第5話 敗走、でも
目を覚ました時に見たのは、岩の天井。
何をするでも、思うでもなく、ヘレクスはじっと薄闇を見つめていた。吹き込んでくる風が冷たい。辺りにある照明は
「っ――」
封を切って、直前の記憶がなだれ込んでくる。
マリアルトが死んだ。リオを守って。
そのあと、自分も攻撃を受けた記憶がある。確か頭だった。とすれば即死で、勇者特有の再生力も役には立たなかったろう。
息を吸う。
肺の中に満ちていく酸素がどこか懐かしい。生きている実感、というやつだろうか。混乱気味の頭も徐々に冷えてきて、適応という冷酷な現実に浸っていく。
頬を伝う涙はない。無礼だとは分かっていても、君主の死へ熱を持てずにいる。
「……はあ」
そんな自分に呆れて、ヘレクスは両腕に力を込めた。
身体は嘘のように軽い。かなり痛めつけられた筈だが、夢ではないかとすら思えてくる。
「へ、ヘレクス君!?」
まだ親しみの薄い、しかし無視は出来ない声。
蝋燭を片手に近付いてくるのは、やはり近衞騎士の制服だった。
「リオ……」
「良かったあ、起きてくれて。このまま寝てたらどうしようかと」
「――帝都は?」
「え?」
「帝都はどうなったんだ!?」
突然荒くなった態度に、リオは肩を震わせて後ずさり。
少し無音を挟んだ後、ヘレクスは自身の反応を謝罪した。……本当、どうしてだろう。マリアルトの死を受けいれておきながら、帝都のことを気にかけるなんて。
「テニミス法国、だっけ? そこと共同統治をする、ってさ」
「誰が?」
「宰相――ヘレクス君のお父さんだっけ? その人を中心にした貴族達らしいよ。下の村で皆が話してた」
「……ここ、どこ?」
次々に話題を変えるヘレクスだが、リオはまったく不満を零さない。火に照らされる表情には、安心感の方が大きいぐらいだ。
彼女は隣りに腰を降ろす。手には記憶にある赤い木の実が多数。食料を探して、外に出ていたんだろう。
「これ、食べれるって聞いたんだけどさ」
「うん、アンブロシアの実だ。凄く甘いし、傷口に塗すと効果がある」
「へえ……あ、良い匂い」
さっそく口に放り込んだリオ。初めて食べるからか、表情がコロコロ変わる。ブリレオスではメジャーな食べ物なのに、召喚されてから一度も口にしなかったんだろうか?
ヘレクスも釣られて一つ。
甘い。蜂蜜と同等、あるいはそれ以上だ。何個も食べたら、そのうち気分が悪くなりそうな。
リオも同じ感想を抱いてるんだろう。二個目を口にした彼女は、後悔で眉を歪めている。
――そういえば、マリアルトも同じようなことをしていたっけ。
アンブロシアの実は彼女の好物だった。城の庭に、原初勇者が持ち帰ったと噂の木が何本もあって。実がなる度に二人で取りに行ったっけ。
しかし、もう起りえない出来事だ。空気を重くしたくないし、気持ちは自分の中にしまっておこう。
「で、現在地だけど」
「ああうん、帝都の近くにある小さな村。君を運んでる最中に、知り合いだ、っていう人が助けてくれてさ。この洞窟に隠れてれば大丈夫だって」
「知り合い……?」
馬鹿な。ヘレクスの生活は帝都で完結している。騎士団の任務で遠征することはあったが、集落、と呼べるような地域には足を踏み入れていない。
かといって、リオが嘘を吐いてるように見えないのも事実。
「その人、どんな格好をしてた?」
「うーん、ケレス区の人達と同じだったかな。あ、でも、顔に模様があったよ? こう、部族がやるような」
「部族……」
思い当たる点は一つしかない。
アンブロシアの実をポケットに入れて、ヘレクスは外へと歩く。追い掛けてくるリオは大きな声で名前を呼んできた。
最悪の事態を避けるため、身振りで沈黙を指示する。
外は日が落ちているらしく、蝋燭がないと満足に歩けない。生い茂った木々も、月明かりを
耳を澄ませば何かが聞こえる。
足音を抑えつつ、二人は音の発生源へと向かった。
木々を掻き分けていくと、徐々に明りが近付いてくる。この先は崖だ。となるとその下に、件の村があるんだろう。
