第7話 断絶の扉
「変な願いだな……そしたら次、何を代償にする?」
「頭を撫でられない」
これまた変な縛りだが、あとは神に判断を委ねるしかない。
像の前に紙をおいて放置する。口を結んでいるヘレクスに合わせて、リオも神妙な面持ちで待ち続けた。
変化は唐突に。像から出た光が、文字を上から撫でていく。
文末まで行くと、光は綺麗さっぱり消えた。紙が燃えずに残っている――ということは、神に聖約が受理されたようだ。この瞬間にヘレクスの肉体は、一つの感情から解放されたこととなる。
ものは試し、とばかりにリオは脇から横っ腹へと触れていく。
当然ながら表情は崩れない。そもそも騎士装束の上からでは、聖約がなくても効果が薄いのだが。
「ん」
ついに頭まで撫でられる。
直後。
「ぐっ!?」
脈絡もなく発生した力が、ヘレクスを壁に叩きつけた。
あまりの衝撃に咳が出る。当然ながらリオは謝罪の一手。しかし試すと言ったのは自分なわけで、別に怒鳴り返そうとは思わなかった。
「な、なんじゃ!? 何が起こった!?」
ヒュベリオの方は、気が気でなかったらしいが。
「ちょ、ちょっと遊んでただけですよ。危害を加えられたりはしてません」
「……なら構わんが、はしゃぎ過ぎるな。外の兵が警戒してしまうわ」
「申し訳ありません」
リオの方を一瞥して、ヒュベリオは廊下に戻る。
とにもかくにも、これで聖約については分かってもらえただろう。便利なものではあるが、違反した時の反動が様々に現れることも。
少女勇者の手を借りながら、ヘレクスは腰を上げる。
「……お姫様が言ってたよ。自分が死ぬのは仕方ないって」
「確かに帝都への攻撃に、聖約が関わっている可能性は高い。繁栄の代わりに、滅びが訪れた際は受け入れる、って内容だったらしいし」
「――だから、悲しくないの? 帝都自体が気になったの?」
「……」
核心に近い質問へ、即座の解答は出来なかった。
心の形は自分でも分からない。――確かに、子供の頃から聞かされたことではある。聖約の限界が近いと、いつこの国は終わってもおかしくないと。
死に対する傍観か、生に対する諦観か。
ヘレクスにとって、人の死はそう見慣れたものではない。だからこそマリアルトが貫かれた直後、感情を露わにすることが出来たのだ。
しかし、根っ子の部分はどうなんだろう。
あれは一時の
答えはない。
思い付くのは、自分たちを待ち受ける困難だけ。
「話は終わったかのう?」
静寂を機会と読んだのか、ヒュベリオが戻って来る。
リオの心情に構わず、ヘレクスは会話を切り上げた。定位置に戻る恩人を追って、自分も先ほどの位置に着席する。……少女の憐れむような視線は、心にとって毒だった。
「一番肝心な話をするとしよう。お前達を襲った青い守護騎士のことじゃ」
「……アレは何ですか? マルスは名前の通り、紅い守護騎士の筈ですか」
「量産型じゃよ」
嘆息混じりに言うヒュベリオは、一枚の紙を机に広げた。小難しい図面が並んでいる辺り、設計図か何かだろう。
「やつらは魔科学を用いて、守護騎士の量産化に成功したそうじゃ。帝都の方では既に五騎も確認されておる」
「アレが五体……」
考えただけで頭痛がする。ヒュベリオも同じだろう。
一方、問題を理解していない人物も一人。
「ま、魔科学?」
「……原初勇者が持ち込み、以後の時代で発展した技術のことじゃ。お主、帝都の城周辺は目にしておろう?」
「ああ、あのビルですか?」
「うむ。あれこそ魔科学の産物でな。まあ貴族が見栄を張るための分野だったんじゃが……裏ではこうして、守護騎士の量産でも試しとったんじゃろ」
まったく、と連続する溜め息。貴族に対してか、リオの無知を責めているのか。後者については幸運にも、被害者が勘付いた様子はない。
「――で、ワシらは当然ながら、その量産型を所有しておらん。鹵獲するにも問題が山積みしておる」
「そこで、ミネルヴァを取り戻したいと?」
「無論じゃ。損傷は数時間あれば、自動修復するじゃろうしな。問題は――」
「持ち帰られた可能性が高いこと、ですか」
行き先は勿論、帝都だろう。
この状況下で侵入するのは無理難題だ。向こうだってミネルヴァの重要性は分かっているんだから、堅い警備を敷いてくる。量産型の守護騎士なんて当てられたら絶望的だ。
しかし、取り返さなければならない。
でなければヘレクスもリオも、ヒュベリオも殺される。
「ワシはさっそく行動することを提案したいが、ユーリバルトの
「……協力します。というか、僕が行かないと話になりませんよ? 姫様から
「その通りじゃな」
図面を片付けたヒュベリオは、浮かない表情で部屋を去った。
――が、直前。何か用件を思い出したのか、急にリオの方を向く。
「お主の世話は部下に言いつけてある。食事も運ばせるでな、大人しく待っておれ」
「……」
どこか、脅迫めいた声色だった。
不安を隠しきれない彼女に別れを告げ、ヘレクスはヒュベリオの後を追う。
「ちょ、ちょっと待って!」
「? どうしたの?」
「――勝てるかどうか分からないんでしょ? 戦う必要、あるの?」
同じ目。
悲しまなかった理由を問うた時の、憐憫に満ちた瞳がある。
「……聖約なんだ。帝国のために戦う、っていう」
「そ、そんな約束事のために? 酷くない、かな?」
「どうして?」
苛立ちも何もない、ごく自然の疑問だった。
リオが問い返した理屈は推測できる。彼女の世界に聖約なんて概念はない筈だ。神との約定に殉じるという道徳は、まあ噛み合わないんだろう。
だから純粋に、ヘレクスは解答を待つ。
――心のどこかに、鎖を断ち切ってくれる期待を持って。
「神様との約束だからって、こんな時にまで守る必要はないでしょ? お姫様だって望んでないよ。……もしかして、破ったら死んじゃうの?」
「いや、そうでもない。僕に限って言うと、対価として差し出しているのは帝国との絶縁だ。その庇護に与れないだけで、生命活動に支障はないよ」
「じゃあ……!」
ヘレクスは背を向ける。
結局、足元が崩れるような衝撃はなかったと。
「僕は聖約に従って生きてきた。他の生き方なんて少しも教わらなかった。もし、この選択を変えたいのなら――」
一息。
「僕の人生を引っ繰り返すような言葉じゃないと、通じないよ」
扉は重く、二人の断絶を響かせる。
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