Ever Ever After...:ずっとずっと……

 あれから数日が過ぎた。


 つまり、ジッパーの成長しない魔法が解け、魔法書から出てから、という意味だ。

 魔法書は消え去り、ジッパーの姿に変化はなかったが、その体は鉛のように重く感じ、息をするのさえ辛かった。

 ヴェルダンテは残された時間は数ヶ月あると言っていたが、ごく僅かだと分かる。

 そしてそのヴェルダンテだが、ジッパーの予感が当たり、その姿はどこにもなかった。

 魔法書と共に消えた可能性が高い。

 元よりそこから出るつもりはなかったのかもしれない。

 本の中で久し振りに会ったヴェルダンテの言葉は、まるで遺言のようだった。

 全てをつまびらかにし、感謝と謝罪の意を伝えていた。


 こんな終わり方ってないわ。


 そう思ったが、再び会う方法も何もない以上、この結末を受け入れるしかない。

 だが、どうも気持ちの整理がつかず、体が重いというのもあったが、ずっと書斎の椅子に腰をかけたまま、食事も睡眠も摂らずに考え事をしていた。


 なぜヴェルダンテは本から出なかったのか。


 あれほど出るための魔法を用意しておきながら、いざ出られるとなった途端に心変わりをしたのか。

 いや、百年の間にゆっくりと時間をかけて心変わりをしていたのか。


 ヴェルダンテの様子からギリギリで心変わりをした訳ではなく、あの本の中にいる間に徐々に気持ちが変わったのだと思われる。

 でも、一体何がヴェルダンテの心を変えたのか。


 それにしても、ジッパーが一番納得がいかないのは、恩返しをする時間を私に与えないつもりですか? と言っておきながら、結局は魔法書と共に消え去る道を選んだ、ということだ。

 さらに言うなら、ジッパーに残された時間も僅かで、本当にそのつもりがあるなら、もっと時間を与えていてもいいはずだ。

 あるいは、もっと早く本から出るはずだったのか。

 それで予定よりも出るのが遅くなったために、こういう結果になったのか。


 だが、いくら考えても答えなど見つかるはずもない。

 当の本人は消え去って、答えを聞く機会も失われたのだから。


 何度も同じ問いを繰り返し、同じ結論に達する。

 答えのない問いを繰り返すのは無意味だと分かっていながらも、ジッパーはその無意味な行為を続けていた。


「ヴェル……」


 どこへ消えたの?

 なぜ消えたの?


