第4話 鮮血の白騎士
「そう、原初勇者の残した力だ。試し切り、させてくれよ……!」
振り下ろされる大剣。
ヘレクスの反応に遅れはなかった。並ぶ家屋ごと両断する一撃を、力任せな跳躍で回避する。
だが、そこで追撃の手が緩むことはない。もう一本の腕が、横薙ぎの一閃をぶち込んできたのだ。
なら。
「っ!」
両腕に魔術の元――全身の魔力を集中させる。
浮かび上がるのは黒い光。
それがヘレクスの、先祖から遺伝した力だった。
「ふ――!」
「お?」
弾いた。
高く上がった騎士の腕が影を作る。明確な隙。さっきと同じように魔力を両足へ集め、滑空に近い走りで距離を詰める。
敵に焦燥感はない。能天気な表情で、疾走するヘレクスを眺めている。
余裕か、あるいは理解が追い付いていないのか。
答えは前者だった。
「っ――!?」
三本目の腕。がら空きになった胴体から、得物を手にして生えてくる。
腕の発生と攻撃は同時だった。出てきた勢いそのまま、薙ぎ払おうとする大剣が軌跡を描く。
避けられない。完全に不意を突かれたせいで、別方向に跳躍する用意がない。
ヘレクスは足を、
迎撃する。
拳に纏った濃密な魔力。水が弾けるような音を立て、正面から一撃を迎え撃つ。
だが状況は動かない。単純に出力が違い過ぎる。一代目と五代目――直接召喚された者と、召喚された者の血縁でしかない者の差。
全身の魔力をつぎ込んでも押し返せない。横目に映るタクトは、逆に余裕の笑みを浮かべるだけ。
「ほれ、どうすんだ?」
頭上。本来あった二つの腕が、鉄の墓標を突き立てに来る。
炸裂した。
衝撃が生み出す土煙り。が、その量は剣による一撃と比例するものではない。オマケに突き立てられる直前、三本目の腕が意図しない向きへ弾かれている。
煙りから飛び出したのは、五体満足なヘレクスの姿。
魔術での競り合いはどうにか制した。こうして無傷で脱出できたのは、足元に叩き込んだ魔術のお陰。本当に間一髪だった。
敵はそんな経緯も把握しているらしく、遊戯を楽しむ子供のよう。
「切り替えは早いみてぇだな。さすがは宰相の息子ってとこか」
「……」
「てめえの魔術、手足に魔力を集中させて爆発させるやつだろ? 五代目レベルにゃあポピュラーな力だからな、俺もよく知ってる。なんで、策を巡らしても無駄だぞ?」
淡々と告げるタクトに、返す言葉は一つもない。例え、すべてが当たっているとしても。
一定の距離を置いたまま、ヘレクスは敵の戦力を観察する。
巨大な
敵から視線を逸らさず、ジリジリと後退するヘレクス。タクトはその場から動かない。まだ現在地は、白騎士が剣で薙ぎ払える範囲にある。
「攻撃したけりゃ攻撃していいんだぜ? 俺の目的は最終的に、お前らを足止めすることだからな」
「く……」
遊ばれている。天と地ほどある力の差が、そんな余裕を与えている。
だがこちらには対抗策がない。運良く潜り込めたとして、マルスの装甲を打ち破るのは不可能だ。タクトにしても、まだまだ隠し玉は持っているだろう。
策もない。このまま、敵の術中に
「ヘレクス!!」
あらゆる不安を払拭する、救いの声。
それは事実、空から響いてくるものだった。
「姫様!?」
「下がってください! 守護騎士の相手となれば、私が務めます!」
反論しようとするヘレクスだが、飛来する衝撃に言葉を飲んだ。
――守護騎士を所有しているのは、何も勇者に限った話じゃない。原初勇者の意思を継ぐ、指導者達にも残されている。
帝都に立つ、白の巨人。
「さあ、行きますよミネルヴァ!」
現皇帝から貸与された力が、闘神の前に立ち塞がった。
マルスとは異なり、ミネルヴァは全身を以て
「っと」
戦闘が始まる直前、ミネルヴァの肩から少女が飛び降りた。
「リオ……!」
「はあ、どうにか間に合ったね。空を飛ぶのって始めてだから、凄い緊張したよ」
「き、君が知らせてくれたのか?」
「そりゃあね。途中でお姫様に会ったから、お城まで戻ったわけじゃないんだけど」
安堵する二人の向こう、高い金属音を鳴らす二騎。周囲への被害は広がる一方だが、ミネルヴァは果敢な攻めを
情けないが、この場はマリアルトに任せるしかない。皇族が前線に立つことで、兵士たちの士気もあがるだろう。
それで覆せるほど、相手は生易しくないのだが。
「他の敵は?」
「兵士さん達が応戦してる。でもかなり厳しそうで……最終手段がどうとか、お姫様が言ってたよ」
「最終手段?」
何だろう。秘密兵器が作られている、なんて噂は聞いていないが。
ヘレクスは思案を切り上げ、守護騎士たちの様子を再確認する。……やはり
「城に戻ろう。多分、籠城になる筈だ」
「か、勝てるの? すごい数だったけど……」
「無理だと思う。どうにか、姫様たちだけでも逃がしたいけど――」
どこまで出来るか。この辺りは上手く貴族達を説得するしかない。
気付けば、付近にテニミス軍の兵士達が現れている。ミネルヴァ――マリアルトもそれを確認したようだ。マルスへの攻撃を緩め、撤退の用意を匂わせる。
だが。
