Art and Magic:術と魔法

 この辺りで解魔屋は『NO No.ノー・ナンバー』だけである。


 腕はいいと聞くが、偶然よくない噂も耳にした。

 店主はジッパーという子供だという。


 だが、それは外見だけの話で、中身はかなりの老齢らしいのだ。

 どんな魔法も解ける力を手に入れる代償として、魂を売り渡した結果がその姿らしい。

 だから、己にかけられたその魔法だけはどうしても解けないようなのだ。


 この世界、魔法は至るところに溢れてはいるが、皆が皆魔法を使えるわけではない。誰もが魔法を日常に住まわせていながら、それを使うすべを知る者や才能を引き出せる者は少ない。


 だが全く使えないわけではない。

 初歩の魔法なら誰もが使えるが、使い方を間違えると自分の魔法ですら自分で解けないという事態に陥るのだ。

 だから、解魔屋という商売が存在し得る訳で。

 その解魔屋の店主が魔法を解けないというのは致命的だと俺は思うのだが。


「その事実を隠してるのか、そのジッパーってのは」

 俺はその情報をもたらした男と酒を飲んでいる。


 勿論、情報料だと言って男はこちらの懐具合などお構いなしに、既に手酌でザルのように飲み続けている。

 安い酒だがこうも飲まれてはそろそろ話を切り上げて帰りたい。

 だが、そうも言ってられなかった。

 俺は切羽詰っていた。


「別に隠してないさ。わしが知ってる。わしが知ることができるなら、蟻だろうが象だろうが知ることができるさ」

 どういう例えか分からないが、男は楽しそうにまた酒を注ごうとし、銚子が空だと知ると店員を呼びつけて代わりを頼む。

 テーブルの上に増え続ける銚子の数に俺は眩暈さえ感じた。

 俺はまだ猪口に二杯目だというのに。


「まあ、どうあれあそこは止めとけ。怒ると怖いらしいぞ」

「怖い?」

「ん。一生呪われる」

「どんな風に?」

 んー、と男はふさふさした尻尾を揺らす。

 多分、頼んだ銚子がすぐ来ないことにイラついている。


「醜い姿に変えられるとか……毎晩悪夢を見るとか……そんなのわしが知るかい。ともかく、怒らせるとろくなことにならん。どんな魔法も解いてくれるが、解魔屋なんぞに関わると死ぬ」

「死ぬぅ?」

 俺がそう素っ頓狂な声を出したところにやっと銚子が運ばれて来た。


 途端に尻尾が嬉しそうに揺れる。

 そろそろヤバイ。

 財布が空になる。


「解魔屋への依頼の仕方ってどうやるんだ?」

 本題はそれだ。それを聞き出すために酒を奢ってやっている。

 男はこちらの足元を見て、のらりくらりと話を引き伸ばしていた。


「なんだい、本気で行く気かい? なら、教えてやる。店主は黒が好きらしい。だから、全て黒で統一してやるのさ」

「そうか、ありがとう。悪いが用を思い出した。俺はこれで失礼するよ」

 やっと知りたい情報を得られたので、そそくさと逃げるように店を出ようとしたのだが、

「お客はん、代金足りませんえ」

 へ? と俺は店員に聞き返す。

 銚子の数はきっちり数えた。その分を払ったはずだが。


「あの人のツケ代、お客はんが払いなさるって……」

 あんにゃろ。

「いくらですか?」

「三つ半」

「みっ……!!」

 俺は絶句する。どんだけザルなんだよっ。


「悪いがそれは俺の払いじゃねぇやい。あいつのツケはあいつで払うのが決まりだろう?」

「せやけど、証文頂いとりやすよ」

 ほら、と店員は白い紙をかざした。

 俺の字じゃない下手くそな字で俺の名前が書いてあって、ご丁寧に恐らく俺の拇印が押されていた。

 寝ている隙にでも無理矢理押したに違いない。

 なんともずる賢い奴だ。だから俺は狐が嫌いなんだ。


「くっそう」

 俺はしぶしぶ三つ半払った。俺の財布は完璧に空になった。

 どうしてくれよう?