 答えは永遠に得られないと思っていたが、意外にも店の入り口からもたらされた。


「店は閉店したわ」


 鍵は閉めたと思っていた。

 ドアが開き、何者かが入って来る音に力なくそう答えたが、訪問者はその声が聞こえなかったのか、真っ直ぐに机に向かって来る。

 薄暗い店内で弱っているジッパーの目にはそれが誰だか判別できずにいた。


「ごめんなさい、店はもう……」

「ジッパー」

 その声にジッパーは目を細めた。

「ちょっと計算を間違えて、着地に失敗してしまったようです。少し腕が鈍ったかな? それとも歳のせいか……いずれにせよ、やはり久々の外の空気は良いですねぇ」


「……ヴェル?」


 二、三度瞬いて目の前の人物を確かめる。

 霞んだ視界でもそれがヴェルダンテだと分かると、驚いた表情のまま固まった。


「ジッパー、まずは贈り物を」

 ヴェルダンテは青い一輪の花をジッパーへ差し出した。

 それは八重咲きの花一華アネモネで、ジッパーが受け取ると花弁が一斉に散り、重力に逆らって舞い上がった。

 それはまるでフラワーシャワーのようにジッパーの頭上から降り注ぎ、花弁がジッパーの体に触れると、雪のように溶けて吸収されていく。

 そして、全ての花弁が溶けて消えると、ジッパーの肌に血色が戻り、鉛のように重かった体は以前のように軽くなっていた。


「……何を……したの?」

「ちょっとした魔法を。キミだけを戻したと不安にさせたかと思いまして……そのお詫びです」

「……ええ。不安だったわ。本もないんだもの。一緒に消えてしまったのかと……」

「またこんなことに巻き込まれるのは面倒ですからね。お陰で魔法は私の頭の中だけで充分だと悟ったので、過去の書物は全て処分して来ました」

「処分する前に一言戻ったって言えなかったの?」

「戻った先がここではなかったし、すっきりしてから会うのが最良と思ったんですが……一言先に伝えておくべきでした」

 ヴェルダンテは右手を胸に当て、紳士のように礼をして詫びた。


「……魔法使いなんだから連絡手段はいくらでもあったでしょ? 本当に伝説や御伽噺の中の魔法使いなのか疑問だわ」

 生気を取り戻したジッパーは毒舌も復活していた。

 ヴェルダンテもそんなジッパーの様子に苦笑する。


「なにはともあれ、これでめでたしめでたし、ですかね?」

 満足そうに笑むヴェルダンテにジッパーも笑顔になるが、本当にそうだろうか、と疑問も浮かんだ。


 だが、長い間取り組んでいた難解な魔法を解くことができた。

 それはつまり、ほぼ人生を捧げてきた一大イベントが終わった、とも言える。

 これで人生という長い長い物語も終わる、そう思っていたジッパーだったが、ヴェルダンテを見ているとエンディングのようには思えなかった。


 本の中では遺言めいたことを言っていたし、今も終わりを示唆する言葉を口にした。

 それなのに。

「さっきの花は何の魔法だったの?」

 ヴェルダンテの人生を追体験し、魔法を覚えたジッパーだったが、それでもヴェルダンテだけが知っていてジッパーの知らない魔法はあるし、使えない魔法もある。


「……この百年間、魔法使いなのに閉じ込められ、抜け出せないことを悲観し嘆いていた訳ではありません。ただ過去を思い出すことは多かった……特にゾルディアス、最初の名前の頃とリュクスを名乗っていた頃を。私の師である、いわゆる最初の魔法使いのこと、それから魔法の研究に没頭して自らの腕に自惚れていたことを思い出していました」

 思い出すように遠くを見つめる。


「最初の魔法使いと呼ばれていますが、彼女にも名前はありました。ジュリエッタ、愛称をジル、と言います」


 ジル。

 それはジッパーの本当の名と同じ。

 そのことにジッパーは少し胸を痛めた。


「彼女に魔法の素質を見出され、誘拐される形で彼女の弟子になりました。出会った時、彼女は三百歳の老女でしたが、外見は当時の私と同じくらい、二十歳にも満たない少女に見えました。彼女から魔法の基礎を学び、一冊の魔法書を渡されました。私はその魔法書で本格的に彼女の魔法を学びました。ジッパー、キミが私の人生を追体験したようにね」

「なぜ直接学ばなかったの?」

「……彼女と共にいたのは数十年だけです。彼女が私を弟子にしたのは、彼女が死ぬためでした」

「死ぬって……? どういうこと……?」

「孤独に耐えられなかったようです。三百年の間に時計職人の男性と結婚し、子供も一人いました。けれど、二人は当然彼女よりも先に亡くなりました。愛した人を失う悲しみは深く、生きる希望を失っていました。彼女の長く生きるための魔法は、魔法の才能や素質が少なからず必要で、誰にでも作用する訳ではありません。だから、私は彼女の悲しみを癒し、共に生きることを誓いましたが、彼女の悲しみは私の想像するよりもずっと深く、救うことはできませんでした」

「自殺したの……?」

「はい。私は彼女自身が魔法を解く瞬間を見届け、遺体を家族と共に埋葬して欲しいと頼まれました。埋葬場所は人が行ける場所ではなく、魔法使いにしか埋葬できなかったのです」

「……そのために彼女にはあなたが必要だったのね」

 ヴェルダンテは頷くようにゆっくりと瞬きをした。


「……幸い私はその後、魔法の研究に没頭し、特に孤独は感じませんでした。自分の魔法を他に広めようという気もなかったので、弟子をとることはしませんでした。リュクスの名を名乗っていた時は、ついに彼女を超える魔法使いになったと実感し、傲慢になっていました。いつまでも若く永遠に生きるための魔法の研究に特に執着していたのもこの頃です。彼女の魔法では何度もかけ直す必要があったので。一度の魔法でできるだけ長く生きたいと思い、たくさんの魔法を試していました。そのためには何を犠牲にしても良いとさえ思っていました。長く孤独でいると、考え方も歪むんです。今回本に閉じ込められている間、独りで考える時間を得て、彼女のようにこの永遠に続く生に終止符を打つことも考えました。でも……」

「でも……?」

「ジッパー、キミという弟子を得てからの日々を思い出したんです。この長い人生で誰かと共にいたことはありました。でもそれは同じ魔法使いではなく、ただの普通の人です。魔法の才能や素質を持っている人に巡り合うのは、本当に難しい。長く生きてきて、初めて出会ったのがジッパー、キミです。だから、弟子にしようと思いました。共に過ごしてみたいと興味を惹かれた。教えるつもりでいましたが、逆に教えられることが多く、考え方も変わりました」

 そこでヴェルダンテは柔らかに笑んだ。


「このまま終わるのは勿体無い。何よりもこんな偉大な魔法使いを二人も失うのは、世界の終わりと等しい。そう思いませんか? 魔法をかけることばかりに囚われていましたが、解魔屋の方がかけることよりもずっと難しく、楽しいと気づかせてもらいましたし。それに独りで研究に没頭するより、誰かと研究する方がずっと建設的で進歩的です。だから」

 一緒に生きるための魔法をかけました、とヴェルダンテは楽しそうに笑った。

 その表情にジッパーは何か言おうと口を開きかけたが、そのままゆっくりと口を閉じた。

 魔法使いは自己中心的で傲慢だ。

 そして、かなりの頑固者だ。

 中でも特にヴェルダンテは。


 大きく息を吐いて、気持ちを落ち着かせ、ジッパーはやっと口を開く。


「一緒に解魔屋をやるっていうなら、店長は私よ。それは譲らないから」

 ジッパーは片手を腰に当て、もう片方の手を人差し指だけを立て、チッチッチッチ、と振った。

「勿論!」

 ヴェルダンテは笑顔で頷き、ジッパーもつられて笑った。


 一つの魔法を解くための方法探しの日々が終わり、そして今度はあらゆる魔法を解くための日々が始まりを告げた。


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