どんな人でも自分の居場所を作るのにそれなりの努力が必要だとは思う。
しかしこの作品に登場する才能ある若い二人にとって、それは過酷なことだった。
心のままに普通に暮らしたいだけなのに、それが何故これほどまでに難しいのか。
特に主人公の一人のそれまでの生い立ちからは絶望しか感じない。
一方で二人の親友を含めた三人の交流からは、人が人を想うとはどういうことか、について深く考えさせられる。
また当作品はLGBTについて正面から切り込んでいる。
最近何故かLGBT作品に触れる機会が多いのだが、数年前に書かれたこの作品は今でも異彩を放っていると思う。
ぜひ多くの人に読んで欲しい。
読了後、私はしばらく涙が止まらなかった。
昔々、左利きの人を「ぎっちょ」と呼んで蔑みの対象・障害とみられている時代がありました。子供が左利きだと分かった親は、右利きになるように必死に「矯正」(強制)したのです。利き腕を無理やり変えるのは物凄いストレスとなり、その結果心の病を発症した人もいたそうです。
現代、自動販売機や自動改札機でも右利き有利な配置ですが、左利きの人を見つけて蔑む人はいません。逆に「頭いいんだよね?」「器用なんでしょ?」と言われる事も多いです。今は左利きの子供に「矯正」を強いる親はいません。
この小説は、大多数の人が経験する恋愛とは異なる愛のカタチを経験させてくれます。でも、それは単に少数なだけで愛のカタチや深さは本物なのです。
この小説を読んで、少数者に対して、色々な感想をもつ、色々な事を考える、そして自分だったらどうするのか? を考える。
そんなきっかけになる、これはそんな小説だと思います。
この小説をよんだ後のあなたの心の色は何色になっているのか? 純白ですか?真っ黒ですか? それとも茜色になっているでしょうか。ぜひ経験してください。
愛って、究極的には、魂同士の引きよせと繋がりだと思うんです。DNAや次元を超えた、心と心の繋がり。
そういう出会いがあって、困難に直面したら、あなたはどうしますか?
この物語を読めば、そのヒントが得られると思います。
さらに、その先に待ち受ける二人の運命。
主人公二人の心の叫び、男の友情。
書いてて泣けてきました。
ぜひぜひ、登場人物、ひいては作者の思いの丈を受け止めてみませんか?
ハンカチを手元に忘れないように!
思い出すだけで、涙が止まらないじゃないですかー! 作者のバカー!!
でもね、愛するってこういうことだと思うんですよ!
号泣(泣)
人が人を想う気持ちの重さが君にわかるか?
この生き辛さ、という重しが君にわかるか?
こうした問いを、私は感じました。
そしてそこから、目が離せなくなったし、逸らしてはいけないとも思いました。
ここかもしれない、と思えていた居場所を追われ、追い込まれ追い詰められ、そして選択肢も狭められていく。
それでも人は、己の生きる道を探しにゆく。
それでも人は、己が生きられる道を、探す。
それでも人は――。
いつか、いつかもし叶うなら、坂田さんと斉木さんと水谷さんと、色々なことを語り合ってみたいと願う。
コーヒーのカップを両の手で包みながら。
その時、最初に感じた問いに対する答えを、3人に伝えられたらと、そう思っています。
ありがとうございました。
こちらの作品に出合えたことをとても、落涙しつつ感謝しております。
己のアイデンティティは精神に因る部分が大きい。
だが、他人は、とりあえずは肉体でしか他人の性を判別することができない。
男女間だから動物的だとか、ゲイやレズのほうが人間的だとか、
どちらが正解というような二元論では語れない問題だとぼくは思う。
誰を好きになろうと、人間同士気持ちよく付き合えるのが望ましいけれど、
どうしても受け入れ難ければ無理する必要はない。
ひとは区別をするものだ。
相手が誰であろうと愛せるなんていうのは悪平等だろう。
他人の妻を自分の妻と同じように愛せなんて普通は誰も言わないはずだ。
一歩間違えれば差別だと言われるかもしれないけれど、
『何が何でも認めろ』というのは、方向性が違うだけで
『何が何でも認めない』と言っているのと同じくらい暴力的ではないか。
悲しいけれど、ひとは基本的に分かり合えない生き物であり、ときどき分かった気になるだけである。
それでも、理解しようと努力することはできる。話し合うことはできる。
平和的に、うまく住み分けできればいいなと願うばかりである。
週間ノベルス様のレビューから、本作を知りました。
LGBTを扱っただけではなく、様々なメッセージが詰め込まれている深い作品です。
LGBTとわかると、アパート等の契約も断られることもあるのだとか。少しずつ世の中にも理解が広まってはいるものの、考えられないような差別が未だあることをメディア等で知り、驚きました。
