けた店主は地面にぺたりと座り込み、目をぱちくりさせた。
「おせっかいなんて焼くものじゃないわねぇ」
ふぅっと息を吐き、店を出ようとしたジッパーの背後でひゃあっと不思議な声が上がった。
振り返ると、立ち上がった店主がカウンターの向こうで心底驚いた表情でジッパーを凝視していた。
怪訝な表情を向けると、店主は震える声でこう言った。
「あ、あんた、子供じゃなくて……お、おと、男だったのか……?」
「え?」
「その姿……」
言われてジッパーは自分の姿を見てみたが、どこもいつもと変わりない。
顔も触って確かめたがいつもの感触と変わりなかった。
「……どう見えてるの?」
「……どうって……銀の髪に氷のように青白い肌、深い紫の眼に黒いローブの……」
店主の言葉にジッパーは雷に打たれたような悲痛な表情で俯いた。
「……ゾルディアス」
店主が語った姿はジッパーに魔法を教えてくれた人物の姿だった。
その人物の名を呟いた瞬間、ジッパーの中で何かが弾けた。
何かの封印が一つ、壊れて解き放たれたかのような不思議な感覚だった。
***
それは遠い遠い昔。
それはまだ魔法の道具がまだなくて、魔法が使える一部のモノが崇拝の対象にすらなっていた頃。
その年に一二歳になる子供が春の女神に踊りを捧げ、春の訪れを祝う祭りの日。
「ジル」
名前もジッパーではなく、ジルと呼ばれていた頃。
新しい祭司としてやって来たのは、黒いローブを被った若く美しい男性だった。
「ジル、お前が今年の春の女神だ」
祭司はそう言って、ジルの頭に花冠を載せた。
いつもと違う春の祭りの儀式。
それに村の人々は戸惑っていたが、新しい祭司は今までの祭司よりもたくさんの不思議な魔法を使える素晴らしい人だった。
だから、誰もが新しい祭司を受け入れ、崇拝していた。
だが、彼は祭司ではなかった。
色とりどりの春の花々で作られた、美しい花冠を頭上に戴く瞬間、目を閉じて跪いた。
頭に花冠の感触があって、ゆっくり目を開けて立ち上がり、背後で見守っていた村人達に誇らし気にその姿を見せようと振り返った。
満面の笑顔で振り返ったその瞳に映ったのは、拍手喝采で迎える村人達ではなく、何もない平原だった。
誰もそこにいなかったのだ。
先程までそこに村人全員が集まっていた。
勿論、ジルの家族や友人もいた。
それが花冠を戴いた間に一人残らず消えていたのだ。
何が起こったのかと辺りを見渡し、人の姿を探した。
そして振り返って祭司を見た。
笑顔から一転、不安の表情で見つめた祭司は、うまくいった、と笑っていた。
「……何を……したの……?」
ジルの問いに祭司は何も答えなかった。
代わりにジルの額に人差し指を当てた。
それで、春の祭りの記憶が消えた。
そして、彼に火事から助け出された、という記憶に代わっていた。
村は火事で消失。
頭上に冠した花冠は枯れて消え去った。
「私はゾルディアス。お前に魔法を教えよう」
そう言って祭司は手に嵌めていた白い手袋を外し、両手の甲を見せた。
そこには不思議な図形や文字がタトゥーとして手の甲だけでなく、指の一本一本にまで刻み込まれていた。
それはおそらく手だけでなく、全身にあるだろうことは推測できた。
ローブの中の顔を見上げると、その顔にも細かな文字や図形がある。
この男こそが数多の名で呼ばれる魔法使いだとジルが知るのは、この数ヵ月後のことになる。
***
「『
自分の店に戻ったジッパーは、一冊の本を手に呟いた。
「おそらくそれがその魔法を解く鍵になっているのかもしれませんね」
どこからか男の声がした。
「でもまだ子供の姿のままってことは、あと何回かは必要ってことね?」
「もしくは、それは第一段階で第二段階は別のものが必要かもしれませんよ?」
「そうねぇ……でも手掛かりは見つかった気がする。私が解くのではなくて、特殊な誰かの力が必要ってことね?」
「その可能性は高いと思います。『破魔の目』の持ち主は極めて稀な存在ですからね。大抵本人は無自覚ですしね」
「私も初めて見たわ。御伽噺や伝説、伝承の類の存在を探してみる必要がありそうね」
そうですね、と男の声が同意した直後、店の扉が開いた。
「あのぉ……ここって解魔屋ですよね? 店主のジッパーさんは……?」
「いらっしゃいませ。ジッパーは私です」
「え? いやいや、君じゃなくて解魔師のジッパーさんは……?」
その言葉に営業スマイルが消える。
「だぁかぁらっ! ジッパーはこの私っ! 人を見かけで判断する奴は客じゃないっ!」
犬でも追い払うようにしっしっ、と手を振ると、客はふわりと浮いてドアの外に転がり、勢いよくドアが大きな音を立てて閉まった。
「それじゃあお客は来ませんよ?」
再び男の声が店内に響く。
「いいのよ。商売してる訳じゃないもの」
「それは分かっています。でも、客の中には魔法を解く鍵を持ってるモノがいるかもしれないじゃないですか。そっちが目的でしょう? なら、来なければ無意味ですよ」
その言葉にジッパーは押し黙る。
しばしの沈黙の後、ジッパーは店のドアを開けた。
そこには途方に暮れる先程の客がまだ転がっていた。
「依頼状があるなら依頼を受けてあげてもいいわよ?」
途端に客の顔が綻ぶ。
「黒封筒に黒便箋、黒いインクで持って来ま……っ」
バタンッと再びドアが閉まる。
解魔屋『NO No.』への依頼は黒封筒、黒便箋、白いインクで。
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