A Golden Key Opens Every Door:魔法を解く鍵

 雲一つなかった空に、いつの間にか雲が広がり始めていた。

 塔の上ということもあり、風を感じ始める。


「あなたの本当の名前は何なの? リュクスってその姿の名前でしょう?」

「この姿になって忘れた。リュクスが今の名だ。元の姿の記憶も薄らいできてしまってな。この姿になって百年以上経つからな」

 その言葉にジッパーは彼女を見つめた。


 百年。

 彼女は最初からそう言っていた。

 つまり、彼女の本を男が奪い、その本にヴェルダンテを閉じ込めた。

 そこは理解していた。


 そう。

 彼女は男に本を奪われた時にリュクスの姿になり、その後男を追いかけながら魔法を解ける解魔屋を探して旅をしている。

 百年の間に二度、出会った解魔屋は彼女のテストに落ちた。

 三度目にこの街に辿り着いたのだ。


 なら。

 二度目の街を訪れてからここに辿り着くのにどれだけ時間が経っているのだろう?

 既に手遅れなのかもしれない。


「……迷路の街は……」

「その話はまだ終わってなかったのか?」

「これが最後よ。いつ魔法をかけたの?」

「安心しろ。もう随分前だから、とっくに廃墟だ。ここ数十年間はお前を探していたのだから、生き残りは一人もいないだろうよ」

 だから魔法を解くのに集中してくれないか、と彼女は面倒そうに言った。


 私のために街が二つも犠牲になったの?


 知らない間にそんなことが起こっていたなんて、とジッパーは愕然とした。

 やはり自分に関わると不幸になる。

 そう思うと魔法を使わずに今すぐこの塔から飛び降りてしまいたい衝動に駆られた。

 それでも思い留まるのは、ヴェルダンテを救いたい、という気持ちがあるからだ。

 それだけを胸に生きている。

 魔法を勉強するのも、本を読み漁るのも全てはその為。

 今までにも自分に関わったがために悪い魔法に巻き込まれた人もいた。

 春の祭りもそうだ。

 ジッパーの小さな村が一つ、ジッパーがそこにいたがために消えてしまった。


 だが、今回ばかりはその比ではない。

 ジッパーを探すために解けない魔法をかけ、その結果、街が二つも犠牲になった。

 一体どれだけの人の命が奪われたのか。


 だから、魔法使いが嫌いなのよ。


 ジッパーは心の中で毒づいた。

 自己中心的で傲慢で、自分以外はどうでもいいと思っている。

 いつも魔法が厄介なことを巻き起こして、誰かを不幸にする。

 本来は人を幸せにするものであるはずなのに。


 魔法は便利でいいわねぇ。


 母はそう言っていた。

 魔法が使えるというだけで尊敬の眼差しが向けられた。

 遠い遠い記憶だ。


「さっきは気合入った顔をしてたが、落ち込んで解く気力が失せたか?」

 彼女は俯いたままのジッパーに、苛立った声を投げた。

「……契約だもの。解くわよ。あなたの話から推測するに、下手な魔法が本で増幅され、それを反射的に張った不完全な防御壁シールドで半端に防いだ結果がその魔法だと思うの。つまりね、下手な魔法と不完全な魔法を完璧な魔法書が仲介して……絡まった糸を元通りにするようなものだけど、片一方の糸は持ち主がいなくなって、糸の先が完全に見えない状態なのよ。だから、少し調べる時間が必要なの」

 ジッパーは話の途中で彼女が眉間に皺を寄せる度に言葉を変えた。

 彼女は自分でも言っていたが、本当に魔法についての知識が浅いようだ。

 自分にどんな魔法がかけられているか、それもよく分かっていないようだった。


 本当に最初の魔法使いの血を引いてるの?