芸術関連の本を読んでいて感じましたが、本作でも語られていたように、芸術家の中には、多少多く見受けられるのかも知れません。だからこそ、表現したい、訴えたい想いが、独特の感性と共に届けられるのでしょう。
複雑な事情を一人で抱える坂田くん、何があってもその人らしさを認めようとする、人としての器が大きい斉木くん、二人の良き理解者であり、恐ろしく頭の回る水谷くん。
まだ高校生という、大人になりかけてはいても未熟な彼らが、精一杯考えて、自立しようとする姿には胸を打たれ、誰もが応援したくなります。
LGBTを通して、男女を超えた愛だけではなく、作者様は「命」を描いていると思いました。
命の重さ、人それぞれの幸せとは……? 読み進むごとに考えさせられます。
こう書くと重い話かと受け取られそうですが、取っ掛かりやすく読みやすい文体で、時に艶かしくもあり、「キツい表現」だという箇所にも、読み手への配慮が感じられます。個人的には音楽シーンでもわくわくとしながら、一気にスルスルと読めてしまいました。
LGBTに理解がある方もない方にも、多くの人に知ってもらいたい物語です。
是非、ご一読を!
ある演歌歌手が言っていた話だ。
切ない歌を歌う時。身振り手振りを添え、感情を込めながら歌う事で、聴衆を泣かせようとした。だが、どんなに頑張ってもいまいち手応えがない。やがて疲れてしまい、無感情のまま淡々と歌う事にした。すると、会場にはすすり泣く声が響き始めたそうだ。
その歌手は、歌自体が持っている力を信じることが、歌手には求められるのだろうと締めくくっていたと思う。
十人十色と言われる人間の個性は、各々の感情にも当てはまる。どれほど仲の良い二人の心を同じように弾いてみても、全く同じ音を返すことなどありはしないのだろう。
歌手が身の内で膨らませた世界をそのまま押しつけても、観客の同情は引けなかった、私にはそんな話に聞こえた。
言葉が想像をかき立てる。
文字とは無味乾燥な記号であるが、不思議と想像を喚起させる力を持っている。小説家はその力をいかに上手く振るえるかが、腕の見せ所になるだろう。
世界の全てを書き表すことはできない。だから、読者に想像で補ってもらうのだ。
事細かく書こうとすれば読者の想像世界を狭めることになり、また、読者の想像した世界と異なる箇所が見えてしまえば、作品の途中で興ざめさせてしまうことになる。
一方、世界の情報を絞りすぎれば、読者が世界を構築できず、作品が追いかけようとする読者を振り払って疾走を始めてしまう。何が面白いのかわからないまま終わっていた。そんな作品になるだろう。
そのさじ加減は作者によって大きく異なる。
この作品は世界を書いていない方だろう。
こんな事があり、こんな会話が交された。出来事を書き表した文章を主にし、硬めに構築されている。三人称の視点で書かれているため、人物の感情の発露による地の文の侵食があまりみられない。文の音が静か、とでも言おうか。
だが、作品の響かせる音が質素かと言えば、そうではない。
話の主題自体が非常に激しい音を持ち、また、幅広い知識に裏付けされた話題や専門用語が、言葉自らの持つ音で作品に熱を与えているのだ。音を奏でるための言葉を用いるのではなく、単語が発する音を正確に捉えて、作品に組み込んでいく。
言葉に頼る手法。
作者が望む音を自分で一から作り上げて、演奏する。これも一つの手法だが、言葉が持つ音を頼り、作品に配置していく。これは、選び抜くための判断力と勘を問われる。
先に述べたように、言葉から連想し、浮かび上がる感情は人それぞれ違う。並べても作者が答えを示さないことで、読者が思い思いの感情を当てはめて読むことができるのが魅力だ。
もちろん、読者の自由な想像に耐えられるだけの作品でなければ成り立たないわけだが。そのあたりは見事。
書かれていない心がある。
これはすなわち、人物の描写が不完全なことを示す。
少数派を用いた作品である。
これが今までの経験から解答を導き出すことを困難とさせている。
不完全であり不理解ゆえに、言葉から補おうとする。
これを想像するという。
この作品は想像させるのだ。想像することが同情へと繋がる。
不完全なために同調はできない。
だが、この不完全さが同情を生み始める。
私たちは眺めているのだ。
この作品を。
登場人物が必死に生きようとしているのを、彼らになりきることなく眺めているのだ。
客観的に眺めるからこそ、零れる涙もあるのだろう。
わき上がる怒りもあるのだろう。
望む願いも産まれるのだろう。
想像が感情を動かすのだ。
純佳
だーーーーーーーーーーーー!!!!