進む足はより慎重に。
呼吸することを忘れそうな緊張感と静寂は、夜の森に相応しく溶けていく。それらと正反対な集落の明りは、恐らく松明のモノだろう。
「とっとと歩け!」
覗く前に聞こえた、怒号。
ようやく確認できた場所は、人々を拘束、連れ出している光景だった。
「これ……」
「テニミス法国の軍――法聖騎士団だ。大方、労働力として連れていく予定だろうね」
「ちょ、ちょっと待って。テニミス法国って人達は、共同で統治をするって……」
「これも統治の一環さ。ここにいる人達は、生粋のブリレオス人じゃないし」
「ど、どういうこと?」
「説明は後でするよ」
明りから目を逸らすように、二人は森の方へ戻る。長々と留まるのは危険だ。急ぎ、近くの街道へと出なければ。
途端。
「いたか?」
洞窟の方から、四、五人分の気配が駆け出してきた。
即座に蝋燭を消し、幹の影へ。ここで見つかれば何もかも終わってしまう。
「いいえ、誰もいません。アンブロシアの実が残っていたぐらいで」
「面倒な。遭遇すれば戦闘になりかねんな……」
「本隊に応援を求めましょうか?」
「頼む。敵は守護騎士を所有しているとの話だ。目を覚まされたら、我々では手に負えん」
部下らしき男は二つ返事の後、駆け足で森の向こうへと姿を消す。
上官の方はしばらく動かなかったが、ヘレクス達に勘付くことなく去っていった。
胸を撫で下ろす二人。一方、ヘレクスの頭には無視できない言葉が残っていた。
「姫様は、僕に命を移したと?」
「……うん。私が死ぬのは仕方ないって、そう言ってた」
「そっか……」
なら生きなくてはならない。子供の頃、彼女への忠誠は守り抜くと決めたのだ。
リオの手を取り、再び森を進む。兵士たちが去っていった方向とは逆だ。村の出入り口からも離れるし、理にかなった選択だろう。
「た、助けないの?」
「戦力的に難しい。そもそも彼らは、助けられることなど望んでいないよ。少なくとも僕らからはね」
「……なんか、事情ある?」
大ありだ。民族的な問題のため、あまり部外者へは口にしたくないが。
納得できないらしく、リオの歩みがわずかに迷う。が、力任せに引っ張ればそれも消えた。少々乱暴なやり方だとは思うけど。
この状況で他人に気を使うなんて馬鹿馬鹿しい。いっそ叱りたい気分だが、事実を突き付けても時間の無駄。仲間割れをしている暇はない。
それでも彼女は、ヘレクスの手を振り払った。
「助けようよ! あの人達、隠れる場所を提供してくれたんだよ? せめて――」
「じゃあどうして、洞窟だったんだ?」
「それは……」
「
「――」
とどのつまり、自分達は売られる予定だった。
そんな相手を助ける気にはなれない。彼らには明確な害意がある。予定に反してテニミス兵が拘束しなければ、今ごろヘレクスの命はなかったろう。
リオも分かっている筈だ。俯いた顔が、木々を裂く光に染まっている。
「そんなの、関係ないよ」
「何……?」
「あの人達は困ってる! だったら助けて上げようよ! ヘレクス君、優しくされないと優しく出来ないの!? あたしにはしてくれたじゃん!」
「それとこれとは事情が違う。大体、僕らは被害者だ。彼らを救うのは道理に合わないし、無理だってさっき言ったじゃないか」
「っ――」
無駄死には出来ない。マリアルトのために、リオのために。
「いたぞ!」
停滞を破る大きな声。
無数の足音が、周囲から一斉に沸き出した。
実際、それは地面から現れている。まるで影が人間へ変わるように。
「え、え!?」
「勇者が持ってる魔術だ! とにかく走ろう!」
しかし、包囲網は狭まっていく。
後ろを振り向けば、それだけで絶望的な状況だと分かった。――リオに迎撃を頼みたいが、そうもいかない。召喚されたとはいえ精神は未熟のままだ。現にすっかり、抵抗する意思を感じない。
頼れるのは自分自身。始めから分かっている出来事だが、改めて心に刻む。
「止まれ!」
正面には一人の敵。