 ジッパーは頭を抱えたい衝動を抑えた。

 さっきは契約について講義してやろうか、などと強気な発言をしていたが、魔法についての講義をしてやろうか、と言いたいのをぐっと堪えた。


「この街の魔法を解いた時のようにはいかないのか?」

 彼女は怪訝そうに問う。

 が、その問いは初心者の質問だ。

 本当に魔法についての講義が必要かもしれない。

「……あのねぇ、今回は何の魔法か分かってたし、かけられた魔法も一つだったでしょ? あなたの場合は三つの魔法が複雑に絡み合ってるの。だから、力技は向かないのよ。まずは一つ一つを丁寧にしかも順番に解く必要があるわ。そのためには、どんな魔法か知る必要があるの」

「どんな魔法かは分かっているだろう?」

「分かってないわよ。あなたの魔法は完全に発動してなかったみたいだし、かけた男の方は未熟だったわ。唯一完璧だったのは魔法書だけど、それは二人の魔法の間にあっただけで、二つの魔法を結び付けただけよ。混ざり合った魔法は変化するの。だから、どんな魔法か理解するのに時間がかかるのよ」

「私の魔法が完全ではないと、見てもいないのになぜ言い切れる?」

「分かるわよ、それくらい。だってきちんと発動してたら、そもそも魔法はかかってないもの。防御壁を張ったんでしょ?」

 ジッパーの言葉に彼女は唇を噛んだ。

 そんな彼女を見、ジッパーは最初に感じていた彼女からの威圧感をすっかり感じなくなっていた。

 それよりも疑念の目で彼女を見上げている。


 何かがおかしい。

 こんなにも魔法に対して知識がないのに、最初の魔法使いの血を引いてると言えるのか。

 そもそも記憶はかけられた魔法から得たもので、魔法もそれで少し使えているだけなのではないか。

 そもそもで言えば、防御壁すら嘘なのではないのか。

 となると、かけられた魔法の特定は無理だ。

 自分のことを知ってたのも、かけられた魔法が原因なら?


 そんな風に考えると、急に目の前の彼女に腹が立ってきた。

 先程から腹は立っていたが、さらに、である。

 こんなに腹の底から怒りを感じたのは生まれて初めてだった。


「あなた、本当に最初の魔法使いの血を引いてるの?」

 だから、つい言ってしまった。

 すぐに否定されると思ったが。

 唇を噛んだまま、彼女はふい、とそっぽを向いた。


 え?


 ジッパーは目を丸くする。

 まさか、違うのか。

 ジッパーは両手を腰に当て、仁王立ちになった。


「ちゃんと初めから何があったか話してもらいましょうか」


 契約を結んだ時とは完全に立場が逆転していた。



 百年と少し前。


 彼女は魔法書と薬草を扱う店を営んでいた。

 有名な魔法使いの伝説の魔法書が家宝ということで、代々それだけは売り物ではなく、鍵の掛かった木箱に入れ、それをさらに金庫に入れて厳重に保管していた。

 どういういきさつで手に入れたのかは、実は定かではない。

 ただ、彼女の父親が言うには、我が家は最初の魔法使いの血を引いているのだ、というのが酔った時の自慢話であった。

 だが、血を引いている割に誰一人として魔法をまともに使える者はおらず、才能もまたなさそうだった。

 一応店を営んでいるので、護身用にと防御の魔法を唯一知っているくらいのものだ。

 だから、血を引いてるのも、魔法書が本物だというのも、父親の嘘だと家族の誰もが思っていたようだ。


 ところが、ある夜更け、男が家に押し入って金庫をこじ開け、魔法書を奪って逃げようとしているところを彼女が見つけ、防御の魔法を初めて使ったようなのだ。

 男は手にした魔法書を開いて、何か呪文を唱えたらしいが、それが何か彼女には当然分からなかった。

 ただ、魔法をかけられる、と思って防御壁を張ったようなのだ。

 強盗対策に買っていた追跡の魔法の粉を男にかけ、それでそのまま男を追って家を飛び出したのはいいが、秋の祭りで賑わう街で見失ったらしい。

 そこで男は死に、追跡の魔法も効力を失って、途方に暮れたようだ。

 勢いで飛び出したので何も持っていなかったが、川面に映る自分の姿を見た瞬間、頭の中にリュクスの名と彼の記憶の一部が浮かび、魔法が使える楽しさを味わったようだ。


 そこから約百年間、男と魔法書を追いながら、魔法を解いてくれる人を探していたらしい。

 その間に自分がリュクスのような気がして、徐々に心が引っ張られている気がする、と彼女は話した。

 言葉遣いも考え方もリュクスになっている、と。



 ざっくりと話を聞き終えて、ジッパーは大きく溜息を吐いた。


 彼女がリュクスですって?

 魔法のせいでリュクスに引きずられてるですって?


