殲滅のブリレオス

軌跡

序章 帝都崩壊

第1話 犯された過ち

宰相さいしょう! お待ちください、宰相!」


 大理石で作られた神殿の中を、焦りに満ちた声が反響する。

 振り向いたのは、黒い軍服を着た男だった。服のあちこちにはきらびやかな装飾。役職を呼ばずとも、国の重要人物であることが一目で分かる。

 近付いてくる少年に対し、彼はさげすむような目を向けるだけ。

 用件が推測できたんだろう、宰相は直ぐにきびすを返す。徐々に大きくなる足音へは、もやは一瞥いちべつも寄越さなかった。


「宰相、勇者の召喚を行うというのは本当ですか!?」


「……」


「私は納得できません! この国で彼らを呼び出しても、敵国に加わるだけです。私たちと彼らでは、基本的な考え方も違うのです! 閣下とて――」


「黙れ小童こわっぱ!」


 怒号、と称して差し支えない大声だった。

 見下ろす黒い瞳に、少年は思わず後ずさりする。――この人に怒鳴られるのは苦手だ。声が響いた後には、しつけと称して罵倒を浴びせられる。

 しかし今回ばかりは引けない。例え現状、国の最高責任者だろうとも。


「確かに敵国へ対処するには、勇者の召喚が一番でしょう。ですが、彼らはこの国と肌が合わない。彼らにとって悪である国家へ、忠義など果たせる筈がございません」


「それはどうにでもなる問題だ! 貴様はこの国が――ブリレオスがどのような状況にあるか分かってるのか!?」


「分かっています。だからこそ、彼らの力を借りることは不可能です。民とて、勇者の召喚を快く思わないでしょう。ですから――」


「黙れと言った!」


 それでも少年は、宰相から目を逸らさない。

 お陰で意思の強さが伝わったんだろう。宰相は鼻を鳴らして、足早に神殿の外へと出る。

 待っていたのは一台の。待機していた数名の護衛が、宰相へ気付くなり恭しく頭を下げた。不幸にも、斜めになった彼の機嫌を直すものではなかったが。

 突き飛ばされる護衛。いつものことで慣れているらしく、溜め息一つでやり過ごす。


「まったく、豪快な方ですこそ」


 見送るしかない少年の背後から、鈴のように美しい声が響いた。

 即座に姿勢を整え、声の主に向かって膝をつく。が、彼女は苦笑するばかり。私達しかいませんよ、となだめるような言葉がトドメだった。

 静かに顔を上げれば、一人の少女が目に入る。

 腰まで伸びた、流れるような金髪の美少女だった。女神のような慈愛を蓄えた目、触れれば壊れそうなほど細い手足。――それが病的に見えないのは、彼女が持つ雰囲気に呑まれているからだろう。

