The Unbreakable Magic:解けない魔法

 夜が明け、灯り屋が街灯から灯りを回収する時刻を過ぎても灯り屋は現れなかった。

 街灯の中の灯りは朝の光の中、街灯から出られずにぐったりとしている。

 市場が開く時間になっても、誰一人街に姿を現さない。

 街はまだ深い眠りの中にあった。


 そんな中、ジッパーだけは眠らずに書斎で本を捲っていた。

 薄暗い書斎では夜が明けたのも分からない。

 ジッパーにかけられた魔法の一つは解けた感触があったが、先日街中の人々にかけられた『眠り猫』の魔法は、まだ完全には解けていなかった。

 ジッパーの囁くような歌声は応急処置にすぎない。

 魔法にかけられたのは人間のみで、獣人族に影響は全くなかったが、パニックを防ぐ目的で街に住む人々を全て眠らせている。


 これは魔法をかけた人間からの挑戦状だ。

 それもジッパーへの、だ。

 しかも相手は相当な魔法の使い手であることは間違いない。

 そして、相手はジッパーのことをよく知っているようで、現在ジッパーしか知らないはずの魔法を使いこなしている。


「リュクス……もしかしてあなたなの?」


 絶対に違う、と思っているのに、問わずにはいられなかった。


 ゾルディアス、ファルマン、リュクス、ザディアート、ディラルグ、ヴェルダンテ。

 それは全て同じ人物の名だ。

 最初の魔法使いと呼ばれる女性の最初の弟子であるゾルディアスは、五百年生きたと言い伝えられている。

 死亡したという記述はないが、その後彼の名が歴史に登場することはなかった。

 だから誰もが死んだ、と思っていた。

 人の一生はせいぜい百年だ。

 五百年生きた、という記述も伝説と思われている。


 だが。

 ジッパーは知っている。


 ゾルディアスは名を変え、最初の魔法使いと別れ、旅を繰り返した。

 旅の間に名を問われれば、その場その場で別の名を語った。

 だがやがてファルマンという名で定着する。

 そして一定の期間が過ぎると再び名を変えて来た。

 長く使われた名が先程並べた名だ。

 そして、ヴェルダンテの時にジッパー、当時はジルと名乗っていた少女と出会うのだ。


 だから、ジッパーは彼のことは知っている。

 ヴェルダンテがゾルディアスであることも、他の名の時も。

 彼の過去は本が教えてくれた。

 だから、全て知っている。

 彼の魔法も何もかも。

 今、この街にかけられているのは彼がリュクスと名乗っていた時に生み出した魔術の一つだ。

 リュクスと名乗っていた当時の彼は、大掛かりな魔術を研究していた。

 街全体に魔法をかけることを楽しんでいた。

 この『眠り猫』の魔法は彼の遊び心だ。


 売られている魔術書にはない魔法。

 それを知っているのは、ジッパーとリュクスだけのはずだった。

 だから、解く方法など必要なかった。

 かける人間がいないのだから。

 これが解けるのはかけた本人のみだ。


 薬と歌声。


 それはジッパーができる最大限のことだった。

 薬で猫耳の成長を止め、歌声で人々を眠らせ、体力の消耗を抑えることで、魔法の発動を抑制する。

 歌声はジッパーだけが使える、リュクスの魔法への唯一の対処法だ。

