5「エンゼル・フォール」

「あの天使の中に、生体反応がある」

 少女は、そう言った。

「……どういうことだ?なんでそんなことになる?」

靴屋だった男は尋ね返す。空に飛ぶ、機械じかけの天使。その中に命があるなどと。

「わからない。けど、この街の『拮抗状態』については、理由がなんとなくわかった」

「……さっきの話か。あの天使が、どうしてブラブラ飛んでいるか、分かるってことか?」

「多分、あの天使は、中に人間を抱えて、消化しながら飛んでる」

「『消化』?気色の悪い話だな」

「正確には、東洋で解脱モクシャと呼ばれる相転移なんだけど……ああ!素人に説明するのがめんどくさい!」

「……『消化』でいい」

「じゃあ消化で」

 『ブラウニー』は早々に説明を諦めた。廃墟と化し、亡霊が彷徨く街は長話には向いていない。

「で、あの天使が、人間を食ってるってことか?」

「正確には、『食べてる途中』なんだと思う。ずっと、エネルギーを吸い上げてる。多分、

「……待て、それはどういう」

「あの天使は、任務を遂行している『途中』だから、この街から離れられない。特に何か異常が発生しているわけではないから、呼び戻されもしない。だから、拮抗して、この街の周囲を彷徨いてる。多分」

「……中の人間は、どうなってる?」

「言いづらい話だけど……」

「言い辛いならいい」

「ミイラになってる」

「なんだ、その程度か……」

「驚かないの?」

「こちとら、十年間ゾンビと仲良しこよしだ」

 『ブラウニー』は、周囲を見回した。

「それもそうね」

「じゃあ、この先の倉庫から食い物を貰って、帰るとするか……」

「……いえ、まだ」

「何がまだなんだ?」

「あの天使の中の人間は、ミイラになってもまだ……『生きている』」

 そこで、微妙な沈黙が開いた。その後に男は切り出した。

「それがどうした?生体反応があるなら、そういうことなんだろう?」

「……え?」

「どうしたんだ?そんな間の抜けた顔で」

「助けようとか……思わないの?」

「なんでそんな義理がある?俺には関係無いだろう?」

「えっ、でも……え?」

 それは、当たり前の反応だった。顔も知らない人間のために、十年何もなかった藪を突くことはない。

「調査に付き合う約束だ。お前が何かする分には手伝うが……何か出来るのか?」

「ちょっと待って、今、考える……BEMは、まだこの位階の奇跡には至っていない筈。なら、間違いなく人工聖人(レプリ・セイント)が介在してる。でも」

「考えてる間に、用事を済ませてくる」

「駄目。置いて行かないで」

「……まさか、怖いってことは無いだろう」

「帰り道がわからないのよ」

「……なら仕方ないが……」

 男は渋々、足を止めた。彼にとっては、今の街も、既に見慣れた光景だ。むしろ、それに驚く少女の方が、彼にとっては奇異に映る。

「……あの天使が、貴方を襲ったことは無いのね?」

「無い。いつも、空を飛んでるだけだ」

「地上に降りたことは?」

「多分無い」

「やっぱり、おかしい」

「何がだ?」

「貴方が、放置されていることが。あの天使は、中の人間からエネルギーを吸い上げている。そのエネルギーで外の人間を解脱させて、中の人間にフィードバックすることで、中の人間を最終的には解脱させる。そういう動きをするものなの」

「……狙われていないのは、お互い様じゃないか」

「私は、ステルスで身を隠しているから」

 そう言って、『ブラウニー』はボロ布の外套を振る。男は、どれ程効果があるのか怪しいものだと内心思った。

「でも、それが破られて墜落したんだろう?」

「……そうとも言うわね」

「そうとしか言わんだろう」

 男も、そろそろ少女に対する遠慮が磨り減りつつあった。

「……でも、言われてみれば、そもそも、あのクラスのステルスが破られたのもおかしいのよね……最新型ならまだしも、十年間アップデートされてない骨董品に見破られるなんて」

「……調査とやら、出直した方がいいんじゃないか?」

「実は貴方、聖人だったりしない?」

「何故そうなる?」

「そうだと色々楽にスッキリしていいなぁ、と思ったんだけど」

「俺はただの靴屋だ」

 そろそろ、少女も面倒くさくなっていはしないだろうか。

 付き合わされている側は更に面倒くさいと言うのにどうしてくれよう、と男は思った。男は聖人などではないし、聖人君子でもなかった。

「他の可能性は無いのか?そもそも、俺が聖人だとどう片付くんだ?」

 彼は、いい加減用事……と言っても、生活必需品を巨大倉庫から有難く頂いてくる作業なのだが……も済ませたかった。

「貴方が聖人で、自分の力で無意識にこの街の状況を作り上げている。あの天使は、貴方が作り上げているものが何か分からず、手出しができないでいる……とか」

「馬鹿は休み休みにしてくれ」

「……そろそろ、罰が当たるんじゃないかしら」

 不機嫌になり始めた少女の一言で。男はようやく、彼女の『正体』を思い出し。そして……

「なぁ、一応聞きたいんだが」

 何かを思いついたふうに、そう口に出した。

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