 俺は解魔屋に直接行くことを決意した。もう既に呪われている気がした。

 最初は狐に魔法を解いてもらおうと思ったのだ。

 狐は魔法の才能を持つ者が多いとよく聞くからだ。

 だが、こいつは最初ハナから解く気などない上、ずっと解魔屋の話をして酒をたらふく飲みたかっただけだ。


 でも、どんな魔法も解ける解魔屋なら、俺にかけられた厄介な魔法も解けるかもしれない。

 怖いと聞いたが、俺に怖いものなどない。

 それもついでに証明してやろう。


 そんな気持ちで早速家に帰り、黒い封筒に金を入れて解魔屋へ向かった。


 ***


「あのぅ……」

 店内、というのだろうか。

 そこらじゅうに本が溢れかえっている。床にもびっしりと本が転がっていて……というより敷き詰められていて、俺は仕方なく本の上を歩いて店主のジッパーを探す。


「魔法を解いてもらいたいんですがぁ……」

「悪いけど、狐のはお断り。あれは魔法とはちょっと系統が違うし、厄介なのよねぇ」

 ふいにそう早口で聞こえた声に、俺は周囲を見回すが、どこにもその姿はなかった。


「ま、どうしてもって言うならこっちも商売だから引き受けるけど、三つ半。それ以上はまけられないわね」

 にこり、と微笑む顔が逆さまに目の前に降って来て、俺はうわぁっ、と情けない声を上げてしまった。


 少し離れて冷静に見つめると、彼女は天井に足を向けて浮いている。

 が、重力がそこだけ違うのか、長い髪の先は地面でなく天井に向いてるし、ワンピースのスカートも捲れてはいない。


 くるり、と反転して音もなく本の上に着地すると、軽くスカートを叩いて整える。

 大人びた表情や口調でも、見た目はただの幼い少女だ。


 漆黒のワンピースはどことなくアンティークというかクラシックというか。

 フレアスカートの裾にはよく見ると紫のブレードが入っている。

 胸元から腰まである編み上げのリボンやパフスリーブに付けられたリボンも同じ紫だ。

 中身はかなりの高齢だと聞いたが、服装の趣味はパフスリーブな辺り、完全に見た目にマッチしている。


「私はジッパー。特別な封筒で依頼を持って来る人にしか商売しない。それがここのルール。なんだけど、今回は特別に仕事をしてもいいわよ? おもしろそうな魔法を持って来る人は少ないのよね。この前なんか正規の依頼だったけど、それはもう大変な目に遭って……」

 そこでぴたっ、と動きを止め、ジッパーはじいっ、と俺を覗き込む。


「な、なんすか?」

「ダブルバインド……ってとこね」

「は?」

「重複魔法を指す言葉よ。少し魔法について講義しましょうか。一応説明しておく義務があるの。古いルールだから最近は守らない人や知らない人も多いけど。でもとても大切なことだから、これはサービスよ」


 そう前置きして、ジッパーは俺を軽く押した。ほんの軽く手を触れただけのように見えたが、俺の身体は後ろに傾き、すてん、と後ろにこけた。が、尻餅はつかなかった。

 いつのまにか宙に浮かぶふかふかの椅子がそこにあったからだ。

 ジッパーはあぐらをかいて宙に浮かび、俺と目線の高さを同じにする。


「魔法って言うのはね、一種の思い込みと想像力よ。それが基本。それを物理的に作用するように発動するのが魔法の仕組みね。誰もがその才能を潜在的に持ってるんだけど、それをうまく引き出すのはちょっと難しいしコツがいる。でもね、さっきも言ったけど狐が使うのは別。魔法のように見えるけど、根本的な考え方が全然違うのよ。だからすぐに区別できる。狐は術を使う」

「術? 魔法とどう違うんだ?」

「魔法は思い込みだって言ったでしょ? 魔法は仮定を立てる。つまり、数学とか理論とかそういった小難しいことが根底にあるの。私は今宙に浮いてるわね? これは周囲の空気圧と私の物理的な身体の比重とのバランスよ。この身体を浮かせる為にはって考えて仮定を設定するの。でも、術は違う。魔法は科学だけど術は非科学で構成されてる。私とは世界が違うから、詳しくは説明できないけど、術は誰もができるものじゃない。特有の才能がいるものなのよ。狐にそれが多く見られるだけで、術を使えない狐も中にはいるわ。練習して才能を伸ばすことはできても、ゼロから才能を引き出すことはできないのが術。魔法は訓練次第で引き出すことができるわ。威力の大小に才能は関係してくるけど、それでもゼロからスタートできるのは魔法ね。そこが大きな違いよ」

