Zipper:解魔屋綺譚
紬 蒼
本編:Zipper:解魔屋綺譚
解魔師・ジッパー
NO No.:解魔屋ノー・ナンバー
薄暗く入り組んだ迷路のような路地裏を奥へ奥へと進むと、ようやく淡い
扉を開けるとそこは書斎のような具合で、奥に机があり、周囲の壁面は全て書架になっている。
書架から溢れ出した本が床に散乱し、あちこちに本の山までできていた。
机の上はまだマシだが、それでも煩雑な印象は変わらない。
「あのう……」
声をかけると、机の上に山積みされた本の山の向こうから手がひらひらと伸びた。
机に誰か座っているらしく、手招きをしている風なので、なるべく床の本を踏まないよう慎重に歩こうとしたが。
「踏んじゃって構わないから、急いでここまで来る!」
そう大きな声ではなかったが、よく通る声がし、慌てて机の前まで駆け寄ろうとしたが、踏んだ本に足をとられて転ぶと、大きな溜息が聞こえた。
「ほら、早く立ってよ。本を殺す気?」
目の前に白い手を差し出され、思わず手の主を見上げた。
無表情な真っ黒い少女がそこにいた。
長い髪もパッチリした目も着ているワンピースも靴も。
全てが黒かった。
「子供? ジッパーさんは……?」
思わずそう漏らした声に、少女は不機嫌そうに仁王立ちになった。
「人を外見で判断する奴に用はない。しかも! まだ名乗りもしない礼儀知らずは……」
「す、すみませんっ。私はロンチと申しますっ」
その場で思わず土下座をすると、近くでどさっ、という音がして顔を上げる。
山積みされた本の上に腰を下ろした少女は、こちらをじっ、と見据え、ジッパーは私よ、と無表情に言った。
「解魔屋『
言われて私は上着のポケットから封筒を出した。
黒い封筒。便箋も黒い。
そこに白いインクで依頼内容と出せる金額を書いてある。
それがここの特殊な依頼方法だ。
ジッパーの服も髪も全て真っ黒だし、黒が好きなんだろうか。
ジッパーはそれを天井にかざして、ざっと目を通すと手の中で丸める。
すると、手から炎が出、一瞬燃え盛ったがすぐに消え、次にジッパーが手を開くと中には何もなかった。
「解魔師なんだから、これくらいの魔法、使えるわよ」
驚く私にジッパーは面倒そうにそう説明した。
***
「厄介ねぇ」
ジッパーはしばらく分厚い本を手に何やら調べものをし、それからそう溜息を吐いた。
「何が厄介なんでしょう?」
私の問いに素人だから、と素っ気ない返答。
「素人だと何が厄介なんでしょう?」
重ねて問うと、何も知らないからに決まってるでしょ、とやはり素っ気ない。
「あなたも魔法の使えない素人みたいだから少し説明しなきゃならないみたいねぇ。しないといけないわよねぇ……」
嫌そうにそうぶつぶつ言って、ジッパーは前髪を掻き上げて首を傾げた。
誰もが魔法を使えて当たり前の世の中で、学校に通っていればどんなにマヌケな奴でも一つ二つくらい使えるようになるらしいが、私は学校に通ったこともないし、誰かに教わることもしてこなかった。
別に自分が使えなくとも、使える奴に頼めば済む話だし、使えないからといって生活に支障を来たすほどのことでもない。
今は誰でも使える便利な魔法グッズも売られているし。
確かにちょっと不便だと感じることは多々あるが、使えないからってバカにされる筋合いはない。
ジッパーはそんな私にいかにも面倒だという表情で、ご丁寧に軽く溜息まで吐いて、その勢いでやっと説明し始めた。
「いい? 魔法っていうのはね、要は契約なのよ。でも対等な契約を結ぶ程バカな話はないわ。いかに自分に有利な契約を結べるかが腕の見せどころなの。でも、有利な契約がそのままイコール魔法の威力に繋がるかっていうとこれが違うのよね。素人が一番勘違いしやすいところでもあるんだけど。そうねぇ……例えば、あなたと私が契約を結ぶとしましょう。私はあなたに棚の一番上にある本を取って欲しいとして、それをあなたに言う。でもあなただってわざわざ踏み台を持って来て人の為に本を取ってあげるなんて、そんな面倒なこと嫌でしょ? 人には意思があるから、人と人の契約っていうのはちょっと厄介だっていうのは分かるわね?」