 芸術的な、人形染みた美しさ。

 この瞬間が現実かどうか疑いたくなる。それぐらい、少女の美貌は整っていた。理想の女性像、として仕上げられた彫像が、命を宿したかのような。

 学校の帰りだったため、彼女は真っ白な制服を身に纏っている。清純なイメージを押し上げるには十分だ。


「いいですか、ヘレアス。私と貴方は友人です。皇女と騎士ではなく、ただの幼馴染です。仰々しい態度は皆の前だけにしてください」


「神殿には、巫子達がおりますが?」


「見える範囲にはいません。ですからほら、いつものように話してくださいな」


「……了解です」


 ヘレアスと呼ばれた少年は、それで肩の力を抜いた。

 ふと、神殿前の広場に横目を使う。宰相の存在が気掛かりだったが、彼は真っ先にこの場を離れたらしい。


「ふふ、親子の会話ではありませんね」


「うるさい父で申し訳ありません。驚かせたんじゃないですか?」


「ええ、驚きました。まさかヘレアスが、おじ様に意見するだなんて。なかなか男らしくて素敵でしたよ?」


「……あ、ありがとうございます、マリアルト」


 天使のような笑みに、ヘレアスは顔を逸らした。耳まで赤くなっているのが自分でもわかる。

 そんな反応に、マリアルトはご満悦の様子。こちらの表情を窺おうと、覗き込むように付近を一周。楽しんでいるようで、笑みはどんどん深くなる。

 当然ながらヘレクスは顔を逸らす一方だ。気心しれた関係とは言え、今の顔はさすがに見せられない。というか恥かしい。


「もうっ、初心ですねえ」


「昔からの性格でして。マリアルトが僕で遊ぶからですよ」


「あらやだ、失礼しちゃう。……でもそうだとしたら、慣れているのが普通じゃありません?」


「う」


 もっともなご指摘。

 しかし駄目なものは駄目だ。相手は皇女であり、守るべき対象。堂々と隙をさらすのは控えたい。――まあ、男のつまらない意地ではあるんだろうが。

 笑顔を変えず、マリアルトは神殿の外へ。黄昏色に染まった世界へと歩いていく。

 ヘレクスが追い付いた頃には、まったく違う横顔が映っていた。


「……貴方はどう思いますか? 勇者の召喚について」


「止めるべきです」


 考えるまでもない、即答。

 彼らのためでもあり、自分たちのためでもある結論。これを曲げてしまえば、国の未来さえ曲がってしまう。


「彼らはこの国にとって、完全な異分子です。存在を知れば、もう民は許容しないでしょう」


「しかし宰相は、神託が下ったと。恐らく止めることは不可能ですわ」


「神託が、ですか?」


 驚くべきか、疑うべきか。

 勇者召喚はほとんどの場合、神々の関与が行われずに実行された。例外は初代勇者を始め、数えるほどしかない言われている。


「しかし父は、民に知らせるつもりなど無いのでしょう?」


「ええ、反感を煽るから、と。徹底して緘口令かんこうれいをしく予定だそうです」


「どうしても呼びたいわけですか……」


 考えれば考えるほど、ヘレクスの溜め息は深くなっていく。だって手を出す方法がないんだから。

 いっそ、力尽くで止めるべきだろうか? 最近の父は暴政がかなり目立っている。迷惑がっている貴族も多いはずだ。皇女マリアルトはこちらの味方だし、大義名分はカバー出来る。


「反乱を考えいるのですか? ヘレクス」


「……」


 本音も沈黙も、マリアルトを不安にさせるだけ。

 かといって嘘はつけない。迅速に達成できれば、国内情勢の安定は確実だ。皇女の才覚についても、問題ないレベルにまで成長している。

 ――隣りを見れば、本人にその気がないのは明らかだった。

 復讐は何も生み出さない。

 マリアルトの口癖だ。彼女は宰相に反感を抱く貴族達に、平和的な解決を行うよう訴え続けてきた。こういうことが言えるのは、私ぐらいだ、と。

 実際その通りで、呼び掛けには何の効果もない。

 ブリレオスの人々は好戦的で、排他的な民族である。他人の都合に合わせるなんてもっての他で、皇女の言葉でなければ耳も貸さないだろう。

 それらの経緯を思い返しているのか、マリアルトは気だるげな表情だ。せめてヘレクスも協力できれば良かったんだが、何を隠そう宰相の息子。火に油を注ぐようなものである。


「……さあヘレクス、城へ帰りましょう。病床に伏しているお父様の代わりに、やるべきことは沢山ありますから」


「――はい」


 前を行く背中は、あまりにも小さくて。

 一国を背負う姿に、不安ばかりが募っていた。




 神殿で父の目論みを聞いて、はや三日。

 続報はやってこない。勇者らしき姿が目撃されることもなく、静かな日常が続いている。敵国との最前線も、現在は小康状態を保っていた。


「……」


 しかしヘレクスは、急ぎ足で城の中を駆けていく。

 父――宰相に呼び出しを受けたからだ。場所は城の一階にある、彼の執務室。連れはなし、単独で訪れるよう命令を受けている。

 まともな用件じゃないだろう。第一、親子が日中に会うのは稀だ。三日前の件についても、久々の顔合わせだったし。

 足が進む度、気持ちは少しずつ重くなる。

 動きへ反映しそうな頃には、執務室の扉が見えていた。

 定型的なノックの後、厳かな声で入室を許可される。


「失礼します」


 言って扉を閉めると、居心地の悪さを即座に感じた。

 宰相は一瞬たりとも、息子に視線を合わせようとしない。手元にある資料の方が愛おしいそうだ。

 視線が合わないのをいいことに、ヘレクスは部屋の全体を観察する。

 置かれている物はほとんど、武具や剥製はくせいで占めてあった。自分で狩った獲物、戦で撃破した敵将の鎧兜――言ってしまえば、全体的に血なまぐさい。

 さすが、メイドたちが入りたくない部屋ナンバーワン。罰を与えられた者しか、執務室には入らないとか何とか。


「――」


 今更だけど。

 宰相の横に、一人の少女が立っている。

 近衞騎士の制服である、青い騎士装束を纏った女性だった。髪は短く、顔付きはマリアルトに劣らず整っている。

 親と逸れた子猫のように、少女はうろたえ気味だった。

 だからだろうか? 頼りなげな雰囲気が、綺麗、よりも可愛い印象を強くする。メイドを始め城の女性陣からはきっと、娘同然に愛されているに違いない。

 しかし、その妄想を否定する材料があった。

 黒い髪。

 ブリレオスでは珍しい色へ、まさかの結論に到達する。


「今回の勇者だ。お前が教育係を務めろ」


「――は?」


 驚くしか、なかった。

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