リオの手を離し、ヘレクスは魔術を発動する。
脳裏に描く、白い騎士の姿。
「――ミネルヴァ!」
土が
宙に爆ぜた土塊の中、求めた姿が確かにあった。
障害に立った兵士は堪えることも出来やしない。剣で薙ぎ払われ、一本の木に激突。意識は綺麗さっぱり狩り取られた。
「し、死んだ……?」
「いや、勇者家系の人間だ。気絶してるだけだよ」
ヘレクスはリオを抱えると、ミネルヴァの肩へ飛び移る。後ろから追ってきた連中は騎士の姿に気圧されていた。
これなら行ける――木々を強引に掻き分けて、大胆な逃走劇が幕を上げた。
幸い、森林地帯の出口はもう見えている。立ち塞がるテニミス兵。しかし誰一人、元来の意気を保っている者はいなかった。
鎧袖一触。
魔術を尽く弾き、守護騎士は街道へと姿を現す。
右手に映るのは帝都の城、付近にある高層建築物の光だった。
やはり予想通り、リオは大移動をしたわけではないらしい。帝都の反対――左に向かえば、ブレリアスが誇る四大都市の一つに辿り着くだろう。安全地帯を求めるならそこしかない。
問題は、宰相の手が及んでいるかどうか。
彼の影響力は国中に広がっている。それが裏切ったとなれば、向こうの都市もテニミス法国を受け入れて不思議はない。最悪、帝都から来る部隊との挟み打ちだ。
「ミネルヴァ、西へ――」
『行かせるか!』
切り裂かれる正面の大気。
守護騎士サイズの剣が二本、暗闇の中に現れていた。
盾で受け止めるミネルヴァ。向かい合う姿は紛れもなく、闘神の守護騎士マルス。
しかし色が違っていた。帝都で対峙した紅い姿ではなく、甲冑は青一色。暗闇ゆえ、正確な色は分かり難いが。
「こいつ……!?」
『貴様が知る必要はない!』
声が驚くべきことに、青いマルス自身が発している。
持ち主らしき男の姿はない。眼下に映るのは、激突の余波を
「な、中から動かしてるのか!?」
『知る必要はないと言った!』
巨体らしからぬ鋭敏な動きで、二騎は
推測を否定する材料はなかった。紅いマルスの時以上に、重い攻撃がミネルヴァを襲う。
迎撃の命を下すヘレクス。が、思った通りに動いているかどうかは別だった。
守護騎士は操作する際、持ち主の命令に従うだけだ。故に、訓練を受けた戦いが出来るかどうかは別問題。最大の武器は体格であるため、普通なら気にする必要はないが――
守護騎士同士なら、利点は消える。
回数を重ねる度、青いマルスの動きは鋭くなっていった。ミネルヴァは守りの一手。双剣の乱舞で盾は拉げ、まともな反撃にも移れない。
『これで――!』
跳ね上がる盾。ミネルヴァの胴ががら空きになる。
自由な二本目は、容赦なく
ミネルヴァの動きが止まる。青いマルスの連撃は止まず、盾を弾いた大剣をそのまま返してきた。
「掴まれ、リオ!」
「え――」
騎士の肩から離れた直後、形容しがたい轟音が響く。
ミネルヴァが直撃を受けたのだ。胸に大剣を突き刺したまま、守護騎士は力なく膝をつく。
降りた二人に襲い掛かる、数え切れないほどの兵士。
二度目の終わりを、見た気がした。
「かかれええぇぇええ!!」
その号令は、敵勢から響くものではなく。
西の街から来る、第三者の咆哮だった。
『ヒュベリオ卿か!?』
「疑うまでもなかろう、無名の騎士よ……!」
街道を駆ける、西の名君と配下の軍勢。大地さえ、彼らの勢いに震えている。
彼らは青いマルスを狙わず、周囲の兵士に攻撃を集中させた。飛び交う閃光、炎に氷。魔術同士の激突は、暗い夜を過激に彩っている。
そんな破滅的な光景を掻い潜る、馬に乗った老人。
「乗れ、ユーリバルトの
「申し訳ありません、閣下……!」
ヘレクスはヒュベリオの後ろへ、リオは遅れてやってきた者の馬に乗る。
あとは離脱するだけだ。ミネルヴァが動けない以上、戦ったところで消耗戦にしかならない。
それでも大破した守護騎士は、そのまま放置するしかなく。
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