第一回 普通の人は引き方すら誤解している。
さて、大変お手数ながら読者の皆様には、まず最初に、
「弓をひいている男性の姿」
を、頭の中に思い浮べて頂きたいと思います。
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出来ましたでしょうか?
実は、「今、皆様が想像したであろう姿」に近いと思われる彫刻が、東京上野の国立西洋美術館に展示されています。
それは、アントワーヌ・ブールデル作の『弓をひくヘラクレス』です。
著作権フリーの画像がなかったため、各自で検索して頂けると有り難いのですが、ヘラクレスが怪鳥ステュムファリデスを狙って、渾身の力で弓を引いている瞬間を表現したものです。
殆どの方の「射手」に対するイメージは、これに集約されてしまうのではないでしょうか。
そう思ってしまうぐらい見事な作品で、私も、親戚のオジサン達が「弓道やってたの?」と言いながら、これと同じような格好で弓をひく真似をしたところを、何度も見たことがあります。
また、それぐらい印象の強い傑作だと、私も思います。
ただ、残念ながらこれは正しい弓の引き方ではありません。
まず、日本の弓道視点で見てみましょう。
弓が和弓でない点は、ただの言いがかりになるので、いったん無視します。
このヘラクレスは明らかに「自分の力に合わない強すぎる弓を、無理に右腕の力だけで」引いています。矢は恐らく目標の怪鳥の右側に飛び、外れてしまうことでしょう。なぜ私がそんなことを、自信をもって言えるのかというと――
最大のポイントはヘラクレスの左肩にあります。
彼の左腕は力強く伸びていますが、残念ながら左肩の根元が背中側に抜けてしまっており、これによって完全に腕の伸びが殺されています。
弓道ではこの状態を「詰まっている」と呼びます。
しかも、腰の部分までが押し負けて歪んでいるため、これでは最後の一押しが効きません。最後の一押しが効かなければ、矢は確実に狙いよりも右に向かって飛びます。
さらに、右肘が開きすぎており、右手首も力が入り過ぎて必要以上に曲がっています。弓道ではこの状態を「
これでは右の指から弦を外すために、どうしてもいったん右腕全体の力を抜かなければならず、右腕の力を抜いた途端に現時点での緊張感は、全て台無しとなってしまいます。
誤解されがちですが、弓道は腕の力だけで引いている訳ではないのです。
また、限界ぎりぎりまで引いている訳でもないのです。
これと同じように力を入れてしまうと、間違いなく中りません。
では、「力自慢のヘラクレスが少々無理をしながらも、西洋の強弓で怪鳥を狙っている姿」と考えてみましょう。
それであれば、状況を実に正確に表現していると言ってよいのですが、やはり怪鳥に中るかどうかは分かりません。
何故なら、怪鳥に全く狙いがついていないからです。
ですから、これで中ったとしてもまぐれでしょう。神様だからまぐれでも中るのかもしれませんが。
全体の緊張感や力強さから、『弓をひくヘラクレス』という彫刻は一級品と言ってよいと思います。しかし、このヘラクレスは弓に関して全くの素人であり、射手としては二流以下なのです。
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そこで、ヘラクレスさんに弓道を学んで頂きます。
まず、弓は「一度に二張(弓は
腰も曲がらなくなるでしょうから、ついでに背中を伸ばして、弦が胸に付くように、矢が頬に付くようにします。これで矢の狙いがつくようになりました。
右肩と左肩を結んだ線が矢と平行になり、腰の中心から頭の先を結んだ線が、それと垂直に交わります。
弓を握る左腕は部分的に細かく指摘したい点はあるものの、まあ大体はこれで構いません。
右肘はもう少し締めます。さらに、右手首を曲げて無理に引こうとする悪い癖もやめて頂きましょう。弦の引き幅が小さくなりますが、そんなに無理に引いても良いことは何もありません。
かなりよくなりました。見た目だけで言えば、ほぼ満点に近い状態です。
それではヘラクレスさん、そのまま離して下さい。
えっ、何ですか?
「嫌だ、怖い」ですか?
いいから離して下さい。
そうそう。それで良いのです。
えっ、何ですか?
「頬と乳首と左手首に弦が当たったので、とても痛い」ですか?
それはそうでしょう。
だって、弓道とアーチェリーの違いをまだ教えていませんから。おほほのほ。
( 第一回 終り )
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