 全然違うわよ、とジッパーは思った。

 と、同時になんとなくこの魔法の特性が分かってきた。


 彼女が最初の魔法使いの血を引いている、というのは嘘だろう。

 魔法書も最初の魔法使いのものだと思われていたのだろう。

 それに信憑性を持たせるための父親の虚言だ。

 魔法書を扱う店にありがちなことだ。

 リュクスは非道な魔法使いとして知られている。

 だが、最初の魔法使いの子孫という説がある。

 本当は違うし、その説もほぼ否定された説でもあるが、信じている人々も少なからずいる。


 リュクスは確かに残酷な魔法を研究し、追い求めていた。

 魔法の限界を知るために。

 後に彼自身、あの頃が一番酷かった、と振り返っている。

 自分以外はどうでもいい、と思っていて、魔法のためなら何を犠牲にしても良いとさえ思っていた、と。

 だが、彼女とリュクスは同じ非道な使い方をしても、決定的に違う。

 リュクスは魔法をかけたままにはしなかった。

 街を消すような魔法はそれで終わりだが、街を迷路に変えてしまうような魔法の場合、リュクスはそれを解くことも楽しんでいた。

 何を犠牲にしても良いとは思っていたが、犠牲はあくまで最低限に、という考えは根底にあった。

 自分で解けない魔法は考えるだけでかけはしなかったし、かける場合は一定時間楽しんだ後、必ず解いていた。


 それに、もし間違ってかけた場合の対処法も考えてはいた。

 その分別だけは持っていた。

 だが、彼女は違う。

 かけるだけで解くことは考えていない。

 誰かが解いてくれれば良い、解けなくても構わない。


 だから、彼女は自己中心的で、リュクスは利己的であった、という違いがある。


 どちらも自分さえ良ければ良い、という考えだが、何も考えずに自己を押し通すのと、分かってて押し通すのでは、結果的には同じでも、それは決定的な違いだとジッパーは思う。

 故に、彼女はリュクスではない、とジッパーは結論付けた。


「私に少し時間を頂戴。あなたの魔法を理解して、解く方法を考えるわ。見つけたらまた連絡するから」

 ジッパーの言葉に彼女は渋々承諾し、姿を消した。

 ジッパーは軽く溜息を吐いて、屋根から飛び降りる。

 音もなく、重力も感じさせずに地面に着地をすると、ジッパーの体は仄かな淡い光に包まれた。


 彼女は追跡の魔法が使える。

 光に身を包んだのはその対策だ。

 家の場所は知られているようだったが、魔法書があることはまだ知られていないはずだ。

 それは何としても隠したい。


 家に帰ると、真っ先に魔法書を開いた。

「リュクス、あなたの一部が外に出ているわ。他にも外に出ている魔法がある。それを回収したいのだけど、把握できてる?」

「彼女に会ったのですね?」

 男の声は囁くように小さくなっていた。

「なんとなく理解できてきたわ。外に漏れてる魔法を回収することで、私の魔法は解ける。でも、それであなたをそこから出せるの?」

「さあ? それは私には分かりません。ですが、魔法を解く度、こうやって話をすることが困難になってきています」

「……それはつまり?」

「どちらでしょうね? 私には分かりません。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私は本の文字。ヴェルダンテでもリュクスでもありません」

 そうね、とジッパーは静かに頷いて、優しく開いたページを撫でた。


「彼女の魔法を解く方法を教えて」


 ジッパーの囁きに風が巻き起こったように本の頁が素早く捲れ、目的の頁でピタリと止まった。


「『破魔はまの目』、『眠り猫』の魔法。そして、『水鏡』の魔法……」

「魔法を解く鍵は常にある、それが彼の魔法の特徴であり、偉大な魔法使いの鉄則です」

「そうね。こんな風に知りたくはなかったけど、あと何個残ってるの?」

「星の数ほど。でも、『破魔の目』の前にも一つ、解けた魔法はありますよ」

 その言葉にジッパーはああ、と目を閉じた。

「……気づかなかったわ。でも、今やっと分かった。やっと、分かったわ」

 ジッパーはそう言って本を閉じた。

 そして、大きく深呼吸をし、本を抱きしめた。


「ヴェル……」


 呟いて、閉じた瞳からは、涙が一筋零れ落ちた。

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