「なら、俺でも宙に浮く魔法は使えるのか?」

「ええ。でも教えないわよ? 私は先生じゃないもの。ただの解魔師。魔法を解くのがお仕事よ。だから、あなたの魔法を解いてあげるだけ。それが目的でここに来たのでしょう?」

 そうだけど、俺にも使えるものなら使ってみたい。


「想像力だって言ったな? 俺が自分が空を飛んでるところを想像したら、本当に空を飛べるのか?」

 俺の問いにジッパーは大きく深く溜息を吐いた。

 失礼な奴だ。バカにしている。


「そんな単純なものじゃないわ。想像力と思い込みが基本だとは言ったけど、それはあくまで定義の段階よ? 想像するだけで何でもできたら、解魔師なんていらないわよ。想像するだけで魔法が解けるじゃない。もっと深くて難しいものなの。でもあなたみたいに単純な客が多いから、解魔師は商売繁盛させてもらえるから一応感謝はするけど」

「単純って……」

「あら、気に食わなかった? これでもオブラードに包んだ方なのよ? ストレートにバカって言った方がよかったかしら? 一応客商売だから口の利き方には気をつけてるんだけど、分かってもらえないならストレートに言うしかないわねぇ」

 楽しそうに笑うジッパーはどう見ても嫌な奴だ。この意地悪さは子供のものじゃない。


「……あんた、大人にならないんだってな。魂売ってまでこんな商売したかったのかよ」

 俺はちょっとばかりムカついていた。この程度のことに腹を立てていた。

 だからこんなことをつい口走った。言ってからしまった、と思ったが、まあいいや、とも思った。


 だが、ジッパーは表情を消して、俺を見据える。

 呪われるのか?


「魂は売ってやらない。私は私よ。大人にならないのは事実だし、誰かに魔法をかけられてて、それを解魔師のくせに解けないのも本当。この仕事だって好き好んでやってるわけじゃない。大人になる為にこの仕事をしてるの。自分にかけられた魔法を解く鍵を、ここで見つける為にこの仕事をしてる。魔法は無数にある。想像力って限りがないでしょ? だからその分だけ魔法も存在する。こうして宙に浮かぶ方法だって、別な方法もあるわけよ。理論とか仮定とかそれも一つじゃない。幾つか方法はあるの。私の魔法はそうしたものの積み重ね、寄せ集めで成り立ってる。だから、私はいろんな魔法を見つける為にここにいる。バカにはこんな気持ち分からないでしょうけど」

 言い終わらないうちに椅子が消え、俺は本の上に思い切り尻餅をついた。

 でも、尻の痛みよりジッパーのその表情から俺は目が離せなかった。

 とても辛そうに目を伏せる姿は、泣き叫ぶ子供よりもずっと悲痛に見えたからだ。


「気が変わった。どうしても魔法を解いて欲しいなら、ちゃんと手順を踏んで出直してらっしゃい。黒便箋に白いインクで依頼内容を書いて、それを黒い封筒に入れるの。他の解魔師を頼んでもいいけど、あなたのそのダブルバインドは私にしか解けないと思うわ」

「……ここを出たら俺を呪い殺すのか?」

「そんなことしなくても、あなたの魔法が生きてる限り、いずれ死ぬことに変わりないもの。一つヒントをあげるなら、それは術と魔法の融合よ。解魔師の多くはそのどちらかしか解けない。でも、同時に解く必要がある。片方だけ解けた瞬間、もう一つの方があなたを滅ぼすでしょうね。それはそういうモノよ」

「脅すのか?」

「事実よ。信じるかどうかは私には関係ないこと」

 ジッパーは静かに本の上に降り立ち、店の奥へと消えた。

 俺は仕方なく店を出た。だが、出た瞬間、俺はその場にへたり込む。


 どうしよう?

 どうしようっ!