 それで解ける魔法も多いが、複雑な魔法は発動を抑制することができるという、いわば万能の歌声である。


 猶予は一ヶ月。

 その間に解けなければ街の住民は永遠の眠りについてしまう。


 かけた本人を見つける方法。

 それを今、徹夜で探しているがどれを試しても失敗に終わった。

 リュクスはヴェルダンテとして本に閉じ込められている。

 だから絶対にリュクスのはずはないのだが、他に考えられる人物は。


 そこでようやくジッパーは思い至った。

 最初の魔法使い、だ。


 リュクスが永遠に生きているならば、その師に当たる最初の魔法使いも生きているはずだ。

 ゾルディアスがなぜ彼女の元を離れたのか、その後彼女がどうなったのか、ジッパーは知らない。

 その部分については本に書かれてはいなかったからだ。


 探すのではなく、連絡コンタクトを取るならば。

 応じてくれるだろうか。


 ジッパーはすぐさま本のページを捲り、方法を探した。

 目的の頁はすぐに見つかり、急いでキッチンで必要な道具を揃える。

 銀の器に特殊な水を注ぎ、そこにハーブの粉末を幾つか混ぜ合わせたものをパラパラと入れながら呪文を唱える。

 しばらく待つと波紋が広がり、やがてそれが収まると水面に黒いローブで顔を隠した人物が映った。


「あなたが最初の魔法使い……?」

 ジッパーの問いに首を横に振った。

「最初の魔法使いはずっと昔に死んだ。私はその血を引く者。彼女ほど魔法は使えないがな」

 淡々としたどこか男性的な口調だが、シルエットと声音で女性だと分かった。

「単刀直入に訊くわ。あなたが……『眠り猫』の魔法を?」

「……ああ、そうだ」

 ジッパーは肯定されることを願っていたが、どこか心の片隅では否定されるような気がしていた。

 だから、肯定されて少し驚いた。

「……なぜこんなことを?」

「お前を試している。解魔屋をやっているらしいが、ヴェルダンテの唯一の弟子なのだろう? これが解けたなら、頼みたいことがある」

「解けなかったら?」

「私はこの魔法を解くことはできない」

「できないって……? これはかけた本人しか解けない魔法よ?」

「解く方法を知らない。元々これはリュクスが考えたもの。考えただけで実際使用したことはないし、そのつもりもなかったのだろう。だから、知らない」

「そんな魔法、誰にも解ける訳ないって知ってて……?」

「そうだ。だが、弟子で解魔屋を名乗るなら、解いてもらいたい。私にかけることができたのなら、今後もこういう魔法をかける者が現れる可能性もあるだろう?」


 それはその通りだ。

 その通りではあるが、気持ちの部分で納得はできない。


「頼みたいことって?」

「それは解けねば教えられない。こちらの用件は伝えた。猶予は一ヶ月。考える時間は充分だろう?」

 そう言って最初の魔法使いの末裔を名乗る女性は消えた。

 まだ言いたいことも訊きたいこともたくさんあったが、一方的に言うことだけ言って消える。

 自分勝手な性格は魔法使いにはよくあるものだ。


 唯一の希望であった解魔の方法が絶たれ、ジッパーは落胆した。

 かけた相手とその目的が分かったことは大きな収穫ではあったが、魔法を解く術がなければ街の人々を救う手立てはなくなる。

 

