第6話 砦にて
追ってを振り切った頃、ヘレクス達は山岳地帯に足を踏み入れていた。
帝都と四大都市の一つを別つ、天然の要塞。人が通れそうな唯一の道には、堅牢な砦が立てられている。かなり古い時代の産物だが、その機能にまだ衰えていないようだ。
ヒュベリオを先頭に、一行は奥へ奥へと進んでいく。詳しい話は彼の部屋でするとのことだ。
「ねえ」
無言で歩いていたヘレクスだが、リオの小声に唇を動かす。
「この人、知り合い?」
「ああ。騎士団関係でよくお世話になってね。帝都に来ることはなかったけど、僕にとっては師匠みたいなものだよ」
「ふうん……」
話している間に、目的の場所へと辿り着いたらしい。
護衛に囲まれる中、部屋に入ったのはヘレクス、リオ、ヒュベリオの三人だけだった。他にも入ろうとした者はいたが、主人に止められて廊下へ戻る。
「よし、まずは座れ。食事の方はしばらく我慢するんじゃぞ? いま用意させとるからな」
「……済みません、色々と」
気にするな、とヒュベリオは中央にあるテーブルの奥に腰を降ろす。突っ立っているだけの二人も、手前にある椅子を引いて座った。
あまり利用していないのか、部屋には個性というものがない。もちろん宰相の執務室に比べればマシだが、
――どちらも話を切り出さず、時間だけが過ぎていく。
ヒュベリオはおもむろに葉巻を取り出した。リオが嫌そうな顔を浮かべるが、ご老体はどこ吹く風。ナイフで吸い口を作り、専用のマッチへ手を伸ばす。
直後。
「ぬおっ!?」
葉巻とマッチが一瞬で燃え尽きた。
被害にあった当人は、
「いかんいかん。神との
「また出来もしないことを……」
「やかましいっ。これでも生涯現役のために工夫してるんじゃぞ? 神もきちんと、ワシの聖約を通してくれる」
「投げやりに通されてるんじゃないですか?」
「ぬ――」
そんな論点、考えもしなかった。
直立したまま動かないヒュベリオの顔は、神への盲信ぶりを如実に示している。
「か、神様がいるの? この世界って」
「? お嬢さん、何を今更言っておる。神の存在はワシらにとって身近なものだろうよ」
「え、ええっと……」
二人は揃って首を傾げる。客観的視点に立っているのは、ヘレクスただ一人らしい。
しかしヒュベリオの方も、少女が疑問を抱く理由に到達したようだ。瞳に、年齢不相応の好奇心を宿しながら。
「――とするとお主、数日前に召喚されたと噂の勇者か?」
「え、あ、ハイ。一応そういうコトっぽいです」
「ほー、こんな美少女が来るとはな。世の中も捨てたものではない」
「どうしました? 閣下」
「いや、どこかで顔を見たような……かなり前の話だったと思うんじゃが」
「そんな馬鹿な。彼女、異世界人ですよ? 閣下が彼女と同じ世界から来た、っていうなら分かりますけど」
「……うむ、まったくのデタラメじゃな。本題に戻るとしよう」
口にしたほど納得していないのか、ヒュベリオは小言を呟きながら本を手にする。厚さ5センチほどの、白い表紙の本を。
「さて、歴史の授業といきたいところじゃが……ユーリバルトの
「ある程度仕込んだ、と父は言ってましたけど……そこのところ、どうなの?」
「へっ!?」
話を振られた彼女は、心ここにあらずな状態だった。
リオは別に他のものへ注目しているわけではない。傍から見れば普通に、ヒュベリオの話を聞いているように思えた。
だが実際は違うらしい。可哀そうに思えるぐらいの
「え、えっと、何!?」
「いや、君が宰相に何を教わったのか、って話。三日間缶詰だったんだろう?」
「……あ、うん」
怪しげな一拍。影の差す横顔は、決して誤魔化せるものではない。
だからか。リオは出来る限りの作り笑いで、詫びの言葉を口にする。
「ちょっと一気に教えられたからさ、あんまり内容は覚えてないんだよねー。ごめん」
あはは、と乾ききった笑み。ヘレクスは勿論、ヒュベリオだって騙せちゃいない。
何とも言えない雰囲気がしばらく続いた。リオは何とか解決しようとしているが、適切な言葉が思い浮かばないらしい。
同様に増す怪しさ。ヒュベリオは
「――じゃ、ちょっと説明して上げましょうよ。構いませんね? 閣下」
「……まあお主が良いと言うなら、ワシは任せよう。ただし、責任は取るように」
「無論です」
これ見よがしに溜め息を残して、ヒュベリオは退出する。
扉が閉まる直前に聞こえたのは、彼を気遣う部下たちの声だった。リオに対する不信感も多く、それを宥めるやり取りも聞こえてくる。
「……ごめん。その、どうしても思い出せなくてさ」
「混乱してるってことかい?」
「そんな感じ、かな。――じゃあ神様について、ちょっと教えてくれる?」
机には、取り出されたままの本が一冊。
僅かに姿勢を傾けるヘレクスだが、本を使うのは後回しに決めた。歴史の混じった問題に入るより、神自体の説明に留めようと考えて。
「まあ……神っていうのは、人間の商売相手みたいなものかな。聖約、ってさっき言ってたろう? あれは自分の行動を制限する代わりに、神が力を得るっていう仕組みなんだ」
「力? そういうのが必要なの?」
「らしい。自身の存在を確定するために――だったかな? 聖約は守りさえすれば大きな利益を得れるから、個人だけじゃなくて国家でもやる場合が多い」
「ブリレオスも?」
「もちろん」
お陰でかの帝国は、
「試しにやってみようか。神像もあるし」
「……あれ?」
机の中央。小さいが、確かに木製の像があった。
ヘレクスは部屋の外に出ると、律儀に待機していたヒュベリオから必要物の許可を尋ねる。――乗り気ではない彼だが、背中を押すとあっさり折れてくれた。
さっそく部屋の棚から、紙とペンを取り出す。
「じゃあ何を願おうか? いま実行可能で、失敗も可能なのがいいけど」
「――笑わない、でどう?」
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