ざっけんなあ!!!!
誰だこんなもん書いたのは!
俺はBLが苦手なんだよ だけどそれはいい まだいい 作品の趣味や好みは自由だし、言いたいことがあるなら書いた方がいい それはいいんだ
でもな、デスエンドとかありえねーだろ!
は? ラストを書いたらネタバレだって? 一話に書いてるっつーの!
くっそ、なまじっか読ませる手法を使ってきやがって おかげで最後まで読んじまったじゃねーか 最初にエンディングの形を示すとか、そいつはなんの気遣いだぁ? 読者のショックを和らげるための手法ってか? どっちにしたって、ショックは大きいんだよ!
ちょくちょく差込まれた「この先不幸注意」みたいなのも、上手いし。そんで読んでみたら、大したエグいわけでもねーし そう、たいしたことなかったんだよ、なぜか
これ、やべーだろ とか、止めろよ? やめてくれよ? みたいな所も意外とすんなり乗り切ってるし おう、そうだよ、途中でグロい描写が入ったら、ブラバしてたわ だけどそんなシーンは入らなかったんだよ その辺りの加減もいやらしいし だから読んでいっても大丈夫じゃね? とか思っちまったじゃねーか
結局これか
妙に雰囲気よく書かれているのも腹が立つし、二人の関係が初々しい甘さに富んだ味つけにされてるのも腹が立つしよー
どう接していいのかわかんなくて、一歩進んだり下がったりするくせに、肝心なところでずっこける斉木がどうしようもねーし 色んな物抱え込んで、どれも一人で下ろせなくなってるくせに自分でなんとかしようとする坂田が可愛いし
ここまで書いたら幸せにしようって考えになるだろ? 普通はよー
作者はドSなんじゃねーか? とか思うわけよ てかもう間違いないな 確定
え? オススメしろ? あー、やる気が起きないときとか読んだら良いんじゃねーの? 怒りパワーで仕事もサクサク進むようになるだろうさ レースゲームとかするのオススメ ベタ踏み爆走して、ネット動画サイトに上げられるぐらい見事なクラッシュができるだろ、マジで コースアウトから空中飛行だって夢じゃねーわ
FPSとかいいかもな 孤立して囲まれた仲間を坂田だと思えば、どんな死地にだって助けにいけるだろ 背中を預けた仲間を斉木だと思えば、相手が5人だろうが10人だろうが突破できるってもんよ
つか、おのれ作者め
うあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(*`Д´*)ノ┳┳・゚・┻┻・゚・ふざけんなーーーーーーーーーーーーーー
うわーーーーーーーーーー
深麓ハ消失シマシタ
何だかエッチな文章を書く人だなって思ったんだ。
えっとね、色っぽいっていうよりも、生々しい感じかな。読みやすさに重点を置いて淡々と書かれてるから、じっくり読まなくても、ポンって頭の中に情景が浮かぶの。
それで、ちょっとエッチな単語が出てくるでしょ? 文章に書かれていないところまで想像しちゃう。それが、気分をもり立てるって言うか。多分才能だね~。
わかりやすく書かれてるって言ったけど、ちょこっと難しい言葉も出てくるよ。でも、普段から小説を読む人なら、わかる言葉だと思う。その辺は作者さんが上手く選んでるから、安心してね。
でも、専門用語はやっぱり難しいかも~ わからない事が多かったから、前後の雰囲気からなんとなく想像して読み込んじゃった。こんな音楽かな~ こういう楽器かも?
