第十五話 廃弓に至る病。

 先日、読者の方から「弓道は中学生以上からでないと始められないのですか」というご質問を頂きました。


 別にそのような明確な定めはないのですが、確かに小学生に指導を行う弓道場は限られております。

 そして、その理由について私は「身体の発育の問題」と、本で読んだことがあります。出典を正確に覚えていないので誠に恐縮ですが、恐らく『弓道講座』(雄山閣、一九四二年版)でしょう。

 それには「小学生の段階で弓道を始めてしまうと、どうしても身体の右と左のバランスを崩してしまう」と書かれていたように思います。

 実際、私は高校で弓道を始めましたが、「左右均等、むしろ左を強めに」と注意されていても、気がつくと右腕のほうが太くなっておりました。もし小学生から始めていたら、さらに影響が出たかもしれません。

 なお、小山弓具店のコラムに「小学生に指導している弓道場」の話がありまして、並寸でも小学生には長すぎるので四半弓を使って指導しているとのこと。

 案外、道具の問題が大きいのかもしれませんね。


 それでは、逆に何歳まで弓道は出来るのでしょうか。

 私がご一緒させて頂いたことがある弓道家で、当時の現役最高齢だった方が三重県の樋口恒通先生です。

 先生はその時点で「百歳」を超えておられました。八十歳前後の娘さんや六十歳前後のお孫さんと一緒に、実に楽しそうに弓を引いておられた姿を、今でも懐かしく思い出します。


 *


 さて、前回から一転して今回は少々重めの話になります。

 対象年齢の幅が広い弓道ですが、修練する中で致命的な病に罹患することがあります。それをご紹介しましょう。


 < 早気 >


 弓道のもっともポピュラーな癖に、『早気はやけ』があります。簡単に言うと「狙いが的についた途端に離す」もので、厳密な定義はありませんが、ここでは「会が三秒未満の場合」としておきます。


 和弓では、親指の付け根に弦をかけ、その親指を(三つがけの場合は)人差指と中指で抑えます。

 親指の付け根から弦が外れない限り、矢が飛んでゆくことはありません。

 親指の付け根から弦が外れるためには、抑えている人差指と中指から親指が外れる必要があります。


 問題となるのは「人差指と中指から親指が離れるタイミング」を、人為的に作り出すのか、自然にそうなるようにするのか、という点です。

 本来は「(人為的に)離す」ではなく「(自然に)離れる」なのですが、この点を分かりやすく説明している弓道の本を、私はあまり見たことがありません。

 公式ガイドブックである『弓道教本』にも、

「露が葉から落ちるように」

「石と石がぶつかり合って火花が散るように」

 と観念的に書いてあるだけなので、まったく素人の役には立たないのです。

 そのため、指導者不在の弓道部で初心者同士が試行錯誤で練習していると、どうしても「弦を離す絶好のタイミング」を探すようになります。

 自然な離を体得するには時間がかかりますので、どうしても「ある条件が満たされたら反射的に離れる」ようになりがちです。

 特に、視覚というのは極めて強い刺激なので、その条件反射を容易に引き起こします。

 また、技が未熟な時期には条件反射による離れのほうがスムースで的にも中りやすいため、ついつい「右眼をとおして見える的の位置がいつもと同じであれば離れる」ようになります。

 そして、一度それが身に着いてしまうとなかなか修正することが出来なくなるのです。


 早気は古来から弓道家を悩ませてきた癖でありまして、江戸時代に勘定奉行まで務めた根岸ねぎし鎮衛しずもりが著した『耳嚢』に、次のような有名な話が出てきます。


 阿部家に仕える稽古熱心な武士が早気になり、的を狙って引くと右肩まで右拳を引き込まないうちに離れてしまうようになった。

 弓の師匠から「しばらく稽古を休んではどうか」とまで言われるようになったが、どうしても治したくて朝晩いろいろと試すが上手くいかない。

 ある日、家に伝わる「あるじより賜った屏風」に「あるじから賜った紋付」をかけて、的前に置いて弓を引いたところ、やはり離してしまった。

 それならばと一大決心をして、自分の子供を的前に置く。

 これで離したら子も自分も死ぬと思い定めたところで、やっと早気が失せた。


 ところが、これを読んだ早気経験者の多くはこう思うことでしょう。

「馬鹿な、そんなことで治る訳がない。我が子に向かって離すに決まっているだろ!」

 それだけ面倒な癖なのです。


 実は、私個人は「早気=悪癖」とは考えておらず、それも射技の一つと思っています。

「会が三秒未満=悪」と短絡的に考えている指導者を見ると、事の本質が分かっていないのではないか、とも思います。

 ただ、早気は適切な状態を維持するのが極めて困難な癖であり、容易に悪癖に変わる可能性があることだけは間違いございません。


 まず、いつもの狙いに的が来たところで離れるようになると、確認作業が疎かになるため、結果として「狙い」が定まらないままに離れてしまうことになります。そうなると中りません。

 また、早気の方が技の切れを維持するためには、反復練習を休みなく繰り返す必要があります。少しでもブランクがあると、身に着けた「絶好のタイミング」が失われます。そうなるとやはり中りません。


 早気のままで弓道を続けるのは、断崖絶壁の上にある細い道を歩いているようなものなのです。

 少しでもバランスを崩せば簡単に谷底まで堕ちてゆきます。

 そして、一度底まで堕ちたら容易には上れません。

 途中で上ることを断念される方が山ほどおります。


 繰り返しますが、私個人は「早気=悪癖」とは考えておらず、それも射技の一つと思っています。しかしそれは、「廃弓に至る病をかかえての弓道家人生」であることを認識して頂ければと思います。


 そういう地獄を垣間見た本人が言うのですから、間違いはございません。

 ふっふっふ。


 ( 補足 )

 批判ばかりしていても意味はないので、私自身の「離」に関する認識を説明しておきます。

 私は「人差指及び中指と、親指との接点にかかる摩擦力がゼロ以下になる」と表現しております。

 親指には力を入れず、人差指と中指で親指を抑え込むことをしないで、革の摩擦以外の力を使わずに弦を引く。

 そうすれば、必ずどこかで「革の摩擦力」よりも「弦の復元力」が勝る時がやってきて、自然に意図しなくとも弦は親指から外れます。


( 第十五回 終り )

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