私はそう問われてなんとなく頷いた。分からないでもない。
「でも、そうね……相手が踏み台だったらどう? 人に踏まれるのが嫌だからって逃げたりしないでしょ? 常におとなしく人に踏まれてるわよね。だから人と物の契約はとても簡単。物は常に無抵抗だもの。常にこちらの言うままに契約を結べる。これが契約の基本。分かるわよね?」
とりあえず頷く。契約という表現にいささか違和感があるが。
「じゃ、問題。人は人でも髪とか人の一部と契約を結ぶのは簡単だと思う?」
髪は物だから……
「簡単……?」
「ぶっぶー。ハズレ。髪は人の頭にくっついてる時でも、抜け落ちた後でも人と変わらないの。人の一部って人と同じ。ほんの僅かだけど意思を持ってるのよ。だから魔法の材料にも使われてる。ま、でも正確には物と人の中間の物質かな? 魔法をかけやすいけど、僅かに意思があるから威力は変わってくる」
「威力……」
なんとなくそう繰り返して呟いただけだったのだが、ジッパーはそうっ、と大きく頷いた。
「威力っ。この説明もしなきゃならないわね。魔法は等しく発動するけど、威力は使う人によって違ってくる。理由は簡単。契約対象物との相性なの。二人三脚がいい例ね。相手と呼吸がバッチリ合ってれば早く走れるでしょ? それともう一つ、契約の結び方も重要ね。誰だって丁寧に頼めば断りづらかったりするじゃない? でもあからさまに命令されたら断りやすいし、むしろやる気なくなるわよね? これがそのまま結果、つまり威力に繋がるってわけ」
なんだか魔法って面倒そうなものだな、と思いながらもとりあえず相槌だけは打つ。
それより依頼の件はいつになったら先へ進むのか。
「そうそう。一つ言っておくわ。さっき有利な契約って言ったけど、不利な契約もある。でもね、対等な契約っていうのは絶対に有り得ないから。価値とか意味とかそういうモノってね、人が作り出した幻想でしかないの。人の命は全て平等だっていうけど、それだって理想論だわ。私は魔法が使えてあなたは使えない。あなたと私は同じことができるわけじゃないし、見た目も中身も全然違う。大雑把にヒトっていう分類下にいるだけで、それだけで同じモノとは言えないでしょ? あなたと私は同じ時間だけ生きるわけでもない。それでも同じ価値があると思う? 別に優劣をつけてどうこうしたいわけじゃないけど、魔法の世界では同じ価値とか意味とかはありえないってこと、それだけは覚えておくことね」
一気にそう言って、ジッパーは満足そうに笑んだ。
やっと長い講義は終わったようである。
「ちょっと久々に長く喋っちゃったわ。あー、なんか喉渇いた。ちょっと何か飲んで来るからその辺でくつろいでて」
ジッパーは客の私に茶の一杯を出すわけでもなく、さらに客の私を置いて店の奥に喉を潤しに引っ込んだ。
こんなので商売成り立ってるのだから、呆れるのを通り越して感心すらする。
感心といえば。
この部屋の本。
一面本の海だ。
なんとなく側にあった本を手に取ってみた。
表紙にタイトルはない。
中を捲ると、何語だか分からない言葉が並んでいた。
どの本も私には読めなかった。
一体何が書いてあるのか。
恐らく魔法に関係する書物なのだろうが。
魔法といってもあまりピンとこない。
馴染みのあるものだが、素質云々の世界だから誰もが全ての魔法を使いこなせるわけじゃない。
魔法は商品と同じだ。必要な時に必要なものを頼むだけだ。
私が今欲しているのは、私が今ここにいるのは。
私にかけられた魔法を解いてもらう為。
ここは魔法を解いてくれる店なのだ。
かけてくれる店は別にあるのだが、私の場合、かけてくれと願ってかけられたものではない。手違いで別のところへ届けられる魔法が私の元に届いてしまっただけなのだ。