 解魔屋を始めて約百年が経つ。

 今までに解いた魔法は数知れず。

 そして、今まで解けなかった魔法は一つもない。

 解けない魔法はない、と自負さえ持っていた。

 だが、初めて解けないかもしれない、という焦りが見えている。

 いつもは聞こえもしない時計の秒針が大きく部屋に響く。


 何か見落としていることがあるはず。


 ジッパーは再び本の頁を捲る。

 書かれている文字を一文字ずつ見落とさぬように指でなぞる。


 何かヒントがあるはず。


 ヴェルダンテはどんな魔法も永遠ではない、と言っていた。

 必ず解く方法は存在する、と。

 だから、彼の命も永遠のようでいて永遠ではない、いつか終わりは来る、と言っていた。


 だから、解けない魔法は存在しない。


 それがヴェルダンテの口癖であり、ジッパーの信条でもある。

 それにヴェルダンテは常にかける方法と解く方法を記していた。

 でもそれはヴェルダンテは、だ。

 リュクスを名乗っていた頃はとにかくより複雑な魔法を追い求め、大掛かりな魔法を好んでいた頃だ。

 解くことなど考えもせず、高等な魔法の腕を磨くことが念頭にあった。


 それ故今回の魔法を解く方法は記載されていなかった。

 だが、別の魔法のところに解く方法を書くことも多かった。

 どこかに書いていることを願って頁を捲る。

 呪文には『○○の魔法』と名前をつけることが多いが、中には名前のない魔法も存在するし、様々な呼ばれ方をするものもある。

 今回の魔法も別の名があるかもしれない。

 そうやってあらゆる可能性を考え、文字を追う。


 寝食を忘れ、ジッパーはひたすらに本の文字と格闘した。

 八日目、ジッパーは文字を追っていた指を止める。

 指先はインクで黒く染まっていた。


「魔法って言うのはね、一種の思い込みと想像力よ。それが基本。それを物理的に作用するように発動するのが魔法の仕組みね」


 狐の術にかけられた虎がやって来た時にそう講義をしたのを思い出す。


「魔法は仮定を立てる。つまり、数学とか理論とかそういった小難しいことが根底にあるの」


 魔法の基本的考え方。

 それを思い出す。


「解くことばかりに囚われて、かける時のことを忘れてたわ」

 ジッパーはそう呟いて真剣な表情を和らげた。

「試す価値はあるわね」

 そう言ってジッパーは机の引き出しをひっくり返して小さな紙を集めると、羽根ペンを持って家を飛び出した。

 真っ直ぐに向かったのは街の中心にある時計塔。

 地を蹴ってふわりと浮かぶと、背中に真っ黒な翼が生え、塔の屋根まで一気に上昇する。

 そして屋根に座ると翼は消え、手に持っていた小さな紙に羽根ペンで複雑な図形を描き込んでいく。

 一枚描き終わると、それを風に飛ばした。

 紙は宙で黒い蝶に変わると、街へと舞い降りていく。

 同じことを何度も繰り返す。

 ペンにはインクはつけていなかったが、インクが尽きることはない。

 日が沈んで暗くなると、傍に丸い光の玉が浮かんで手元を照らした。


 何百枚という紙が尽きると、ジッパーは立ち上がり街を見下ろした。

 塔に登った時は日が高かったが、見下ろす街は夜が明けようとしていた。


 魔法を解くのではなく、されに上から魔法をかける。

 解けないのならば、解けた状態にする魔法をかければ良いだけのこと。


 魔法は思い込みと想像力の産物だ。


 そんな基本的なことを忘れていた。

「解魔師失格ね」

 苦笑して、ジッパーは両手を広げ、目を閉じた。

 古い言葉で古い呪文を唱える。


 古い魔法は禁術とされているものが多い。

 その存在を知られていないものもある。

 今では高度な魔法が使える者は少ない。

 だから、ずっと使うことがなかった魔法がある。

 だから、すっと忘れていた。

 でも、今はそれを使う時。


 黒い蝶は『眠り猫』の魔法がかかっている人々の胸にぐるぐると巻かれたストローのような口を伸ばし、突き刺していた。

 ジッパーが呪文を唱え始めると、蝶の体は淡い青色の光を放ち、心音に合わせて仄かに明滅する。

 蝶から人の内側へ魔法の膜を張るイメージだ。

 そしてさらに『眠り猫』の魔法を吸い取るイメージを加える。


 徐々に明けてゆく空。

 街に朝の光が差し込み、やがてそれが降り注ぐ頃、ジッパーはゆっくりと目を開けた。


 街の人々も徐々に目を覚ましてゆく。

 ずっと本を捲る音しかしていなかった街に、ようやく人々が生活する音がし始めた。


「……うまくいったようね」


 安堵し、そのまま屋根に座り込んで街を眺めた。

 人々は八日も経ってるとは思いもせず、なぜか腐ってしまってる食材を見て嘆いたり、灯り屋は慌てて外に飛び出し、街灯の灯りが消えてしまっているのに頭を抱えたりした。

 急にせわしない街の様子に、ジッパーは苦笑してそのまま屋根に寝転ぶ。

 不眠不休で食事も摂っていなかったから、安心した瞬間にどっと疲れと眠気が襲ってきた。

 空腹感はなかったが、何かフルーツでも食べなきゃ、と思いながらもそのまま気絶するように眠った。


 そのジッパーの傍らに黒いローブの女性がいつのまにか姿を現す。


「お疲れ様。やはりゾルディアスの弟子だな」

 そう呟いて、ジッパーの体の上をそっと撫でるように手を翳すと、薄い翠色の光が膜のようにジッパーの体を包み込んだ。

 それは数秒だったが、疲れたジッパーの体を癒すには充分だった。

「起きたらまた会いに来よう」

 呟くなりその姿は一瞬で消え去った。

 ジッパーの体もそこにはなく、自宅のベッドの上へと移動していた。


 そんなことがあったとは露知らず、自宅のベッドで深い眠りから目覚めるのは数日後のことになる。

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