 俺はジッパーを怒らせてしまったことに、激しく後悔していた。

 もしジッパーの言葉が本当なら……

 俺はすっく、と立ち上がって気合を入れる。


 そして。


 ***


「やあ。やっぱり戻って来たねぇ」


 別の狐がさっきの居酒屋のテーブルに座って、すっかりご機嫌のていである。

 銚子を振って、おねぇさぁん、と店員を呼びつけ、おかわりぃ、と紅い顔をほころばせる。


 俺はうんざりした。

 向かいの席に収まると、狐は嬉しそうに俺を見た。

 だいぶ酔っ払っている。息がすごく酒臭い。

 俺はテーブルの上の銚子をすぐに数える。よかった。まだ一本だ。代わりが来て二本。

 財布は空だけれども、家に帰れば僅かな貯金がある。


「解魔屋に行ったってダメだったでしょ? なんで解けないのかそれが知りたいんでしょ?」

 狐は楽しそうに笑った。

 安酒一本でこれだけ酔えるなんて、とことん酒に弱い奴らしい。


「おにぃさん、飲むかい? ま、ま、飲みなよぉ。酔わないと死ねないでしょ。死にきれないよねぇ」

 新しい銚子が来るなり、俺の返事も待たずに銚子と一緒に来た猪口に注いで渡す。

 俺はそれに軽く口をつけ、喉を湿らす。

 俺のその飲みっぷりの悪さに、狐はくふん、と変な不機嫌そうな声を出したが、すぐに自分の猪口に注いでおいしそうにぐいっ、と飲んだ。


「俺が死ぬってなんでそう思うんだよ?」

 俺はようやく口を開く。

「ああ、賭けてるんだ。あんたが死ねば僕の勝ち。あんたが生き延びればコンの勝ち」

 コン、というのは先程会った狐のことだ。二人で賭けてやがったか。


「でも僕が絶対勝つと思うんだよね。だからこれ、弔い酒ね。最後の酒くらいは僕がおごってあげるよ。だからもっとぐいっと飲みな、にぃさん」


 弔……っ。


 俺は絶句する。気が早すぎる。というか勝手に人の命を賭けるなっ。


「なんであんたが勝つって決まってるんだい?」

「そりゃあ、僕の術だからね。僕は天才だから。ま、夜が明ける頃には死んでるよ。そうしたらコンも僕が一番だって認めるさ。あいつ負けず嫌いでさぁ、困るよねぇ。才能ない奴に嫉妬されるのって」


 自信過剰にも程がある。ってその前にお前がかけたんかいっ。

 俺はだんだん腹が立ってきた。人の命をなんだと思っていやがるっ。

 感情のままに勢いよく立ち上がった俺に、ん、と狐は訝しげな視線を向け、鼻をひくひくさせる。


「魔法……かい? 僕の術の上に何か被せたね?」

 キロッ、とその目が光る。


 俺は無言で店を出るつもりだったが、狐のその一言でタイミングを逃してしまった。


「誰に頼んだんだい? おや? もしかして……」 

 何か嫌な雰囲気が漂い始め、俺は半歩後退し、椅子を倒してしまった。

 その音に店中が静まり返り、全員の視線がこちらに向く。


「お客はん、困ります。こんな狭いとこで魔法やなんか使われはったら……」

 店員が側に駆け寄って来たが、狐の視線に身を竦め、困ります、と小さな声で言って下がった。


「これじゃあ僕の術がうまく発動しないじゃないか」


 ヤバイ。


 俺はそこからダッシュして逃げ出したいのに、身体が動かない。

 狐の術なのか、俺は声すら出せなかった。


 本当に死ぬのか?


 目を閉じた俺の瞼の外で、何かが吹っ飛んだ。

 そっと目を開ける。


「ガキがこんな術使うんじゃないのっ」

 目の前には頭から細く血を流す狐のぽかん、とした顔があって、床に視線を落とすと、割れた銚子が転がっていて、そして。


「全くぅ。そんな悪さをする為に教えたんじゃないんだかんねっ」

 隣に視線を移すと、俺よりも幾らか年上の、とても綺麗な女性が立っていた。


「弟がバカでごめんなさいね。よぉく言って聞かせますので、どうか堪忍して。はい、手をお出し」

 俺は言われるままに手を差し出した。その手を左手で受けて、右手で優しく何かを手に乗せた。

 白い手が俺の手を離れると、そこには。


「三つ半。それとツケ代。これで間違いないわね? コンから預かって来たわ」

 柔らかに笑む彼女を俺はぼうっと見つめた。

 狐もそう悪くない。そう思えた。


「そうそう。これは自分で何とかしなさいね。依頼状だけは用意しておいたから。私たちには解いてあげられないから」

 いいわね、と彼女は黒い封筒を懐から出して俺に差し出した。


 宛名も何もない黒い封筒。


 俺はそれを受け取って、真っ直ぐあの道を辿る。

 ジッパーの店へ至る道を。


 ***


「大切にしなさいよ」

 魔法を解くのにそう時間はかからなかった。


 でも感触はまだずっと残ってる。身体から何かが風のように抜けて出る感触。それはざわり、として多分、猫が毛を逆撫でされる気分。

 だけど、妙に身体が軽くなってすっきりしたところで、ジッパーはそうにこり、と笑んだ。


「あんたって本当に素直で単純だから、そんなんじゃ今頃とっくに土の下にいてもおかしくないわよ? 使うのがガキでも術はちゃんと成功して、威力もバッチシだったんだから」


