10(終)

 『天使』の背がゆっくりと開き、ジェネレータが露出する。

 人の聖性を食らい、糧とする炉心。この『天使』の動力源。その内に居る、何者か。

「ロック解除」

 少女は端末の接続ケーブルを引き抜き……銃の弾倉を詰め替えた。

 炉心の天辺の螺子が外れ、蕾のように開いていく。花弁の隙間から、何かの液体が洪水のように流れだす。

『助けて』

 再び、今度ははっきりと。そんな声が男の頭の中に響いた。

「うぷっ」

 その声と、溢れだした匂いに、男は思わず口と鼻を覆った。

 真新しい皮のような、血と臓物の匂い。そして、その奥にある

「死体……いや、」

 巨大な、肉の塊。肉団子のようになったの表面に。沢山の人の手と、足と、眼が生えている。

「なんなんだ、これは?」

 男の声は、震えていた。

『やっと、助けに来てくれた』

 頭に響く声。讃美歌。気が狂いそうな、『何か』の意思が。目の前の肉塊の情報量が。意識を塗りつぶそうとする。顔に吹き付ける風の冷たさと音だけが、それが現実であることを確かに保証している。

 カツン。

 少女が、一歩踏み出した。

「『ええ、助けに』」

 カツン

 少女は、そう呟き、また一歩を踏み出して。肉塊へ銃を構える。

 聖母のような、貌のままで。

 嗚呼、そうか。彼女の声も。時折、頭の中に響くものだった。

「『貴方に、神様のご加護がありますように』」

 『ブラウニー』は、引き金を弾いた。

 奇妙な風切音と小さな破裂音が、銃から響いて。肉塊から何かの液体が飛散した。

 『天使』の中から、『何か』が消えたと。男はそう感じた。翼の光が解けていく。輪が消え、高度が下がっていく。

『ありがとう』

 そんな言葉が、最期に聞こえた気がした。

「……いったい、何なんだ」

 漸く、口から絞り出されたのは。そんな言葉だけだった。

「ああ、コレ?抗奇跡弾。コード『エアランサー』。周辺の物理現象を形而上からの干渉エネルギーごと掻き回して、覚醒者の能力発動を阻害するっていう……」

「そうじゃない」

 どこかズレた少女の言葉を、遮る。

「……?」

「だから、。願いの通りに」

 少女は、男の言葉に目を伏せた。多分、彼女も分かっているのだ。あの光景を目にしても尚、それだけは……とても忌まわしいことに、何故か、確信があった。そう、

「『人』を、殺した」

 アレは、人だと。人間なのだと。

「平気よ。もう、から」

 もし、あれが人だったなら。その声は。

「……助けてほしいと、言っていたのに」

「幻聴だと思って忘れなさい。そうしないと痕になるから」

 いや、と男は考える。そもそもどうして、自分は彼女を問い詰めるのか。

 他人のことなど、どうでもいいと思っていた筈。見ず知らずの化け物を、彼女が殺した。ただそれだけの、ことの筈なのに。何故、自分は『どうでもよかった』筈のことで、彼女を問い詰めるのか。

「……そうか」

 彼女の真実を知ることが、怖かったからか。知らず知らずのうちに、何者かと重ねていた、彼女が。

「話は、ひとまずここまで。墜落死したくないなら、降りる準備をしないと」

 そのまま彼は抱き上げられて。ただ、天使が見慣れた街へと墜ちていくいくのを見送っていた。

 翼を捥がれ輪を失った機械の塊は。呆気なく重力に引かれ分解していく。背中から流れ出た液体が顔に伝い、涙の如く尾を引いているのが見えた。

 そして、地の上で。『見慣れた』人々が。動かなくなる光景も。

 崩落する天使の破片の一つが弾けて飛び、久しく鳴っていなかった教会の鐘に当たって鈍い音を響かせた。

 その音に、やはり久しく思い浮かべていなかった、十五年前の……嘗ての世界を懐かしく思い出しながら。男は暫しの間、意識を失った。



-----------


「それで結局、アレは何だったんだ」

 崩れた教会建物の上で、男は少女に問うた。

「J計画派生物。人機融合共生体。元は、前に話した『人工聖人』だと思う」

「聖人……」

 彼女が話していた、『機密事項』とやら。だが聖人という言葉と。あの肉塊の外見は、どうにも結び付きようがない。

「暴走して人の姿を捨てた聖人モドキがB.E.M.(ブッダエクスマキナ)と共生していたんだと思う。多分、それがこの街の『天使』の正体。だから、B.E.M.の感知機能を越えて私を捉えられた」