そんな読み方ができるのは、そういう読み方ができるように書かれているから。知らない言葉を無理なく読ませられるのは、作者さんの隠された配慮だね。
専門用語を使う時って、作者が理解していない言葉を書こうとすると、読者にバレちゃうんだ。説明や文章がうろうろするもん。
この作品ではそんな事は無かったよ。いっぱい調べたんだろうなー。僕なら調べたことを自慢するように、情報をいっぱい書き込んじゃうんだけど、この作者さんは大人だからさらっと使いこなしてる。すごい! 見習わなきゃ。
配慮といえば一話の文字数もすごく整えられているよね。10万文字って言う重さを感じなく読み進められたよ。
バッドエンド。
僕はそう読んだんだ。人によっては違うかもしれないけどね。
物語の見えるところを狭くしてる。だから、登場人物に寄り添いやすい。
でも、絶対に触れる事は出来なかったんだ。
見守ることさえできずに。
悲しいよね。
僕たちの中の人はね、次元の壁を越えてでもハッピーエンドにしてやんよって言ってたけど、この作品は堅固に構築された現実世界を舞台にしていて、ファンタジー要素がこれっぽっちも入っていないの。これじゃあ、次元をいじることも、獄を描き出すことも、ヒーローを登場させることも、妖怪を顕現させることすらできない。
悲しい舞台。
二人の歯車が狂い始めた、なんて書かれているけど、多分狂ったのは最後だけ。
離れた所でくるくる回ってる小さな歯車があったんだ。その歯車が奏でる微かな音に惹かれた大きな歯車が、みんなの輪から外れて近づいていくんだ。
ひとりぼっちの小さな歯車は一生懸命回ってた。誰の力も受け取れず、誰にも力を与えられずに、みんなから見えないところで力の限りぎゅんぎゅん回転してたんだ。
大きな歯車は音に惹かれてやってきたんだけど、その姿を見てびっくりしたんだ。だって、このままじゃ壊れちゃいそうだったんだから。
何とかしなきゃ!
回転速度が違いすぎて、正面から抱き合ったらお互いの歯車が欠けちゃう。
大きな歯車は側に寄って、身体を少しずつこすり合わせて、減速させた。ちょっと削れちゃったけど、大丈夫!
速度を合わせたら、正面から触れていくの。方向を合わせて、そっと触れて。力を伝え合うようにね。
ようやく、二つが噛み合ったんだ。
幸せな音が鳴り始めるよ。
誰にも理解されなくても、誰の耳にも届かなくても、二人だけで幸せを感じられる。そんな音。
理解し合える自由な音楽。高く低く、好きに奏でられるハーモニー。
二人きりがいいのなら、それでもいいんじゃないかな。このまま両手で囲ってしま
バン!
わかっていたのにね。
まふゆ。
貴方は水谷君なのでしょう?
主人公であるはずのお二人の感情に、うっすらと霞が掛かっていたのです。そのために、同情しやすく、結末を知っていても幸せを願わずにはいられませんでした。
この感情を、君も等しく抱えていたのだと強く思います。
そう、水谷君には同調できるのですよ。
はっきりと浮かび上がる心の動き。彼の事を書くときだけ、感情の選択肢を狭める文章になっているみたいで。それはきっと、深く理解して書いているから。同調したまま書いているから。
二人の関係も背景もある程度知っていて、彼らの味方になりたいと願い、穏やかな世界を求めました。でも、わたしたちにその役目は降ってきませんでした。それは水谷君の立ち位置にとても似ていますね。
近くに居ると思っていたのに、二人の世界の外から手を貸して上げられると思っていたのに。
全て叶わぬ願いでした。
二人だけの世界はやがて小さな幸せで満たされ、誰の手も触れられないまま、破裂させられてしまったのです。
何もできないまま終わっていました。
まだまだ、道は続いていたはずなのに。
そんな絶望を彼も同じく味わったのではないでしょうか。
そして。
そして作者。貴方もまた、止めることはできなかった。違いますか?
