第4話 アルファとベータ

 私の心配など知らぬかの様な顔で、ソラは病気をする事もなく、すくすくと元気に育ってくれました。私の鳥についての知識も少しずつではありますが増えて行きました。ペットショップの雛は病気を持っている可能性が高いので、お迎えしたらその日のうちに動物病院に連れて行くべき、という事を知ったのはこの頃でしたし、そもそも多くの動物病院では鳥を診察することすらできない、鳥を診察できる病院は限られている、という事を知ったのもこの頃だったと思います。


 そんなある日、ネット上で知人がこう言いました。

「私はオカメインコが飼いたい」

 オカメインコ……名前は知っていました。でもどんな鳥なのか、薄ぼんやりとした曖昧あいまいな記憶しかありません。ネットで検索すると、すぐに写真は見つかりました。頭の上にちょこんと乗ったトサカ、ほっぺたの丸い模様。こんな鳥が居るのか。自分でも飼えるのかな。


 ソラが順調に育っていた事で、調子に乗っていたのでしょう、私はオカメインコを飼ってみたいと思う様になりました。数日後、私はペットショップに向かいました。ソラとハナを買った店とは違う店です。そこは犬猫が中心の、そこそこ規模のある店だったのですが、片隅のケージにオカメインコの成鳥の雄が2羽いました。セキセイインコよりもずっと大きく、値段もセキセイインコよりも高かったのですが、自分が出せない金額でもありませんでした。気付けば私は、オカメインコを1羽買っていました。


 我が家にやって来たオカメインコには、アルファと名付けました。アルファは見るからに元気で健康な、良く言えば威勢の良い、悪く言えば乱暴者のオカメインコでした。しかし私は鳥が元気でいてくれるだけで嬉しかったので、アルファを迎えた事には満足していました。


 でもやはり調子に乗っていたのでしょう、これだけ元気なら大丈夫、とアルファを病院に連れて行かなかったのです。結果から言うと、アルファはその後十数年、病気らしい病気に一度も罹る事無く一生を終えるのですが、それでもやはり、この時点で一度病院を探しておくべきだったと、今となっては思います。


 アルファは完全な荒鳥でした。つまり人間に懐くようなそぶりは一切無かったのです。セキセイインコのソラは私に懐いていたのでいつも一緒でしたが、アルファは一人ぼっちでした。アルファは寂しいんじゃないか、私はそう思うようになりました。そこで何軒かペットショップを回り、雌のオカメインコを見つけました。それがベータです。


 オカメインコのベータは、成鳥になるちょっと手前の若鳥で、大人しい性格でした。最初は健康そうに見えたのです。しかし2日経ち、3日経つうちに、どんどん衰弱して行きました。その姿は、セキセイインコのハナを思い出させました。そこで私は初めて気が付いたのです。自分が調子に乗っていた事に。


 そして慌てて病院を捜しました。ハナの二の舞だけは絶対に避けなければならない。私は焦っていました。だからその動物病院を見つけたときは、闇に光明が差したとさえ感じました。


 鳥が診察できるというその動物病院は、車で15分ほどの所にありました。事前に電話でオカメインコが診れると確認を取ってあったので、私はすっかり安心してそこに連れて行きました。しかし。


 診察室に通され待っていた私とベータの元にやって来た若い獣医は、ベータを満足につかむ事すら出来ませんでした。鳥――鳥以外の動物でもそうですが――を動かないように固定しながら掴む事を『保定』と言います。この獣医は保定の技術すら持っていなかったのです。


 彼はベータをはかりに乗せ、「軽いですね」と繰り返し、「体重が軽すぎて、今は治療できない。体重が戻ったらまた連れてきてください」と私に言い、強制給餌をやってみせました。言うまでもなく、保定も出来ないのに強制給餌が出来たのは、ベータが暴れる事も出来ないくらいぐったりしていたからですが、もし暴れる元気があったなら、どうしていたのだろうかと今でも思います。


 そして別れ際、診察室を出て行く私に、彼はこう言いました。

「その鳥は最近買ったのですか」

「はい、数日前に」

「だったら、お店に文句言ったら、交換してくれるかもしれませんよ」


 悪気は無かったのでしょう。純粋な善意から出た言葉なのかも知れません。しかし、私の胸は哀しさで一杯になりました。何故獣医にまでこんなに軽い扱いを受けなければならないのだろう。1つの命なのに。代わりが欲しいのではなく、この子を助けて欲しいのに。それが世間の常識というものなのだろうか。だとしたら。


 自分に何ができるだろう。


 世間が鳥の命に価値を見出さないのであれば、せめて鳥を飼っている自分が価値を見出そう。だが自分が鳥の為に出来る事は何だ。今から勉強して獣医になる……無理だ、今のポンコツな自分にはもうそんな能力は無い。仮に能力があった所で、そもそも大学に行く金も無いし、時間もかかり過ぎる。今すぐ、今すぐ自分に出来る事は何も無いのか。家に戻る道すがら、私はその事ばかりを考えていました。


 改めて鳥を診れる動物病院を捜した所、車で30分以上掛かる場所でしたが、鳥の治療に関しては名医だと言われる獣医さんが居るらしい動物病院を見つけました。


 翌日早速ベータを連れて行くと、今度は普通に――考えてみれば当たり前なのですが――保定をしてくれました。そしてそのうを調べて糞を調べて、カンジダとトリコモナスがどっさり出て……結果的には、ベータは一命を取り留めました。


 ストレスのせいなのか薬の副作用なのかはわかりませんが、上半身の羽毛が抜け落ちてハゲハゲになってしまったものの、そこから十年ほど生きてくれました。

 アルファとベータの間には、1度だけ、1羽だけ雛が生まれました。ガンマと名付けられたそのオカメインコは、今も私と暮らしています。

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