「あの『復活』も……そいつの仕業だったってことか」

 少女は黙って頷く。

「『何がしたかった』のかは結局わからないけど、『どうやった』かは……見当がつかないこともない」

「……大層なもんだな」

 だが、もしかすると、と男は思う。あんなモノの中に独りで閉じ込められて。それで、その聖人とやらがもし普通の人間のような心を持っていたのなら。

 ただ、『一人が辛かった』のではないかと。そのためだけに人を蘇らせ、男に呼びかけ続けていたのではないかと。

 まぁ、そうだとしても。やはり、その手管は理解の範疇を越えてはいるのだが。

「多分、アレは全然

 少女の言うように、その点だけは同意できた。

「どうせ、『天使』の方はオマケで、あの肉塊が目的だったんだろう」

「それなら、戦力をもっと連れてきた」

「それもそうか」

 説得力は無駄にあった。しかし、それでも疑問は残る。

「結局、あんた達は何をしているんだ?その『コマンド』とかいう組織も」

「遺物の回収と、人助けよ」

「……その先に、何をしようとしている?」

 半分は、直感だった。『ブラウニー』はあの肉塊を前に酷く落ち着いていた。つまり、『似たような修羅場』を何度も潜り抜けている、ということだ。

 あの『天使』ではなく、『同族』の『人工聖人』を殺すような修羅場を。

「まぁ、答えられる筈もないか……」

「消息不明のモデル・XXXXクアドラプルを探している」

「クアド……何?」

 その言葉は、何処かで聞いた気がした。

「一言で言えば、『かみさま』よ」

「……神?」

「聖人のコピーでも救世主の模造品でも満足できなかった人間が作り出した、神様のなりそこない。徳エネルギー時代最大の負の遺産。それを、私たちは何としても見つけ出さないといけない」

「見つけてどうする?やっぱり……」

「殺すのよ」

 少女の言葉は、先程までとは違い、ひどく冷淡だった。心を押し殺したようなフラットな感覚だけがあった。男の背筋を、冷たいものが流れた。

「クアドラプルは、人間でも機械でもない化け物。あの『天使』の何十倍も、何百倍も、何千倍も強力な異能を使う怪物。その気になれば、世界を幾らでも作り変えて滅ぼせる、人の作った怪物。野放しにしていれば。絶対に、災いを起こす」

 全く以て、実感の湧かない話だった。

「十戒の内容を知っている?」

 男は思い出す。昔々に、教会……つまり、この場所だが……で聞かされた説法。最初の二つは、確か。

「……他に神があってはならない。偶像を作ってはならない」

「そう。だから、私達は『十戒』なのよ」

 神ならざる神を排するための組織。それに手を伸ばすものの腕を断ち切る斧。それが、彼女達なのだと。少女は語った。

「……迎えが来たみたいね」

 やがて、教会の上に、虫の羽音のような音が聞こえ、十字架のような形状をした四発のヘリが上空に姿を現す。『十戒』とやらからの迎えなのだろう。

「私達のことは話した。それで、貴方はどうするの?」

「俺は、ただの靴屋だ。セールスマンでも戦士でもない」

 男は答える。そして、それ以外になれなかった人間だと。

 十五年前に『ひどい目』に遭ったとはいえ、結局のところ、ただの人間だ。『世界が危ない』と言われても、実感は今更のことだし、あんなバケモノ相手にまみえる気は、二度と起きない。

 自分の在り方を変えることは簡単にできはしない。だが、もしも今「これから」、何をしたいのかと問われたならば。

「だから、靴をはかない人間しか居ないところには、用はない」

 せめて、もう少しだけ。彼女を見ていたいと。そうすれば、何かが少しだけ変わるのかもしれないと。

 男はそう思った。


 崩壊した街の上をヘリが飛ぶ。旧い街並みと石畳の通りを崩し、半ば埋もれた機械じかけの天使を見下ろしながら。

「あばよ」

と。クリスピーノは虚空に向けて言った。


▲黄昏のブッシャリオン▲『妖精の靴屋』おわり


ブッシャリオンTips コード『エアランサー』

 『人間が物理現象を制御する』系統の異能全般を、制御対象の物理現象を操作することで……つまり術者の周辺大気を極めて複雑な乱流によって撹拌することで間接的に負荷を与え能力発動を阻害する、という発想から生まれた、対覚醒者武器。

 銃弾に刻まれた溝が無秩序な空気の流れを発生させるため、能力封じと引き換えに特徴的な発砲音がする他、集弾性や弾速、有効射程といった銃弾としての基本性能が犠牲になっている。

 後の改良でマニ化加工が施されるようになった他、同種の理論を発展させた対奇跡武装も幾つか製造されている。

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