第十八回 そもそも弓道の一体どこが面白いのか。

「何も言うまい」と思っていても、目にするとやはり何か言いたくなる『真田〇』。

 第三十八回『昌幸』では、豊臣秀頼が弓術の修練をしている場面が映し出されました。


 しかし、今回は褒めます。


 豊臣秀頼を演じる中川大志さんがなかなかの貫禄で非常によかったのはもちろん、ちゃんと日置流を意識して斜面打ち起こしにしていたのが見事でした。

 豊臣秀頼の弓術師範は、戦国大名の六角義治です。

 その六角義治の父親である六角義賢は、家臣の吉田重政から日置流の一流派である『吉田流』の印可を受けたほどの人物です。

 さらに、吉田重政は吉田流の始祖である吉田重賢の息子で、吉田重賢は日置流の始祖である日置弾正正次の高弟です。

 つまり豊臣秀頼は、弓術の世界では神様にも等しい日置弾正の、直系も直系の六角義治から、直接手ほどきを受けているのです。

 従って、ここは日置流でないとおかしい。

 決して外してはいけないポイントでした。


 だから他の事は……まあ、いいです。


 例のごとく弓は黒塗りのグラスファイバー弓でしたが、そんなことは言っても仕方がないことなので、もう言いません。

 秀頼は「右手に手袋を嵌め、左手は素手のままで」弓を引いておりましたが、少なくとも現代弓道の堅帽子がついたゆがけを使わなかった点はよい判断でした。

 堅帽子は江戸期に行われた三十三間堂の通し矢によって発達した道具ですから、戦国時代には柔帽子のゆがけしかありません。

 それにしても、三十キロは優に超えるであろう戦国武将の弓を、柔帽子のゆがけを使わずに素手で引くとは、いやはや秀頼の丈夫ますらお振りには恐れ入ります。


 まあ、それも今回はよしとしましょう。


 私が気になったのは秀頼が使っていた弓です。小笠原流の免許皆伝者しか使わない「相位弓」じゃないかと思うのですが、気のせいでしょうか?


 *


 さて、今回は「そもそも弓道の一体どこが面白いのか」について、お話ししたいと思います。


 小説の主人公がどうして弓道をしているのか、設定が必要になった時の参考になれば嬉しいのですが、以下の内容の大半は個人的な経験に基づく話であり、一般的に当てはまるかどうかが分かりません。

 さらには、理解して頂けるかどうかも不明なのですが、なんとか伝わるように努力して記述してみようと思います。そのつもりでお読み頂けると有難いです。


 それではまず最初に、全日本弓道連盟の会長を務めておられたこともある鴨川乃武幸範士十段から、私が直接聞いた話をご紹介しましょう。

 弓道の位は、段級位と称号に分かれております。段級位は五級から始まり、二級、一級、初段と上がって最高位が十段になります。称号は練士、教士、範士の三つがあり、最高位は範士です。

 いちおう、弓道の段級位とは無関係に弓道に対する功績を表すものが「称号」なので、実際に「範士無段」という方がおられますが、普通は五段以上にならないと頂くことができません。

 従いまして「範士十段」というのは、もうこれより上がないほどの大先生です。

 中央審査が開催される前の日、審査前の矢渡しをされることになっていた鴨川先生と一緒に、弓の練習をする機会がありました。

 そして、練習終了後に控室で着替えをしている際、何の話のついでだったかは全然覚えていないのですが、鴨川先生がしみじみとこんなことを仰いました。

「中らなかったら弓を続けていなかったと思います」

 大先生が漏らした意外なほど率直な言葉に、私はちょっと感動してしまいました。


 もちろん弓道は的に矢を中てる武道ですから、中らなければ話にはなりません。それに、ちゃんとした指導を受けていれば、五割程度の的中率を達成するのは難しくないと思います。

 ただ、最初のうちは礼儀や射法を覚えるだけで精一杯ですし、一人で的に向かって弓を引くことが出来るようになるまでに二ヶ月はかかりますから、それまでに面白くなくてやめてしまう人が大勢います。

 しかし、実はそれは大変もったいないことなのです。

 的の前に立てるようになり、しばらくして的中がちらほら出てくると、急に世界が変わるのですから。

 的を狙う。

 弦を離す。

 矢が飛ぶ。

 的に中る。

 この一連の流れが、生理的に非常に面白く感じられるようになります。「クレーンゲームで狙った獲物をアームが確実に捕らえた瞬間」と言えば、少しは分かっていただけますでしょうか。

 弓道は、自分がやった行為の結果が直後に目の前に現れます。そして、その結果は「中り」と「外れ」しかありません。非常にシンプルかつリアルタイムであり、それが弓道の面白さであるとも言えます。


 ただ、鴨川先生が仰った「中る」は、恐らく「狙ったものに中る」という意味ではありません。


 的中率が、五割からその上の段階に進む過程で私自身が経験したことなのですが、ある日、それは突然やってきます。

 いつものように道具を準備して、その日最初の行射に入った途端、

「ああ、今日は絶対に外れない」

 という『事実』に気がつくことがあるのです。

「絶対に中る」ではなく、弓構えの段階から「絶対に外れない」ことが分かる――クレーンゲームの喩えで言えば「百円玉を入れた段階で、確実に捕ることが出来ると分かっている」状態でしょうか。

 そして、実際に外れなくなります。

 練習の時に急にその瞬間がやってきて、九十四連中をたたき出す。(実話)

 試合の時に急にその瞬間がやってきて、三十二連中をたたき出す。(実話)

 言葉で書くと何だかパチンコの連チャン状態のようですが、それと違うのは「運ではなく、自分が自分の力で成し遂げている」点でしょう。


 そのため、リアルに「無双な俺TUEEE」状態になります。


 私は神秘主義者ではありませんので、これを「神懸かみがかった状態」とか、「超人的な現象」とは思っておりません。

 むしろ、選手アスリートには普通によくある心理状態であって、単にその日の気分がそうだったに過ぎないのです。翌日まで持続しない場合が殆どで、目が覚めると普通の人に戻っています。

 ただ、一度この感覚を知ってしまうと、もう止められません、止まりません。


 静まりかえった道場の中、射位に立つ自分。

 的の中心がはっきりと見え、そこに矢が刺さるイメージが完全に出来上がっている。

 弓構えをした時の両肩の収まり具合から、「それ」状態であることを実感。

 会に入った時にはもう完全に無双状態で、多少引っかかっても的から絶対に外さない自信がある。


 ああ、思い出しただけでなんだか恍惚としてきました。

 これだけでご飯が三杯食べられそうです。


( 第十八回 終り )

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「小説で弓を扱いたい方」のための弓道講座 阿井上夫 @Aiueo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