入れ物を間違えた魂に救いはあるのか

 己のアイデンティティは精神に因る部分が大きい。
 だが、他人は、とりあえずは肉体でしか他人の性を判別することができない。

 男女間だから動物的だとか、ゲイやレズのほうが人間的だとか、
 どちらが正解というような二元論では語れない問題だとぼくは思う。

 誰を好きになろうと、人間同士気持ちよく付き合えるのが望ましいけれど、
 どうしても受け入れ難ければ無理する必要はない。

 ひとは区別をするものだ。

 相手が誰であろうと愛せるなんていうのは悪平等だろう。
 他人の妻を自分の妻と同じように愛せなんて普通は誰も言わないはずだ。

 一歩間違えれば差別だと言われるかもしれないけれど、
 『何が何でも認めろ』というのは、方向性が違うだけで
 『何が何でも認めない』と言っているのと同じくらい暴力的ではないか。

 悲しいけれど、ひとは基本的に分かり合えない生き物であり、ときどき分かった気になるだけである。
 それでも、理解しようと努力することはできる。話し合うことはできる。

 平和的に、うまく住み分けできればいいなと願うばかりである。

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