物語は思考よりも速く加速を始めてしまい、追い始めたタイピングよりも速く結末を迎えてしまったように思えます。
作者の考えはわかりませんから、ただの戯れ言ですよ。
人間とは誰もが不完全なもの。出来損なったもの。
誰もが欠けた部分を隠しながら、生を歩んでいくのです。
不完全だから、自分には無い部分を持っている人に惹かれるのでしょう。歩いて行く途中で誰かを好きになり、心を打ち明け、隠していた部分を見せ合って、足りない部分をくっつけあう。
相手から形を奪うことなどできませんから、一緒に居るときだけ、くっつけ合っているときだけ満たされるのです。完全になるのです。
これが愛なのでしょう。
完全にしてあげたい。
この感情を恋と呼ぶのかもしれませんね。
二人でいるのなら、補い合えるはず。それなのに、同じ部屋に居ながら自分は出来損ないだと言われれば、確かに腹が立つのかもしれません。気を付けましょう、みなさん。
二人がいなくなってしまったので、お話は終わってしまいました。
でも、世界は続いていくのです。誰が消えても止まらないところに、わたしは世界という大きな生き物の恐ろしさを感じてしまいます。
そう、世界はまだ、私たちの知らない所で続いているのでしょう。
もしその世界でお話が生まれたのなら。
主人公の名前はきっと――
...〆舞
痛々しいほどに 自分の背中の羽を織り込んで 紡がれた ストーリー。
時に 自分を傷つけることを 恐れず
敢えて 苦しい表現を貫き通して 完結に至ったことは
この作家にとって、必ず血肉になっていくだろう。
それでも 私は この話に 絶望よりも 希望を見い出す。
誰かの記憶の中に 深く深く潜り込んで
ほんの時折 水面に顔を出すだけであったとしても。
ラストシーンで 語られた 二人を懐かしむ 会話の中に。
自分は 了見が狭い人間だから、どこかで
身体の関係が 男と女であったことに 安堵してしまった。
それがまた 悲劇を生み出すにも 拘らず。
それでも 大切な人が お互いの人生に 存在したことに
やはり、どうしても 強く 想いを馳せてしまうのだ。
本当は 向き合いたくなどない。
でも、誰もが いずれ 命に向き合う作品を 書くことになる。
そんな 気がして、覚悟をしてみた。
辛い展開が待っていると分かっていても、先に読み進めたくなる。
恐々ページをめくると、苦難の中に一筋の光が見えた。
このお話をどう捉えるかは読者次第だと感じた。
私には、自由な愛の、ひとつの物語だった。
天国できっと、愛らしい小さな人と3人で笑顔で居てくれると信じて☆を置いて行きたい。
偶然にも、作者の別作品が書籍化発表された前後に本作を読ませて頂き、多彩で見事な才能を見せつけたれた思いだが、できることならこの先、本当に書きたいものだけを自由に書いて行って欲しいと心から思った。作者の筆から生まれるすべての物語を追い掛けていけたら、それもまた読者としての幸せだ。
LGBTに正面から向き合い、人を好きになるとはどういうことかという普遍的なテーマを描く、とても深い作品です。
主人公のひとりには、周囲にひた隠しにしてきた秘密があります。一見、読み手の私には無関係のように思えるその事情は、しかし、決して特殊ではありません。私は偶然その事情を抱えずに生まれ育ち、彼は偶然その事情を抱えることになった、というだけの違いなのです。
誰しもが抱える可能性のある事情でありながら、この社会はまだ、当事者を受け入れる寛容さを持ち合わせていない。現実の問題を、二人の主人公の生きざまが、頭脳明晰な彼らの親友が、見事に炙りだしていきます。
冒頭に示される悲劇的結末へと突き進むストーリーの中、唯一の救いは、互いを想い合う二人の主人公のピュアな心です。それ自体が彼らを悲しいラストへと導いてしまうのは、なんともやるせないところですが…。
男だからでもなく、女だからでもなく、ただ、個人として相手を愛しく想う。究極に進化した恋の形であろうと思います。
一生忘れられない物語です。