全く迷惑な話である。間違えた方が悪いのだから、間違えた人間、つまり運び屋が解魔屋を手配し、解魔代を払うのが筋だと思ったのだが、運び屋が負う責務は解魔屋の紹介と依頼料までなのだそうで、解魔代は自腹らしい。
本当に全くもって迷惑な話だ。
だから、私はこの時少しイライラしていた。
ここに来るまでの道のりも大変だったが、そこから先になかなか進まない。
さっさと魔法を解いて帰れるものと思って来たのに、長い講釈を拝聴して今はこうして本の海に埋もれている。
ジッパーは喉を潤しにどこまで行ってしまったのか、なかなか戻って来ないし。
「日が暮れる……」
軽くそう溜息と共に呟いて、手にしていた本を無造作に投げた。
人の本をそんな風に扱うのも大変失礼なことではあったが、ここにこうして乱雑に溢れかえってるのだから、この程度のこと、どうってことないはずだった。
が。
ここは解魔屋だったことを私はつい失念していた。
ここは扉の外とは少々違う空間だったのだ。
***
「やってくれたわね……」
ジッパーはそう言って店の奥から溜息を吐いて顔を出した。
「本は契約を結びやすいものだと言ったはずよ?」
呆れた声でジッパーは私を見下ろす。
「魔法はそんなに特別なものじゃないの。誰でも簡単に使えるのよ。この程度の魔法はね」
そう言ってジッパーは私が放り投げた本を拾い上げた。
その表紙には私の名が刻まれている。
私はどうやら本の中に吸い込まれたらしい。
とても妙な感覚で、夢の中を漂っているような感覚に似ている。
「あなたは今魔法をかけられて特別な身体になってるの。そこにあなたのマイナスの感情が加わって、こんなへんてこりんな魔法が発動してしまったのね。二重に発動した魔法のことをダブルバインドって言うんだけど、この言葉はもともと心理学で使われててね、心理学では……」
そう言いかけてジッパーは途中で面倒になったらしく、それはいっか、と説明を省いた。
「要するに、二つの魔法を同時に解かなきゃならなくなってしまったので、料金二倍ってことよ。勿論、手数料込みの値段になるけど、構わないわよね? それともずっと本のままでいる? 私、この本既読だからあなたがここに居座っても全然気にしないんだけど……」
それは困る。
本のままで何が楽しいのか。
私はそう主張したかったが、何しろ本なので声にはならない。
代わりに表紙のタイトルが私の主張に次々と変わってくれるようなので、ジッパーはそれを読んで答える。
「じゃ、料金二倍で。まいどっ」
極上のスマイルを私に向けて、軽く手をかざす。
なんだか騙された気がする。罠にまんまと嵌ったような……
怒りでなのか、彼女の魔法のせいでなのか、身体が少し熱くなって、まるで夢から醒める感覚に似たものに襲われる。
気づいた時にはまた本の海の上に転がっていた。
ジッパーの手には本がある。
私がジッパーを見上げた瞬間、ジッパーは後ずさった。
私はまあ、無理もないかと思う。
「あなたっ……」
私はごそっ、と鞄から金を出して差し出したのだが、ジッパーは手を差し出しかけて、やっぱりダメ、とその手を引っ込める。
こういう反応には慣れっこだけど、やっぱりあまりいいものではない。
私は仕方なく軽く頭を下げて礼を言い、その場に金を置いて店を後にした。
扉が閉まった瞬間、とてつもない悲鳴が聞こえた。
「ゴキブリ触ってしまったぁぁぁ……!」
人の姿に擬態する魔法を間違えてかけられたお陰で、人に普通に接してもらえたのは少々楽しい気分だったが、やっぱりあまり好きにはなれない部類だ。
腕のいい解魔師と聞いていたが、私の正体を知ることができなかったのだから、噂ほどの人間ではないようだ。
ちょっと優越感に浸りつつ、私は家路を辿った。
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