「逃げちゃ困るんだよなあ……!」
左右一本ずつ、マルスが剣を投擲する。
一本はミネルヴァの注意を引き。もう一本はヘレクス達へ。
「ぐっ!?」
辛うじて直撃は避けるものの、余波を殺すことは出来なかった。
殺到するテニミスの兵。ヘレクスは即座に立ち上がり、リオの前で腕を振るう。
しかし余りにも数が多い。一人一人の実力も、彼らとヘレクスは大差ないのだ。
「ぐっ……!」
必然的な結末。魔術によって浮いた身体は、容赦なく家屋の残骸へとぶち込まれた。飛びかける意識を必死に繋ぐ。
しかし、見えたのは。
無防備なリオに牙を向ける、
「伏せてください!」
「――っ」
彼女は言う通りに。
襲い掛かろうとした魔術の数々が、守護騎士の装甲に阻まれる。
だが。
「隙だらけだぞ」
「か……」
鼓膜に響く、掠れた声。
マリアルトの身体を、巨大な剣が貫いていた。
「――」
「……つまんねえ仕事だな。お姫様を誘き寄せて、殺せだなんてよ」
タクトの独白も聞こえない。
「――貴様あああぁぁぁぁああ!!」
軋む身体に鞭を打って、ヘレクスは憎悪の先へと目を向ける。
しかし願望が叶うことはない。横で待機していたテニミス兵から、懐へ魔術をぶち込まれた。
衝撃で板挟みになる身体。追い打ちは止まず、無数の閃光がヘレクスを吹き飛ばす。
「――」
紙にでもなった気分で、空を舞っていた。
地面へ叩きつけられた後は、指先一本動かす力がない。目を開けるだけでも億劫だ。――まだ、戦わなければいけない理由があるのに……!
必死に頭を上げても、刹那の間で意味を失う。
頭蓋を貫かれれば、死ぬのが人の道理だから。
一体、何が起ったのか。
呼吸が落ち着いたのを見計らって、リオは周囲の状況を確認する。
荒れ果てた住宅街。さっきまでいた法国の兵士は、無力な少女に興味を示すことなどなかった。赤い騎士に乗った男の一声で、彼らは呆気なく去っていった。
お陰で、惨状はよく見える。
人が死んだ。それも二人。
いたって普通の人生を送ってきたリオへ、現実は水のように染み込んでくる。――うつ伏せに倒れた少年と、仰向けになって血を流す少女。どちらも血の海に浮かんでいた。
マリアルトの表情は眠るようで、しかし動かないことが分かってしまう。これが死相か、と冷静なままでいる自分に吐き気がした。
「……」
遠くからは、誰かの悲鳴。
助けたい気持ちはあっても、リオには手段がない。ここで部外者として朽ちるだけだ。生きる意味なんて、目の前で起こった悲劇に霞んでしまう。
だが。
「っ、く……」
「ま、マリアルトさん!?」
胴を二つに貫かれた筈の彼女が、動いている。
顔色は悪いままだったが、瞳には明確な意思が戻っていた。もちろん、真っ先に見るのはヘレクスの骸。頭部に開いた穴を、涙を流しながら見つめている。
「だ、大丈夫ですか……?」
「ええ、どうにか。といっても、生かされているような状態ですけど」
言葉の意味が分からないリオだったが、マリアルトの視線を追うことで解決した。
白い巨人騎士――確かミネルヴァと呼ばれたやつ。意外にも無傷なまま放置されている。そういえばタクトとかいう男が、後で回収すると命令していたっけ。
マリアルトは重症の身体を引き摺って、
開いた装甲から落ちてきたのは、掌に収まりそうな水晶玉。
「それは?」
「私の命を繋ぎとめている物です。……これを、ヘレクスに与えてください。そうすればミネルヴァは、彼を新しい主人に出来るでしょう」
「ちょ、ちょっと待って。それじゃあマリアルトさんは――」
「今度こそ死にますね」
きっぱりと彼女は言った。
どんな角度から表情を覗いても、真実に対する迷いは見られない。マリアルト自身、生き延びている現状を疑っているんだろうか?
身体の調子が戻ったわけではないらしく、皇女はミネルヴァの下に寄り掛かった。
「早く、ヘレクスに。急がないと、彼らが戻ってきます」
「で、でも……」
「私のことはお気になさらず。……帝国が滅びるのは、神託によって定められた運命ですから。仮に私が生きても、神々は罰しに現れるでしょう」
「……」
世界の知識を最低限しか知らないリオは、彼女の決断に異を唱えることが出来ない。
差し迫った時間だけが、鮮明だった。
「どうかお願いします。貴女にとっても、誰かを救う行為は有意義な筈。それだけの過去をお持ちでしょう?」
「え――」
何で、と聞き返そうとした時には、目蓋を閉じるマリアルト。
確かにリオは、過去にちょっとした事情を抱えている。が、こちらの世界で口にしたことはない。調べるのだって不可能なはずだ。
どうして、マリアルトは知っているんだろう。
家族が全員殺された、あの痛ましい事件のことを。
「……」
凝視しようと、彼女が目を覚ます気配はない。反対に不都合な存在が、軍靴を揃えて近付いてくるだけだ。
マリアルトが託した願いは、ゆっくりと彼の傷口へ沈んでいった。
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