 俺のダブルバインドとやらは、コンが俺に保護魔法をこっそりかけていた上に、狐の術が被さって、その瞬間にまたコンの魔法が発動してその術の上に被さって……

 つまり、狐の術をコンの魔法がサンドイッチにして、術の発動を抑制していたらしい。


 でも、コンの魔法はへっぽこで、抑制するだけで打ち消すところまではいかなかった。対する狐は優秀で、いずれ遅かれ早かれ魔法を打ち消して発動していただろう、とジッパーは言う。


 コンは魔法は使えない。恐らくどこかのへっぽこ魔法使いにでも頼んだのだろう。もしくは料金をケチったのか。

 コンのことだから、後者のような気がする。

 そんなズルをして賭けに勝つ気でいたのか。

 なんだか飽きれてしまう。


 絡まった魔法と術。それを解くのはとても難しいのだと、ジッパーは何度も繰り返し自慢した。それをいともあっさり解いた自分を。


「でも何で狐なんかに関わったりしたのよ? あんたの方が強い筈でしょ? 自然の摂理から言って。喰っちゃえばよかったのよ」

「狐なんか喰う趣味ないよ」

「そういえばことわざにあったわよねぇ。あれも狐が賢くてあんたがバカだっていう……」

「そういう意味じゃないだろ」

「あら、たいして変わりないでしょ」

 しれっ、とジッパーは笑う。


 喰ってやろうか、とも思ったが、生意気なガキにしか見えないジッパーは、笑うと本当にただの子供にしか見えなくて、喰う気が失せた。


「でも、真っ直ぐでいられるってそうなかなかできることじゃないわ。個人的にはそのままのあんたでいてほしいわね。さ、そろそろ魔法と術が抜けた反動は自然に還った筈よ。残ってた感触も薄らいだでしょ?」

 そう言われれば。

 もうあの気持ち悪い感触はなくなっていた。


「……あんたに関わると、死ぬって聞いたけど?」

「解魔師なんかに関わらない方がいい。それは間違ってる。でも、私に関わらない方がいいっていうのは間違ってない。呪われた人間の側には長くいないことね。ほら、さっさとお帰り。ここに長くいると死ぬわよ」

 彼女はそう手をしっしっ、と振った。


「……早く解けるといいね、その呪い」

 俺はそれだけ言って店を出た。

 彼女は、ジッパーは何も言わなかった。


***


「あんな虎もいるのね。バカでもああいうバカなら悪くない……」

 本の上にあぐらをかいて、ジッパーは閉じた扉を見つめた。

 その背後から男の笑い声が聞こえる。


「……何よ。笑わなくたっていいでしょ?」

「いえ、思い出し笑いですよ」

 その言葉にジッパーもそれが何を指しているのか分かって沈黙した。


「あれは確か……ザディアート、いや、ディラルグでしたか……あの頃は名前の変動が激しくて……」

「もっと前よ。ファルマンの時でしょ」

「そうでしたっけね。初めて狐の術を見たあなたの顔が忘れられませんよ」

「狐を見たことなかったんだもの。だから術の存在さえ知らなかった。あの頃は特に今と違って狐は隠れて暮らしてたし」

「大昔は獣人族と言葉が通じなくて大変でしたよねぇ。言葉が通じるようになってから一気に人の中に獣が混じるようになりましたし、魔法も大きく発展しましたからね。でも、古い魔法が今でも解けずに残っている、というのには驚かされますね」

「今の魔法は簡単で手軽なものが多いけど、昔のは複雑で強力なものがほとんどだわ。禁止されている魔法の多くが古い魔法だもの」

「ですが、今は魔法への研究も……」

「魔法に関する本は全て古いものから新しいものまで読んだわ。でも、彼の魔法だけは誰も解き明かせていないのよ。彼は今でも存在しない。伝説や御伽噺の住人でしかないの」

 ジッパーの言葉に男は黙った。


「……あなたとの会話もそろそろ限界かしらね?」

 ジッパーはそう呟いて机の方を振り返った。


 が、そこには誰の姿もない。

 けれど、何かの気配が揺れた気がした。

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