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教会の塔の上で。男は初めて、『天使』と呼んでいたそれを間近で目にした。
シルエットではそうとしか呼びようのなかった『それ』は。想像していた有り様とは異なっていた。
あちこちからはみ出た機械部品。脱落した外装。それらを覆うように漏れ出る、炎のような噴煙。仰々しく光る翼。
「……天使というよりは、クリスマスの電飾(イルミネーション)だな」
「タイプ・セラフ、『
少女の言葉で、男は初めてその機械のまことの名を知った。
『天使』は翼を広げ、光る羽根を撒く。羽根は燃え上がり、血の混じった雹のように弾けて地へ雨と降り注ぐ。
燃える翼を以て。地上を焼く天使。
「……『下』に居なくてよかったな」
「距離500。行動ルーチンが変わった。来る」
男が呟き、少女が告げた、その瞬間。天使と『目が合った』。此方へ向かってくる。
『Holy(聖なるかな)』『Holy(聖なるかな)』
声が再び、頭の中に響く。まるで、「焦点」があったかのように、くっきりと。語りかけるように。何かを訴えるように。助けを求めるように。必死に。ひたすらに。
「わかってる、わかってるさ!」
『God in three persons blessed Trinity..』
『行くわよ!』
天使の囁きを遮るように。少女が、無理矢理男の身体を抱き寄せた。細身な身体のどこに、そんな力が隠されていたのかと思う程、強く。そして、彼女の背負ったパックのノズルが悲鳴を上げた。
エンジンが全力駆動する高音と共に、足の先が地面から離れる。尖塔に結び付けられた命綱がゆっくりと伸び、天へ向けて離床する。
『Union』
天使の叫びを、かき消しながら。二人は空へと昇っていく。高く。もっと高く。その有様を、天使の視線が間近で射貫く。
「飛んで……いや、こっち見てるぞ⁉」
天使の巨体から光の羽根が散る。
『やっぱり、指向性砲撃の精度じゃない……多分、これは『乗り手』の』
少女が何事かを言いかけた瞬間、エンジンのノズルが不規則に律動した。
体が揺らぐ。バランスが崩れる。男は、空中で引き摺られでんぐり返る羽目になった。何か、機械が異常を訴えている。
「こいつは本当に大丈夫なのか!?」
『合計150kgまでなら大丈夫な筈だけど……』
「……俺が服込みで90kgとして、60kg以内ならまぁ……おい、今『ヤバい』って顔しなかったか!?」
『男の人の体の重さとかわからないし!?なんでそんな重いの!?』
「嵩を考えろ!」
不摂生で死ぬことになったら、目も当てられない。
『リミッター解除。一瞬だけ加速して、あの天使の上に出る!』
「オイ、どうする気だ⁉」
少女が何事か操作した一種、エンジンが激しく振動する。
『他に敵の反応は無い。破壊をトリガに寄ってくる可能性もあるから、さっさと片付けて立ち去るわ』
そう言いながら。彼女は、男から片腕を離した。
「うおおおおお⁉」
『うるさい!』
代わりに、彼女は銃を取り出し、構えた。
二人は歪に飛びながら、天使の真横をすり抜ける。燃え上がる翼が、顔の前を掠める。不思議と、熱気は感じなかった。いや、多分、感覚が麻痺しているんだろう、と男は考えた。
BLAM!BLAM!
すれ違いざま。突如、少女が『天使』の頭目掛けて発砲した。しかしその弾丸は、届きすらしなかった。不可視の障壁によって弾かれたのだ。
『通常弾、効果なしか……』
「何てことするんだ!」
上昇を続け、天使の『背』に出る。エンジンが白煙を上げ始める。遥か眼下に、街が見える。
『取り付いて、直接動力源を押さえる』
「正気か⁉」
『人間が入れる場所、二枚の翼の付け根、真ん中にあるロココ調の模様の右!』
「……あそこか!」
言われてみればわかるが、継ぎ目というか、盛り上がりというか、兎に角、複雑な模様が描かれ、『天使』の機構から独立して見える部分がある。
『エンジンカット!』
少女が叫ぶ。一瞬遅れて、ぶら下がる『命綱』が張り詰める。減速する。『天使』の背中が近付いてくる。
「ぶつかるぞ⁉」
『リスタート!』
一瞬、エンジンが再び火を噴く。二人は絡み合うように燃え盛る翼の上に投げ出された。
「はぁ……はぁ……はぁ、どうやら、上に、攻撃する手段は、無いらしい」
男は無様にしがみ付きながら、そう言った。燃えている筈の天使の翼は、熱くなかった。それどころか、手が炎をすり抜けた。いや、炎が手をすり抜けたのか。
「炎の形を借りて、エネルギーを放出しているだけだから。物理現象に至るまでの密度と精度が無ければ、影響は無いわ」
少女が声が、ついさっきまでとは違って聞こえた。
「大したことないってことか」
「いえ……多分。『限界』がきている」
少女は、『天使』の背の上で『立ち上がった』。
この場所が、空の上であることなど関係ないかのように。
「貴方は、ここで見ていて」
「……おい!」
命綱は、いつの間にか男の方へと繋ぎ変えられ。天使の身体に絡みついていた。
少女は背中を探り、なにやら複雑な模様の箇所……ついさっき、『人間が入れる場所』と言っていたところの傍へ端末をつなぎ始めた。
少しして、『天使』の外装の一部が開き始める。男は必至で這いつくばりながら、そちらを見た。
『さぁ、どんな酷いことになっているのやら』
少女の声が聞こえた。しかし、彼女の唇は。動いたようには見えなかった。
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